池田先生は、あとがきに次のように述べられている。
「第3巻執筆にあたっては、史料の収集調査の段階で、多大の時間を要してしまった。とくに極東軍事裁判の問題を扱うにあたって、どうしても数千ページにも及ぶ、厖大な史料を読破しなければならなかった」
池田先生のご執筆が、どれほどのご心労、ご努力であられたかが窺い知れる文章である。
池田先生は、未来永劫に創価の原点を書き残そうと決意されたに違いない。
第3巻には、昭和23年の内容が収められている。
ここには、様々な体験が描かれている。
貧困、病気、人間関係の悪化、失業、戦争、離婚問題‥。あらゆる立場の人が、あらゆる不幸に悩み、御本尊に祈り、見事な宿命転換を果たしていく。
その中に、1人の老婆の体験がある。
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彼女は、中山法華経寺の熱心な信者であった。
鬼子母神(きしもじん)を数十年に渡って祈り、法華経と聞けば、様々な会合に出向いた。
彼女は、戦前に創価学会の座談会に出席して折伏されたが、入信はしなかった。
ほどなくして、彼女に不幸が訪れる。
夫が階段から転落して死亡した。次に、空襲で彼女の自宅が焼失した。
この時、同居していた娘夫婦が焼死。彼女は、家族と全財産を失ったのである。
唯一残された孫を守るために彼女は行商をしたが、やがて家の外に姿を現さなくなる。ひたすら、鬼子母神を拝むようになった。彼女は人生に疲れ果てたのだ。
年老いた彼女は、山に行けば、林の奥で死にたいと考え、海を見れば断崖から身を投げたいとの誘惑にかられた。地獄のような晩年になろうとしていた。
このとき、彼女は、6年前の座談会で聞いた「罰論」を思い出す。
「これが、罰であろうか‥」
再び、学会員から声をかけられた。誘われるままに座談会場に行くと戸田城聖がいた。
「同じ題目を唱えてきたのに、どうして幸せになれないのか」と問う彼女に、戸田は言った。
「あなたが悪いのではない。鬼子母神という本尊が悪いのだ」
彼女は再び問う。「あんたたちの御本尊は、そんなに正しいのか?」
戸田は答えた。「この世で、たった1つの正しい本尊です。1年、ちゃんと信心してみれば、いやでもわかる。戸田は嘘をつかんよ」
彼女は、鬼子母神を捨て、創価学会の信仰を開始した。
やがて、彼女は元気になった。行商の売り上げも飛躍的に上昇した。
そして彼女は、10年も若返ったかと思われるほど晴れやかな姿になり、学会の中堅幹部として活躍するまでになる。
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この老婆を蘇生させ、若返らせ、歓喜と福運の人生へと変革するシーンこそ、真実の力ある宗教の証左である。
私は26歳の時、この第3巻を繰り返し読んだ。
この巻には、離婚問題を抱える男性への指導が描かれている。
妻のことで悩む男性に対し、戸田先生は次のように言われた。
「男らしい信心に立ちなさい。そして、力ある人生を生きることだ。あなたの想像を絶した、実に見事な解決が必ずできる。それには、題目をあげきることです」
当時、私は、半信半疑で繰り返しこの文章を読んだ。
不思議なことであるが、私も「想像を絶する見事な解決」を得たのである。
当時の私の体験記事は、→ここをクリック!
皆さま。この第3巻の功徳の体験について、どのようなご意見をお持ちですか。
私は、当時の沢山の功徳の原因を、「強い信力」と見ています。
私の祖母もそうでしたが、草創の学会員は命懸けの唱題をしました。
私自身も、本気で唱えた祈りは、全て叶いました。
今、苦しい局面にあるなら、是非、「大信力」を奮い起こし、1年間、本気で祈り行動して欲しいです。戸田先生が言われる「1年、ちゃんと信心してみれば、いやでもわかる」という真意を、掴んでいただきたいからです。
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