辛格浩ロッテ会長、文学徒から半世紀で40兆ウォンのグループに育成(1)

辛格浩ロッテ会長、文学徒から半世紀で40兆ウォンのグループに育成(1)

2009年05月11日17時09分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  辛格浩(シン・キョクホ)会長は1940年代、無一文で日本に渡り、半世紀で40兆ウォンのグループを築いた。 90歳を目前にした現在でも‘青年・辛格浩’の熱情が感じられる。

  辛格浩会長は今年88歳。 国内の上場企業代表取締役のうち最高齢CEOだ。 辛会長は現在も1カ月間隔で韓国と日本を行き来するシャトル経営をしている。

  奇数月には韓国に滞在しながら、韓国ロッテの30余系列会社の経営現況について報告を受ける。 業務報告は朝早くから午後遅くまで一日に1-2社ずつ順に行われる。土曜日も例外ではない。

  ロッテグループの関係者は「月別実績からマーケティング戦略まで細かく報告を受ける」とし「過去の各種数値を正確に記憶して質問するため、系列会社の代表はうろたえることも多い」と語った。

  辛会長は22年10月4日、慶尚南道蔚山(キョンサンナムド・ウルサン)で5男5女の長男として生まれた。 青年の辛格浩は42年、関釜連絡船に乗って日本に渡り、新聞・牛乳配達などをしながら文学徒の夢を抱いた。

  早稲田大に通った辛会長は、日本人の友人の勧めでカッティングオイル生産工場を設立し、事業家の道に入った。 爆撃で工場は全焼したが、崩れた軍需工場で石けんを作って再起した。

  辛会長の事業的な才能が表れ始めたのはこの時からだ。 米軍が駐屯しながらガムが人気を呼ぶと、辛会長はすぐにガム事業に飛び込んだ。 風船ガムは飛ぶように売れた。 こうしてにロッテが設立された。

  辛会長が日本で成功を収められたのは誠実さと信頼感があったからだ。 創業の初期、辛会長の誠実な性格を信じて5万円を出資した日本人投資家は、稼働前に工場が爆撃で灰になっても辛会長を最後まで信じたという。 当時、会社員の平均月給は80-100円程度だった。

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