元TBS記者で、日本人として初めて宇宙を旅した秋山豊寛さん(69)。16年前から福島県で農業を営んでいたが、東京電力福島第一原発の事故で避難生活を続けている。
キュッキュッ――。首から下げた放射線警報機が音をたてた。原発から約32キロの田村市内。震災翌日の3月12日、着替えをスーツケースに詰め、軽トラックで家を出てまもなくのことだった。「万一を考えて買っておいた警報機。まさか役立つ日がくるなんて」
TBSでワシントン支局長などを歴任した秋山さんは1990年、社内プロジェクトで旧ソ連の宇宙船ソユーズに搭乗。宇宙ステーション「ミール」に滞在した。5年後に早期退社。阿武隈山地の雄大な自然にほれ込んで移り住み、自給自足の暮らしに飛び込んだ。
泥の手触りを楽しみながらの田植え。収穫の秋には生きる実感をかみしめる。裏山では収入源となるシイタケを栽培した。「退職金をブチ込んで農地を買い、家を建てたのに。強盗に身ぐるみはがされたようなものだ」と原発事故への怒りをぶつける。
軽トラックを走らせ、まずは約50キロ先の同県郡山市郊外の温泉旅館へ避難。その後、有機農法の勉強会などで知り合った友人のつてで群馬県、長野県と移り住み、今は群馬県藤岡市の山あいに古い民家を借りて暮らす。
田村市の自宅は国の定める避難区域からわずかに外れるが「『だから安全です』なんていうおまじないを信じるわけにはいかない」。10月、自宅の様子を見に戻ったとき、近所の友人から「米からセシウムが出た」と告げられた。濃度は「基準値以下」というが、有機栽培で安心な米づくりを続けてきた友人にかける言葉が見つからなかった。
「原発は広大な阿武隈の森を汚染し、地球の大気と海に放射性物質をまき散らしている」。全てを失った今、原発事故への恨み、怒りの気持ちが生きる原動力になっているという。
この秋、京都造形芸術大学で学生を教えてほしいとの依頼があった。これを機会に来年は京都に移住する予定だ。「また一からタケノコ栽培などに挑戦したい。でも今度は若狭湾が。今の日本、どこに行っても原発はあるんだよ」
秋山さんの手記「原発難民日記 怒りの大地から」(岩波ブックレット)が7日、出版された。(高橋淳)
福島第一原発の破綻を背景に、政府、官僚、東京電力、そして住民それぞれに迫った、記者たちの真実のリポート