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プロフィール

名刺・表 
若新雄純

株式会社NewYouth 代表取締役 プロデューサー
慶應義塾大学SFC研究所 上席訪問所員



慶應義塾大学大学院修了 修士(政策・メディア
社団法人日本産業カウンセラー協会認定 産業カウンセラー
ダイニング・バーS-witch パートナー
ビジネス心理士協会 幹事


硬直し閉塞した成熟社会と自己を超越し、
自律的成長で時代を切り拓く「新世代」を創成
その新たな【世界観】をプロデュース


学術的研究を背景にした独自の手法とアプローチにより、各種企業・団体・個人のPR・ブランディングや様々なプロジェクトのコンセプトデザイン、メディア企画・演出を手がけ、自己表現・PR・ブランディングやコミュニケーション、モチベーション等に関する各種プログラム、関連する研修セミナーやワークショップ等も多数企画・実施中。
(詳しくは会社概要へ)


大学在籍中20歳の時に株式会社の設立と共に始めた個人事業を皮切りに、若者の自己表現や自己成長、キャリア形成等に関する活動を中心としてNPO法人の運営、経産省プロジェクトの研究員などを務める。

2005年、ITを活用した障害者雇用促進事業を行うベンチャー企業・株式会社ウイングルを設立。創業取締役・COOとして非力ながらも広報・人事を中心に経営に参画。
同社は現在年商約6億円の規模に成長。

その後大学院に進学し、現代社会における政策形成やイノベーション、特に成熟社会における若者のモチベーションや自律的な成長・キャリア形成等について研究。「キャリア・リソース・ラボラトリー」に所属し、産業・組織心理学、人間性心理学等を切り口に「自己超越」と心理的充足に関する研究論文で修士号取得。

大学院在籍中より再び独立し、厚生労働省や経済産業省、地方自治体等による委託プロジェクトのPRディレクターやコーディネーター等を歴任。
民主党では政権交代を果たした国政選挙にて若者向けの大規模な広報プロジェクトを企画・実施。

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(渋谷での民主党PR企画/がん制圧キャンペーンにて山田くに子氏と)

修士号取得後は大学院で修めた心理学を活かしカウンセラー資格を取得、また大学付属研究所の研究員となり産学連携による社会心理学研究もスタートし、【世界観】プロデュースのための独自の手法とアプローチを確立。

「愛と自己超越のテーゼ」を掲げ、日々激しくも美しく活動中。


若新マニュアル ―取扱説明書― (はじめにお読みください)

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若新のこれまで

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福井県若狭町生まれ
(18歳まで過ごした「若新家と若狭」についてはこちら

両親が教職員という教育一家に生まれ、幼少時代は明るくも虚言癖のある若干ひねくれた優等生として育つ。
小学校低学年の授業参観で初めて「詩」を書いた際、
「自分はどうしてこの“自分”を生きているのか?」
という日常の疑問を表したところ、担任教諭・保護者共に絶句される。
小学校高学年になると、単身で南米に渡ったり校内に年下の恋人ができるなど好奇心に溢れる少年であった。

しかし、中学生時代にはアイデンティティに悩み、校内トップの成績を維持するも万引き・飲酒・喫煙・器物破損などの非行行為に手を染め孤独の悲しみと共に汚れていく。

高校は地元トップの進学校の進学クラスに進むも、その中途半端に派手な「なり」と自由奔放・無責任な発言、中途半端ないきがりから、入学直後約50人のギャラリーの前で他校の生徒とタイマンをはることになり、あまりの弱さにボコボコにされる。しかしボコボコになった自分だけが補導され、高校からは訓戒処分。
無駄な顔の広さとは裏腹に、真意を語ることのできる唯一の存在は己のみという、あまりに孤独と虚無感に満ちた時間を過ごす。
この頃から、膨大な時間をかけた自己との対話が始まる。

一方、唯一の前向きな表現手段として中学からギターとドラムを始める。その没頭ぶりと極めんとする追求ぶりは異常であった。

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写真のギターは現在愛用する「78年製GRECOミラージュ」、通算6本目。
しかし、ステージでギターを披露することはごく稀である。

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ドラムはTAMAのRockStarシリーズ。2台目。
中高生時代、日中は授業中も脳内で譜面を描きイメーイトレーニングをくり返し、帰宅後は毎夜9時まで演奏という日々もあり、当時なりの「不可能への挑戦」を果たす。ドラマーとしてはそれなりに地元で名の知れた存在になる。
2006年、5年のブランクを経て一度きりのステージに立ち再び活動を休止するも、2008年、某動画サイト(ユーザー登録が必要)にて練習風景をアップしたところランキング上位(最高3位!)となり、ネットミュージシャンとしてインターネット百科事典に掲載される。
またmixiにてファンコミュニティ(ユーザーアカウントが必要)ができ、数百名にのぼるファンの方々に応援いただいたことにより東京にてドラマーとしての活動を再開

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それらの中で今や世界的アーティストとなったY氏からうけた影響はあまりに大きく、現在まで唯一の神的存在。
「イメージ」の限りない可能性と、徹底的な自己世界追求の魅力が、現在の自分自身の核を支える。

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また高校時代、あまりの自分の精神的な弱さに嫌気がさし、友人に誘われ極真空手を始める。
道場内での相対的な弱さは変わることがなかったが、それなりに強固な肉体を手に入れる。

高校卒業後は、時給2,000円という好条件の塾講師を金髪にピアスで勤めながら、偏差値36からの受験勉強を開始。
「大学は国公立」と両親から支援の条件を限定され、一年後仙台へ。
「素直にあること」を最高理念に、完全な自己追求に没入。
放課後は、ノーアポで先生の研究室を訪問しまくるという贅沢な日々。
また、このころから日本中に友人ができるようになる。

大学学部1年時から、当時は超地味で全く目立たないまさに影の存在だったが神域の事業家であると勝手に確信していた先輩を何故か非常に慕い、社会公益性と市場性を兼ねた事業の展開を目指し株式会社ウイングルの創業・経営に参画。

会社の経営と並行して大学4年間に渡り、「自己陶酔による若者の自律成長」を啓蒙目的とした究極の自己陶酔劇‐ナルシスト狂宴‐を展開。

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Video: ナルシスト狂宴・第四章 (061015)

新聞記事にまでなり、まさに一世を風靡。
(2007年秋には、卒業後にも関わらずまたしてもステージに返り咲く
また、その後某芸人にその演出手法を盗用された疑惑が浮上)

その後、晴れて大学の学部を卒業。
卒業式の模様

卒業式当日は、象徴的存在でしかなかった学長とのまさかの共演を果たし、Love Wizardとして生きるべく使命感に溢れる中で、「愛のあった場所」を去る。

新たな愛ある場所を求め、大学院に進学。
以前から関心を懐いていた若者のモチベーションの問題や心理学に本格的に触れる。
また、新たに師事させていただくことになった教授の“永い時”に裏立てされているであろうその「深さ」に即魅了され、同時に自らにも「果てしない旅」が始まるであろうことに胸が高鳴る。

己のビジネスマンとしての非力さは相変わらずのまま、創業取締役を務めた某社は一年半後には数億規模の企業へと成長。
しかしながら、「果てしない旅」にとりつかれた愚かさと、一見軽薄とされるあくなきこだわりなどからくる傍若無人さ、そして何より非生産的で低能なワークスタイルなどから、成長に伴い合理的な組織を持った某社の「総意」に不適格とされ、取締役を退任。

二度目のキャンパスライフにおいては、流れと運びに逆らえず「3歩先」ではなく「3歩横」をズレて行く、自称クリエイティブワーク「パンダ新世紀」を展開。

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その姿はTBSのドキュメンタリー番組にて、「“時代”を映す学生像 その変遷」として紹介される。

また、NewYouthを個人事務所として事業を本格的に再開。
その後2年半に及んだ研究活動を経て修士号を取得、大学付属研究所の研究員に。

縁あって新宿のダイニング・バーS-witchの共同経営者となり、「若新ナイト☆」など唯我独尊極まったコンテンツと世界観を強烈かつ劇的に展開し、現在に至る。

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今日も導かれしところにて立つも、明日は誰も知らない。

2007年06月03日 | プロフィール
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