ANA国内線【PR】
投稿内容
タグ
ブログタイトル
ウェブ全体
お気に入り登録
|
ログイン
|
ブログを作る!(無料)
トップ
世に倦む日日
critic5.exblog.jp
本と映画と政治の批評
by thessalonike5
アクセス数とメール
since 2004.9.1
ご意見・ご感想
最新のコメント
本日も 理解し易い解説 ..
by 有権者 at 15:02
(承前)それに比例し、人..
by 憲法25条の実質的保障を at 22:19
>フランスと比較して、日..
by 憲法25条の実質的保障を at 22:18
国民戦線はフランスを日..
by medemensen at 20:30
「『原発』で作った電気を..
by 玄明 at 08:23
バスチーユのミーティング..
by 夏みかん at 02:54
世界の市民はちがう。フ..
by nyckingyo at 00:03
世に倦む日日氏のことば..
by nyckingyo at 00:03
石原だとか橋下とかこんな..
by ろうのう at 00:12
最新のトラックバック
去勢された巨大アメリカ ..
from NY金魚
以前の記事
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
more...
since 2004.9.1
XML
|
ATOM
skin by
thessalonike5
無罪判決の詭弁 - 司法官僚の敗北と小沢一郎の勝利
小沢一郎への地裁の無罪判決について、強制起訴を有効とした点には全く納得できない。きわめて異常な判断であり、裁判官の知性良識と職業倫理を疑う。今日(4/27)の朝日の36面に「判決理由要旨」が載っていて、引用すると次のように説明している。「検察官が、公判で証人となる可能性の高い重要な人物に対し、任意性の疑いのある方法で取り調べた供述調書、事実に反する内容の捜査報告書を作成し、これらを検察審査会に送付することはあってはならない。しかし、証拠の内容に瑕疵があることと、手続きに瑕疵があることとは別の問題である。検察官が、任意性に疑いのある供述調書や事実に反する内容の捜査報告書を作成して検察審査会に送付したとしても、審査会における審査手続きに違法があるとは言えず、事実に反する内容の捜査報告書が意図的に作成された場合であっても、同様である。仮に、事実に反する内容の捜査報告書のために、検察審査員が供述調書の信用性判断を誤って起訴議決に至ったとしても、そのことから起訴議決を無効とするのは法的根拠に欠ける」。以上だが、誰が読んでも悪質な詭弁と牽強による正当化としか思えないだろう。これは、カビ毒米が混入している米でも、通常に精米された米なら食用に販売して不都合はないと言っているのと同じだ。精米方法や流通過程の形式に問題がなければ、商品として有害でなく適正だと言っている。
見た目は普通の米でも、カビ毒米が入った米は毒物であり、人の口に入れてはいけないものだ。商品にはできないものだ。それと全く同じで、検察によって捏造された捜査報告書が検察審査会の審査過程に混入し、事件の証拠資料として審理の材料となったことは、審査会の議決に大きな影響を与えていて、市民参加の審査員の判断を誤らせる要因になっている。材料に毒物が混入すれば、製造された食品は毒物でしかない。弁護人側が公訴棄却と裁判中止を即時に求めたのは、まさにこの問題が根拠だった。最初から裁判することそのものが不当な裁判だったのである。法律と裁判の世界というのは、通常、きわめてロジカルで数学的な性格の世界であり、情報処理の世界とよく似ている。法律解釈と判例はプログラムであり、事件は入力データであり、判決はアウトプットである。審理がプロセジャーであり、どこかにバグ(不具合)があればエラーの処理結果が出る。前提を誤ると、どれほど途中の計算が正しくても間違った解を導く数学の問題と同じだ。その司法の一般論から考えて、今回の検察審査会の強制起訴を有効とした地裁の判断は、あまりに欺瞞的かつ非合理的で、まさに裁判の自殺行為に他ならない。正義を明らかにする裁判は、ストレートに法の論理が通るものでなくてはならず、詭弁や歪曲は絶対に排除しなければならないものだ。誰が考えても、検察審査会の過程には瑕疵がある。
この判決が検察審査会の強制起訴についての判例となれば、今後、同じように検察が虚偽の捜査報告書を検察審査会に持ち込み、素人の市民にこうした粗悪な強制起訴を乱発させても、裁判所はそれを妥当で有効な議決として認定することになる。その意味で、今回の判決はきわめて重大な禍根を残すものとなった。昨夜(4/26)のマスコミ報道では、この問題点を指摘した議論や解説が全くなく、判決をそのままなぞって正当視するものばかりだった。石川知裕を違法に取り調べて虚偽の捜査報告書を書いた検事の田代政弘は、有印公文書偽造罪の疑いで告発されている。不起訴にはされたが、まさに検察の犯罪だ。陸山会事件で問われなければならなかったのは、検察による犯罪であり、特捜部が犯罪に突っ走った政治動機である。無罪の一審判決が出ながら、マスコミが小沢一郎の資金疑惑の方ばかりに集中して報道し、虚偽記載をめぐる些末で重箱の隅をつつくような議論ばかりを繰り返しているのには辟易とさせられる。この事件の焦点は、報告と了承はあったが共謀はなかったなどという問題ではないのだ。陸山会事件は西松事件と一続きの政治事件であり、司法権力による小沢一郎の追い落としの謀略である。政権交代を阻止するため(2009年)、民主党政権内で小沢一郎を失脚させるため(2010年)、二つの事件は特捜部の手で仕掛けられたのであり、小沢一郎の政治生命を奪って政界から葬り去ることが目的だった。
陸山会事件は、もはや政治資金規正法の問題ではない。それをはるかに超えた巨大な権力犯罪の問題である。マスコミ報道が問題を矮小化して伝え、収支報告書の虚偽記載の問題にスリカエるのは、マスコミ自身が権力犯罪に加担した当事者だからだ。取り調べにおける検事の脅迫、拷問に等しい尋問の事実、石川知裕の女性秘書の監禁、繰り返された印象操作の報道リーク、挙げ句に捜査報告書の捏造、そして平均年齢35歳の検察審査会の疑惑。こうした問題こそが陸山会事件なるものの本質であり全体像である。小沢一郎に無罪判決が出た今、問い直すべきはこうした問題であって、土地購入と記載の期ズレがどうのとかいう些事ではない。事件の全貌は闇の中にあり、説明責任が求められているのは小沢一郎ではなく検察とマスコミである。国民の多くが事件の犯罪者であると指さしているのは、小沢一郎ではなく検察とマスコミなのだ。無罪判決は当然だった。有罪にしていれば、検察の犯した全ての犯罪行為が免責され、司法の信頼は根本から揺らぐ事態になっただろう。おそらく野田政権は、必死に有罪を模索して司法官僚に圧力をかけたに違いないが、司法官僚は自らの権力を守るため、暴走を止め、有罪ではなく無罪を選択したと考えられる。判決文はアクロバティックに屈折しており、指定弁護士が言ったとおり、判決理由は完全に有罪なのに結論だけが無罪という矛盾した内容だった。無罪判決の作文は、検察の犯罪を隠蔽するための姑息なエクスキューズでありカムフラージュだ。
おそらく、指定弁護士は控訴を断念するだろう。江川紹子は、地裁判決が指定弁護士側の主張を大幅に認め、二審の有罪判決の余地を残したため、指定弁護士が控訴に動くと予想している。けれども、この見方は安易で浅薄に過ぎると私は思う。控訴はタフでリスクが大きい。指定弁護士は、裁判所とも検察とも一体の司法官僚であり、グルであり、この判決で満足して役目を終えたのだ。控訴しても無罪は覆らない。逆に、陸山会事件の捜査とは何だったのかが問い返され、司法権力の暴走と犯罪が浮き彫りになって指弾を受ける。前原誠司は司法官僚に牽制をかけ、控訴するよう催促しているが、司法官僚の側とすれば、これ以上、政治に介入して傷口を広げるのは避けたいのであり、早くこの問題を曖昧に始末して逃げたいのだ。政治に介入して失敗した悔悟が無罪判決なのである。司法官僚は政権の寿命を見切っていて、政経塾政権と心中するつもりは毛頭あるまい。昨夜(4/26)、フジの反町理が言っていたが、これは「降りやすい判決」なのである。この判決を見て、政治的に大きく何が言えるかというと、今後、司法官僚は小沢一郎には手を出さないということだ。西松事件、陸山会事件に次ぐ第三弾の捜査はないと断言できる。司法権力は懲りて手を引く。つまり、小沢一郎を包囲して攻撃していた敵軍のうち、司法官僚の軍勢が脱落して撤退したという意味だ。反小沢包囲網の一角が敗れ、敵は政治とマスコミと財務官僚の三つの勢力になった。最も手強い正面の敵が消えた。
司法権力との戦いは終わった。小沢一郎の忍耐の勝利である。当然、戦況は小沢一郎に有利な方向に転じる。判決後、小沢一郎は、「今日までご支援いただいた同志と全国の皆さんに感謝したい」とコメントを発した。市民の支援で勝てたのであり、そのことを小沢一郎は知っている。3年にわたる捜査禍の受難と死闘を経て、小沢一郎のカリスマは一段と巨大になった。刑事訴追される身になり、これほど国民が粘り強く救援に動く政治家は他にいない。司法の政治介入とマスコミの政治支配、これら、民主主義の原理に相容れない不具合に対して、市民は小沢一郎というシンボルの下で対抗する政治戦を構え、ネットと街頭で声を上げて不屈に抵抗運動を展開した。一つ一つのデモは小さかったが、手作りの市民デモを動かした一人一人の勇気はこの国の政治史に刻まれるべき意義がある。本来、西松事件と陸山会事件はあってはならないもので、存在そのものが白紙化されるべき謀略事件である。西松事件と陸山会事件がなければ、小沢一郎が首相に就き、官僚との鬩ぎ合いの中で「国民の生活が第一」の諸政策を実行に移していた。野田佳彦が首相になるなどあり得ず、消費税増税法案など論外だった。民主党政権の正統性(Legitimacy)は小沢一郎にあり、「国民の生活が第一」のマニフェストにある。2007年と2009年の選挙は小沢一郎が勝利させた。このことは、どれだけマスコミが否定しても、市民の中では否定されない真実であり確信だ。だからこそ、消費税増税に反対の意見が6割を占める。
小沢一郎は復権するだろう。復権して当然だし、その資格がある。この国で、これだけ激しい弾圧と迫害を受けた政治家は、戦前と戦後の共産党くらいしかない。マスコミと官僚の権力に対抗し、国民の利益を守り、米国とも中国とも堂々と外交できるのは、今は小沢一郎くらいしかいない。
by
thessalonike5
|
2012-04-27 23:30
|
Trackback
|
Comments(
1
)
トラックバックURL :
http://critic5.exblog.jp/tb/18203606
トラックバックする(会員専用)
[
ヘルプ
]
Commented by
有権者
at 2012-04-27 15:02
x
本日も 理解し易い解説 ありがとうございました!
この 検案を 判決前から ネットで 沢山調べたのですが なにやら 道程や解説や 文言そのものなどが 素人無学の自分にも スカッと解る とゆうものが 少ないように 思っていました
ややこしく 難しい 用語ですからね
兎に角 市民運動の これこれ 勝利
国民の生活が 第一 バンザイ
民主党に 現政権メンバーは 要りません
自分は 小沢一郎しか 日本を 立て直せないと 思っています
郵政案の 解説も お願いします。
名前 :
URL :
非公開コメント
※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。
削除用パスワード
昔のIndexに戻る
フランス大統領選から見えてくる... >>
ブログパーツ