ノネコの涙
世の中には、知らないことがいっぱいある。だから、自分が「知らない」ってことは仕方ない。だけど、「知ろうとしない」ことは罪だと思う。あたしは、高卒のヘアメークだから、大学へ進学した人たちより教育を受けてないけど、知識欲は旺盛なほうだと思ってる。だから、できるだけ本を読んだり、いろんな人の話を聞いたりして、いつも自分なりに「知ろう」としてる。そして、今まで知らなかったことを知り、自分の思ってたことが間違ってたと気づいたら、その時点で改めればいいと思ってる。
たとえば、ペットボトル。あたしは、社会人になるくらいまでは、普通にペットボトルの飲み物を買って、飲み終わったら「燃えないゴミ」として捨ててた。だって、街のゴミ箱の「燃えないゴミ」のほうに、「空き缶・ペットボトル等」って書いてあったからだ。そして、目の前にゴミ箱があるのに、そこらに空き缶やペットボトルを投げ捨てる人がいると、「サイテー!」って思ってたし、そんな人を見るたびに、ちゃんとゴミ箱に捨ててる自分のことを「普通」じゃなくて「偉い」って思ってた。
だけど、自分が社会人になって、社会のこととか世界のこととか、いろんなことを深く知り始めて、「エコ」とか「リサイクル」とかにも興味を持つようになってからは、ペットボトルの飲み物を買ったら、必ずリサイクルに出すようになった。出先で飲んでも、必ず自宅に持って帰って来て、中をお水ですすいで、ラベルをはがして、フタと本体とに分けて、ある程度まとまったら、スーパーのリサイクルボックスに持ってくようになった。
で、数年前まで、これが「正しいこと」だと思って、ずっと続けてた。だけど、今は違う。それは、「1本のペットボトルをリサイクルするためには、ペットボトル3本ぶんの燃料が必要」ってことを知ったからだ。つまり、ペットボトルをリサイクルに出せば出すほど、オゾンホールが大きくなっちゃうってことだ。だから、今のあたしがやってることは、まず、「できる限りペットボトルの飲み物は買わない」ってことで、それでもタマには買うことがあるから、その時には、普通に「燃えないゴミ」として捨てるようにしてる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、ペットボトルに対する扱いひとつを取っても、あたしは、こんなふうに変遷して来た。つまり、常に「知ろう」としてて、知った時点で対応を変えてるってことだ。だから、これから、もっと別のことを知れば、また変わると思うけど、今んとこは、「できる限りペットボトルの飲み物は買わない」ってことこそがエコだと思ってる。
だけど、あたしも、あんまり偉そうなことは言えないワケで、たとえば、コーヒーに入れるスジャータとかのちっちゃいミルク。アレなんか、あたしは、ずっとミルクなんだと思ってたから、どこかで出ればコーヒーに入れてたし、自分でも買ったりしてた。だけど、去年の11月に、サンプラザ中野くんが、「スジャータみたいなコーヒー用のミルクって、実はミルクじゃなくて、植物性の油と添加物だけでできてる」って教えてくれたので、「えっ!?」って思って、冷蔵庫に入ってたのを見てみたら、袋の裏にホントにそう書いてあった。
だから、それ以来、あたしは、絶対に使わないようにしてるんだけど、袋の裏にちゃんと書いてあったのに、それを確認もせずに使い続けて来たんだから、とても「常に『知ろう』としてる」だなんて偉そうなことは言えないのだ。ただ、イイワケっぽいことを言わせてもらうと、あたしの場合は、自分のことは2番目か3番目で、自分のことよりも大事なことがある。何よりも大切なのは、もちろん母さんだけど、地球のことも、猫たちのことも大切だ。だから、自分のことをあとまわしにして、地球のためにはどうしたらいいかとか、猫たちに安全なものを食べさせなきゃとかって考えちゃう。
‥‥そんなワケで、ものすごくアバウトな感じがすると思うけど、あたしは、あんまりガツガツするのは好きじゃないし、ガツガツしてる人を見るのも嫌いだ。極端なベジタリアンとか、極端な動物愛護運動家とか、極端な愛国者とか、みんなマトモな人とは思えない。だいたいからして、「そんなにガツガツしてて疲れないの?」って思っちゃう。だから、あたしは、出されたお肉は、アメリカ産じゃない限りは感謝していただくけど、自分からは進んでは食べないヘナチョコベジタリアンだし、動物は好きだから毛皮は絶対に着ないけど、革のパンプスや革のお財布は使ってる。このくらいのユルユルな感じじゃないと、とても一生は続けて行けないし、それ以前に、生きてること自体を楽しめなくなっちゃうからだ。
せっかく、宝クジで1等を当てるよりも難しい何億分の1かの確率で生まれて来て、こうしてたった一度きりの人生を過ごしてるってのに、偏った思想に染まったり、変な理想論にとらわれたり、くだらないカルト宗教に洗能されたりして、ピリピリと神経質に生きてくなんて、あたしにはムリだ。だって、あたし1人が生きてたって死んだって、世の中は何にも変わらないんだから、それなら、自分が納得できるレベルで、何にもとらわれないで、のびのびと生きるのがいい。ナントカ愛国会に入ったから中国や韓国のやることはカタッパシから否定しなきゃいけない!‥‥とか、ナントカ教に入信したからアレとコレは食べちゃいけない!‥‥とか、ホントにアホだと思う。挙句の果てには、牛や豚やニワトリは食べ物だけどクジラとイルカは友達だ!‥‥とかって、ぜんぜん意味が分かんない。
あたしは、猫も犬も大好きだから、ずっと前に、中国人が猫を殺して食用として売ってる映像や、韓国人が犬を殺して解体してる写真を観た時には、ものすごくショックを受けたし、なんて野蛮な民族なんだろうって思った。だけど、今は別に、中国の「猫鍋」や韓国の「犬鍋」のことは批判してない。もちろん、できればやめて欲しいって思ってるけど、批判はしてない。何でかって言うと、このニポンだって、昭和初期までは猫を食べてたってことや、昭和中期までは犬を食べてたってことや、沖縄の一部の地域では、今でも猫や犬を食べてるってことを知ったからだ。
‥‥そんなワケで、今日は、ニポンの猫食文化について書いてみようと思う。正直に言うと、あたしは、「猫を食べる」とか「犬を食べる」ってことよりも、その前提の部分、つまり、「食べるために猫や犬を殺す」ってことが耐えられないのであって、これは、牛でも豚でもニワトリでもおんなじだ。あたしが、子供のころから、平気で牛や豚やニワトリを食べて来れたのは、すでにスライスされたお肉になって、パックに入って売られてたからだし、ファミレスに行けば、すでにハンバーグやミートボールになって、お皿に乗って出て来たからだ。もしも、元気に生きてる牛や豚やニワトリを自分の手で殺して、解体して、それで調理しなきゃなんなかったとしたら、とてもじゃないけど食べることなんかできなかっただろう。
だから、あたしたちが、「猫や犬を食べることは残酷だ」って感じるのは、「殺す」っていう前提の部分から想像しちゃってるからなのだ。逆に、牛や豚やニワトリを平気で食べられる人たちは、この「殺す」っていう前提の部分を想像してないからなのだ。そして、あたしの場合は、屠殺場で残酷に殺され続けてる牛や豚やニワトリの映像を観たことによって、「殺す」っていう前提の部分から想像するようになっちゃって、とてもじゃないけど食べられなくなった。その上、さらにその前の、劣悪な状況と最悪の飼料で飼育されてるとこまで知っちゃったから、動物たちがかわいそうってだけじゃなくて、自分の健康のためにも、こんなものは口にできないって確信したワケだ。
で、ニポンの猫食文化だけど、いくら「文化」って言っても、お肉屋さんで猫の肉なんて売ってないから、そこらの野良猫を捕まえて、殺して食べてたことになる。つまり、お肉屋さんで牛肉や豚肉を買えないような貧乏な人たちが食べてたってことになる。昭和初期までは、猫の肉を入れた鍋料理のことを「おしゃます鍋」って呼んでたんだけど、これは、江戸時代から明治時代の初期にかけて流行した「猫じゃ猫じゃ」っていう歌の歌詞から来てる。
「猫じゃ猫じゃとおしゃますが~猫が杖ついて絞りの浴衣で来るものか~オッチョコチョイノチョイ~オッチョコチョイノチョイ~♪」
この「おしゃますが」ってのは、「おっしゃいますが」ってことで、サスガに、当時もペットとして飼われてる猫を食べることには、人によっては批判する人もいただろうから、そのまんま「猫鍋」とは言わずに、この歌の歌詞から「おしゃます鍋」って命名して、隠語みたいな感じで使ってたんだと思う。
‥‥そんなワケで、江戸時代には、犬の肉が「何よりも美味しい」って言われてて、江戸から犬の姿がなくなるほど食べ尽くされちゃったってことは前にも書いたけど、猫の場合は、どっちかって言うと、貧乏でタンパク源を手に入れられないような人たちが、仕方なく食べてたって言われてる。また、猫の肉は、薬膳効果も謳われてて、「肺病に効く」として炭鉱夫たちが食べたり、「精力増強に良い」として遊郭の女郎たちが食べたりしてた。
だから、これらのことから、「猫の肉は美味しくない」って感じがするんだけど、「猫は美味しい」って言ってる人もいる‥‥って言っても、小説の中での話なんだけど、夏目漱石の「吾輩は猫である」だ。「吾輩は猫である」は、あまりにも有名だから、読んだことのない人のほうが少ないと思うけど、オナジミの冒頭の部分に、こう書いてある。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。」
この部分だけを読めば、大ゲサに言ってるような感じで、半分はウソっぽく聞こえる。「書生はみんな貧乏でお金がないから、場合によっては猫でも捕まえて食べちゃうんじゃないか?」っていう感じで、ようするに、「どれほど書生が貧乏なのか」ってことを言うためのオーバーな表現て感じがする。だけど、ずっと読み進んで行くと、これがオーバーな表現なんかじゃなくて、ホントのことなんだって分かるのだ。
いろいろと変わった人物が登場する「吾輩は猫である」だけど、「吾輩」が拾われた家に、多々良三平って人から「ヤマイモ」が1箱届く。で、お砂糖をタンスの引き出しに仕舞っちゃうようなトンチンカンな奥さんだったから、寝室の枕もとにヤマイモの箱を置いちゃった。そしたら、夜中にドロボウが忍び込んで、その箱を見つけて、「寝室の枕もとに置いてあるから、きっと大切なものなんだろう」って思い込んじゃって、お金の他に、その重たい箱も盗んで行った。それで、「吾輩」は猫だから、暗闇でも目がよく見えるワケで、この様子の一部始終を目撃してたんだけど、ヘタにニャーニャー騒いでケガでもしたらバカバカしいから、ずっと静かにしてたのだ。
そして、次の日になって、ドロボウが入ったことが分かり、警察に届けたりしてたら、盗まれたヤマイモの送り主である多々良三平が訪ねて来た。それで、お金とヤマイモが盗まれたってことを伝えたら、ここから、こんな会話が始まる。
「早速困りますか。また借金をしなければならんですか。この猫が犬ならよかったに――惜しい事をしたなあ。奥さん犬の大(ふと)か奴を是非一丁飼いなさい。――猫は駄目ですばい、飯を食うばかりで――ちっとは鼠でも捕りますか」
「一匹もとった事はありません。本当に横着な図々図々(ずうずう)しい猫ですよ」
「いやそりゃ、どうもこうもならん。早々棄てなさい。私が貰って行って煮て食おうか知らん」
「あら、多々良さんは猫を食べるの」
「食いました。猫は旨(うも)うござります」
「随分豪傑ね」
‥‥そんなワケで、この会話の流れから推測すると、当時(明治38年)は、「猫を食べる」ということが、一般的ではないにしろ、ビックル一気飲みするほどのことでもないってことが分かると思う。そして、そばでこの会話を聞いてた「吾輩」は、次のように言ってる‥‥っていうか、思ってる。
「下等な書生のうちには、猫を食うような野蛮人がある由(よし)はかねて伝聞したが、吾輩が平生、眷顧(けんこ)を辱(かたじけの)うする多々良君その人も、またこの同類ならんとは今が今まで夢にも知らなかった。いわんや同君はすでに書生ではない、卒業の日は浅きにも係わらず堂々たる一個の法学士で、六つ井物産会社の役員であるのだから、吾輩の驚愕もまた一と通りではない。人を見たら泥棒と思えと云う格言は寒月第二世の行為によってすでに証拠立てられたが、人を見たら猫食いと思えとは吾輩も多々良君の御蔭によって始めて感得した真理である。世に住めば事を知る、事を知るは嬉しいが日に日に危険が多くて、日に日に油断がならなくなる。狡猾(こうかつ)になるのも卑劣になるのも表裏二枚合せの護身服を着けるのも皆事を知るの結果であって、事を知るのは年を取るの罪である。老人に碌(ろく)なものがいないのはこの理だな、吾輩などもあるいは今のうちに多々良君の鍋の中で玉葱と共に成仏する方が得策かも知れんと考えて隅の方に小さくなっていると、最前、細君と喧嘩をして一反書斎へ引き上げた主人は、多々良君の声を聞きつけて、のそのそ茶の間へ出てくる。」
「眷顧(けんこ)を辱(かたじけの)うする」ってのは、今どきの言い方だと「リスペクトしてる」って感じだ。だから、「吾輩」としては、「立派な人だと思ってた多々良三平までもが、自分たち猫を食べる野蛮人だったとは‥‥」ってことだ。でも、猫を食べる者のことを「野蛮人」だって言ってるけど、人間である奥さんは「ずいぶん豪傑ね」って言ってるだけだから、この「野蛮人」て表現は、あくまでも「猫である吾輩から見れば」ってことなんだと思う。
そして、「吾輩」は、それまでは猫を食べるのは貧乏な書生だけだと聞いてたのに、ちゃんとした社会人になっても、「美味しいから」って理由で、猫を食べるヤツラがいたんだってことを知ったのだ。それから、もうひとつ、猫鍋にはタマネギを入れるってことも伝えてる。作者の夏目漱石が、実際に猫を食べたことがあるのかどうかは知らないけど、もしも食べたことがなければ、想像だけで書くことはないと思う。周りの人たちにリサーチして、食べたことのある人から、「美味しかった」とか「タマネギと一緒に煮た」とかってことを聞いた上で、書いたんだと思う。だから、小説と言えども、こうした記述に関しては、信用してもいいと思う。
‥‥そんなワケで、サスガに東京じゃ、もう猫を食べる習慣はなくなったけど、沖縄だと、今でも猫や犬を食べてる地域がある。で、こうした食文化があるんだから、当然、猫の肉を提供する専門の業者もいるワケで、沖縄の動物愛護団体は、こうした猫肉業者たちを取り締まるようにと、沖縄県知事に要望書を提出してる。最近だと、1999年に、糸満市の猫肉業者が、無許可で食肉を販売した「食品衛生法違反」で摘発されて、廃業させられてる。だけど、こうした事実のみを聞けば、「猫肉業者だなんて、とんでもない話だ!」って思う人もいるだろうけど、もっと詳しいことを知ると、ちょっと印象が違って来る。
もともと、糸満市では、猫を食べる文化があって、この業者ってのは、55年間も猫肉を販売して来たオバァだった。そして、このオバァの他にも、何人かの猫肉業者がいた。ようするに、この地域では、古くから猫が食べられてたんだけど、普通の肉屋さんじゃ売ってないから、こうした専門業者がいたってワケだ。そして、それまでは、県も政府も何十年間もホッタラカシにしてたのに、1999年になって、突然、摘発したのだ。
何でかって言うと、これは、2000年の7月に開催された「沖縄サミット」のためだ。数々のトンデモ発言と無能な政策で、ほとんどの国民から笑い者にされてた当時の総理大臣、モリヨシローにとっては、任期切れを迎える前の最後の大仕事として、何が何でも、この「沖縄サミット」だけは成功させたかった。風前の灯のフクダちゃんが、何としてでも「洞爺湖サミット」までは総理のイスにしがみついてたいと思ってるのとおんなじだ。
それで、沖縄の一部地域に、猫を食べる文化があるなんてことが知れたら、ニポン人は欧米から「野蛮人」て言われちゃうから、サミット前に大あわてで摘発したってワケだ。そして、モリヨシローは、ナニゴトもなかったかのように、クリントンだのプーチンだのと並んで、あの餅つきのウスみたいなバカヅラを晒したってワケだ。韓国でも、ソウルオリンピックの開催に合わせて、ソウル市内に何百店もある犬料理の専門店を閉鎖させたけど、アレとおんなじってことだ。
‥‥そんなワケで、あたしは、猫が大好きだから、他国でも自国でも、できることなら食べないで欲しいと思ってる。だけど、これは、猫だけに限ったことじゃなくて、牛も豚もニワトリもみんなおんなじだ。だから、そうしたスタンスで言えば、すべての国の人たちに、すべての動物を食べないで欲しいって思ってる。だけど、今の多くの人たちの感覚は、「牛を食べる文化はマジョリティーだから許されるけど、猫を食べる文化はマイノリティーだから許されない」ってことになってる。クジラにしても、世界的に見るとマイノリティーだから批判されてる。
あたしは、これはおかしいことだと思う。猫であれ、犬であれ、クジラであれ、特定の動物を食べることだけを批判するってのは、あたしにはどうしても理解できない。命の重さはみんなおんなじだ。猫や犬の命が重くて、牛や豚の命が軽いなんて、あたしには理解できない。だから、食べるために命を奪うことを批判するのであれば、すべての動物に対して批判すべきであって、批判をする側は、当然、完全なるベジタリアンじゃなきゃおかしい。だけど、現実的には、牛や豚を平気で食べてる人たちが、猫や犬を食べてる人たちを批判してる。あたしは、こんなにおかしなことってないと思う。
そして、もっとおかしいと思うのは、糸満市の猫肉業者のオバァを摘発した行政サイドが、「やんばるの貴重な野生動物たちが被害に遭う」って理由で、マングースとノネコの捕獲をやってるってことだ。この「ノネコ」ってのは、この国の政府のお得意の造語で、「ネコ」や「ノラネコ」を殺すと動物愛護法に触れちゃうから、野生化した野良猫のことを「ノネコ」って呼んで、野良猫とは別の動物に指定して、捕獲して殺処分にしてもいいってことにしちゃったのだ。そして、アチコチに200ものワナを仕掛けて、捕獲した猫たちを殺し続けてるのだ。
‥‥そんなワケで、いくら「ノネコ」なんていう別名をつけても、誰が見ても普通の猫たちだから、捕獲するたびに殺してたら、動物愛護団体からは反対の声が上がる。で、環境庁は、すぐには殺さずに、「4日の猶予」を与えることにしたのだ。捕獲された猫たちは、狭い檻の中に入れられたまま、わずか4日間だけ死刑を延期される。そして、その4日の間に貰い手が見つかれば、殺されずに済むってワケだ。ようするに、形だけは、「殺さずに済む努力をしてるんですよ」ってワケだ。でも、沖縄では、1999年に、野良犬が約12000匹、野良猫が約6000匹も殺処分されてるのだ。もちろん、これも、「沖縄サミット」のためだった。国が、対外的なカッコツケのために、これほどの数の犬や猫を殺すことは何の罪にもならず、食べるために数匹の猫を殺してたオバァを摘発するってのは、あたしにはどうしても理解できない今日この頃なのだ。
★ 今日も最後まで読んでくれてありがと~♪
★ 1日1回、応援のクリックをよろしくお願いしま~す!
↓ ↓
人気blogランキング
| 固定リンク