闘病記
スペシャルインタビュー
河野洋平衆議院議長
息子からの贈り物、生体肝移植・全告白「私にはまだまだやることが沢山ある」
取材・文:松沢実
撮影:山口遊
(2004年11月号)
「生きているんだ」という熱い思いが込み上がる
――河野さんに移植を受け容れる気持ちにさせたきっかけは、なんだったのでしょうか。
河野 最終的に私の背中を一押ししたのは、「お父さん、私、赤ちゃんができたみたいなんです」との香の一言でした。久しぶりに心から喜べる出来事にあい、私は香の前で言葉が詰まりました。
その夜、病院の消灯時間がすぎ、暗くなった病室で、我が家に30年ぶりに訪れる命の誕生に心から感謝しました。「もし生まれてくる孫の命が私の命との引き換えなら、それでもいいさ」と私は1人でうなずいたのです。
当時、私は65歳だったのですが、実は1人も孫がいなかったのです。同じ年の橋本龍太郎さんや森喜郎さんが孫の写真を見せあうなどバカなことをやるものだから(笑)、少し寂しい思いをさせられていたのでよけいに嬉しかったのです。
香から初孫が生まれると聞き、11月まで生きることができたら孫を抱けるかもしれない、と思い始めたのです。「生きていたい」という生への執着が出てきたというのでしょうか。初孫の顔見たさに気力が湧いてきたのです。
もう一つは「河野さんの手術には社会的意義があります」との橋倉先生の言葉が大きな励ましとなりました。末期の肝硬変に対する治療法として、生体肝移植があるということすら知らされないまま亡くなる患者が少なくありません。そうした中で私が生体肝移植を受けることによって、世間の理解は深まるだろうというのです。
――手術はどのようなものだったのですか。
河野 4月16日に移植手術を受けました。執刀したのは生体肝移植ならこの人と言われる当時信州大医学部第一外科の川崎誠治教授です。太郎の肝臓の3分の1を切除し、それを私に移植したのです。太郎が11時間、私が17時間かかりました。
麻酔から目覚めたのは、「河野さん、ご気分はどうですか」と問いかける川崎先生の声でした。雲の中を漂っているような感じの中でその言葉を聞き、「あっ、気分はいいです」と私は答えました。最初の「あっ」という音を発し、その自分の声を聞いたとき、「あぁ、生きているんだ」という熱い思いが胸にこみ上がってきました。
一政治家として政策の充実とその実現をはかる!
術後、ICUで私は幻覚に悩まされ、ベッドの中に全身白毛のサルを見たり、高層ビルの周りを飛ぶブタを目にしたりしました。太郎のほうは術後、激しい痛みに七転八倒したといいます。しかし、若さとスポーツで鍛えた身体がものをいったのか、急速に回復していきました。私が退院したのは6月16日です。手術から2カ月ちょうどで自宅へ帰ることができました。
――現在の肝炎患者を取り巻く社会環境は、まだまだ厳しいものがあります。1人の政治家として、どのようなことを考えていらっしゃるのでしょうか。
河野洋平・河野太郎著
朝日新聞社 本体1470円(税込)
C型肝炎、息子からの生体肝移植。臓器移植法改正への動きなど、政治家親子が現代日本の大問題に迫る
河野 今年(2004年)から肝硬変や肝がんに対する生体肝移植に健康保険が適用されるようになりました。太郎なども厚生労働省に働きかけ、ようやく実を結んだのは幸いです。
私が生体肝移植を受けたときは保険が適用されなかったので、1000万円以上の費用がかかりました。2人分の手術費用を負担するのだから大変です。おカネがあれば移植で生き延びられるが、おカネがなければ生き延びられない、というのではまっとうな社会とはいえません。保険が適用されるようになり、患者さんとその家族の財政的負担を軽減する第一歩が切り拓かれたといえるでしょう。
しかし、200万人といわれる慢性肝炎や肝硬変などの患者を取り巻く社会環境は、依然として厳しいものがあります。肝炎は治療を受けないでいると肝硬変から肝がんへ進行しますから、早期に治療することが求められます。早期発見早期治療のためのより充実した検診制度の確立が必要とされています。
また、*インターフェロンや*強力ミノファーゲンCを患者本人が注射できるようにする自己注射を解禁してもらう必要があります。注射を打ってもらうために、働き盛りの患者が週に何回も病院へ通うのは無理があるからです。針先からの感染を予防する方法は、いくらでも工夫できると思います。
現在、慢性肝炎や肝硬変、肝がんを身内に抱えながら生きている多くの患者さんが、本当に気力を振り絞り、強い気持ちで生き抜いていることに心から尊敬せずにはいられません。
「どろどろとした政治の世界に居続けてほしいから俺の肝臓をあげたわけではない」と太郎は政界からの引退を勧めますが、私にはまだまだやることが沢山あります。肝炎や肝硬変、肝がんの患者さんやその家族を支えるための政策の充実と、その実現をはかるのもその重要な課題の一つです。1人の政治家として、その責任を果たしていきたいと考えています。
*インターフェロン=ウイルスに感染した際、生体を守るために体内で作られる蛋白質の1種で、ウイルスの増殖を抑える作用がある
*強力ミノファーゲンC=抗炎症作用、免疫調節作用、肝細胞保護作用などの作用があり、肝炎の治療薬として以前より広く使用される。長期使用が可能で、適応範囲が広く、且つ副作用が少ないとされる
生体肝移植
生体肝移植は世界では1988年、日本では1989年に開始された。健康な人の肝臓を部分的に切除し、肝移植が必要な患者(受給者:レシピエント)に移植する治療法である。多種多様な末期の肝疾患、あるいは代謝性肝疾患の治療法として認知されている。1997年10月に、臓器移植法が施行され、脳死の臓器提供者(ドナー)からの臓器提供に道が開かれたが、現実的には提供件数が限られており、日本での肝移植は、圧倒的に生体肝移植が主流となっている。
しかし生体肝移植はドナーが健常人であり、全身麻酔下の外科手術に共通する手術中、手術後の危険性も指摘されており、2003年5月に京都大学で生体肝移植のドナーとなった40代の女性が死亡したケースは記憶に新しい。国内でのドナーの死亡事故はこのケースが初めてだが、欧州における生体肝ドナーの死亡に関しては、2000年末までの全生体肝移植登録例430人中、ドナー4人(0.9%)の死亡が確認されている。
また、日本肝移植研究会が93年末までにドナー2676人を対象にしたアンケートによると、提供のあと体調が「完全に回復した」人は53%にとどまり、何らかの体の不調を訴える人が47%に上った。不調の内容は、傷口の引きつりや麻痺、ケロイド、疲れやすさなどが多く、健康を害する可能性については充分なインフォームド・コンセントが必要とされる。