地震の時、日本にいた。2日後の13日には、早くも41名ものドイツの救援隊が捜索犬を連れて到着。前日に福島原発の第一号が爆発して、弱り目に祟り目だった日本人は、皆、大いに感動した。
ところが、すでにそのころ、ドイツでは異常な報道が始まっていた。"制御不可能となっている原発がまもなく大爆発を起こし、破滅的な大災害を引き起こす可能性"が論じられ、"放射性物質を含んだ雲が、ドイツにまで飛んでくるかもしれない"云々。
ZDF(第二放送)の特派員、ヨハネス・ハノ(普段は北京に駐在)によると、東京の首都圏には貧弱な交通網(ただ一本の幹線鉄道と数本の幹線道路)しかないため、3800万の人間が一斉に南へ避難し始めると、未曽有の大混乱が起きるそうだ。そういう怖い話の間に、宇宙服のような服を着た医療班が、動かなくなった被曝者を担架に乗せて運ぶ光景や、1986年の火を噴くチェルノブイリ原発の映像がサンドイッチのように挟みこまれる。
そういえば、普段ならどこにでも出かけていくドイツ人特派員の多くが、なぜか被災地に行かない。東京のスタジオで、やがて起こるはずの再臨界の解説や、福島からどちら向きに風が吹いているかなどということばかり喋っている。
そんなわけで、茶の間のドイツ人たちの脳裏に、すばやく悪夢が蘇ったのも無理はない。「そうだ、チェルノブイリの事故のあと、大火災で舞い上がった死の灰は、ドイツの草原にも降り注いだではないか!」 その結果、ドイツ国民が何をしたかというと、ヨードを買いに薬局に走ったらしい。それどころかドイツでは、そして、おそらく世界中でドイツでだけ、放射線測定器が売れるという現象さえ起こったのだ!
成田への運行を中止したルフトハンザ航空
パニックを煽ったのは、ドイツのメディアだ。しかし、さんざん煽っておきながら、「我々の推測が現実とならないことを、祈るばかりだ」と不吉なニュースを真摯な顔で、静かに締めくくる。そうするうちに、皆、ますます不安になり、不幸な津波の被災者のことなどすっかり忘れてしまった。
ドイツの救援隊は、到着した2日後の15日に、早くも活動を中止した。「生存者の発見が望めず、することがない」とのこと。もちろん、犬たちはすることがなかったかもしれない。こうして、救援隊はまもなくドイツに戻ったが、この頃、雪の降りしきる中、40万人の被災者が、寒い体育館でお腹をすかせていた。
ドイツ大使館は、17日から大阪の総領事館に引っ越し、日本にいたドイツ人の多くも出国、あるいは、関西地方に避難した。BMWやフォルクスワーゲンなどのドイツ人社員もほとんど帰国した。ドイツ人特派員の多くは大使館と一緒に関西に移動して、今度は大阪のスタジオから生中継をした。これでは、ドイツにいても同じだろう。
私の元へも、ドイツからひっきりなしにメールや電話が入っていた。皆、ひどく切羽詰まっていて、必死で即刻帰国を勧めてくれる。彼らは、呑気に東京に留まっている私は、正しい情報を知らされていないと思ったようだ。
私は、17日に成田を発った。今回、運よくSAS(スカンジナビア航空)を予約していたので帰れたが、ルフトハンザなら面倒なことになっていただろう。ルフトハンザと、その子会社のスイス航空だけは、すでに成田への運航を中止していたからだ。出国審査のところでは、再入国手続きをする中国人が長い行列を作っており、空港は騒然としていた。
搭乗するときに、ドイツの新聞(Die Welt・16日付)を手にした。一面に、マスクをした背広姿の日本人が目を見開いている大きな写真と、「死の不安に包まれた東京」という大見出し。ただ、どうみても、これは出勤途上の人々が信号待ちをしている風景だ。目を見開いているのは、死の不安のせいでなく、信号を見ているのだろう。
だいたい、このマスクだって、放射能を予防するためではない。日本人は、私が子供のころから、マスクを愛用していたのだ。しかし、ドイツにいるドイツ人は、そんなことは知らない。ただ、ドイツ人がそんなことは知らないということを、これを載せたドイツ人特派員は、間違いなく知っていたはずだ。誤解させることが目的だったとしか思えない。
ドイツへ戻ってきてからも、おかしな報道はあとを絶たなかった。極め付きは、ARD(第一放送)の特派員、ロベルト・ヘットケンパー。福島原発では、危険な作業に「使い捨て作業員」を動員しているという。しかも、それはホームレス、外国人労働者、未成年者からなると、やけに詳しい。
「志願者とはいうが、どの程度自主的な、いかなる志願者か?」と、神妙な顔で恣意的な質問を投げかけて報告を終えたのだが、まもなく、そういう事実がないということを指摘されると、「名前は言えないが、ある外国の報道をそのまま使った」と居直った(ドイツ語のウィキペディアの彼のページには、すぐにその顛末が載ったが、30日に説明なく削除された)。
「小野田少尉」まで登場
さて、3月24日付のニュース週刊誌Stern誌の表紙は、葛飾北斎の有名な浮世絵「神奈川沖浪裏」と、舞妓さん(芸者のつもり?)と、侍と、整然と並ぶ自衛隊の合成だった。あっと驚くデザインだ。タイトル記事は「驚くべき国民」。もちろん、日本人のことだ。最初のうちは、不幸に見舞われても冷静さと感謝の念を失わず、助け合い、耐え忍んでいた日本の被災者を褒め称えていたドイツメディアだったが、どうも方向転換をしたらしい。
読んでみたところ、日本人は、集団のために自己を犠牲にし、苦しみに慣れ、しかも、感情のない、あるいは、感情を押さえることを学ばされた国民であるらしい。その証拠として、「神風特攻隊」「ハラキリ」「赤穂浪士」の話が続々登場。特攻隊が出撃前に鉢巻きを渡されている写真や、また、武士が鎧姿で正装している絵、そして、明治天皇ご一家の御写真などが、ふんだんに使ってある。中でも逸品は、終戦後もジャングルで一人で戦い続けた小野田少尉の物語で、ご丁寧に、ぼろぼろになった軍服を着てサーベルを返還している直立不動の写真まで載せてあった。
ドイツ人は理解できないのだ。肉親を亡くしながらも、泣き叫ぶことをしない日本人のことが。雄弁に悲しみを語らなくても、日本人は悲しんでいる。ドイツ人とは悲しみ方が違うだけだ。しかし、それを理解せず、感情を出さないのは感情がないからだと決めつけるのは、それこそ自らの感情移入能力の欠如を暴露しているだけではないか。
また、救助してもらって、「すみません」と言った老女の話が出てくる。ドイツ人には理解できなくても、日本人ならわかる。「お手数をかけて、すみません」、つまり「すみません」は、「ありがとう」なのだ。
ところがSternのライターは、老女が人に迷惑をかけたことを恥じて謝っていると解釈し、ルース・ベネディクト女史の「菊と刀」(1946年刊行)の"恥の文化"まで持ち出している。戦後の日本統治のために、アメリカ軍の依頼で編まれた日本人論だ。無責任にもベネディクトは、一度も日本を訪れることなく、この大作をものにした。Stern誌には、もちろん、戦後、グアムの捕虜収容所で恥じ入っている降伏軍人の写真も添えてあった。
「驚くべき国民」はどちら?
しかし、福島で死に物狂いで働いている人たちは、"恥の文化"とは何の関係もない。国家の圧力で自己犠牲を強いられた「神風特攻隊」でもないし、自己犠牲に恍惚を覚えている「ハラキリ」願望者でもない。ましてや、人権のない強制労働者であるはずもない。
彼らは、責任感から、敢えてその危険な仕事に従事しているのだ。自分たちがやらないで、いったい誰がやるのだと思いつつ、へとへとになりながらも頑張っている人たちなのだ。皆で逃げるわけにはいかない。外国人は逃げてもいいが、日本人は逃げられない。誰かがやらなければいけない。ドイツ人だって、こういう状況になったら、おそらく同じことをしたと思う。
それにしても、Stern誌はいったい何が言いたいのだろう。「芸者、フジヤマ、ハラキリ」は、80年ごろようやく消滅したかと思ったら、今ごろ突然のカムバックだ。それどころか、蒙古の襲撃のときの「神風」や、20万人が虐殺された「南京事件」にまで持ち出してくる。
1937年当時、南京にそんなにたくさんの住民がいなかったことなど、もちろんお構いなしだ。それにしても、この歪なレトリックは何なのだろう? 不気味な日本人像を復活させたい理由は?
いずれにしても、他国のために、自分の健康を重篤な危険に晒したくないのは当然のことなので、ドイツ人特派員が大阪に避難しようが、ドイツ救援隊が帰国しようが、まったく異議はないが、おかしな報道をすることだけはやめてもらいたい。
そして、この場を借りて、「驚くべき国民」という言葉は、謹んでドイツ人にお返ししたいと思う。