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「犯人」の決め手とされた、殺害女児の下着に付いていた体液のDNA鑑定。それが精度が一段と高くなった再鑑定によって完全に覆され、検察側もついに「白旗」を上げた―。
1990年5月、栃木県足利市内で4歳の女児が殺害され、同市内の運転手菅家利和さんが容疑者として逮捕された「足利事件」である。殺人罪などで一審、二審とも有罪判決。最高裁で無期懲役が確定したが、再審請求が東京高裁で審理中だ。
「無罪を言い渡すべき明らかな証拠に該当することは争わない」。東京高検はきのう新鑑定に対する意見書を提出し、菅家さんを釈放した。見込み捜査に基づき、自白に追い込もうとした問題点も指摘されている。再審開始は決定的だ。こんな冤罪(えんざい)が繰り返されてはならない。裁判員制度による公判が来月にも始まるだけに、きちんと検証しておく必要がある。
当時導入されたばかりのDNA鑑定は、同一人として一致するのは千人に1、2人程度の精度で、判定の誤差も大きかった。これに対し、最近の鑑定では約4兆7千億分の1の精度で識別が可能になったとされる。最新の科学技術での再鑑定を、最高裁で上告審があった2000年から弁護団は求め続けた。再審請求の段階になって昨年末、やっと高裁が認めた。
その結果、菅家さんと女児の着衣についていた体液のDNAの型が一致しないことが明らかになったのだ。しかも、検察側鑑定人も同様に不一致の判断をした。
動かぬ証拠に高裁が再審開始の判断をし、無罪判決が出る可能性が高まった。それでも検察側は、下着に触れたのではないかと当時の捜査員のDNAとの照合をするなど、再鑑定結果のあら探しをして抵抗した。速やかに名誉回復を図るのが筋ではなかったのか。遅きに失した感は否めない。
菅家さんは、逮捕されて17年半もたって、ようやく自由の身になった。「私は犯人ではありません」という言葉の重みを、検察側はどう受け止めただろうか。
物証が乏しく、難しい事件だったのは確かだ。周辺では女児が殺害される事件が相次いでいた。知的障害のある菅家さんは、厳しい取り調べへの恐怖感からいったん自白したものの、一審の途中で否認に転じる。
だがDNA鑑定の結果もあり、一審の弁護人さえ有罪と信じていたようだ。味方がいない菅家さんはまた犯行を認める。控訴まで、自白の矛盾をただす事実調べはほとんど行われなかったという。
裁判員裁判を前に、取り調べ過程での撮影など、可視化が一部で試みられている。見込み捜査に基づく誘導などがないかは一目瞭然(りょうぜん)だ。自白偏重による冤罪を防ぐ一つの手だてにはなるだろう。
最高検は、同様な再審請求に備えて旧型のDNA鑑定に関係する証拠品を保全するよう近く通知するという。何よりもまず、捜査に誤りがあれば速やかにただしていく姿勢が欠かせない。
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