開米さんいいかげんにやめてください、とそろそろ言われそうな予感ですが、それでもまだ続ける原子力論考です。
さて今回は、原子力というよりは「反体制運動」そのものに広く存在する病理の話をしましょう。
その前に念のために「反体制運動」と「体制側」という用語について説明すると、これらは学生運動華やかなりし1960~70年代に使われていた用語で、「体制側」というのは「権力を握って現在の社会を支配している側」のことを指し、「反体制運動」はその「体制」を打倒しようとする運動のことを言います(*1 後述)。
この「反体制運動」が成り立つ仕組みを観察してみると、1960年代から現在に至るまで延々とあるひとつの「ビジネスモデル」があることに気がつきます。それが下記チャート。
このビジネスモデルには悪役を務める「体制側」の人と組織が必要です。つまりは時代劇で言うところの悪代官と御用商人です。
「体制側は悪者であり、彼らの悪行によるかわいそうな犠牲者がいる」というのがこのビジネスモデルの大前提。そして「善意の活動家」がいて、体制側の悪行を告発するポジションをとります。そして「一般市民」から「体制側」へ抗議の声が上がるように市民を扇動し、一方で一般市民に対して「かわいそうな犠牲者」にならないための「自己防衛グッズ」のような商売を始めるわけです。
これは何十年にもわたって繰り返されてきた「反体制運動のビジネスモデル」ですし、実際、反原子力運動についてもこのパターンは昔から存在しました。
だから、一年前に福島原発事故が起きたとき、「善意の活動家」達が一斉に動きだし、このビジネスモデルを活発化させるであろう、ということは簡単に予測できました。
このビジネスモデルが成り立つために必要なのは、わかりやすい悪役を務める「体制側」の人と組織に加えて、「かわいそうな犠牲者」が不可欠です。「犠牲者」がいれば、その悲劇を強調し、市民の抗議の声を扇動することも、恐怖に駆られた市民に対して自己防衛グッズを販売することも容易になるからです。
そのため、「善意の活動家」達は「かわいそうな犠牲者」を鵜の目鷹の目で探し始めます。もちろん、原発事故とそれにともなう避難区域の設定によって住むところを追われ、事業継続が不可能になった住民はそれに当てはまりますが、それだけでは足りない・・・と彼らは考えます。「ビジネスモデル」的に望ましいのは、死亡や発がん、奇形といった「明白な健康被害」なんですね。
それを念頭に置いて、「善意の活動家」の発言を注意深く見るようにしてください。善意の活動家達は、「かわいそうな犠牲者」になりうる候補を見つけると、因果関係の検証もせずにいっせいにそれに飛びつきます。
岩上安身の2011年12月4日のツイートとその周辺の反応
http://togetter.com/li/222973
急性リンパ性白血病で死んだ釣り好き青年の死因を放射能のせい、とするデマ
http://togetter.com/li/220310 http://togetter.com/li/220158
郡山からの避難者に甲状腺がんの疑い、というデマ
http://togetter.com/li/262782
ちなみに原子力デマについては古典的なものとしてこういうものもあります。
原発がどんなものか知って欲しい (平井文書)
↑リンクは示しませんが、検索すればすぐ出てきます。原子力関係では有名なデマ文書ですから本気にしないでください。
なぜ善意の活動家達はこういうデマに飛びつくのか?
それは結局のところ、そういう象徴的なわかりやすい「犠牲者」がいないと「ビジネスモデル」が成り立たないからです。
福島原発事故の発生直後と違って、今では流出した放射性物質の測定も進みましたし、放射線自体の生体への影響に関する知識も普及して、「福島原発事故によって流出した放射性物質の影響による死者は1人も出ないだろうし、軽微な健康被害さえ1人も出ないだろう」という判断が最も有力になってきました。
こういう時期になると、「活動家」達の中には焦ってよりその言動を過激化させ、自滅の道をたどる者が出てきます。かつて学生運動華やかなりし時代には、そうして過激化した集団が最後には企業テロで市民を殺傷し、内ゲバに走って仲間も殺し、ついにはあさま山荘事件などを起こして影響力を失ってゆきました。
現在、「脱原発」の運動をしているグループも、自然消滅してくれれば良いのですが、中にはかえって過激化していくものが出てくることもありえます。ですから、もし身近な誰かがそれらのグループと関わっているのであれば、そろそろ引き戻すためにコンタクトを取るべきタイミングですね。
ちなみに、1960~70年代に学生運動の中心を担っていたのは「上京して単身でアパートに住んでいる地方出身の学生」でした。「ご近所とのありふれた人間関係」から切り離された人間は、過激な運動に取り込まれやすいからです。このことは逆に言うと、「ありふれた日常のコミュニケーションを維持すること」が、カルト的運動への傾倒防止・離脱促進のために有効だということです。
*1 フランス革命は「聖職者と貴族が権力を持つ体制=アンシャン・レジーム」を打倒して「市民」が権力を得た革命であり、貴族・聖職者どうしの権力交代劇しか存在しなかったそれ以前とは一線を画すものでした。そのため、「所詮は貴族・聖職者階級の権力闘争」であったそれまでの政治体制のことを「旧体制」と呼び、「旧体制」自体が打倒されるべきものである、とする思想が生まれました。
「いまの国王は悪い国王だから、追放して良い国王を据えよう」というのが「旧体制」のしくみ、「国王というものが存在すること自体が悪である」というのが革命派の主張です。したがって、「体制側」という用語は、その体制の打倒を企てる反体制活動家が使う用語でした。
さて今回は、原子力というよりは「反体制運動」そのものに広く存在する病理の話をしましょう。
その前に念のために「反体制運動」と「体制側」という用語について説明すると、これらは学生運動華やかなりし1960~70年代に使われていた用語で、「体制側」というのは「権力を握って現在の社会を支配している側」のことを指し、「反体制運動」はその「体制」を打倒しようとする運動のことを言います(*1 後述)。
この「反体制運動」が成り立つ仕組みを観察してみると、1960年代から現在に至るまで延々とあるひとつの「ビジネスモデル」があることに気がつきます。それが下記チャート。
このビジネスモデルには悪役を務める「体制側」の人と組織が必要です。つまりは時代劇で言うところの悪代官と御用商人です。
「体制側は悪者であり、彼らの悪行によるかわいそうな犠牲者がいる」というのがこのビジネスモデルの大前提。そして「善意の活動家」がいて、体制側の悪行を告発するポジションをとります。そして「一般市民」から「体制側」へ抗議の声が上がるように市民を扇動し、一方で一般市民に対して「かわいそうな犠牲者」にならないための「自己防衛グッズ」のような商売を始めるわけです。
これは何十年にもわたって繰り返されてきた「反体制運動のビジネスモデル」ですし、実際、反原子力運動についてもこのパターンは昔から存在しました。
だから、一年前に福島原発事故が起きたとき、「善意の活動家」達が一斉に動きだし、このビジネスモデルを活発化させるであろう、ということは簡単に予測できました。
このビジネスモデルが成り立つために必要なのは、わかりやすい悪役を務める「体制側」の人と組織に加えて、「かわいそうな犠牲者」が不可欠です。「犠牲者」がいれば、その悲劇を強調し、市民の抗議の声を扇動することも、恐怖に駆られた市民に対して自己防衛グッズを販売することも容易になるからです。
そのため、「善意の活動家」達は「かわいそうな犠牲者」を鵜の目鷹の目で探し始めます。もちろん、原発事故とそれにともなう避難区域の設定によって住むところを追われ、事業継続が不可能になった住民はそれに当てはまりますが、それだけでは足りない・・・と彼らは考えます。「ビジネスモデル」的に望ましいのは、死亡や発がん、奇形といった「明白な健康被害」なんですね。
それを念頭に置いて、「善意の活動家」の発言を注意深く見るようにしてください。善意の活動家達は、「かわいそうな犠牲者」になりうる候補を見つけると、因果関係の検証もせずにいっせいにそれに飛びつきます。
岩上安身の2011年12月4日のツイートとその周辺の反応
http://togetter.com/li/222973
急性リンパ性白血病で死んだ釣り好き青年の死因を放射能のせい、とするデマ
http://togetter.com/li/220310 http://togetter.com/li/220158
郡山からの避難者に甲状腺がんの疑い、というデマ
http://togetter.com/li/262782
ちなみに原子力デマについては古典的なものとしてこういうものもあります。
原発がどんなものか知って欲しい (平井文書)
↑リンクは示しませんが、検索すればすぐ出てきます。原子力関係では有名なデマ文書ですから本気にしないでください。
なぜ善意の活動家達はこういうデマに飛びつくのか?
それは結局のところ、そういう象徴的なわかりやすい「犠牲者」がいないと「ビジネスモデル」が成り立たないからです。
福島原発事故の発生直後と違って、今では流出した放射性物質の測定も進みましたし、放射線自体の生体への影響に関する知識も普及して、「福島原発事故によって流出した放射性物質の影響による死者は1人も出ないだろうし、軽微な健康被害さえ1人も出ないだろう」という判断が最も有力になってきました。
こういう時期になると、「活動家」達の中には焦ってよりその言動を過激化させ、自滅の道をたどる者が出てきます。かつて学生運動華やかなりし時代には、そうして過激化した集団が最後には企業テロで市民を殺傷し、内ゲバに走って仲間も殺し、ついにはあさま山荘事件などを起こして影響力を失ってゆきました。
現在、「脱原発」の運動をしているグループも、自然消滅してくれれば良いのですが、中にはかえって過激化していくものが出てくることもありえます。ですから、もし身近な誰かがそれらのグループと関わっているのであれば、そろそろ引き戻すためにコンタクトを取るべきタイミングですね。
ちなみに、1960~70年代に学生運動の中心を担っていたのは「上京して単身でアパートに住んでいる地方出身の学生」でした。「ご近所とのありふれた人間関係」から切り離された人間は、過激な運動に取り込まれやすいからです。このことは逆に言うと、「ありふれた日常のコミュニケーションを維持すること」が、カルト的運動への傾倒防止・離脱促進のために有効だということです。
*1 フランス革命は「聖職者と貴族が権力を持つ体制=アンシャン・レジーム」を打倒して「市民」が権力を得た革命であり、貴族・聖職者どうしの権力交代劇しか存在しなかったそれ以前とは一線を画すものでした。そのため、「所詮は貴族・聖職者階級の権力闘争」であったそれまでの政治体制のことを「旧体制」と呼び、「旧体制」自体が打倒されるべきものである、とする思想が生まれました。
「いまの国王は悪い国王だから、追放して良い国王を据えよう」というのが「旧体制」のしくみ、「国王というものが存在すること自体が悪である」というのが革命派の主張です。したがって、「体制側」という用語は、その体制の打倒を企てる反体制活動家が使う用語でした。
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「脱原発団体」そのものへの攻撃ですか?
あなたの解析には悪意の匂いがするのには目をつぶって、脱原発団体の「告発」や「扇動」という活動方向はそうかもしれません。
しかし、今回のテーマであるビジネスモデルで最も肝心の「販売」を行っている団体を私は知りません。
私も脱原発団体に所属しており、横のつながりから30ほどの市民団体を知っていますが、物品の販売による収益モデルのある団体は皆無です。
講演会などのイベントの際に市民に寄付を募ることと、販売としては書籍を販売することはありますが、講演していただいた先生の著書の販売をするだけで、団体に利益は上がりません。
寄付だけでは活動資金が不足するので実際には不足分の大半は自腹です。
なかには貴方の言うようなビジネスモデルを確立した安定した団体もあるのかもしれませんが、本当にあるのでしょうか?
脱原発活動に対する私の実感としては、植民地の独立運動に似ていると感じています。
植民地の住民は自分たちの支配者に支配の費用を搾取されつつ、非暴力・非服従の活動を貧しい中で自費でしなければならないという苦しい状況でした。
電力会社と脱原発団体の関係に似てませんか?
【読解力を身につけるためのロジック間違い探しクイ~ズ】(41)
(回答)
・論述の主旨は”事実”もしくは”事実であると信ずるに足る”と思えるような証拠を
何一つ示さずとも,図や時代劇などのわかりやすい例を出したり,
他の話でリンクを示すことで,
>いわゆる取り巻きなんかがポコポコ出てくる仕組みは明確化された感じもある
と,論述の主旨までも正しいかのように錯誤させる話術
・>中にはかえって過激化していくものが出てくることもありえます。(原子力論考(41))
という根拠のない予想の中の”過激化”というキーワードから
”学生運動”や”カルト的運動”と結びつけてレッテルを貼る人格攻撃
(相手を欺く今回の詐術のポイント)
・錯誤の誘導
・レッテル張り(印象操作)
・人格攻撃
-----------
(14)で勉強したことの復習を(41)でやるなんて,先生って”おちゃめさん”ですね。
(14)の時に,(10),(14)と2回にわたって華麗にボケをかましたのに,
「人格攻撃してるの,お前のほうだろ!!」
( ゚д゚c)ナンデヤ( ゚∀゚)っ))ネンッ!!
って誰も突っ込んでくれなかったから,読者がわかってくれたか不安になって
レッテル張りと人格攻撃の問題点について復習したかったんですよね?
不安だからって(14)よりも読解の難易度下げちゃってますけど,大丈夫!
きっと,みんな,難しい問題に直面して自分と意見が合わなかったからと言って
冷静に論議することなくレッテル貼って人格攻撃することが,いかに卑怯で
汚いことであるか,本当はわかってますよ。
でも,まだ読解力のついていない読者が先生の真意を読み違えて
「感情的に激高した挙句,関係のないレッテルを張って人格攻撃する糞野郎」
だ・・・などと先生のことを勘違いされては悲しいです。
もう,レッテル張りと人格攻撃の出題は,これが最後でいいんじゃないでしょうか?
(差し出がましくてスミマセン)