「日本国憲法」、公民教科書、歴史教科書

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<<   作成日時 : 2012/04/08 17:42   >>

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  ○愚痴……寒い

 4月に入って、もう8日も経った。ともかく、体が辛くてかなわない。寝たり起きたりの日が続いている。別に風邪を引いたわけではない。毎年のことだが、3月初旬から4月中旬までは、体を整えるのが大変である。
体が寒い。背筋が寒い。起きていても、元気が出ない。今年はいつまでも寒いから余計にそうである。
 
普段から、毎日2回から5回ほど昼寝をしながら、仕事をこなし、少々研究を行い、文章を書いてきた。昼寝をしないと首が持たず、頭が働かない。しかし、昼寝をすると、人の半分ほどは働ける。それなりに気力もわき、頭も回転する。
 
ところが、春はそうはいかない。2〜3年に一回ほどだと思われるが、全く動けない日が2、3日続く。気分がいいか悪いか、悪いことがあったか否か、そういうことは関係なく、すさまじく寒くて横になり続ける。

今年は全く動けないという日はなかったし、それに近い日は3月初旬の2日間だけであった。だが、そうであっても気の量自体が著しく減退してしまったように感じる。ともかく、背筋が寒い。カイロを貼ってもどうにもならない。冬の寒さにはカイロは効くが、春の寒さには効かない。

○『戦後教育と「日本国憲法」』

何度も横になりながら、仕事をこなし、少し研究をするという生活が、平成4(1992)年以来、20年も続いている。首自体は、いつ、なぜ痛めたのか分からないが、平成元(1989)年以来、治療を続けてきていた。首の痛みや肩の痛み自体は軽減していったが、平成4年3月、体全体にエネルギーが無くなり、元気を失ってしまった。特に首を支えるのが非常につらくなり、日に何度も横になるようになった。平成4、5年頃から10年間ほど、仕事をいつまでできるだろうかと思いながら、勤めてきた。特に最悪だったのが、平成5年、6年の頃である。この頃は、横になっている合間に起きて活動するという感覚だった。何とか、ある程度活動できるようになったのが平成7年だった。当時の事を思うと、よくここまでやってこれたなとつくづく思う。世紀の入れ替わる頃になって、体との付き合い方が分かってきて、週2回の治療を受け、ともかく何度か横になるという形で、ここまでやってきた。

そう言えば、平成4年の4月、『戦後教育と「日本国憲法」』(日本図書センター)の原稿をほぼ完成させているから、その直前に元気をなくしたことになる。この年の夏、本の校正や索引づくりをしたが、本当に辛かったことを今も覚えている。

『戦後教育と「日本国憲法」』は、私が初めて著した「日本国憲法」無効論の本である。(ところが、南出喜久治氏によれば、少なくとも1990年代の私は無効論者ではなく無効論の紹介者にすぎないという。5年前にこの言説を目にしたとき、驚きあきれるとともに、まともに相手に出来ないなと思ったことを覚えている)。既に春には原稿が出来あがり、夏には校正までしていたにも関わらず、しかも12月には本が出来上がっていたにもかかわらず、日本図書センターはなぜか出版しようとはしなかった。奥付は1992年12月となっているが、実際に世に出たのは、平成5(1993)年の3月だった。図書センターは、本の新鮮さが無くなった6月頃からは一応の宣伝をするようになったが、出た当時は宣伝を一切しようとしなかった。今、思い出しても、おかしな話である。ちなみに、南出氏が最初に無効論を展開した著書も、平成5年の12月であった。氏の本を知ったのは、氏から本が送られてきた平成7年頃だった。私と同じ戦後生まれが無効論を書いたことを知って、少しは孤独感が薄らぎ、嬉しく思ったことを覚えている。氏も同様の想いをしたようだ。

拙著の刊行後、書評は一切出なかったし、学界からも言論界からも完全に黙殺された。正確な年月を忘れてしまったが、平成7年から10年ぐらいの間の一時期、無効論の論文を多くの保守系雑誌に送ったことがある。だが、なしの礫に終わった。平成12(2000)年に国会に憲法調査会が設置された際にも無効論の論文を起稿し『正論』に投稿したが、このときも無視された。無名の学者で、かつ文章も硬くて雑誌向きではなかったからでもあろうが、時代思潮にも合わなかったのであろう。

○体を壊したことによる幸い

話しを元に戻すと、体を壊したことは、必ずしも悪いことばかりではない。ともかく、できることが人の半分程度に限られてくるから、いろいろなことを捨てて、自分のしたい事、すべきことに集中しなければならなくなる。すると、アカデミズムにおける上昇志向や出世欲が無くなってしまう。あるいは、世の中や言論界に受け入れられるような論文を書こうといった雑念も基本的に消えてしまう。要するに、出世欲等の利己心に邪魔されず、真実を追求するという学問の本旨を貫きやすくなるのである。

続けると、仮定の話を考えるのは空しいが、私が体を壊さなければ、無効論を20年間展開し続けることはもっとしんどかったと思われるし、それ以上に「つくる会」の運動を支える言説を展開し続けることは出来なかったとも思われる。

この数年間の経験で分かったことは、理論的にはもちろん無効論は「つくる会」の主張より過激なものであが、実際上、戦後レジームにとっては、「つくる会」の存在の方が無効論よりも許せないものであり、過激なものである。「つくる会」が作っている教科書は、ちっとも過激なわけではないにもかかわらず、である(正確には、自虐5社の教科書の方こそ、常軌を逸した過激な反日原理主義に染まっているというべきである)。

そのことは、改善の会の方がかえって多数の「日本国憲法」無効論者を抱えているにもかかわらず、改善の会が支援した育鵬社教科書が「南京事件」を認め、愛国心も展開しない、保守とは言い難い教科書になってしまったことに端的に現れている。結局、重要なのは、精神であり、〈志〉であるということになるのであろう。



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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
先生のお体が丈夫でないことは知っていましたが、どうか合間合間に休憩しながら、長く活動を続けてくださいますように・・・・。先生は修道士のような印象です。長い目で見れば、結局その場限りのことは淘汰
され、本当の志を持ち、真実を語ることが大切だということが分ります。
okusama
2012/04/10 15:46

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