◇最高の作戦と最高の行動。
一念は、三千世界に分かれる。
その一念の中で、最大にして最高の境涯こそ、創価の広宣流布の境涯である。
昭和31年1月4日の夕刻。
山本伸一は、関西本部前の街路に立っていた。
伸一は、3万世帯の学会員の関西で、参議院選挙の新人候補を押して7月の国政選挙を戦うことになっていた。しかし、関西の創価学会員は、皆、信心歴も浅く、闘わずしてすでに甚だしい劣勢に置かれていた。
大阪地方区における当選ラインは20万票であった。不可能にしか思えない選挙を、山本伸一は前年の秋以降、その勝利を心に決し、準備を進めてきた。
不可能を可能にする戦いの要諦とは何か。
山本伸一は覚醒する。
「日蓮大聖人の仏法が真実であるなら、私にも、それが証明できないはずがない。『
なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし』(1193頁)とあるではないか」
彼は、戦いの第一歩を「勝利」から逆算した。そして、目的の成就は、「信心を根本とした歓喜あふれる弘教」によって果たされゆくことを確信した。
彼は、深い祈りと教学を通じて、この偉大な仏法を教授することから開始した。
山本伸一は一人立った。そして、学会員と会い、苦労を聴き、一人一人の信力を奮い立たせ、深刻な個々の問題を乗り越えさせていった。
彼は、「強盛な祈り」を第一の要諦とし、「最高の作戦」と「最高の行動」を第二の要諦とした。
この2つが調和した時、不可能は可能となる。
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日蓮大聖人の仏法は、「行」に尽きる。
日常の行なくして、光明はたちまち消え失せる。
行すれば行じただけ、その結果は、過不足なく現れざるを得ない。
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祈りと学び。そして、決意と行動。
仏道修行の実践は、必ず、明確に現証となって現れることを伸一は語った。
関西の同志は奮い立った。社会の底辺で経済苦や病苦に沈む人々、さらに不運に虐げられた人々を救済するために烈々たる行動を開始した。
ある者は、朝5時に起床、7時まで唱題。退社からは、深夜に至るまで活動した。
ある者は、1年間に100世帯も折伏した。
歓喜は怒涛となった。大阪支部は、4月9002世帯、さらに5月、1万1111世帯の折伏となって爆発した。この折伏は、中国地方、四国へと伝播した。
6月12日に選挙が告示され、7月8日に投票となった。
7月9日、創価学会が推薦した候補は、定員3名の第3位で見事当選した。
不可能を可能とした「まさかの勝利」は、山本伸一が億劫の辛労を尽くした結果である。
東京に向かう飛行機の中で、伸一は振り返った。
「苦しいといえば、あれほど苦しい戦いもない。嬉しいといえば、あれほど嬉しい戦いもない。苦楽というものは、本来一つのものなのかも知れない‥」
選挙を終えた伸一は、戸田城聖に次のように質問している。
「本来の宗教活動が、政治的野心をもつように世間に誤解されることは、長い未来を思うとき、創価学会にとってプラスなのでしょうか。それとも、マイナスでしょうか」
戸田は答えた。
「避けて通ることはできない。広宣流布とは、人間社会の土壌を深く耕し、豊かな稔りある土壌に変えることにある。そのために政治の分野にも、真の政治家を育成することがこれからの課題だ」と。
以来、半世紀が経過した。
公明党は今、日本の第三の勢力となっている。
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