私の分かる範囲のことを皆さんに紹介したいとおもいます。
多少、正確さを欠くところもあると思いますので
気がつかれた方はご連絡ください。 2001.3
大宮・北袋の経過 2001.3
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大宮市北袋町地域は、開業間近の「さいたま新都心」の至近距離の所にあります
1960年代当初は工業団地として出発したのではないかと思われますが、
2.1959からの三菱原子炉撤去闘争の経過 1965・12・20 3人の従業員がウラン合金の爆発事故で大やけど(会社はアルミ合金と回答) 1966夏 話題になった商業原子力船「むつ」の動力のための実験原子炉(臨界実験装置)の計画 1967・4 市議会で大宮設置に反対を決議 大宮市北袋町をはじめとする近隣住民は、永い間、三菱マテリアル総合研究所敷地内で「原子力研究、実験その他の関連作業を行わないこと」を要求してきました。 芝川の専用排水溝に大量の放射線物質が検出される1968・2・23 市議会受け入れ住民大会で反対決議 |
裁判継続 1974(昭和49)年7月17日 |
三菱マテリアル総合研究所 1999.3.18読売新聞、19朝日 1999年7月15日 朝日新聞 1999年 |
放射性廃棄物を保管する場合は、国際基準(ICRP)、六ケ所村基準にして欲しい。 |
三菱放射能廃棄物問題 経過報告 |
核燃料研究開発会社・NDC研究部 大宮を撤退、来年、茨城に移転計画 2000.5.19 NDCが市に移転案を説明 2000.5.20 新都心三菱マ再開発案 2000.5.30 「汚染土壌回収終了説明会」 2000.7.15 「住民説明会」 60名以上参加 |
豊島事件への提言 から 抜粋 2000.4.20 三菱マテリアルと核燃料汚染廃棄物
埼玉県の大宮市に三菱マテリアル総合研究所がある。昨年(1999)3月17日研究所敷地内の土壌が放射能で汚染されていたことが科学技術庁の調べで明らかに上なった。周辺の土壌の約20倍に当たる1.45マイクロシーベルの放射態が測定された。同研究所は、科学技術庁の検査までその事実を隠していた。しかも科学技術庁の記者会見の後、やっと埼玉県へ電話で連絡してきた。 埼玉県は土屋知事が、その日の夕方緊急首脳会議を開き、事実確認や同社に情報や資料の提出を求めるなどの対応策を決めた。ここの辺りの対応はどこかの県知事とフットワークが違っている。3月19日には、土屋知事は、三菱マテリアルの秋元社長に会い、安全確保や周辺住民への説明を要望したその足で有馬科学技術庁長官へも関係情報の公開を要望している。大宮市議会は18日の夜「三菱マテリアル放射性廃棄物遺棄に関する意見書」を全会一致で可決した。23日こは土屋知事は地域防災計画を見なおす考えを明らかにした。しかし事件は拡大していく。同研究所建物内部からさらに高濃度の3 4 0ベクレルの放射能量が検出される。6月14日には同研究所は汚染土壌など廃棄物ドラム缶8000本を回収することを明らかにした。 ところが7月15日に新たに同研究所敷地内のNDC大宮研究部(本社茨城県東海村)で、核燃料物質汚染廃棄物がドラム缶939本に保管されていることが、大宮市議会各派代表会で報告された。汚染廃棄物は原子燃料の製造、研究開発の過程で200 リットルドラム缶に換算して毎年平均3本増え続ケるという。同研究所は汚染廃業物のドラム缶保管を市や地元住民に報告していない。12月14日になって、三菱マテリアル総合研究所は、科学技術庁に核燃料物質使用許可変更を申請する。要するに隠していたことを認め、今後は厳重に保管するという内容だ。大宮市北袋町1丁目東自治会を中心とした「三菱放射能などから任民等の安全と環境を守る会」は、次々と拡大する放射能汚染に抗議し、三菱マテリアル総合研究所の撤去去を要求して戦っている。高レベルの汚染物質はドラム缶に入れて敷地内に保管しているが、低レベルの汚染廃棄物は何処かへ運び出されており、それが瀬戸内海の直島へ持ち込まれるのではないかと心配している。 |
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