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部落差別は「特別な差別」なのか? 6

わたしも向こうの要求を受け入れるわけにはいかなかった。

なぜ、理由も明らかにされないまま、

電話1本で呼び出されなければならないのだ。

怒りで血の気が引くのを感じながら

「冷静に」と自分に言い聞かせながら食い下がった。

「講演でわたしが十分に話しきれていないと感じられたのであれば、

なおさら今度お話する時にはきちんと準備しておきたいんです。

そのためにも事前にどこが問題だとされているのかを教えていただかないと困ります」

とにかく「話し合いを」と繰り返す相手に

わたしもこの台詞を繰り返して応じた。

やがて課長は一瞬黙った後、仕方ないという口調で言った。

「わかりました。

今日は講演の担当者が休んでいるので、

テープは明日確認してできるだけ早く送ります。

文書は少し時間がかかりますが、後で送ります」

電話を切ると、どっと疲れた。

そして今自分が何をすべきかを考えた。

まだ事態をよく理解できなかったが

とりあえず、今後のやりとりはメールか文書のみでおこないたい

というメールを課長あてに送信した。

口頭でのやりとりでは埒があかないと感じたこともあるが、

こちらの言い分をピンピンと跳ね返し、

自分の言い分だけを通そうとする冷たく固い態度に

人としての温かみや誠意は感じられなかった。

正直、もう二度と話したくないと思った。

わたしは10年ほど前にパニック障害を患っている。

2年の治療を経て治癒したが、

完治ではないと感じている。

精神的に追いつめられると、背筋からゾクゾクとしてきて

それが後頭部に達するとパニック発作が起きる。

そうならないように自分を追いつめそうなものからは距離をおくことを覚えた。

この時から「亀岡市教育委員会人権教育課」は

わたしにとってそういう存在になった。

しかし11月29日、当の課長から電話がかかってきた。

油断していたわたしはその名前を聞いた瞬間、動揺した。

それでも急いで「電話はやめてくださいとお願いしましたが」と言いかけると、

かぶせるように「いえ、住所の確認だけですので」と言う。

確認をするうちに少し落ち着いたので、

「文書はどうなっていますか」と尋ねた。

前回の電話から3週間が経っていたからだ。

返ってきたひと言は

「はあ? 文書ですか?」

完全にとぼけていた。

「いや、前回の電話で、時間はかかるけど文書を出しますと言われましたけど?」

「いやいやいや、文書といってもただの羅列になってしまうので、

とにかく一度お話し合いをして」

「だからそれはこの前もお話ししたように、事前に何が問題かを教えていただかないと

お話し合いはできません」

するとあろうことか、課長はこう言ったのだ。

「いや、まだこちらも振り返りをしていませんので文書は書けないんです」

振り返りをしていない?

それでわたしを呼び出す?

もう我慢できなかった。

わたしは大声で抗議した。

声が震えていた。

この場面は記憶が途切れ途切れで、

これまでのようにはっきりと再現できないが、こう言ったことは覚えている。

「あなたは11月9日にはっきりと”時間はかかるけど文書は出す”と言いました。

そちらで振り返りもしていない状態で、なんでわたしが行かないといけないんですか!」

不毛なやりとりの末、

とにかく講演の音声データを送るということで電話は終わった。

電話を切った後、パニック発作が起きた。

12月1日、講演の音声データが届いた。

課長からの一筆が同封されていた。

「縁を結んでいくのは大切なことだと考えています」とあった。

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

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