「由羅(ゆら)さま、あなたはいったいなんということを……! どうか、先の進言を取り消していただくよう、陛下にご嘆願を」
「連翹(れんぎょう)、もうこれしかないんだ。僕はどうしても、おまえと結婚したい。だから、頼む。2年だけだ。2年だけ待っていてくれ」
僕は、自分が大人になったつもりで、自分より3歳年長の恋人をなだめた。
自分の思いつきが神の啓示であると信じて疑いもせず。
それがいかに恐ろしく、愚かしい浅知恵であるかということに気づきもしないで。
『私はこの胸の痛みを知っている』
我が東翔国(ひがししょうこく)を治める王は、御年24歳の若き王・阿維(あい)。阿維には20歳になる双子の弟妹がいた。僕と妹の莉々花(りりか)だ。
建国以来数千年の伝統を有す我が国に対し、隣国の西羽国(にしうこく)は歴史が浅く、しかもつい半年前、王家直系の血筋が途絶えてしまった。
西羽国では、王家を存続させるため、国内に残る遠縁の傍系から新王を選出した。来月行われる即位式には、我が兄も招かれている。
実は、血統の確かさでいえば僕たち3人兄弟の方が、その新王よりよほど王位継承にふさわしかった。僕たちの母である王大后は、西羽国前国王の妹なのだから。
「新王・月祐(げつゆう)殿が莉々花を正妃に望んでいる」
兄が僕を私室に呼び、そう話を切り出したとき、僕はやはりと思いこそすれ、驚くことはなかった。
血筋の劣る新王が、我ら兄弟に政略結婚を求めてくるのは当然のことだ。前王の妹が産んだ子供なら誰でもよく、たまたま莉々花が唯一の王女だったという、ただそれだけのこと。
だが、我が国には莉々花を隣国にやれない事情があった。
母の生国とはいえ政情不安定な新興の小国の、しかも傍流出身の新王に、我らの掌中の珠を渡せないという家族としての心情ももちろんある。
しかし事態はより深刻だった。我ら家族と王宮づきの侍医しか知らない事実―― 子供の頃に罹(かか)った病気のせいで、莉々花は女ながら、子供が産めない身体なのだ。
西羽国が欲しいのは、莉々花であって莉々花ではなく、新王と正妃の血を受け継ぐ正統な嗣子だ。
最初はごまかせても、何年も子供に恵まれなければ、国王が側室を置き彼女に庶子ができた場合、不妊の原因が莉々花にあることが分かってしまう。そうなれば、石女(うまずめ)を押しつけたということで、国交の断絶または戦争に発展しかねない。
何より心無い風評と侮蔑で、大切な妹を傷つけたくなかった。
「兄上、僕に名案があるのですが、聞いていただけますか」
我が国は昨年に引き続き、本年も日照りが続き、しかもイナゴの異常発生により、深刻な飢饉に悩まされていた。一昨年の備蓄はすでに尽きてしまっている。新王は、王女をもらい受ける代わりに、食糧の支援を申し出ていた。
東の国民を救い、西に王の子をもたらす手だてがひとつだけある。
「莉々花ではなく、どうか僕を西羽国にお遣わしください。ただし2年だけ。お忘れですか? 僕は子供が産める男です。2年いただければ、見事月祐王の子供を産んでみせます」
僕の提案に、兄はぎょっとして目を剥いた。
「由羅、確かにその通りだが、そなたは我が国の王太子ではないか! しかも2年とは…いったいどういうことだ」
「あちらは子供が欲しいだけなのでしょう? だったら正妃になって、一生月祐さまの側にいる必要はない。西に王子か王女を与えれば、僕は用済みのはずです」
「それはそうだが、しかし…」
兄は僕の意図するところを理解したが、納得はできないようだった。
「兄上はご結婚なさったばかり。義姉上との間にすぐにお子ができましょう。万が一僕に何かあったとしても、我が国が後継を失う心配は皆無です」
返答を迷う我が王に決断を促すため、さらに言葉をたたみかけた。
僕がこんなことを言い出したのは、国や妹を思う気持ちの前に、自分のための打算があってのことだ。
「ですから兄上。役目を果たし戻ってきたときは、僕を連翹と結婚させてください」
東翔国王太子である僕…由羅は、男女両方の性を持つ、両性具有の身の上だった。
兄の部屋を辞した後で、僕は連翹の元へ向かった。
王家を守る禁軍の少尉である連翹は、僕の最愛の恋人だ。僕は彼に、兄と交わした密談を打ち明けた。
国民の命を救うため、隣国の新王の子供を産んでくると。
「他の男の子供を産んだ僕は、もう愛せないか?」
「そんなことはありません! ですが、由羅さま。国民を救うためとはいえ、あなたが他の男に身を委せるなど…私に死ねとおっしゃっているのも同然です」
「連翹、頼む。2年だけ、2年だけ目をつぶって待っていてくれ。そうすれば、僕はおまえの元に帰ってくる。兄上も、僕とおまえとの結婚を許してくれた、だから…」
自分がめちゃくちゃなことを言っているという自覚はある。
けれど、僕が連翹と結婚するためにはもうこの方法しか考えられなかったのだ。
下級貴族で爵位を持たない連翹。名門出身者で占められた禁軍では、よほどの軍功を上げなければこれ以上の出世は望めない。いまのままの彼と王太子の僕とでは、身分が違いすぎて、結婚なんて夢のまた夢だ。
たとえ兄が認めてくれたとしても、重臣たちが黙っていないだろう。
だが僕が国を救えば、交換条件として皆を説き伏せることができる。
「僕にはおまえだけだ。おまえしかいないんだ。愛してる、連翹。僕たちの未来のために、こらえてくれ」
僕の決意の固さに、連翹は渋々ではあるがなんとか折れて受け入れてくれた。
「分かりました。私も愛しています…由羅さま、必ず戻ってきてください」
僕は連翹と口づけて別れた。
外は、下弦の月のみが光源の闇夜。松明(たいまつ)の灯りに照らされた城内の渡り廊下を歩いていると、通路の途中にある大窓の窓枠に、 ひとりの男が腰をおろしているのに出くわした。
亡き父の姉が公爵家に縁づいて生まれた長子。従兄弟の詩我(しいが)だった。
ひとつ年上ということで年齢が近いことから兄の阿維と特に親しく、公私に渡りいろいろな相談を受けていることは、僕も知っていた。
そんな彼が、こう言って僕を呼び止めた。
「由羅、阿維から聞いたよ。西羽国に期間限定で嫁ぐんだって?」
「そうだけど、それが何か?」
僕は毅然とした態度で、詩我を正面から見据えた。
従兄弟とはいえ、たかが貴族の分際で我が兄を呼び捨てにする男。
始終、衣服を着崩し、我がもの顔で王城をふらふらする不真面目な歌舞伎ものだ。嫌いではないが虫が好かない。
「由羅、こんな寓話がある」
詩我は冗談めかした口調でありながら、瞳に無視できない真剣な光を宿して語り始めた。
「昔、ある1匹のキツネが、ウサギを仕留めた。滅多にないご馳走に気をよくしたキツネは、仲間に見つからないよう自分ひとりでその肉を平らげようともくろみ、秘密の場所に隠して、何食わぬ顔で仲間の元に戻った。数日後、隠し場所に行ってみたところ、ウサギはすでに腐ってしまって
いた」
「……何が言いたい…?」
「いや、別に。ただ、人の心なんて、ウサギの肉よりも腐るのが容易いんじゃないかって思っただけさ」
国王の外戚は、哀れみとも嘲笑とも取れる薄笑みを浮かべ、窓枠から降りた。
そして、頸だけ後ろを振り向き、捨て台詞を残して去っていった。
「2年後、果たしておまえたちが、いまとまったく同じ気持ちでいられるかどうか見ものだね」
同じでいられるかどうかだって? そんなの当然に決まってるじゃないか。僕たちの愛は強いのだから。
僕は、無神経な詩我の発言に腹を立てていた。
僕たちだって、すんなり結婚できるのであれば、そうしたかった。だがそうできない事情がある。目的を果たすためには、多少の犠牲を払ったって仕方がないではないか、と。
詩我は僕たちが将来直面するであろう試練に対し重要な示唆をしてくれていたのに、驕った僕はそれを見落としてしまった。
2年後のご褒美に目が眩んで、恋人ではない他の男に身を任せること、子産みの道具になるということがどういうことなのか、その重大性を軽んじていたのだ。
犬に噛まれた程度の傷では終わらないなど、少し考えれば分かっただろうに。
「人の心は容易く腐る」
僕は後にこの言葉の正しさを、苦い後悔を持って噛みしめ、何度も繰り返し思い返すこととなる。
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