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できごと
【橋下徹研究】第2部 YES MY LOVE(1)負の遺産
表舞台に出ることはほとんどなく、文字通り「内助の功」として府知事を支える彼女は、高校時代の同級生でもある。2人が付き合い始めたのは橋下が1浪後に進学した早稲田大学1年の夏のことだった。帰省中の橋下と、当時神戸の女子大の2年生だった彼女の定番のデートコースが箕面へのドライブだった。
橋下は雑誌「Kamzine」で、その思い出を次のように語っている。「目前には箕面の夜景。車の中で、いつも2人で聴いていた曲は、矢沢永吉の『YES MY LOVE』。ファーストキスのときも流してました」
約20年前、箕面周辺はバブル経済の余波もあり、現在のグリーンロード入り口付近には流行のレストランやカフェが並び、学生らで賑(にぎ)わっていた。「金がなくて親の車でデートしていた」と話す橋下も、背伸びしながら、そうしたごく普通の青春を送った若者の一人だったのだろう。
知事就任後は現地の「開発継続」に踏み切ったものの、出馬の1年ほど前には、ずさんな開発を追及したテレビ番組で、私憤にも似た発言を繰り返していた。「トンネル建設で、妻との思い出の場所がなくなってしまった」「こんなもの(分譲地)は、府の役人に責任をとらせて買わせるべきですよ」
◇
箕面森町の開発計画が発表されたのはバブルが終わりかけた平成3年。そのツケは今、全く責任のない橋下ら次世代に回ってきている。ただ、無駄なハコモノや閉鎖的な教育行政を一刀両断にしてきた橋下からすれば、大規模プロジェクトの後始末に関しての発言はいまひとつ歯切れが悪い。
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