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部落差別は「特別な差別」なのか? 2

「部落差別はほかの差別とは違う、絶対に許せない差別なんです!」と

その女性がわたしに詰め寄っている間、

人権教育課の課長はわたしたち2人の傍らにいて、

黙って聴いていた。

女性はやがて「一度、社納さんと2人でお話ししたい。

年寄りの願いやと思って、社納さんのお時間のある時、

いつでもかまわないから時間をつくってください」と言い始めた。

わたしはとまどった。

女性の言い分には同調できなかった。

しかし目をうるませて「話をしたい」と言われると

むげに断ることもできなかった。

ここまで言われるということは、

自分の伝え方にも不十分なところがあったのだろうとも考えた。

「わかりました」とわたしは答えた。

すると女性は両手を口元に添えて喜び、

「うれしいわ。必ずお願いします。

いつまでも待ってますから」と言い、

傍らの課長を見やって、

「わたしの連絡先はこの人に聞いてください。

わたしのことをよく知っている人やから」と言った。

課長と控え室に向かう間、

その女性がかつて亀岡市役所に勤めていたことや

こうした講座に熱心に参加していることを聞いた。

「わたしも若い頃、とてもお世話になったんですよ」とも言った。

講座の内容についてはひと言も触れられず、課長の機嫌はよかった。

控え室で女性の住所と電話番号を教えてもらい、

男性職員の運転で亀岡駅まで送ってもらった。

車中も課長と話が弾み、「またゆっくりお話ししたいですね」と言って別れた。

2週間が過ぎた7月28日、教育長の名前で礼状が届いた。

ここに全文を記載する。

・・・・・・・・・・・

盛夏の候、貴方様には、益々ご健勝にてお過ごしのことと存じます。

さて、先日は大変お忙しい中、亀岡までお越しいただきましてありがとうございました。

御講演では、自らの半生を振り返りながら「部落問題」との出会いについて、

特にフリーライターという立場から実際に取材し関わった被差別部落の人たちや

差別的事象について、その時々の自分自身を巡る状況やそれまでの体験を踏まえて、

大変分かりやすくお話いただきました。

誠にありがとうございました。

御講演の中で、特に差別の問題が他人事ではなく「自分の問題」として捉えるためには

何が大切かということを、自身の結婚問題を踏まえて語られました。

また、差別の痛みを伝える難しさと差別の痛みを受け止める難しさに言及され、

差別する側とされる側の理性と感情面の両面から捉える必要性を訴えられました。

それは、私たち一人一人に突きつけられた問題だと受け止めました。

当日は、一般市民、市職員、人権教育担当など、100名以上の参加がありました。

参加者のアンケートの中には、「講師の先生が正直に自分の経験や心の内を話してくださり、

共感できました」とか、「社納さんと同じように自分の人生を振り返ってみました。

友人や親戚の気付きをするいいきっかけになりました。」、

「これまで聴いた講演とは一味違った内容でした。自分で考え、行動することが大切だと

理解できました」とかがありました。

結びに当たり、貴方様の今後益々の御健勝と御活躍を祈念いたしまして、

お礼の言葉とさせていただきます。

追伸

出席者のアンケートを数例同封します。

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

同封された4通のアンケートが好意的だったのは

もちろん選んでくれたのだとわかっていた。

それでも、特に

・・・・・・・・・・・・・・

「教えてあげる」というのではなく、「共に考えていきたい」というスタンスが

言葉だけでなく、先生自身の生き方にしておられ、今後も様々な活動をされ、

再びお話を聴く機会があればいいなと思います

・・・・・・・・・・・・・

という一文には励まされた。

8月15日に交通費込みの謝金28,900円が振り込まれ、

亀岡市教育委員会との「仕事」は無事終えたものと受け取った。

 

つづく。

 

 

 

 

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