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戸田城聖著「人間革命」読まずに異見?あべひ(その2)
昨日の私の記事に対して、あべひが愚にもつかぬ反論をやっていたようだ。


※「富士宮ボーイ」より抜粋。一部編集あり。

No.34993 人間革命フィクション説の援護になってませんよ むしろ逆です 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-04-26 12:18:05 ID:fbdf445af


カチカチ山さんは菊川さんの援護をせんがためにさらに墓穴を掘り下げて
いるような気がします。


私は人間革命で語られている草創期の創価学会のいきさつも含めて
「ほとんどがフィクション」だと断定した事を批判しているのであって、
実在の戸田先生との整合性云々を問題にしているのではありません。
その整合性をつついて人間革命の意義を貶めんと画策しているのは
アンチ学会の人ばかりです。


またカチカチ山さんが(「随筆『我らの勝利の大道』」で)引用した部分は
前後がすっぽり抜けて意図的に菊川さんのほとんどフィクション論が
間違いでない事を強調しようとしています。


※師弟の対話は、戸田先生が「妙悟空」のペンネームで聖教新聞の創刊時から連載
 され、単行本として発刊されたばかりの小説『人間革命』にも及んだ。
 先生は、私が語る率直な感想を嬉しそうに聞いておられた。
 そして、ポツリと言われた。
 「牧口先生のことは書けても、自分のことを一から十まで書き表すことなど、
  恥ずかしさが先に立って、できないということだよ」

(中略)

しかし戸田先生は、出獄後のご白身の戦いについては、何も書こうとはされなかった。

(“「随筆『我らの勝利の大道』”聖教新聞2010/9/20日)


ようするに、この部分は池田先生(法悟空)の執筆されている「新・人間革命」と
スタイルが違い、戸田先生(妙悟空)の「人間革命」は主人公が創価学会会長と
いう立場上で書かれておらず、それは戸田先生が自重されていたからだという意味
に他なりません。


だからこそ私は菊川さんに
「責任をもってどこが創作なのかを示し責任を果たすべきでしょう」と忠告
しているのです。

また新・人間革命第一巻の冒頭「はじめに」の部分には以下のようにあります。

「また、恩師の精神を未来永遠に伝えゆくには、後継の「弟子の道」を書き残さ
 なければ、ならないとの思いからであった。
 しかし、それには、どうしても自分の事を書かなければならないことになる・
 そこには大きなためらいもあった。
 できることなら、続編の執筆は誰かにお願いしたいというのが、私の偽らざる
 心境であった」


(小説・新人間革命 第一巻2ページ「はじめに」~ 聖教新聞社刊)

この後には登場人物にはモデルはあっても、事実とは異なる演出がされている
ケース等が「これまで同様」、つまり戸田先生の人間革命と同じ手法でとられており
「どこまでも小説上の人間像としてご理解いただきたい。」と断り書きまで
されている事を菊川さんもカチカチ山さんもご存じないようです。


人間革命のいきさつを勉強なさっている創価学会員には、なんとなく通じても
相手が非学会員さんであれば、「ほとんどフィクション」と聞いて小説人間革命と
学会員との位置づけが理解できるでしょうか?
まして菊川さんは「現代の法華経」とまで絶賛しているにもかかわらず
ほとんどが絵空事だと教えているのです。

ちょっとした錯誤や言葉足らずでは、すまされない表現だとおもいます。
私は断固「ほとんどがフィクション」論には抗議します。




人間革命フィクション説の援護になってませんよ むしろ逆です


私は、先日の記事において【戸田城聖著「人間革命」】と再三明示していたはずだし、菊川氏は、戸田先生の人間革命についてのみ「多くはフィクションで書かれています」としていたはずだ。

「3つの人間革命」の立て分けを曖昧にする「人間革命フィクション説」及び「人間革命フィクション説の援護」のタイトル表記は、私や菊川氏に対する「印象操作」とも受け取れる手法であるばかりか、人間革命を著作した2人の師匠を軽視する行為であることを知るべきだ。


カチカチ山さんは菊川さんの援護をせんがためにさらに墓穴を掘り下げて
いるような気がします。

私は菊川氏の擁護をするために戸田先生の「人間革命」の話をしてるのではない。

戸田城聖著「人間革命」を読みもせず?に「ノンフィクション小説」と主張したあべひのオマヌケぶりを嘲笑ってるだけのことだ。

実際問題、あべひの反論では、「新・人間革命」と「随筆『我らの勝利の大道』」の引用はしていても、話題の中心となっている戸田城聖著「人間革命」からの引用及びその中身への具体的言及がまったく出来ていないではないか。

そのこと自体、あべひが戸田城聖著「人間革命」を持っていない&読んだことがないことを伺わせる有力な「状況証拠」であると私は考えている(笑)


私は人間革命で語られている草創期の創価学会のいきさつも含めて
「ほとんどがフィクション」だと断定した事を批判しているのであって、
実在の戸田先生との整合性云々を問題にしているのではありません。


菊川氏は「戸田先生の人間革命は多くはフィクションで書かれています」「(戸田城聖著「人間革命」の)背景はフィクションでも、牧口先生のことは事実を元に書かれていると思います」程度のことしか言っておらず「ほとんどがフィクション」とか「草創期の創価学会のいきさつ」には細かい言及をしていない。

戸田城聖著「人間革命」を読みもせず?に「ノンフィクション小説」と断言したあべひ自身の発言に対する責任を棚上げしたまま、菊川氏の発言を自分に都合よく「変換」「捏造」してまで、筋違いの批判をするのは、卑怯者のやることだ。


その整合性をつついて人間革命の意義を貶めんと画策しているのは
アンチ学会の人ばかりです。

あべひがアンチ学会叩きを「ライフワーク」とするのは勝手だが、そういうあべひは、戸田城聖著「人間革命」を読みもせず?に「ノンフィクション小説」と強弁することが、かえって戸田先生や戸田城聖著「人間革命」の意義を貶めてることに気づくべきだ。


またカチカチ山さんが引用した部分は
前後がすっぽり抜けて意図的に菊川さんのほとんどフィクション論が
間違いでない事を強調しようとしています。

ここでも「ほとんどフィクション」で「多くはフィクションで書かれています」の菊川発言を自分に都合よく「変換」するとは、見苦しいにもほどがある。

また、私が引用した「随筆 我らの勝利の大道」の前後をあべひが加えたところで、池田先生が戸田城聖著「人間革命」について「前半はフィクション」と言及した事実に変わりはないし、先日のあべひ曰く「戸田先生の『人間革命』は…ノンフィクション小説であることは論をまちません」の発言が、池田先生によって実質否定されている事実に変わりはない。


また新・人間革命第一巻の冒頭「はじめに」の部分には以下のようにあります。


議論の主題となっているのは、戸田城聖著「人間革命」の話だ。

「新・人間革命」の引用は出来ても、戸田城聖著「人間革命」からの具体的引用が出来なければ、まったくもってお話にならない。


だからこそ私は菊川さんに
「責任をもってどこが創作なのかを示し責任を果たすべきでしょう」と忠告
しているのです。


菊川氏が言及するまでもなく、池田先生が「戸田先生(妙悟空)著の『人間革命』は、文字通りフィクションとして書かれた前半」とおっしゃってる。

菊川氏へ忠告するより先にあべひがやるべきことは、戸田城聖著「人間革命」を買って読むことだ。


この後には登場人物にはモデルはあっても、事実とは異なる演出がされている
ケース等が「これまで同様」、つまり戸田先生の人間革命と同じ手法でとられており
「どこまでも小説上の人間像としてご理解いただきたい。」と断り書きまで
されている事を菊川さんもカチカチ山さんもご存じないようです。


戸田城聖著「人間革命」を「ご存じない」あべひが「戸田先生の人間革命と同じ手法でとられており」とは、片腹痛いばかりだ(笑)


人間革命のいきさつを勉強なさっている創価学会員には、なんとなく通じても

戸田城聖著「人間革命」を読んだことのない?あべひは「人間革命のいきさつを勉強なさっている創価学会員」のカテゴリーに入らないであろう(笑)


相手が非学会員さんであれば、「ほとんどフィクション」と聞いて小説人間革命と
学会員との位置づけが理解できるでしょうか?

「戸田先生の人間革命は多くはフィクションで書かれています」の意味がまったく理解できなかった自称学会員あべひが、戸田城聖著「人間革命」を読んでいる非学会員と学会員の対論をとやかくいうのは「余計なお世話」以外の何物でもないだろう(笑)

戸田城聖著「人間革命」を読みながら菊川氏と対論している非学会員の話題に食い込みを図りたいならば、まずはあべひも戸田城聖著「人間革命」を読むべきだ。


まして菊川さんは「現代の法華経」とまで絶賛しているにもかかわらず
ほとんどが絵空事だと教えているのです。


菊川氏が「多くはフィクションで書かれています」と言及しているのは、戸田城聖著「人間革命」についてのみだ。池田大作著「人間革命」については「ノンフィクション」とも言っており、戸田先生&池田先生で合計30数巻になる「人間革命」を「ほとんどが絵空事だと」菊川氏は「教えて」などいない。


ちょっとした錯誤や言葉足らずでは、すまされない表現だとおもいます。
私は断固「ほとんどがフィクション」論には抗議します。



菊川氏の発言を「変換」して「抗議」を続けるのも勝手だが、戸田城聖著「人間革命」を読まず?に「ノンフィクション小説」と強弁して、戸田先生を「貧乏人の植字工」にしてしまったあべひが何を言っても「無駄」であることを知るべきだ。



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by kachi_kachi_yama | 2012-04-26 19:00 | Trackback | Comments(5)
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Commented by コーヒーカップ at 2012-04-26 19:25 x
kachi_kachi_yamaさんに大賛成。

全く、ピントがずれまくっているのが、あべひ。

Commented by 春の季節 at 2012-04-26 21:54 x
戸田版「人間革命」のスタートはフィクション

戸田先生と牧口先生との実際の、初対面では戸田先生が「どんな劣等生でも優秀にしてみせます」と、牧口先生に自身をアピール

小説での(戸田先生が自身を「巌さん」として登場)初対面となるきっかけは、妻のおつやに 「大うそつき野郎の牧口ってやつは、どこに住んでるんだ、おれが行って化けの皮をはいでやる」

物語のスタート時における、巌さんの状況設定が「フィクション」であることは、読んだ者なら誰でもわかる

読んでから批判、また自分が間違っていたら素直に謝罪しましょう>あべひさん
Commented by 創価ウォッチャーあべひ at 2012-04-27 00:33 x
異常なまでの陰湿さ。キモさMAX!!!。
あべひのこのキモさがネットだけのこととは思えませんね。他人の揚げ足取りが趣味っぽいから地区でも嫌われものでしょう。他人の体験発表に一々ダメだししてそうでキモイよねwwww
Commented by ハルウララ at 2012-04-27 01:19 x
>しかし戸田先生は、出獄後のご白身の戦いについては、何も書こうとはされなかった。

阿部日が持って来た記事で「ご白身の戦い」となってるのは
「鉄桶の団結」のOCR誤変換による誤記載だろう。

http://www.iizuka.org/i/warerano-syourino-daidou/wsd029-030.html

学会系サイトの著作権侵害取締をやっておきながら、持論の旗色が悪くなると
著作権侵害サイトからコソーリ持って来る御都合主義の阿部日w
Commented by 月下 at 2012-04-27 06:15 x
いつも、本当にありがとうございます。
本来、批判の対象である私が反論すべきことを、かちかち山さんがお話くださっていることに深く感謝しています。
また、私自身、有害サイトは見ないと決めましたので、阿部日ケ~ン氏の発言の原文は見ておりませんが、このかちかち山さんのブログで知ることができ、ありがたいと思っております。
さて、私は、阿部日ケ~ン氏の批判にいちいち反論するものではありません。
けれど、今回のことは、私の意思表示はしておきたいと感じました。
後日、私の考えを月下の騎士ブログにて申し上げるつもりです。
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