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アニメ監督・演出家で制作会社アートランド会長の石黒昇さんが2012年3月20日、病院で亡くなりました。享年73歳です。 代表作は『宇宙戦艦ヤマト』、『鉄腕アトム(1980年版)』、『超時空要塞マクロス』、『メガゾーン23』、『銀河英雄伝説』、『タイタニア』と、いずれも心に残る名作ぞろいです。 氷川にとっても石黒さんは、アニメの世界をより深く好きになるきっかけとなった恩人でした。まだ高校生のころの1974年末、練馬区の桜台にあった『ヤマト』の制作現場に出向き、演出ルームで初めてお会いしたときの人なつこい笑顔はいまでも心に強く焼きついています。 特に自分的に衝撃だったのが、「エフェクトアニメーション」という分野の紹介でした。もともと石黒さんが「アニメーションをやりたい」と思ったのは、ディズニー長編『眠れる森の美女』だったと言います。そのディズニーには伝統的に「エフェクトアニメーション」というクレジットがあり、キャラクター以外の波、炎、雷鳴などの自然現象の専門部署が作画しているわけです。エフェクトの多くは不定形であり、キャラのように設定書にもどづいて描くものではなく、自由なかたちが許されます。同時に物理化学などの法則に基づく挙動があるので、精密な観察眼と分析力、そしてアニメーションとしての表現力が三位一体とならなければ成立しません。 そしてエフェクトの中でも、大波や火山噴火などスペクタクルとして「華」になるものとして丁寧に描けば、映画自体もリッチになる。これは実写の世界の「特撮」と同じ位置づけにあります。デジタル映像時代では「VFX(視覚効果)」とも呼ばれていますが、この「FX」は「エフエックス=エフェクツ」という音読みから来ていることを考えても、ほぼ同じポジションと思ってもらってよいわけです。 こうしたことは後にいろいろと研究を深めての理解ですが、その入り口にあたるるのアウトラインを石黒さんは教えてくれました。それと同時に、自分がなぜ『ヤマト』を特別な作品と思ったのか、その理由も分かったのです。実写の映画やテレビでは「特撮」の仕掛け、トリックのある映像が大好きだったわけですが、それと同じものがアニメの世界にもあるんだということです。 (C)手塚プロダクション (C)1982 ビックウエスト 『ヤマト』では発進シーンで大地が割れ、岩塊が飛ぶ中、巨大ミサイルを迎撃すると画面全体が轟然たる爆煙で埋めつくされるといった超スペクタクルシーンが観客を興奮に引きずりこみます。それはエフェクトの考え方がつくりあげたものだったのです。 そして石黒さんは無類のSF好きでもありました。それゆえに意気投合したところがあります。SFアニメとは、宇宙とか未来とか超能力とか、単に設定が非現実なものというだけでは不足です。物語世界の構築がSFの作法にのっとって理詰めのルールである必要があります。エフェクト作画にしても科学的に正確であるだけでは不足で、発想自体にどこか飛躍したところがないと快感に結びつきません。 『ヤマト』にはさまざまなSF関係者も多数参加していますが、最終的な画づくり、ビジュアル面で「SF的な語り口」を獲得していく上では、映像を演出している石黒さんのSFマインドあふれる発想力があったからこそ、あれだけの大きな作品になり得たのだと確信しています。やはり自分のすべてが、あの時代に石黒さんと語らったことに直結していて、あれがルーツだったのだと思います。 そしてこの「エフェクトアニメ」の連なりは、人から人へと受け継がれていく。その人を見出し、育てて流れをつくりあげたことも、石黒さんの大きな功績です。『超時空要塞マクロス』の板野一郎氏による「板野サーカス」もそのひとりですし、同作で原画デビューした庵野秀明氏も同じマインドを受け継ぎ、やはり「エフェクトアニメ」が華となる作品をつくりだしていきます。『新世紀エヴァンゲリオン』へとつながる系脈も、石黒さんがルーツなのです。 そうした源流となる時代、当時10代後半から20代前半だった若者のひとりとして、石黒さんの大きなマインドに触れたことは、人生最大級の糧となっています。その感謝をこめて、旅立ちを見送りたいと思います。ありがとうございました(一部敬称略)。 (C)田中芳樹・徳間書店・徳間ジャパンコミュニケーションズ・らいとすたっふ・サントリー (C)田中芳樹・タイタニア26パートナーズ