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部落差別は「特別な差別」なのか? 9

12月半ば過ぎに送るといわれていた文書は、

12月28日付で翌29日に速達で届いた。

あいさつ文の後、こう書かれていた。

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当日、会場の講座参加者から講師に対し、

「エセ同和行為である」との指摘、

「具体的な変化や考えの持ち方・提起」について意見があったにもかかわらず、

私どもも、その場で社納さんの講演内容の問題点を指摘することができませんでした。

しかしながら、その事実は事実として受け止め、

遅ればせながら今後の人権教育を進めていくうえで大変重要であると考え、

改めて問題点を別紙のとおり整理いたしましたので、

内容をご確認いただきたいと存じます。

主催者として、社納さんとお会いし、ご意見やお考えをお聞きしたいと

考えていますので、ご多忙のこととは存じますが、

どうぞよろしくお願いします。

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先述したように、

講演のなかで話したわたしの言動を「エセ同和行為」と決めつけ、

「社納さんの具体的な変化がわからなかった」と

私にとっては意味不明なことを述べたのが

教育委員会に所属する人物であることは

女性の話からわかっている。

また、教育委員会はわざわざその指摘を持ち出し、

教育委員会として受け止めるという。

ちなみにえせ同和行為は、法務省のホームページにこう定義されている。

一部引用する。

「同和問題はこわい問題である」という人々の誤った意識に乗じ,

例えば,同和問題に対する理解が足りないなどという理由で

難癖を付けて高額の書籍を売りつ けるなど,

同和問題を口実にして,会社・個人や官公署などに

不当な利益や義務のないことを求める行為を指します。

えせ同和行為は,国民に同和問題に関する 誤った意識を植えつける大きな原因となっています。

また,えせ同和行為の横行は,適正な行政推進の障害となるものであり,

このようなえせ同和行為に対し, 政府として一体的にその排除を推進しています。

引用ここまで。

亀岡市教育委員会はえせ同和行為の定義を理解しているのだろうか。

あの職員の指摘をどう「受け止め」、「今後の人権教育」を進めていくというのか。

さらに「講師の課題と講演内容について」と題された2枚目を読み、

わたしはしばらく動けなかった。

ここに全文を記載する。

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講師の課題と講演について

[何が問題であったのか]

①講演の中で語られたように、これまでに、取材という「仕事」の領域で、

被差別当事者からの信頼をなくす事象を起こされていたこと、および自らの

行為や発言が、被差別当事者を傷つけたという経験をしておられることを

事前にお伝えいただかず、部落差別問題を扱う公的な講演をお引き受けに

なったのはなぜでしょうか。

②社納さんご自身の具体的な体験を通してご講演いただきましたが、一面的な

体験や事例がそのすべてであるかのような内容であり、特に被差別部落について

「やっぱり」という発言を繰り返すなど、講座参加者に対し、「部落」に対する

マイナスイメージや偏見を流布するような講演内容であったことが問題と考えます。

③大阪における取材活動において、社納さんご自身が被差別当事者からの信頼を

失った事例の中で「差別の痛みを突きつけられてどのようにすれば受け入れられる

か・・本当に難しい」と語っておられます。一方、「発信する側」の「正論の述べ方

に工夫が必要である」とし、社納さんの行為を不当だと論じた地域の女性側に問題が

あるかのような発言をされています。被差別当事者を傷つけたにもかかわらず、自己を

正当化する表現の構図であり、整合が図られていないことに問題があると考えます。

④社納さんの親御さんが「典型的な結婚差別」や障害者差別者であったと告白されています。

また、ご自身がシングルマザー当事者であることや、職場等におけるセクハラ発言の場で

マイノリティ青年に対しその行為を糾した体験などを話されています。しかしながら、それらの

まとめでは、被差別当事者や障害者、在日コリアンに関わることの「しんどさ」のみを強調する

内容となっており、社納さんご自身の具体的な気持ちや行動の変化、またその後その事例が

どのように解決したのかがわからない講演内容であったことが問題と考えます。

⑤社納さんご自身は、被差別当事者を「観察」、連携して生きているとしながら、

講演の中では、被差別当事者にこそ「あらゆる困難」をつくり出す要因があるとする

内容となっていることが問題であると考えます。

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話していないことが「話されたこと」にされている。

事実でないことが「事実」とされている。

人の話をここまでねじ曲げられるのか。

先にも紹介したが、講演当日に記事を書いてくれた

亀岡市議の酒井あきこさんのブログにはこう紹介されている。

「わたしが出会った部落問題:人権教育講座②(聴講メモ)」

念のため、わたしと酒井さんに面識はなかった。

講演後、件の女性がひとしきり話をしていった後に声をかけてくれ、

名刺交換をした。

講演当日にフラットな視点で記録してくれた酒井さんに

今となっては心から感謝したい。

 

つづく。

 

 

 

 

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