1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2012年04月02日

吉本隆明と『古事記』

テーマ:ぶらぶら日記
3月16日、吉本隆明氏が亡くなりました。

僕ぐらいの年代やそのちょっと前の、いわゆる「全共闘世代」といわれる人たちにとっては、吉本の死は「事件」、「ひとつの時代が終わった」という感慨をもったのではないでしようか。

僕も少々、いろいろと考えてしまいました。

そもそも僕が『古事記』とか神話などに興味を持ったのは、考えてみれば、高校生2年生のときに吉本さんの『共同幻想論』(68年)を読んだのがきっかけなのでした。そして吉本を読むことになったのは、うちに下宿していた従兄弟の大学生、Hちゃんの影響。

そして吉本隆明の「肉声」を初めて聞いたのは、1972年、高校3年生のときの、某政治集会の場でした。吉本さんの講演は「家族・親族・共同体・国家-日本~南島~アジア視点からの視察」というもの。ちょうど沖縄返還をめぐる政治状況のなかでの集会でした。

また僕が折口信夫を本格的に読み始めたのも『言語にとって美とはなにか』(65年)の影響だし、またそれらの著作や『初期歌謡論』(77年)などから多大な影響を受けた「全共闘世代」の研究者たち、とくに古代文学会の古橋信孝さんや物語研究会の藤井貞和さんとかの出会いがあって、僕自身も「研究者」の道に踏み込んでしまったのでした。

古橋さんたちがやっていた古代文学会の「セミナー運動」は、学会そのものを運動体にし、共同研究を組織していく、という全共闘ふうの組織論。そんな古橋さんに「オルグ」(この言葉がわかる人は全共闘世代?)されて、古代文学会に入ったのだし、そのあと僕たちの世代がやった「現場論研究会」というのも、その「セミナー運動」の延長にあったわけですね。

というふうに考えていくと、僕の「人生」を決定した多くの部分に「吉本隆明」がいることは間違いないわけです。そしてたぶん、そんなふうに吉本との出会いによって人生が変わったとか、決定づけられた人が、僕やその上の世代にはそうとうたくさんいるのでしよう。そういう「われわれ」にとっては、やはり「吉本隆明の死」は、「事件」ということになりますね。

思い出話はともあれ、今、神話研究者としての僕は、吉本の著作をどのように読み、批評していけるかっていうのは、大きい課題です。とくに『共同幻想論』には、『古事記』と『遠野物語』が理論構築のテキストとして活用されているので、吉本の『古事記』解釈をどう、現在読むかということは、ちょっと真剣に取り組む必要がありそうです。

おそらく現在の古事記研究のレベルからいえば、吉本の『古事記』解釈は、一時代前の「古い」ものとされてしまうでしようが(ちなみに67年には西郷信綱『古事記の世界』が刊行されている)、そうした研究史的な視点とは少しずらして、まさに「読み替えられた日本神話」の現代版のひとつとして、吉本の『古事記』解釈を見直すことが、僕などの課題になりそうです。

つまり吉本が「60年安保闘争」の敗北から、さらに「ロシア・マルクス主義」、とくにその国家論への批判として提出した「共同幻想」という、当時の最新の知を媒介にして、『古事記』神話は、どう読み替えられているのか、そこ読み替えられた「古事記神話」の可能性は?ということを考えてみる必要がありそうです。

これは最近、あらためて読み直している近代思想史、民衆信仰史研究の安丸良夫氏の「通俗道徳論」をどう捉えていくか、ということともリンクします。なぜなら、安丸氏の研究もまた「60年安保闘争」の敗北をどう位置づけるのか、というところからスタートしているからです。

安丸氏は「1960年の安保闘争は戦後日本の学問と思想の大きな分岐点であったが、私はそれを主として経済成長路線の定着、その理論的基礎づけとしての近代化論の登場という側面から受けとめた」(『安丸思想史への対論』ぺりかん社)というところから、近世の民衆思想としての「通俗道徳論」の議論が展開していくのでした。そしてその「通俗道徳論」とは、近世の「通俗神道」さらに本居宣長の『玉くしげ』などをどう読むのか、という、僕自身の研究テーマとぶつかってくるのでした。

ちなみに安丸氏は、吉本思想をもっとも理解しえている研究者のひとりではないかと、僕は思っています。

ということで、「吉本隆明」のことは、僕にとっては、まさに「現在」の研究テーマと通じているので、けっして思い出話ではないのでした。

でも、もうひとつ思い出話も。

大学2年のとき、某書店でアルバイトしていたころ。

そこで本を買うと、バイト代から割引で差し引かれるので、よく吉本の新刊が出ると購入していました。あるとき、同じバイトしている同年代の女の子が「吉本を読むんですか…」と話しかけてきました。彼女は、帳簿をつける係りだったので、僕が吉本の本をよく買うことに気付いたわけですね。ちょっと話してみると、じつは彼女も吉本のファンで、とくに吉本さんの詩のファンなのでした。

その子は、ロングヘアーが似合う、涼しげな雰囲気で、けっこう可愛い子。じつは前々から気になっていたので、話のきっかけが出来た僕は、その日は有頂天。

ということで、僕らは付き合うようになったのですが…。しかし吉本隆明がとりもつ縁って、まさしく「愛と革命の70年代」ですよね。

どうも、この思い出話が、今日の話題で一番盛り上がりますね。くたくたさんも好きそうな話題だし。

2012年04月01日

四月になりましたが…

テーマ:ぶらぶら日記
四月がスタートしました。

でも、なんなんですか、この寒さは!いつもなら、ちらほらと桜も咲くころなのに、今年はまったくその兆しもない。

でもそうは言っても、四月がスタートし、また新年度が始まってしまうのでした。「三月」がもう一回あったら、どんなにいいか、と。これも毎年言っていますが。

本日、大学は入学式、そして大学院のオリエンテーション。今年も、僕は大学院の専攻主任が「留任」となったので、新しく入ってきた院生さんたちに、いろいろと事務的な手続きなどの説明やら、院生としての心構えやらのお話してきました。

久しぶりに大学に行ったら、次から次へと学生たちがやってきて、ハンコおしたり、新入生歓迎の「フィールドワーク」の打ち合わせとか、また博士論文執筆のMさんの論文指導とかがあって、ぐったりでした。

****

新刊案内です。

☆新人物往来社刊『「古史伝」と「偽書」の謎を読む』
 第三章「「偽書」の日本史」のなかの一編
 「『先代旧事本紀』の成立」

2004年刊行『徹底検証古史古伝と偽書の謎』に執筆したものの再録です。書いてることは今とそんなに変わらないのは、なんとも恥ずかしい。

☆学研刊『古事記がわかる本』
 イントロダクション「古事記と、出会う」

これも学研の『古事記の本』に書いた「プロローグ・古事記とは何か」を再編集、圧縮したものです。古事記の入門書です。

☆法蔵館刊・池見澄隆編『冥顕論』
 論文「「幽冥神」の神話学―平田篤胤の「顕幽」論を読み直すために」

佛教大学の池見先生の編著です。そのなかの一編として書かせていただきました。宣長の問題から、次の篤胤へと展開させるための「助走」みたいな論文です。篤胤はともかく面白いのですが、まだまだです。

しかし、この論集は、多彩な書き手が参加していて、圧巻です。コスモロジー論を超えた「冥・顕」という問題、「冥界からのまなざし」をどう受感していくか、今後の宗教研究にとって、不可欠なテーマとなることは間違いありません。

☆まだ刊行はされていませんが、

吉川弘文館刊『荒ぶるスサノヲ、七変化』歴史文化ライブラリー

の予約がアマゾンとかにもう出ています。吉川のホームページにも目次が早々と紹介されています。目次見ると、ほんとに面白そうです。自分で言っていればせわないですが。

刊行は五月中旬です。よろしくお願いいたします。

ちなみにまだカバーの写真は出ていませんが、このカバーがけっこうカッコいいのです。乞うご期待!

NEW 斎藤英喜 公式サイト>新刊案内


****

桜はまだまだのようですが、先週、くたくたさんと近所の「しょうざん」の庭に行って、梅を見てきました。観光客もいない、静かな山里の梅の風情を楽しみました。梅は一本、一本、ぽつんぽつんと咲いているのがいいですね。

桜のお花見は、さていつ頃になるのでしようか。

2012年03月18日

『風塵』の最新号のこと

テーマ:ぶらぶら日記
法政大学のときの友人で、青森・八戸在住の詩人、上條勝芳くんとの同人誌『風塵』の最新号が出ました。

彼は昨年の「震災」にもめげず、雑誌の刊行に努力されたわけです。残念ながら、市販はしていませんが、ご希望の方は連絡ください。

ちなみに僕は「「古事記1300年」から、ふたたび「歴史」を考えること」というエッセイを載せています。今度出る、新人物往来社刊『古事記一三〇〇年史』の内容のエッセンスをまとめた文章です。

上條くんの、今回の詩には、当然「震災」の影響が濃密に現れてします。彼の詩に登場する「海」「岬」「鴎」という言葉は、なんだかとてもリアルです。

たとえば「春」というタイトルの詩

「朝日が昇ると 海から島に鴎が戻ってくるように 言葉が空から降りて来る」

また「祈り」というタイトルの詩

「合わせた掌にどんな言葉も見当たらない」

一行詩と呼ばれるものです。

「合わせた…」の詩は、巻末の「路上の記」というあとがきのなかに「合わせた掌にどんな言葉も見当たらない状況下でも、言葉を手放してはならないだろう」といった散文の一部としても出てくるのですが、散文的な記述では、なんということもない平凡の表現です。それが散文から切り離された、一行の詩になると、とたんに豊かなイメージというか、メッセージを発するようになるのは不思議です。

あらためて「詩」って何かを考えさせられるのでした。

なお上條くんは、郷里の詩人・村次郎の出身校で講演をしたりと、大活躍です。また『村次郎全詩集』の編集にも携わっています。
2012年03月16日

五月連休明けをめざして

テーマ:ぶらぶら日記
二月はまったく更新しないまま、気がついたら三月も半ばになってしまいました。このままでは「ぶらぶら日記」閉店となってしまいそうなので、あわてて一筆。

まずはお仕事報告。なんと五月の連休明けに、いっぺんに二冊の本が出てしまうことになりそうです。

一冊は、吉川弘文館刊・歴史文化ライブラリー『荒ぶるスサノヲ、七変化』。昨年来、試行錯誤のなかで書いてきた、中世神話のスサノヲ、その変貌譚です。たぶんこのテーマの本は、世界初!ではないでしようか。

もう一冊は、新人物往来社刊『古事記一三〇〇年史』。世間では「古事記1300年」イベントで、雑誌や新聞などでは大賑わいですが、その関係で出ているのは、「古事記って何が書いてあるのか…」という入門書ですね。

では、そんな『古事記』は一三〇〇年のあいだ、どういう人たちが、どんなふうに読んできたのか、その「受容の歴史」については、いま世間に出ている「入門編」ではほとんど触れられていません。それにたいして、「古事記一三〇〇年」の、一番肝心な受容の歴史をコンパクトにまとめたのが、この本なわけです。

先日会った某編集者の人には、「さいとうさんの得意分野の本」と言われてしまいましたが、まさにその通りですね。こういうのをひとりで書いちゃうという無謀なことは僕ぐらいしかしませんから…。

ということで、ただいま、この二冊の本の校正、真っ最中なのでした。でも、校正しながら、図版はどんな写真をいれるのか、カバーはどんなふうにするのか、なんていうアイデアを考えるときって、一番楽しいのでした。

しかし、校正は楽しいのですが、その仕事と並行して、次の本の原稿も書かねばならない、さらに某テレビ局の台本の監修やら、撮影やらの仕事が舞い込み、また別に「古事記」の入門書の監修とかもやってきて、ほんと大忙しなのでした。

というわけで、「ぶらぶら日記」は、長らくお休み、という次第にあいなったわけです。
2012年01月29日

黄門さまも読んだ古事記

テーマ:ぶらぶら日記
ただ今、S社刊『古事記1300年史(仮)』、鋭意執筆中です。200枚ぐらいの分量で、古事記受容の1300年の通史を、エイッヤと書いてしまう無謀な試みですが、いまのところ、こういうのが書けるのは僕ぐらいではないかという密かな自負もあるので、ともかく頑張っています。

先週の火曜日は、佛教大学四条センターの講座でした。タイトルは文字どおり「古事記1300年の謎を探る」。第一回目は「古事記成立の深層」。

四条センターの教室は150人がいちおうの定員なのですが、なんと今回は240名もの方が聞きにきてくれました。感謝! 職員の方は、あちこちから椅子をかき集めてきて、なんとか教室のなかに皆さんが座れるようにしてくださいました。こちらも感謝!

しかし超満員の教室は、熱気がすごく、酸欠になりそうでした。

資料として、和銅五年の「成立」から平成24年までの「古事記1300年史・刊行予定」までの(笑)「古事記関連年表」を作っていきました。中世の真福寺本のこと、宣長のことや近代のチェンバレンについての概説から始めたのですが、さてここで、一般には知られていない、「へぇ~」の話題。

江戸時代の宣長の『古事記伝』は有名ですが、宣長の前に古事記研究をした、ある有名人がいます。それは誰でしょう。日本人ならば誰もが知っている、つい最近までテレビにも出ていた…、そう水戸黄門です。黄門さま、すなわち徳川光圀は、水戸藩で「大日本史」を編纂するという、いってみれば藩全体が歴史研究所みたいなところですが、そのなかで、光圀は、そうとう深く古事記の研究をしているのでした。

とくに当時出回っている、寛永版古事記という印刷された古事記の誤りを指摘して、また内容についてもいろいろと注釈をしているようです。彼の校訂した古事記は「義公本古事記」として、昌平坂大成殿に奉納され、現在は内閣文庫に所蔵されているのでした。

黄門さまは、伊勢神宮にもお参りして、外宮の禰宜で、これも古事記の研究者として有名な出口延佳を訪ねて「神代の事跡」についていろいろと質問をしています。

日本全国を旅した黄門さまとは、じつは「大日本史」を編纂するうえで、諸国の古書を探し、また各地の知識人に教えを乞うている「史実」の反映なのかもしれませんね。これはまったく僕の空想ですが。

さてこの黄門さまの古事記のこと、僕の『古事記1300年史』の本にも出てきます。

それにしても自分が書く本のなかに、水戸黄門が出てくるとは…。やはり古事記はすごいですね。いゃ、黄門さまも凄い!

Amebaおすすめキーワード

    1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
    アメーバに会員登録して、ブログをつくろう! powered by Ameba (アメーバ)|ブログを中心とした登録無料サイト