〈備える 3.11から〉 命つなぐ電気届かない ALS患者 想定超す長時間
頼みの綱 発電機貸与も機能せず
東日本大震災の被災地では数日間にわたり広い範囲で停電が起きた。生命の維持を電動の医療機器に頼る難病患者は、電源喪失をどう乗り切ったのか。全身の筋肉が徐々に動かなくなる重症の筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の経験から、災害による大規模停電への備えを考える。(竹田佳彦)
■固めた死の覚悟
昨年3月11日午後、かつてない揺れが始まった10秒後に停電が起きると、岩手県内陸部の紫波町に住む中村忠一さん(64)は覚悟を決めた。「これで死ぬかもしれない」
手足や喉など全身の筋肉が徐々に動かせなくなるALS患者。わずかに動く口元でパソコンを操作し、人工音声で意思を伝えている。
強い揺れが続いてベッドがきしみ、入浴介助用のクレーンが頭上でガチャガチャと音をたてる。介護ヘルパーは、喉元の人工呼吸器が外れないように必死で押さえてくれた。「まな板の上のコイだな。家は壊れないだろうか…」
妻のれい子さん(63)は、まだ気持ちに余裕があった。「電気が文字通り命綱。常に予備バッテリーは1日分用意している。停電は数時間で復旧するから、地震への備えも万全と思っていた」
人工呼吸器とたん吸引器のコンセントを、すぐ予備バッテリーに差しかえた。しかし、電気は何時間たっても復旧しない。日が落ちて薄暗くなった室内に、呼吸器のモニターが弱々しく光る。発電機を持っていそうな知人に電話をかけてもつながらない。
東北電力には「復旧のめどがたたないときは発電機を貸してほしい」と頼んでおり、これまで台風による停電のたび、最寄りの営業所が発電機を持ってきてくれた。今回も期待していたが、午後6時ごろにようやくつながった電話で「被害が広範囲すぎて個別に対応できない」。その直後、1つ目の予備バッテリーが尽きた。
■頼りは人間関係
6時間使えるはずだった予備バッテリーは、人工呼吸器とたん吸引器を併用したため3時間で尽きた。もう1つの予備は10時間使える機種だったが、実際に何時間使えるか。
「病院に避難するしかない」。中村さん夫妻は決意したが、入院先のあてはない。すると、往診や介護で普段から顔を合わせていた医師やヘルパーら20人が入れ代わり家を訪れ、入院先を探してくれた。
盛岡市内の病院に入院できたのは、翌日未明の午前零時すぎ。予備のバッテリーは残り数時間分に減っていた。れい子さんは「頼りになったのは結局、普段からの人間関係だった。お医者さんやヘルパーさんが大勢来てくれて、不安を乗り切れた」と振り返る。
■安心から不安へ
盛岡市のALS患者、沼田博之さん(44)宅でも、地震に続く停電にはじめは楽観的だった。
呼吸器の内蔵バッテリーと予備バッテリーで4時間以上の電源があり、介護をする姉の深谷美知代さん(47)は当初「そんなに停電は長く続かないわ。これだけあれば大丈夫」と安心していた。
しかし夕方5時を回っても、電気が戻らない。中村さん同様、東北電力には緊急時の電源貸与を依頼していたが、電話がつながらない。車を自宅に横付けしてエンジンを付けっぱなしにして、インバーターで電気を取り始めた。
「いつまで続くんだろう。ガソリンが切れたら近所の人に分けてもらわないと」。規則正しくシューシューと音を立てる人工呼吸器に耳を澄ませながら、心配が膨らんでいく深谷さん。灯油ストーブに照らされた室内で、影がやたらと暗く見えた。
夜10時ごろ、停電の影響を心配した東北電力の職員がディーゼル式の発電機を持って到着。車の電気に照らされた職員の姿が、輝いて見えた。明け方には発電機の軽油の給油にも訪れた。
13日に復旧するまで、車の電源と発電機を交互に使ってしのいだ深谷さん。「震災前に考えていた電源確保の方法は、見通しが甘かった。今回は運が良かった」としみじみと語った。
車のバッテリーから充電 長寿医療研など価格抑え簡易システム
数日間に及ぶ停電に備え、愛知県大府市の国立長寿医療研究センターは、長時間の使用が可能で、自動車のバッテリーで再充電も可能な簡易電源システムを開発した。東日本大震災後、全国のALS患者からあらためて注目を集めている。
一般に市販されている簡易電源はキャンプなどアウトドアを想定したものが多く、連続使用時間は5、6時間程度。価格も6万〜10万円と高い。さらにコンセントにつないで再充電する機種が大半で、停電時に繰り返し使うのが難しい。
このため、医師や患者団体が参加して医療現場の災害対策を話し合う研究会で、日本ALS協会の役員が大震災時の電源確保を要望。センターと大府市内の製造会社「アイム」が2008年に共同開発した。
人工呼吸器などのコンセントをこの簡易電源システムのバッテリーにつなげば、連続で15時間の使用が可能。同時にこのバッテリーを自動車のバッテリーにつなげば、さらに充電できる。約15分間で電気が「満タン」になるので、エンジンを動かし続ける必要もない。市販の部品で作っており、価格も2万5千円程度に抑えた。
震災後、センターは日本ALS協会の要請で被災地の患者に64台を送った。開発したセンターの診療関連機器開発研究室、根本哲也室長(39)は「電源の必要性を意識している患者は多いが、何を買ったらいいか分からない人や高額で買えない人もいる。手を差し伸べたい」と話した。
電源システムの問い合わせは、アイム=電0562(45)5051=へ。
日本ALS協会中部ブロック 西尾朋浩理事 自ら電源確保策を
日本ALS協会によると、愛知、三重、岐阜、静岡、福井、石川、富山の中部7県に1100人以上の患者がいる。東海・東南海・南海の3連動地震へどう備えるのか。協会中部ブロックの西尾朋浩理事(50)に聞いた。
−東日本大震災でALS患者の被害は。
岩手、宮城、福島3県で4人が津波、1人が余震の停電で亡くなったと聞いている。これまで大規模停電は台風による8〜22時間程度と考えられてきた。何日間も停電した東日本大震災は患者、介護者にとって想定外でショックだった。
−患者の自宅には非常用電源があるのでは。
大半が自宅に予備バッテリーや自家発電機を用意していた。ただ説明書が難しくて震災前に使ったことがなく、維持管理できず自然放電していたり、ガソリンが劣化して使えない発電機が多かった。
−自宅から避難所や病院に移れば何とかなったのでは。
避難所では携帯電話の充電も順番制。命がかかっていても人工呼吸器のため電源を独占することが心苦しく、避難先を転々とする患者が相次いだ。病院では「ALS患者は電源さえあれば大丈夫」とみなされ、病室はほかの患者優先。寒いロビーに放置され、低体温症で命を落としかけた人もいる。患者も家族も、自宅が無事なら電源を確保してとどまった方がいい。
−患者が日ごろから心がけることは。
人工呼吸器の空気圧や呼吸回数、型式など介護に必要な情報と緊急連絡先の病院などをメモにまとめ、ベッドの横など目に付く場所に置いておく。介護者がいない間に震災が起きた時、自宅に助けに来てくれる近所の人や救急隊員らが分かるようにする。
また、中部ブロックではこれまで、津波による被災を全く考えていなかった。沿岸部のゼロメートル地帯で高い建物がない地域では、高架式の高速道路を避難場所に使えないか、企業や自治体と相談したい。
−ALS患者を取り巻く環境は。
「不治の病」のイメージが強く、医者にALSと診断されても認めない人が少なくない。患者団体にも登録しないので、患者数や症状の重さなどの実態把握さえ難しい。偏見が不安で近隣住民に病気を伝えず、「自分でなんとかしよう」と考えがちだ。
−今後の対策は。
重症患者は高齢が多く、配偶者による老老介護が目立つ。三重県四日市市では医師が自治会や福祉施設に呼びかけ、2008年から寝たきりのALS患者を避難所まで運ぶ訓練を始めた。住民が地元に患者がいることを認識し、患者も助けを求める必要性を認識するきっかけになる。ほかの地域でも、地域ぐるみの訓練をしたい。
筋萎縮性側索硬化症(ALS) 運動神経の異常で全身の筋肉が動かせなくなる原因不明の難病。手足のしびれや食べ物が飲み込みにくい症状から始まり、進行すると呼吸もできなくなる。感覚や意識ははっきりしている。発症年齢は40〜60代が多い。発症後5年程度で死亡するが、人工呼吸器などの機器や看護態勢が整っていれば長期間生存できる。患者は全国で8500人以上。
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