「重大な決意を持って臨む」。消費増税法案に関し、野田佳彦首相は党首討論で声を荒らげた。今さら何を言うのか、と思う。政治家の言葉の軽さにうんざりし、財務省と一体化したかのような政権運営に不安が募る。官僚OBが財務省の「マインドコントロール」を斬る。【内野雅一】
「シロアリを退治する。そこから始めなければ、消費税を引き上げる話はおかしいんです」。民主党が政権交代を成し遂げた09年の総選挙。当時、党幹事長代理だった野田首相は、街頭演説でこう力説した。「シロアリ」とは税金に群がる天下り法人を指し、「消費税5%分の税金にたかっている」と、具体的な数字まで挙げて糾弾。民主党が掲げる政治主導の下、「官僚の言いなりにはならない」との決意がにじんでいた。
あれから2年半。政権党になった民主党は、マニフェスト(政権公約)に書いていなかった「増税」をひっぱりだし、今や「大義である」とまで言い切る。
GDP(国内総生産)の倍といわれる借金を抱えた国の財政は「何もしなければギリシャの二の舞いになる」「日本国債の暴落もありうる」とメディアも書いたりする。
だが、民主党のひょう変、野田首相の財務省代弁者ぶりを目の当たりにして、政治への信頼を失い、このまま増税路線を突き進むことに疑問を感じている国民は少なくない。
「野田首相は、消費増税しなければ財政再建ができないと、財務省に洗脳されてしまった。そう考えなければ、シロアリ発言を引っ込めたことの説明がつかない」と話すのは、嘉悦大学ビジネス創造学部の高橋洋一教授(56)。80年、旧大蔵省に入り、自民党の小泉純一郎政権時、竹中平蔵・金融・経済財政政策担当相の補佐官を務めた。
「洗脳」とはどういうことなのか。「街頭演説とか、公の場で演説する直前に、秘書官らが小ネタをメモではなく耳打ちするんです。たとえば、ギリシャは大変なことになります、このままいけば日本も同じです、と。とにかく、公の場で財務省が考えていることを繰り返し言わせるんです」
野田首相は鳩山由紀夫政権のときに副財務相、菅直人政権で財務相だった。その間、日々の仕事を通じて財務官僚との付き合いが濃密になるのは当然だが、実際にはそれ以上の関係、財務省が狙う消費増税で二人三脚を組む関係になっていったというのだ。「やり手」とされる勝栄二郎次官の影響を指摘する声もある。
高橋氏は、そもそも「増税イコール税収増」という説さえ財務省のプロパガンダという。「(消費税の)税率引き上げが税収増につながるかは経済環境次第。景気が回復していない今やれば、間違いなく経済の足を引っ張り、税収は逆に減る。デフレ対策を先にすべきです」。景気を良くして税収増を図ることが先決だと訴える。
それにしても、一国の首相をそう簡単に「洗脳」できるものなのか。「ひっかかりやすいのは、これという政策目標を持たない政治家。何もやりたいことがない時、その人は増税に行ってしまうんですよ。野田首相もそう。財務省はうまい役所ですから、増税のための資料はこれでもかというほど出してきたはず」と高橋氏。
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3月に新刊「財務省のマインドコントロール」を出したみんなの党幹事長の江田憲司・衆議院議員(55)=旧通産省出身=も、国の財政が破綻寸前だという財務省の言い分に反論する。「借金の厳しさで引き合いに出される、生まれてくる子ども1人当たり700万円の借金があることは確か。しかしその一方、500万円の預金通帳を持って生まれてくる。国には800兆円近い資産があるからだ。そこまで国民に示したうえでなければ、公平な議論とは言えません」
財務官僚には「苦い記憶」がある。94年2月、連立政権の細川護熙首相が未明会見で国民福祉税の導入を表明したものの、1日にして白紙に戻された一件だ。当時、官房長官でありながら強引な進め方に反発した武村正義氏は、後のインタビューで「(内閣支持率が高い)このチャンスに、ですね、この一番難しい課題を一気にやってほしいと、官僚の諸君はそう思ったんでしょうね」と振り返っている。
「税を担当する主税局には原理主義的なところがある。89年に導入された消費税の税率を5%に引き上げた97年当時も、財政赤字が膨らみ、法人税偏重の税制をただして消費課税を増やしていくことが基本認識だった。今も同じだろう。彼らは理屈でメシを食っていて、税制のあり方を考えれば消費税率を引き上げるしかないとなる」
旧大蔵省在籍時、主税局調査課で消費税引き上げによる経済への影響を調べた経験を持つ慶応大学ビジネススクールの小幡績(せき)准教授(44)=99年に退職=はそう話す。
増税(消費税率引き上げ)を虎視眈々(たんたん)と狙っていた財務省にとって、政権交代は、民主党という寄り合い所帯の脆弱(ぜいじゃく)性につけ込む絶好の機会だったということか。
ただ、主税畑が長いある財務省OBは、今回の違いをこう解説する。「国民福祉税の失敗はあったが、89年の導入時と97年の税率引き上げの時は増減税一体論、つまり、増税に減税を先行させることで話を進めることができた。しかし、今は財政が厳しく、それができない。社会保障との一体改革のために必要と言わざるを得ないのです」
だからこそ、財務省のシナリオ通りに事を進めるには首相の「洗脳」がぜひとも必要だったのかもしれない。
昨年、東日本大震災の復興に向けた補正予算編成が大幅に遅れた。本格的な財政支援措置を盛り込んだ第3次補正予算が組まれたのは、大震災から8カ月後の昨年11月。なぜ、こんなに遅れたか。総務相として、政権内にいた慶応大学法学部の片山善博教授(60)=旧自治省出身=がひもとく。
「早期編成に耳を貸さなかったのが、当時の野田財務相です。財源の裏打ちのないものを組むことはできない、と。そう、閣僚懇談会の場でメモを読んでいましたよ」。片山氏に言わせれば、増税のために復興を人質にとったようなものだというわけだ。そこまでするのが財務省であり、「野田さんは完全に財務省の代弁者と感じた。政治家だけでなく、学会やマスコミに対しても、財務省は折伏(しゃくぶく)に差し向ける官僚をたくさん抱えているからね」。
江田氏が断言する。「財務省は自分たちで差配できるお金(税金)をたくさん持ち、そのお金で省益を守ろうとする。そのために、官邸もメディアも占拠しようとしている。予算編成権と国税庁の査察権がそれを可能にしている」
自民党政権時代から政治家と官僚は持ちつ持たれつの関係にあった。だが「使われるだけ」では、政治への信頼は生まれようがない。
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毎日新聞 2012年4月18日 東京夕刊
「メディア・プロダクション・スタディーズ」の研究を始めた五嶋正治准教授に聞く。