2009年11月24日(火)
秀麗富士の麓
静岡で男子部和太鼓グループの丈夫太鼓を現役でリーダーのUさん中心にEさん、Tさんを元に正義県の当時県男子部長のSが人材グループとして何名かを推上げ新たに立ち上げた。
その中にhobbit3ことKさんが挙げられていた。
Kさんの入会は奥さんが女子部本部長だった為、結婚前から会友から始まりました。
しかし、活動の最中男子部幹部による奥さんに対しての考えられぬ不正行為がありました。
元来、短気で一本気なKさんは不信感と怒りがつのり一時、自暴自棄になっていった。
そこで、地元組織の当時男子部、ナイトオブホープのMさんと出会った。
Mさんは創価班を始め日夜学会活動に頑張っており、とても面倒見がいい男である。
KさんはMさんにすべてを打ち明け、激励を受けた。
KさんはMさんの師匠を求め闘い抜く姿勢に触れ、「自分は信心をやりきり弱き自分を乗り越え人間革命の闘いで偉大な池田先生のお役にたてるようになる!」と腹が決まった、以降、成長し真っ直ぐ闘い抜いてきた。
途中、病気をして入院し病魔との闘いになったが、ほぼ調子が良くなり退院する事ができた。
壮年は太鼓の実技指導を頼まれ、以前より激励をしてきたメンバーのTさんから直接、Kさんを紹介されました。
早速、Kさんは和太鼓の前に立ち叩いてみました。
Kさんは今まで内蔵疾患で入院しており、退院したとしても完治ではなくだるさが取れませんでした。
案の定、Kさんの叩く姿は弱々しく音もしょぼいです。壮年はそれを見て、始めてとはいえ「何も魂が入っていない」と感じ、自ら叩いて見せたのです。
壮年は「先生にお応えする決意で腰を入れて、病魔を叩き潰す一念で体ごと叩いて!」と信心でアドバイスをしました。
それに対してKさんは、魔と真っ向から勝負するが如く闘魂みなぎる太鼓を叩いて見せたのです。
それから、Kさんは題目をあげ抜き逞しい男子部で率先の創価班としても成長し、病気も完治させ、更なる報恩の闘いを展開するのです。
秀麗富士の麓で彼は勇壮な太鼓の如く、純粋な学会員を虐める邪悪な仏敵を完封無きまで呵責し打倒し抜いていくのです。
作成者
hobbit4
: 2009年11月24日(火) 01:59
2009年11月18日(水)
仇討ちの太鼓
壮年は日顕宗の本山で三類の強敵を攻めるべき時に厳しく攻め、これらを捕まえるべき時に捕まえる事ができた。
その中で、学会最高幹部の自宅等を次々と回り、正木理事長(当時全国男子部長)の自宅に押しかけ、法論要請に対し、玄関先で正木さんが逃げ出した所をビデオに撮り、さらに全国に流した妙観講の佐々木某を総坊で捕まえ徹底的に呵責をした。
壮年の厳しき呵責の故か、佐々木はもちろん慌てて出てきた30人程の妙観講は自らの邪悪に怯え足がガタガタと震えていた。
得意げに先頭を切って学会員宅に嫌がらせをしていた魔物共は皆、師子吼の前に色を失い魂を消し罰の現証が出たのである。
また、日顕宗の坊主の中で池田先生に大恩があるにも関わらず、恩を仇で返し創価学会分離作戦「C作戦」の立案首謀者となった輩に学会出身の関快道がいる。
「こいつこそ許せぬ!」と壮年が呵責に行けば、顔を見ただけで鼠の様に走って家の奥に逃げ出すという大変な臆病坊主である。
壮年の仏敵呵責による坊主の失態と罰の現証を上げたらきりがありません。
このように、師匠にお応えするべく、三類の強敵を打倒する仇討ちの闘いは魔物ばかりとの対峙です。
しかし、その功徳により真の同志と師弟の生命によって出会う事ができるのです。
そして、平成9年頃になると富士宮も日顕宗との攻防戦が更にみなぎってきたが、富士正義県ではさらに闘いの勢いを組織につけようと、仏敵と闘う男子部を中心に県で和太鼓の新たなメンバーを推い上げた。
この和太鼓は以前よりあり、今までは日顕宗を連日連夜、破折し抜いている男子部のEさんとTさんが所属しており、男子部4名で勇壮な太鼓を叩いていました。
元々は富士宮の富士根支部にいた当時富士美術館職員で男子部であったNさんが会員に喜んで貰おうと支部内の男子部を集め、会合等で太鼓を叩いたのが始まりである。
リズムの基本は結成のきっかけとなった山梨の頑強で素晴らしい「広布太鼓」の先輩に実技指導を受け、整い上達していった。
その太鼓をメンバーは富士根支部の拠点に丈夫会館があった事から職員のNさんが「丈夫太鼓」と命名しました。
その後、ドラマーであった壮年に男子部が、どうしても「叩いてくれ」と要請があり、彼は闘魂みなぎり、和太鼓にも参加したのである。
壮年は先生の「トランペットと太鼓は魔を斬る楽器です」との指導を常に思い起こし叩いていました。
その後、太鼓はOBとなってナイトオブホープでドラムを演奏する中でも、壮年は「和太鼓こそ三類の強敵現る富士宮での仇討ちの一念でそのまま叩く楽器なのだ」と実感したのです。
作成者
hobbit4
: 2009年11月19日(木) 09:02
2009年11月14日(土)
正義の旗
富士宮には日顕宗の総本山がある為、全国の坊主やら妙観講などの魔の兼属が集まってくる。
それだけに破折しなければならない裏切り者や反逆者と遭遇できた。
壮年は単身、日顕宗の内事部や総坊、搭中に行き、極悪の坊主や妙観講を徹底的に呵責し抜いてきた。
平成6年頃より、富士宮で間抜けな妙観講が学会員の所に嫌がらせに回っても脱会に一向にうだつが上がらない。
魔の画策が上手くいかない日顕が苛立ち、日顕宗の中で本山内や末寺など住職として行き場所がない無任所坊主が日顕に対しての点数稼ぎで学会員を脱会させようと、ちょろちょろ動き出した。
壮年は連日連夜、組織でも弘教拡大や人材育成にも見事な結果を出し抜きながら坊主、妙観講を片っ端から呵責し抜いた。
私も壮年と題目を一緒に上げたが彼は破折一本の魔を叩き潰す猛然たる題目です。
壮年は邪悪の仏敵を呵責し抜き現証を出してきた師弟一体の題目を上げきってきたのです。
破邪顕正で孤軍奮闘する壮年の元には勇敢な若き男子部が続々と立ち上がってきた。
その中でも壮年に未来部の時から激励を受けてきた男子部のEさんとTさんが「壮年を1人にしておくものか」と敢然と奮い立ちました。
男子部になっても壮年と共に会員を護り、折伏などあらゆる闘いに勝利の結果を出し抜いてきた精鋭であります。
彼らは誰が何も言わなくとも、学会員に嫌がらせをする日顕宗のアジトに勇んで乗り込み、ことごとく坊主共仏敵を呵責し抜きました。
壮年が1人現場で泥まみれになって闘う姿を見て続いたのです。
本当に師匠池田先生を求める真心の青年なのです。
彼らは裏切り者の仏敵を絶対に許さず、壮年に負けない、現場で魔軍と闘い抜く師子奮迅の若き男子部となりました。
いよいよ、富士宮より邪悪に対して厳しき破折で師弟の団結による正義の旗が上がったのです。
作成者
hobbit4
: 2009年11月14日(土) 03:26
2009年11月6日(金)
先駆の体験(1)
バンド名は「ナイトオブホープ」と言います。
ナイトは騎士、ホープは希望。
希望の騎士です。
先生の指導に「女性に対してナイトのごとくあれ」、「常に誠実で希望を持って生き抜け」とありました。
バンドメンバーも、先生の指導通り闘い生き抜こうとの決意で、バンド名を「ナイトオブホープ」と決めました。
バンドでの活動は学会活動をやりきり、すべて結果を出しきっての闘いでありました。
会合での出演依頼がひっきりなしに入る中で、一回一回の演奏が魔と闘う生命で、会員に勇気と希望を与える事ができるよう、祈り抜きました。
先生は「日顕を始めとする忘恩の仏敵と祈り闘えば、自身の悪の生命が切れて極善となる」と指導されました。
また、「極悪と闘えば極善になり宿命転換が早いのです」「どれだけ善をなしても邪悪と闘かい打ち破らなければ意味がなく良くはならない。これが要です」と。
忘恩の裏切り者がいるにもかかわらず、気がつかない者や見て見ないふりをして闘わない者は、良くなるどころか邪悪と一緒であり、落ちてしまうのです。
悪を見ていて放置し、魔を増長させた者は、更に悪く罪が重い。
先生の誹謗をして学会員の所を回る輩と闘わなければ、組織に魔がつけ込み、汚れてしまう。
日常、先生の指導を身で感じつつ魔との攻防戦となった富士宮であります。
壮年は男子部のリーダーとして、組織の男子部にも日顕の邪悪な実態の詳細と共に、先生の正義を力強く話し、激励していきました。
男子部は発心して、魔を見抜き邪悪と題目根本に闘う事で歓喜が湧き上がり、功徳の結果が続々と出ました。
壮年は、会員さんに先生の指導をそのまま真っ直ぐに伝え、共に題目を上げて邪悪と闘う事で、その凄い功徳と成長の早さに自身が驚いてしまう程でした。
一凶を打ち破る信心が何よりも大事だと、痛感していました。
壮年は日々、徹底的に仏敵と闘い抜いていましたが、極悪との闘いの功徳の凄さと宿命転換の早さをまだ自分では実感していませんでした。
只、先生と共に前進し続け、バンドも拍車がかかり、会合だけでなくライブハウスでの演奏もやりました。
その中で、聴きにきたミュージシャンと友好を深めて、まずヴォーカルMさんが折伏を実らせ、御本尊授与をいたしました。
ライブ等で知り合う友の皆さんも、喜んで聖教新聞を購読してくれました。
そんな闘うバンド「ナイトオブホープ」はシナノ企画の対話ビデオ「聖教新聞」にも紹介されました。
バンドメンバーの2名が聖教配達員であり、広宣流布のお役にたてるならと闘い、うれしさはひとしおでした。
作成者
hobbit4
: 2009年11月6日(金) 11:55
先駆の体験(2)
そんな折り、壮年は仕事と学会活動終了後、バンドの練習があり、帰りが遅くなった。
眠気混じりで家に着き、玄関に向かった途端に右の額に物干しの先が痛烈にぶつかった。
壮年は額に怪我を負った。
家で応急手当てをしたが、翌日より高熱が出て目の上が酷く腫れ上がったのである。
腫れた周りは、しだいに湿疹が幾つもでき、痛みと熱でたまらなくなったのである。
壮年は病院に行き診察をうけた。
診察結果は目の上にできた帯状疱疹である。
怪我と同時に、疲れの為かヘルペスが出て来たようだ。
医者は「これは酷い。この状態では入院したほうがいい。このまま帯状疱疹が目にきたら失明する。治るにしても完治するまで3ヶ月はかかる」と言った。
壮年は、痛みがたまらないが、直ぐに入院はできない為、強い抗生物質を貰い、2〜3日辛抱すると決め、帰った。
しかし、その夜も熱と痛みが増して眠れなかった。
翌日は、本幹同中の先生のスピーチがあった。
入院前に先生の指導を生命に刻もうと、壮年は額に絆創膏してふらふらしながら国際文化会館に着いた。
しかし、痛みが辛いので、先生の指導を聴いたら直ぐに帰り、休もうと決めていた。
指導が終わりかけた頃、1人の男子部幹部が壮年のところに慌てて駆け寄ってきた。
男子部幹部はいきなり、「タチの悪い妙観講が上野の学会員の家に数名来て、未活動の壮年の所で学会批判を騒ぎ立て、婦人部が泣いています。すぐに行って妙観講を破折し追い払って下さい」と頼んできた。
100名位の妙観講共が大石寺周辺の学会員宅を、いつもの様に嫌がらせに回っているというのである。
壮年はいつもなら、一言返事で直ぐさま現場に行くところだが、今回ばかりは熱もある状態で、痛みも酷く体が動かない。
妙観講はただ学会批判をして回る虫けら以下だが、少しでも弱みを見つけたら即座につけ込む仏敵であり、しつこさはゾンビだ。
天魔を呵責し、潰しきるには相当の生命力がいる。
そうこうしている内に、職員で、当時、会館事務長のNも寄ってきて、「君しかいないから早く行ってくれ」と嘆願である。
壮年は入院前で、熱に加えて強い抗生物質のせいか、体に全然力が出ない。
その時、同中での指導されている先生が、「何があっても会員を護りなさい! 」と3回師子吼され、叫ばれました。
壮年は先生の大音声がそのまま生命に入り、心で猛烈に題目を上げ始め、捨て身で即座に現場に向かったのです。
5分程で現場に着くと、5人位のチンピラ風妙観が学会員宅に入り込んで、家族にしつこくつきまとい、大きな声で池田先生を批判してるではないか。
その脇でワークミセスであろうか、作業着を着た婦人部が泣いていた。
奥さんが聞きつけて来たのであろう。
壮年はその現場を見て怒りが頂点に達した。
帯状疱疹の熱や酷い痛みなど一切忘れていた。
壮年は5人を捕まえて、邪悪への怒りをあらわにした猛烈な呵責を加えた。
壮年は来る時には妙観講の一味が集まり、何時間にもわたる乱戦になると、覚悟していた。
ところが妙観講は、壮年の強烈な一撃である正義の声に、全員震え上がり逃げ出したのである。
そこへ遅れて壮年の組織の男子部が、そんな状態で破折に向かった事を聞きつけて飛んできたのである。
後は、その男子部らが妙観講を逃がさず、追撃で厳しい破折を加えたのである
嫌がらせに泣いていた婦人部は満面の笑顔となり、喜びと変わり、壮年に何度も「ありがとう!」とお礼を言っていた。
照れまくる壮年は、魔物を「鬼神めらめ!」との一念で、猛烈に呵責し撃退し、団結の諸天も現れたのである。
終わって帰る壮年は、額はまだ腫れ上がっているが、帯状疱疹で苦しんでいた先程とは違って、凄い生命力と歓喜が湧き上がっている事を実感した。
すると入院を決めていた3日後の事である、なんと帯状疱疹が全部消え、熱も痛みも一切なくなっているではないか。
当初、状態は酷く、目にきたら潰れると医者から言われ、一時入院し完治に3ヶ月はかかると言われた病気が3日で完治したのである!
壮年がやった事は、邪悪に対して怒り、命がけで魔を打ち破る題目を上げながら仏敵を破折し、会員を護り抜いた事である。
壮年はいつも男子部員に、先生の指導通り「魔を打ち破る祈りで邪悪の仏敵を攻めれば自身の生命がきれいになり宿命転換が早い」と常々、話して励ましていた。
しかし実際に自分が指導通り体験したのは始めてである。
壮年は歓喜と確信で体験を現場で語り抜いた。
と同時に、男子部が逞しく次々と正義の心で立ち始めたのである。
彼の体験を聞いた男子部員は、師匠に応える心と確信を得て、その後先陣を切って題目を上げ抜き、いよいよ日顕宗の坊主や妙観講などを厳しく呵責し抜いていったのです。
魔に覆われた富士宮で、邪悪と闘いきる同志に、組織活動や仕事にも素晴らしい功徳と体験が次々と出始めたのです。
作成者
hobbit4
: 2009年11月6日(金) 04:16