昨日に行われていたらしいあべひの再反論は、予想通り、戸田城聖著「人間革命」からの引用をまったく行わず、本を持ってるか読んだのかについても「ダンマリ」を決め込み続けたばかりか、本を持ってる事実を証明するための私の写真掲載まで揶揄していたみたいだ。
ま、肝心要の戸田城聖著「人間革命」を読んだのか持ってるのか「得体の知れない」人物に対して、再三「戸田先生の人間革命買って読め!」を繰り返しても、おそらく、聞く耳を持たないだろうし、本の内容をベースに議論するレベルにもないということで、一旦「終了」とさせていただく。 ※まとめ 菊川「戸田先生の人間革命は多くはフィクションで書かれています」 あべひ「戸田先生の『人間革命』は創価学会という実在の宗教団体を描いたノンフィクション小説であることは論をまちません」 あべひ「『多・く・が・フィクション』(創作)で人間革命がかかれているというのなら責任をもってどこが創作なのかを示し責任を果たすべきでしょう」 カチx2「小説の巌さんと実在の戸田先生は描写が大幅に異なっている」 カチx2「池田先生曰く『前半はフィクション、後半は戸田先生の実体験』」 あべひ「『ほとんどがフィクション』だと断定した事を批判している」 (最初は「ノンフィクション」で批判しておきながら、ちゃっかり論点ずらし) あべひ「(随筆『我らの勝利の大道』を引用して)「新・人間革命」と戸田先生の人間革命は(創価学会会長の立場で書いているかいないか)スタイルが違っている。だからこそ、どこが創作なのか責任を果たすべき」 (最初は「フィクションでかかれているというのなら」といってたはずなのに、ここでも論点ずらし) ※随筆『我らの勝利の大道』より 戸田先生(妙悟空)著の『人間革命』は、文字通りフィクションとして書かれた前半と異なり、後半ではご自身がモデルである主人公の「巌さん」に先生の実体験が重ねられていく。 ※池田大作著「人間革命」第1巻「はじめに」より。 昭和三十二年夏、軽井沢での一夜、思えば(戸田先生)御逝去の八か月前であった。 先生は静養中であり、すでにお体は非常に弱っていた。私は、さまざまな御指示をいただいたすえに、談たまたま上梓されていたばかりの単行本『人間革命』に移った。 「大作、おれの『人間革命』どうだい?」 先生は、できばえを気にしているらしかった。 私は恐縮したが、率直に申し上げた。 「読ませていただきました。前半は極力、小説そのものとしてお書きになられたと思います。後半は、先生の貴重な体験を基とした記録として、私は特に感銘いたしました」 「そうか、自分のことを一から十まで、うまく書くわけにはいかないからなあ」 先生は呵々大笑された。 池田先生が、このようにはっきりと明言しているにもかかわらず、あべひが反論で持ち出しているのは、池田先生の言を用いながらも、その中身は「あべひの釈」ばかり。 >ようするに、この部分は…意味に他なりません。 >つまり戸田先生の人間革命と同じ手法でとられており 池田先生の発言を、自分の「釈」でひっくり返そうとするあべひの所業は「下克上」に通じるものと見られてもやむを得ないものだろう。 ※結論 「新・人間革命」の引用は出来ても、肝心要の戸田城聖著「人間革命」について 「読まずに異見?」 「まともに読んだことがないようだ」 「読みもせず?」 「引用及びその中身への具体的言及がまったく出来ていない」 「持っていない&読んだことがないことを伺わせる」 「ご存じない」 「読んだことのない?」 あべひがこれだけ私から叩かれても、戸田城聖著「人間革命」の「本を購読済」「所持している」事実の証明や、一行半句の引用もまったく出来なかった以上、もはや、あべひは戸田城聖著「人間革命」の話題に言及する資格すらないことを思い知るべきだ。 にほんブログ村 創価学会 にほんブログ村 仏教 by kachi_kachi_yama | 2012-04-27 23:30 | Trackback | Comments(1)
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