2012-04-26
日本遺伝学会用語改訂について
今知りました。日本遺伝学会が「優性」「劣性」遺伝の名称変更を予定しているとのこと。
http://www.asahi.com/science/update/0418/TKY201204180359.html
わたしは海外留学中の身分なので日本の学会の動向はあんまわかんないんですけど、とりあえず自分の所属は日本「人類」遺伝学会です。したがってその立場から明らかなバイアス(人類遺伝学会より)のある発言になることは念頭に置いた上で読んでください。
上記記事によると日本遺伝学会が2010年にすでに一度用語改訂をされているとのことですが、これの一部は時期と内容から言って、2009年日本人類遺伝学会の用語改訂を踏襲されたものだと思います。
http://jshg.jp/news/data/yougokaitei.doc (Wordファイル注意)
この2009年用語改訂時には僕も日本に居たので存じ上げていますが、この時の用語改訂には明確な理由がありました。
たとえば「対立遺伝子」「遺伝子座」について。この用語はそれぞれ「アレル」「座位」に改定されました。はっきりとわかるように、わざわざ「遺伝子」の言葉を取り外したのがこの用語改訂です。
これについて少し解説します。「対立遺伝子」は個人個人によってゲノム配列に差がある場所を意味する言葉「遺伝子座」における、ひとつの染色体上の特定の配列そのものを示す言葉です。その配列は、SNPにおけるような単塩基でも、マイクロサテライトのような繰り返し配列でも、コピー数多型のようなものでもなんでもいいことになっています。ここでいう「SNP」「マイクロサテライト」といったものは変異の性質を示す言葉であり、その場所自体は「遺伝子座」と呼ばれていました。場合によっては「対立遺伝子」という用語は、HLAのように遺伝子全体のすべての変異を集めたものに対してそれぞれについて一意に使われることがあり、この場合は現代における「対立遺伝子」の正しい用い方だと考えられます。メチル化のようなエピゲノム的現象には適用されない言葉です(多分)。
それでは現代の科学レベルから見て、「対立遺伝子」の用語がどのようにおかしいかを解説します。もちろん前述のように、現代においても「対立遺伝子」という日本語自体を正しく用いることは可能であり、ここでいう「おかしい」というのは英語の文章での「allele」の訳語として使うにあたっておかしいと言った意味です。
例えば、普通のナベとティファールのナベを比べましょう。ナベとしての金型自体はあまり変わらないのですが、取っ手が違います。そこで、
- この違いをもたらす取っ手という部位が「遺伝子座 = 座位」
- 「普通のナベにおけるとれない取っ手」と「ティファールの取れる取っ手」がそれぞれ「対立遺伝子 = アレル」
です。遺伝子座上に対立遺伝子がある(遺伝的座位上にアレルがある)という言葉の意味が伝わりましたでしょうか。
ここで、もとの名称の何がおかしいかを述べましょう。ここでの例示によれば、「遺伝子」は「ナベ」もしくは「調理器具」に対応する言葉だと考えられます。というのも、対立遺伝子は遺伝子の振る舞いを変える因子ですが、今回の例示では取っ手はナベとしての機能性を変える因子だからです。すると、「対立遺伝子」の用語は「対立ナベ」に対応し、「遺伝子座」は「ナベ座」に対応するのでしょう。
・・・おかしいと思いませんか?
「ティファールのナベは、取っ手が取れる対立ナベを持つ」
だなんて。
「ナベが対立ナベを持つ」。他にも例示しましょう。「東京タワーはスカイツリーとくらべて、色が赤いという対立タワーをもつ」「日産はトヨタと比較すると、電気自動車という対立会社をもつ」。これらのおかしい言葉では、対立◯◯の◯◯が、その部分が代表する全体のほうを指す言葉になっているのが特徴です。
ナベの取っ手はナベの一部に過ぎません。なのに、その一部に対して全体の呼称に由来する「対立ナベ」を使うとは。あるいは、取っ手なんて本質ではないのに、まるで本質であるかのような「ナベ座」なんて言葉を使われるなんて。これはむしろ「対立調理器具部位」とかにすべきでしょう。
つまり、
「ティファールのナベは、取っ手が取れる対立調理器具部位を持つ」
ずっとすっきりしました?(これでスジは通ると思いますが、変なのでもっといい呼称があれば教えて下さい)。
ついでにいうと、このような遺伝子の振る舞いを変えるDNA上座位はすでに遺伝子コード配列以外の場所にも多数見つかっており、さらには遺伝子の振る舞いではなく非コードRNA上にあるような座位も、同等な重要性をもって扱われます。やはり対立「遺伝子」、「遺伝子」座といった言葉は誤解を生むので使うべきではありません。
用語改訂はそういった意味です(そういった意味にすぎません)。
その他改定されたものとしては、variationを「変異」、mutationを「突然変異」としていたのを「多様性」と「変異」にそれぞれ変更しています。簡単にいえば、mutationはその変異が起こったイベントそのものを指すならともかく、そのイベントによって得られた配列を指すなら、すでに「突然」だった状態は終わったのだから「変異」でよい、variationについては、これは幅広く集団に見られる個人と個人との違いを表す言葉なので、「変異体」と「正常体」にわけて考えるものではない(そんなことしたら人類全員「変異体」になるだけ)。そうではなくこれは個々人の、正常とか変異とかではない、等価値の違い、「多様性」を示す言葉である、と、こちらの改訂には少し思想的な面も含まれています。
だいたいこういった感じで、遺伝学というのは実は古い学問ですから(隆盛を極める分子生物学より古いので)、最近の学問的進歩についていけていなかった用語について、日本語で科学的に正しい意味を表せるように改定しました、というのが2009年人類遺伝学会用語改訂の主旨です。
で、今回の日本遺伝学会の改訂ですけど、「優性」と「劣性」は言葉としての意味自体は、科学的概念からかけ離れてはいないと思います。というわけなので人類遺伝学会の改訂とは理由が異なり、「差別用語だから」というのが改定の理由になると思います。
もちろん、遺伝学はかつて優生学という批判されるべき学問領域を作り上げてしまった---しかも、古典的遺伝統計学をつくりあげたフィッシャーその人が強力な信奉者だった---という歴史的経緯があるので、自らが差別の原因とならないように常に細心の注意を払う必要があります。が、難しそうですね。ブコメ欄「AND遺伝・OR遺伝」がもっとも本質的で、価値中立的でもあり、素晴らしいことは確かですが、まあ一番採択されそうにないですわな。
ちなみに実際のところ、優性とか劣性とか言いますが、ヒトのほとんどすべてといっていい特徴において、完全優性・完全劣性を示すものはありません。加算的とか言いますが、「それぞれのアレルをもつなら、どっちかだけを保つ場合の中間くらいの形質になる」という、まあごくごく普通の出方をするのがほとんどです。そこから少し優性側に傾いたり劣性側に傾いたりしますが、それをわざわざ不完全優性とか不完全劣性とか言うよりは「浸透率」という量的な指標で表すのが遺伝統計学における通常です。
さらに、ほとんどのヒトの特徴は、「ひとつの遺伝的座位によって決定されるのではなく、いくつもの遺伝的座位が多重に影響して決まっていく」のです。身長なんて、すでに100以上の遺伝的座位が見つかりましたが、まだまだ増える公算です。
たとえば身長がどう遺伝するかというと、190cmの大男と140cmの女性が結婚して、子供ができたら、190または140になるのではない。中間に男女による補正を加えた、だいたい170cmの男の子と160cmの女の子が生まれると思われます。もちろんばらつきますが、100組くらいこういうカップルをあつめたら、ほぼこれらを平均値とした正規分布を描くことになりそうです。なぜばらつくか?遺伝的座位が一つじゃないですからね!二項分布をどんどん繰り返すと正規分布になるっていうあれです。あと栄養は当然影響しますが、兄妹を比較するならこの点はだいたい無視できます。
優性か劣性かの用語改訂にこだわるよりは、「殆どの場合遺伝情報は完全な優性とか劣性とか、1か0かで伝わるものじゃない。程度問題だ」とわかっていただくことのほうがずっと大事なことではないかなあと、僕は思います。ここはひとつポイントで、個人的には日本遺伝学会ってモレキュラーな学会という印象があるんですけど、基本的に統計家がいるはず(笑)の人類遺伝学会(ものごとを量的に考える)と比べると、モレキュラーな人たち(ものごとを質的に考える・・・かな?)のほうが「優性か」「劣性か」に過敏に反応するのかな、と。まあどっちが正解って言いたいわけではありませんし、この件は学会の構成員よりも日本国民がどう考えているかによって改定すべきかどうかを考えるべきことであるとは思います。
ちなみに記事中に髪の毛の色は黒髪の完全優性であるかのように書かれてますがね、ウソですよ。複合遺伝形質のはずです。「金色と黒髪を混ぜた時、髪の毛の色は濃くなる」といったとき、これは黒髪が優性っていうんですか?混ざっただけじゃない。こういうのは優性とか劣性とか言わない、単に量的形質であるというだけ。人類遺伝学会の会員ならそんなこと言うわけないと思うんだがなあ・・・
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