1995年1月16日。
何をしていただろう。
思い出せないのではなく、記憶に残らないほどの日常だったのだろう。
次の日、何が起きるかも知らずに。
1995年の明日、朝8時前後に起きて、テレビをつける。
5分ほど状況がつかめず、やがて瓦礫の中に横たわる細長い構造物が、阪神高速だと理解する。
そして、呆然と街の様子を見ることになる。
1995年の明日まで、いくつかの災害を経験した。
空から真っ黒な雨が降ってきたとき、雲仙普賢岳が噴火した。
巨大な火砕流は町を焼き、家を埋め、人の命を奪った。
局地的豪雨のとき、すぐそばの川が氾濫し、川岸の建物やクルマを飲み込んでいった。
台風19号(りんご台風)では、電柱が全部倒れた。
走行中のトラックが、何十台も転倒した。
風倒木は雨が降るたびに川をせきとめ、2次・3次被害をもたらした。
倒れずに傾いただけで済んだ電柱は、今でもそのままある。
1995年の明日、それを上回る惨劇に、言葉が出なかった。
今の職業につくことになった出来事であり、忘れることは出来ない。
2011年3月11日、関東でわずかばかりではあるが被災した者として、この日に亡くなった方を悼み、被災し復興した方々に頭を下げる。
1995年1月16日。
あなたは何をしていましたか?