諸行無常のMistySky
大変ご無沙汰しておりました。
気がつけば今年もあと僅かです。
経済成長が終わり、社会が完全に成熟・飽和してから20年。
日本の経済性成長率は、戦後図ったかのように約20年ごとのスパンで大きく変化してきているというから面白いものです。
1956〜1973年:平均約9.1%(現在の中国程度)
1974〜1990年:平均約3.8%(選択と集中により全てが高度化)
1991〜2009年:平均約0.8%(経済活動を基板にした社会が完成)
よく、「右肩上がりの時代が終わって右肩下がりになった」などという方がいますが、これは間違いですね。
正しくは、「右肩上がりの時代が終わってほぼ横一線になった」という感じでしょう。
確かに相対的に見れば下がっているような「感じ」もしますが、ただ横ばいになっただけです。
そして、世界でも類稀な、著しく豊かな成熟社会が出来上がりました。
このグラフを見て分かるように、これ以上の経済成長はありえません。
ここから先20年は、順当にいって「0%成長」の時代です。
これは、いよいよ出来上がった環境を「味わう」ことができる時代が到来したとも言えます。
先人たちが耕してくれた大地にはたくさんの実がなり、僕たちは(もちろん有限な)それを美味しくいただきながら、新しい時代を描いていくのです。
もちろん、このように著しく成熟した社会環境では、価値観は多様化し日々の変化は激しくなるばかりで、「安定した何か」はもう求められないでしょう。
そんなものはもともと幻想でしか無かったのですが…。
しかし、それを「混迷」などとは呼ばないはずです。
それは、自らを全知全能と勘違いした人類の愚かなるおごりでしょう。
全ては絶えず遷り変り、日は昇り沈むこと、そして僕たちがいつかは死にゆくことの他に、「確かなこと」などありません。
それでも僕たちは新しい時代を迎えられる。
しかしそれこそが、我ら人間の本来の生き様。
そう、僕たちはここからあらためて【諸行無常】を生き抜くていくのです。
それは、ようやくごまかしのない(ごまかせない)、そしてまやかしのない(まやかせない)真理の世を生きていける、ということでもあるのです。
全てのビジョンは、自ずから目の前に現れる。
そして、自分自身もあなた自身も、ただそこに現れる。
ある日の空のように。
はっきりとはしなくても、確かにそこに。
あとは、ただそれを強く抱きしめられるかどうか…。
僕たちは、諸行無常のMistySkyなのです。
※「若新ワールド」は年末年始でリニューアルいたします。ご期待ください。
2011年12月26日
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| スペシャル
地に舞う孤高の堕天使
ご案内させていただいておりましたとおり、先週末は群馬県「星の降る森」にて行われた野外フェスティバルのステージに出演しました。
若新は、ただの素人がプロのアーティストに続いてステージ上で「なりきる」というまさかの自己陶酔企画を担当。
楽曲は全て、来場者のほとんどが中高生当時にMステのランキング等で確実に耳にしていたであろう、90年代後半から2000年前後にヒットしたJ-POP・ROCKやアニソンたち。
イントロだけで懐かしさのあまり胸躍る楽曲のランナップに加え、若新をはじめとした「なりきりアーティスト」たちの啓かれた自己陶酔によってプロを凌駕する盛り上がりと一体感が生み出されたことは、その場に居合わせた者を証人として図らずも史に刻まれたのです。
さていつものことながら、表向きは歓迎されつつも、最後そこに歓声が響くまではどこかで「色物」であり「付帯物」とも扱われ、一抹の寂しさを抱えて舞台を待つことになります。
それは致し方ないことでもありながら、それを昇華させる場所も舞台の上にしかありません。
時に備え、影で己の舞を見直す堕天使の姿は誰も知らない…。
【堕天使】
高慢や嫉妬がために神に反逆し、罰せられて自由意志により堕落した天使
2011年10月01日
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| ダイアリー
野外フェスに出演します
台風が過ぎて涼しくなりました。季節が移り行くのを感じますね。
さて、今週末に群馬県のキャンプ施設「星の降る森」にて行われる野外フェスティバルのステージに出演します。
若新が参画する趣旨は相変わらずで、プロのアーティストに混じって自己陶酔好きの素人が「なりきる」というもの。
これは社会人3〜5年目の友人たちが中心となって運営するフェスティバルで、
・みんなで創る
・本当にやりたかった文化祭
というコンセプトに基づいており、ただの自己陶酔好きの素人がプロに混じって「なりきる」というのは、まさにこれ以上ないハマリ企画だと自賛してやみません。
我々は何をもって「アーティスト」たるのか?
全ては思い込みの問題です。
「なりきる」力が個を育み、いずれは世界を救う日も近いと確信する今日この頃でした。
2011年09月22日
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| ニュース
季節が過ぎるということ
お約束どおり、昨日の投稿に続き夏の終わりに滑り込みで更新です。
この夏も色々なことがありましたが、季節や年月が過ぎていくの数えるのはなぜこんなにも切ないのでしょうか…。
若新はことさら、過ぎ去った日々を想うとあからさまに大げさに「自己」を感じます。それは“執着”と言っても過言ではありません。
これは香港の夜景。8月の頭です。
若新の中での香港(の思い出)は、もはやこのフォトショップで加工した写真が象徴です。こうして若新の思い出は加工され美化されていくのです。
これは隅田川の花火大会。
幸運にも、立入制限区域の打上げ場前から優雅に観覧。
しかし、ずっとカメラのファインダー越しで、どんな空にどんな花火が打上がっていたのか、PCに保存されたデジタルデータからでは、実はよく分かりません。
夏の終わりを追いかけ、大好きな友人たちと九十九里へ。
これは早朝の浜辺。
波の音は自然界の不規則さに溢れ、とにかくすごく心地よかったのですが、それが手元には残せないからこそ、また行きたい、そして明日も生きたいのかもしれません。
そもそも、季節も年も月もそして時間すらも「設定」しなければ、なんとなく陽が昇り沈むだけで、いつかは訪れるであろう死にむかいつつも、もっと素直に刹那を生きていけたのかもしれません。
そして、目の前に広がる景色も、ただ、移ろいでいくだけのもの。
その瞬間に感じることが全てなのです。
僕たちははたして、何を記録したいのか。
そして、何を記憶したいのか…。
2011年08月31日
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| ダイアリー
窓なき夜に咲いた浴衣
大変ご無沙汰してしまい申し訳ありません。
ここのところすっかりfacebookにハマってしまい、ずいぶんと更新を怠ってしまいました。8月も終わり目前で、慌てての更新です…。
(明日も更新します!)
さて、まずはこの夏の頭に開催した「若新ナイト☆浴衣スペシャル2011」。
真夏の夜、窓一つない新宿のバーに色とりどりの浴衣が咲く景色はなかなかでした。
しかし、この「浴衣スペシャル2011」はスケジュール的な問題もあり、なかなか集客に苦戦したのであります。
ちなみに、若新ナイト☆は企画・運営、司会・進行、そして集客・出欠確認までが若新の担当。
一週間前あたりから毎晩友人に「今度の若新ナイト☆だけど!」といって電話するのは、なかなか切ないものがあります。
皆さまも想像してみてください。
自分の苗字が冠になったイベントを毎夜電話で呼びかけるのです…。
まぁ、自分自身を取り出して付き合っていくことを決めた以上、これはもはや宿命ですね。
それが若新ワールドなのであります。
2011年08月30日
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| 若新ナイト☆