『重度のアトピーや精神分裂病へのEM−Xの効果』

                               
すずかけ台診療所 
                                 院長 下浜 紀子
目次

1.波動計測器LFAを治療に応用する
2.幼少時からのアトピー症状が軽快した(症例1.女性)
3.あらゆる治療法の後、エネルギークリームで改善された(症例2.)

4.きれいな皮膚ガ戻り、夜も眠れるようになった(症例3.女子・小学5年)
5.精神分裂病が改善(臨床例4.33才・男性・無職)

1.波動計測器LFAを治療に応用する

私が現在治療に取り入れている、波動値の高いクリームやEM−]に出会う事になったきっかけは、娘が生後まもなく脂漏性湿疹といわれ、以来ずっと重症アトピー性皮膚炎に苦しんでいたといういきさつがあります。

そのためか、私自身は精神科出身で、皮膚科の専門医ではありませんが、紹介されて来院されるアトピーの患者さんは重症が多く、大学病院を受診するとすぐ入院を勧められるような方たちです。

新しい治療に対する希望、今まで何をやっても治らなかった不安や不信感を持つ患者さん一人一人に、診療時間内に納得のいく十分な説明をする事は、困難というより不可能なため、月にl回セミナーを開き、波動計測オペレーターの方に協力していただき、我々の身近にある水や食品・洗剤、電磁波公害で問題となっている電子レンジなどが、電磁場情報の側面からみるとどんな存在なのか、デモンストレーションを通して理解を深め、納得した方に治療に取組んでいただくようにしています。まず波動と波動計測器のごく簡単な説明、そして治療への応用について説明していきたいと思います。私たち人間をはじめ、自然界に存在するものは、すべて固有の情報をもっています。その情報は、きわめて弱い電磁場として存在しているのです。それが、「波動」なのす。

もちろん同じ人間同志でも人によって、波動は違います。また、卵やにんじん、水にも波動があるのです。波動は目には見えません。しかし、測定することは可能です。

では、目に見えない波動をどうやって測定するのでしょうか?そこで、波動計測器が登場します。この器械は、測定対象物の生体への影響を数値に置き換えます。たとえば、免疫、ストレス、アレルギー、肝臓、心臓、肺、腎臓、胃、皮膚、アトピーなど、多岐にわたる検査項目に分けて、波動を調べることができるのです。数値は、マイナス21からプラス21までの42段階に分かれています。プラス21が最高数値で、マイナスに近づくほど波動が低い(人の場合は身体に何らかの異常がある、又は生体に対して何らかの問題がある物質)といえます。

私のアトピー治療にもこの波動計測器を活用しており、患者さんの波動計測をします。アトピー患者さんは、だいたいの検査項目において、マイナスの数値が出るようです。

波動が高いエネルギークリーム(オリーブ油を原料としたクリームにEM−]、他を混ぜ合わせて作った当院オリジナルのクリーム)など用いて治療していく過程で、患者さんの波動の計測値もプラスに近づいていきます。

ではアトピー性皮膚炎の患者さん3名の症例を紹介します。

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2.幼少時からのアトピー症状が軽快した(症例1.女性)

1)既往症

@幼時から湿疹のため大学病院皮膚科受診。

 頭部・頸・手首・肘窩・膝窩などに、主としてベトネべートNクリームを塗布、夏場暑くて悪化する時期は、気候・空気の良いところへ1〜2カ月間くらい転地療養したこともある。

A13歳(中学2年)で急性増悪した際、大学病院で「これを塗ればよくなる」といわれ、外来で皮膚処置してもらったステロイド軟膏が一層刺激となり、かゆみが増したという経験があり、それ以来どんなにひどくなっても、ステロイド療法は拒絶。玄米・菜食・運動療法・ハリ・漢方を取り入れた病院に2カ月問入院し、通学可能な状態になって退院したが、人と同じものは食べられず、どこへ行く時も弁当持参、常に食べ物に対するストレスが付きまっとった。

B18歳(高校3年)、恵命我神散(漢方薬の一種)服用がひきがねになって全身に爆発したように湿疹が拡がり、身体を動かすこともできずほとんど寝たきりの状態が5カ月間続いた。全身に紅斑・丘疹・小水泡・びらん・結痂・落屑の急性湿疹像と、苔癖化・湿潤を繰り返し、特に生理前と梅雨時は一段と悪化した。アトピーに効果があるといわれる様々な療法・健康食晶・浄水器・健康磁気・入浴剤・ハリ・波動水など試したが著効なく、一進一退であった。

2)現症

 平成5年5月、磁気エネルギーについて知る機会がありそのデモンストレーションを患者自身が見て納得し、その日から治療に取り組んだ。

@磁気エネルギーの高い液

 5種類の有機特物(漢方薬)と4種類の無機物(岩石)を調合して水を溶かし、2ヶ月間養生した液。

Aクリーム

昔から皮膚には良いといわれているオリーブ油を主原料としEM−]を混入し、作ったオリジナルのクリーム。前記磁気エネルギーの高い液@を使用することによって人とよく共鳴する。

@とAを1日3回以上できるだけ回数を多く、患部に塗ることによって、10日後のMRA測定値が顕著に改善された。

併せて、磁気エネルギーの高い浄水器を取り入れ、1日1〜2?の水を飲むように心がけた。

3)自覚症状の改善

@全身どこもかしこもかゆいという状態から、かゆい箇所が限局した。

A入浴後の皮膚が破裂しそうなつっぱり感がゆるやかになった。

B自分ではあまり良くなったという気がしないが、人には「良くなった」と言われるようになった。

1カ月後、一番気になっていた顔・頸・手・足の見える部分の赤味がうすれて、今までどうしても消えなかった急性期の湿疹像(小水抱・びらん・湿潤)を繰り返すことがなくなり、皮膚の肥厚・色素沈着・落暦が目に見えて縮小し、なかなか生えなかった眉毛やまつ毛が生えてきた。3月後の8月頃から何年振りかで人間らしい表情になり、逆転していた睡眠覚醒のリズムが改善され、集中して自分の身のまわりの事ができるようになった。

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3.あらゆる治療法の後、エネルギークリームで改善された(症例2.)

1)既往症

生後3カ月から頼に湿疹。その後肘富にも発疹が出て、中学まではアレルギー性結膜炎やアレルギー性鼻炎も併発したが、アトピーはそんなにひどくなかった。

13歳から額にかゆみが出始め、以後3年間皮膚科でステロイド剤が投与されたが治らず、いろいろと治療を試みた。クロレラ療法、食事療法(8カ月間厳しい食事制限をして、体重が3キログラム減、無月経になったこともある)。平成3年2月から民間療法を行ない、12月末に異常に悪化し、発熱、皮暦の膿痴疹出現、浮瞳、無尿となり、溶連菌感染による急性糸球体腎炎と診断され、平成4年1月14日から3月14日まで、某病院に入院。

退院時、腎機能ほぼ改善。腎生検でもたいして所見がないが、予後判定の為、6カ月後に再度生検を受けるように勧められた。以後民間療法は絶対にやめて、某大学病院の皮膚科を受診するように紹介状を持たされて退院したが、大学病院に行けば、再びステロイド療法に逆戻りすることになると悩んだ挙句、当院で経過を見てはしいといって来院した。

その後も、皮膚症状が改善されぬがまま、整体や塩もみ療法を試みる。病気が長期に渡っていることも手伝って、性格が自己中心で一層わがままになり、こんな体質に産んだ親が悪いといって、母親に当たったり、かゆいといって泣きわめいたりするため、家族がいつも患者の顔色をうかがい、振り回されている毎日だった。それでも、ギリギリの出席日数で高校は何とか卒業し、平成5年4月に短大に入学した。

2)現症

平成5年56月29日からエネルギークリームの塗布開始。全身にアトピー性皮膚炎が出現しているが、特に顔、頚、鎖骨、肘は湿潤、結痴、乾燥、落屑を繰り返し、赤みが強いため、当分学校を休むつもりで来院したが、新しい療法に取り組むことにしたため、希望もわいて、休まずに頑張って通学した。しかし、この年の夏は湿気が強かったせいもあり、調子がとりわけ悪く、学校以外は家にこもりきりだった。6カ月ほど経過して年末頃から、余裕が出てきて、学校が冬休みになると、アルバイトを始めたり、日常生活も規則的になり、病院に薬を取りに来るのも今までのように母親任せではなく、月に2回、必ず自分で取りに来るようになり、病気に対する取り組み方が変わってきた。平成6年4月から、アトピーは判らないくらいきれいになり、夏は田舎に遊びに行きたいと意欲的。家族も患者一人に振り回される生活から開放されたらしく、両親が病院に来ることもほとんどなくなった。本人はテスト前や排卵時期に右腹富、左肘、頸などが局所的に少し悪くなることがあるが、自分から「調子よいです」と明るく答えるくらいまで快方に向かっている。

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4.きれいな皮膚ガ戻り、夜も眠れるようになった(症例3.女子・小学5年)

1)既往歴

生後4カ月からアトピー性皮膚炎といわれ、近くの皮膚科、小児科を転々とした。抗アレルギー剤、漢方薬、消風散(22番)温清飲(57番)ス言イド軟膏(ベタメサ軟膏、プラペックステ−ショシ)レスタミン軟膏を投与されていた。平成5年夏には特にひどく、顔、手首、膝が悪化した。

2)現症

平成5年12月21日、免疫力を高めて治す方法を試してみたいということで来院、治療開始した。1週間で顔の赤みがうすれ、湿潤がなくなり、手や肘のひび割れが半分位までに改善され、よく眠れるようになったと患者も家族も喜んだ。しかし、正月田舎に帰って、好き放題の食事をしてから悪化。今度は全身に発疹が拡大する。もともと悪かった部位(肘罵、膝窟)は掻破により、痛くて屈伸ができない位になった。結局、波動計測器の計測値が物語っている如く、平成6年10月頃までは、はぼ全身に発疹が出たり引いたりしているが、ひどくきれいになる時期を何回か経験しているせいか、家族も諦めずに本人を励ましながら、納得して取り組んでいた。その甲斐あって、平成6年11月から全体に好転。顔はほとんど赤みもなく、躯幹にも四肢にもきれいな皮膚がたくさん出現した。膝窟のケロイド状にもり上った疲痕も平坦になって、夜も眠れるようになり、学校の行事もほとんど欠席することなく、参加できるようになってき

3)考察

この病気は命には別状はないものの、経過が長く、特に幼児期または小児期までに治癒しなかった場合、思春期以降20歳代も病気を引きずっていることが多く、性格も変わってしまうと感じた。集中力に欠け時間にルーズで責任感がなくなる傾向があり、本人にとっても家族にも厄介な病気である。

それに較べて3カ月〜6カ月で発病した乳児の場合、かなり重症でも患児の持つ免疫が高く種々のクスリ、特にステロイドを塗るようなことがはとんどないということもあって、治り易いという印象を持った。

比嘉先生が例え話でおっしゃるように、無農薬・無化学肥料・除草剤を使わない土にEM菌をまぶした生ゴミ肥料を埋めていくと非常に早く改良される。これに反して長年農薬を使用して沢山の化学腕肥料を施した土が快復するのには、同じEM菌ばかしあえを使用しても3年かかるという話と共通していると感じた。

に免疫が「6」だった花が4カ月で「18」まで上がっていくのを経験しました。

病気を治すとき、3つのポイントを強調しています。

@自分が病気を治すのだという積極的な取り組み方が大切だと痛感しています。そのために納得がいくようにデモンストレーションの機会を設けて、EMで取り組んだ無農薬の食品を紹介したり、身体の源「食」を見直す機会にしています。また、自分が病気を克服して何をやりたいかという目標をしっかりと持つことも大切です。

A自分の場を良くしていくこと。その一環として自然環境を良くする努力をする。誰にでもできる、生ゴミを捨てないでぼかしあえを作り土にかえしていくだけで、土や草木に良い事をしているというやさしい気持ちや喜びが自然治癒力を一層高めてくれるはずです。電子レンジの電磁波やテレビの波動は免疫を落とすから避けるように指導しています。

B残り3分の1は医師や薬、又、両親の協力も大きな支えですが、これらの人達への感謝の気持ちが表現できるようになると「プラスα」の素晴らしい力になります。

自分が治ったら、それで終わりというのでなく、同じ病気で苦しんだり、悩んだりしている仲間を励まし、力になってあげることも忘れないでください。症状が改善すると、人のために、また、自然や環境のために何かしようという余裕が出てきます。この気持ちが活き活きと楽しく生きる源となると話しています。

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5.精神分裂病が改善(臨床例4.33才・男性・無職)

1)生活史

2人兄弟の長男。日本のアメリカンスクールで小学校〜高校まで終業後、渡米して、カリフォルニアにある某大学を卒業。その後、現地の旅行代理店に2年くらい勤務していた。

2)既往歴 なし

3)現症歴

昭和61年(24歳当時)アメリカの職場から、「狙われている」「死にたい」と度々日本に電話がかかってくるようになったため、すぐに帰国するよう、促した。帰国時、幻聴があり、自分から受診を希望し、某大学病院を受診した。

1年くらい、一人で通院していたが、処方されていた薬が合わず、昭和62年(25歳当時)に他の大学病院に転院し2〜3回通院したが、その薬も副作用が強くて、やめてしまった。

その後、一時的によくなって、別の会社に4カ月はど勤務したことがあったが、非常に緊張して帰宅して以後、独り笑い、独り言、家族との会話もなく、昼夜逆転の生活がはじまり、平成6年10月12日当院初診までの約4年半、自閉的な生活が続いた。

4)初診

平成6年10月12日に両親に無理やり連れられて来院。頭髪もヒゲもボウボウに伸びたままで、緊張した硬い表情。視線をそらしてうつむき、自分からは話をせず、こちらの質問に答えるだけ。過去2回、病院受診しても、症状改善がなかったため、医師(薬)不信が強いという。

5)診療経過

軽い向精神薬、睡眠薬を投与しはじめて、1カ月くらいで質問に対する返事が早く返ってくるようになり、幻聴があることを認める。硬い表情ははぐれて、家族と話をしたり、食事も一緒にするようになった。

4カ月後(平成7年2月)には、好きな番組があるとテレビをみたり、声を立てて笑うようになり、日によって40〜50分程度散歩することもあった。

6カ月後(平成7年4月11日)、たまたま母親の腰痛に勧めていたEM−Xとエネルギークリームを、自分も試してみたいといって、使用開始した(EM−Xの1日量は5〜6CC程度)。飲んだとたんに額がゆるみっ放し、朝が起きられるようになったといい、この頃から幻聴はなくなり、疲労感、倦怠感、日内変動が比較的軽くなった。

平成7年5月23日にはじめて患者一人で診察室に入ってくるようになった。以後、受診時には現状況を自発的に述べ、「運転免許をとりたい。そのためにアルバイトをしたい」といって、8月から道路工事安全員のパートをはじめた。当初は、不安やイライラ、人の視線が気になる。身体中が痛い、と今にもやめてしまいそうな日調だったが、1週間に2〜3回を続け、11月には週に5回まで増やして頑張った。

6)考察

昭和61年(24歳当時)アメリカ存住中に発症した精神分裂病。発症当時、幻聴、妄想(迫害念慮)などを伴い、帰国後、大学病院を受診したが、通院中断。

昭和63年(26歳当時)から家に引きこもり、自閉的生活。平成6年の初診時は、おそらく幻聴も続いていた様子で、慢性化、固定化した状態像を呈していたが、向精神薬が著効。疎通性が改善され、4カ月後くらいから、徐々に自発性も出てきて、テレビを見て笑うなど、感情面で改善もみられた。

この状態に平成7年4月からEM−]、エネルギークリームを併用開始。

40〜50日目頃から、症状の好転がみられ、倦怠感・易疲労・目内変動などの症状にも有効であった。これは、EM−]には運動亢進作用、精神賦活作用、感情調整作用など、「抗ウツ作用」同様な作用があるものと推定され、さらに、効果発現が早く、その作用力も大であるとするならば、今後、精神分裂病、難治性遷延性のウツ病などの治療への可能性も期待される。今後、症例を重ねて、検討したい。

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〔EM−Xを考える会編「医学大革命・EM−X」2000年8月12日 第5刷発行
                         (株)メタモル出版〕より