■高速化に乗り出した京阪
現在の京阪本線は1910年に天満橋駅と京都の五条駅の間で開業。ただ住宅地を縫うためカーブが多く、高速運転に限界があった。折しも関西で鉄道ビジネスが急成長した時期。すでにあった鉄道省(後の国鉄、JR)東海道線との乗客争奪戦に挑むため、京阪は高速新線(第2京阪線)を計画する。
まず、「新京阪電鉄」という子会社を設立し、十三駅から淡路駅を経由し千里山駅までを結んでいた北大阪電鉄を吸収した。さらに、1928年までに天神橋駅(現在の天神橋筋六丁目駅)から淡路駅を経由して京都(西院駅)までの新線を開業した。嵐山線もこの時に新京阪が開業している。高速運転では余す所なく力を発揮。天神橋駅―西院駅間を最速34分で結び、当時の国内最速列車となった。
京阪は30年に新京阪を吸収合併するが、この新線はまだまだ話題を振りまく。31年に京都の西院駅から大宮駅まで延伸した区間は関西初の地下鉄道。大阪市の地下鉄開業より2年早い。またこの新線から名古屋を目指す計画も国の認可も得たが、景気悪化でお蔵入りとなった。
■京阪新線が阪急へ
戦時統制で43年に阪急と京阪は合併。49年に再び分離するが「淀川を挟んで東と西では町の成り立ちが違うことなどを理由に、別会社でお互いに発展しようと京阪の新線は阪急に組み込まれて現在に至る」(塩山さん)ということだったのだ。
もともと十三駅が始発の京都線。阪急に移ってから乗客の利便性を考え梅田駅まで延伸したが、中津駅にはホーム設立の余地がなかった、というわけだ。
今ではすっかり阪急の一員となった京都線だが、もともと京阪だった証しが沿線に残る。相川駅(大阪市東淀川区)の西改札口を降りると見える安威川の「新京阪橋」だ。同区と右岸の大阪府吹田市を結び、車や通行人が絶え間なく往来している。現在の橋は1968年に完成したものだが、旧来の名称を変えることなく戦前からの鉄道史を現在に伝えている。
(大阪・文化担当小山雄嗣)
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