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部落差別は「特別な差別」なのか?

去年の秋から

とても奇妙なことが起きている。

事の始まりは、

昨年4月7日、京都府亀岡市教育委員会人権教育課からの

「人権教育講座」の講師依頼だった。

メールで、「ライターが出合った部落問題というような内容で」という依頼だった。

わたしは「わたしが出会った部落問題 〜個人として、ライターとして、部落差別と向き合う」と

自分でタイトルを考え、7月12日の講座で話した。

内容は自分と部落問題との出会いをはじめ、

ライターという仕事を通じて、あるいは女性として、

シングルマザーとして生きていくうえで

出会い、あるいは当事者として直面し、

時には人を傷つけ、自分も傷つきながら考え続けてきた、

そして今も考え続けていることを

具体的な経験を紹介しながら話すというものだった。

当日聴いてくださった亀岡市議の酒井あきこさんのブログに

具体的なことが書かれている。

率直に言うと、思い出すのもつらいほど

自分をさらけ出した講演だった。

けれど、壇上から人に向かって人権だの差別だのを語るなら、

自分の言葉で、自分をさらけ出したうえで語らなくてはと生真面目に考えていた。

わたしが話し終えた後、ひとりの男性が挙手をして発言し、

講演で紹介したわたしの言動を「えせ同和行為」だと指摘した。

(それがどの行為を指すのかは話されなかった。

もちろんわたしは同和団体を騙って人を脅したり商売をしたりしたことはない)

講座終了後、ひとりの女性(70代かという印象だった)がわたしのもとへやってきて、

「社納さん、わたしもあなたも障害者差別や女性差別を受ける可能性があります。

それは同じ。だけど部落差別は違う。

どんな差別も許せないけど部落差別はそのなかでも決して許せない、

特別な差別なんです。わかりますか?」と言われた。

正直に言うと、わたしには「わからなかった」。

わたしは部落差別だけが「特別な差別」で、

「ほかの差別とは違う」とは思えなかった。

「ほかの差別」も、死にたいと思い詰めるほど、そして実際に自死や心中が起こるほど

当事者を追いつめることがある。

さらに言えば、

わたしの話には「障害者差別」に苦しんだ人のエピソードもあったのだが、

それでもなお「障害者差別は誰でも受ける可能性があるが、部落差別は違う。

部落差別は絶対に許せない、特別な差別だ」と主張されることも理解しかねた。

 

 

長くなるので、続きます。

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