――「明日の号外を撤回」とは一大事ですね。どう対応したのですか。
佐伯 いやあ、ほとほと困った。もし本当に破談になれば切腹ものだとも考える一方、もう号外も販売店へ運び始めてるだろうから今から刷り直し、というのも大事(おおごと)だなと。気があせっていて、その場で何と答えたか覚えてない。早々にその場を退散したようだ。
ただ、配られるのは翌日の婚約発表後のことだし、どこか「大丈夫だろう」という思いもあった。結局、会社では誰にも相談しなかった。ぼくは当時27歳で、若さゆえの大胆さだったのかもしれない。
――結局、号外は問題を引き起こしたのですか。
佐伯 いや、何もなかった。冷静に考えれば、礼拝時のカトリックだけじゃなくて、結婚式でドレス姿にショールというのはあり得るわけだし、別にイコールカトリックという格好じゃない。美智子さんたちが神経質になっていただけなのかもしれない。
実際、26日朝以降は、26日夜の正田家再訪時を含め何も言われなかったし、27日の発表後に美智子さんに会ったときは、ニコニコしていて何もなかったかのように接してくれたのでほっとした。その後も問題になることはなかった。
<編集部注:佐伯さんが当時のことを語る際、「民間」時代の美智子さまのことは「美智子さん」と表現しています>
<メモ:佐伯さんの記事「正田家を見つめて六カ月」>「皇太子さまご婚約」が発表された1958年11月27日付朝日新聞夕刊の一連の記事中、佐伯さんが書いた「正田家を見つめて六カ月」は、59年に出版された「現代教養全集5」(筑摩書房)に採録された。
同書の解説を書いた評論家の臼井吉見氏は、同記事を各紙の記事と比較して「ずばぬけて、あざやかであった」と指摘した。特に、美智子さまの母冨美さんの「母親の心底にひそむ、底知れぬ不安と躊躇を伝えた」ことについて、「新聞報道として画期的」と評した。
<佐伯晋さんプロフィール>
1931年、東京生まれ。一橋大学経済学部卒。1953年、朝日新聞社入社、社会部員、社会部長などを経て、同社取締役(電波・ニューメディア担当)、専務(編集担当)を歴任した。95年の退任後も同社顧問を務め、99年に顧問を退いた。
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