中日・山本昌の2年ぶりの勝利(4月15日、対阪神)は、先発投手としての日本球界最年長記録となる白星になった。8月に47歳になる左腕は私と3つ違うだけ。ほぼ同世代の選手がまだ現役を続け、しかも8回無失点という堂々のピッチングだから恐れ入る。
広澤克実氏
■野手より投手の方が長持ちする可能性
昨季、1軍登板はなかった。この空白を乗り越えた執念と精進に脱帽だ。
週1回程度の登板とはいえ、何十球と投げる投手はあらゆるポジションのなかで、一番しんどいものと思われるだろう。
しかし、私は肉体的条件だけをいえば、一般的に野手より投手の方が長持ちする可能性があると思っている。
スポーツ選手が年を取って困るのは動体視力と反射神経の衰えだ。時速145キロの球が投手の手元から離れて打者の前までくるのに0.4秒ほどしかない。その間に打者はコースを見極め、打つかどうかを決断し、スイングしなければならない。
阪神戦で最年長先発勝利のプロ野球記録を更新した中日・山本昌(15日、甲子園)=共同
目から得た情報が脳に届くまでに0.1秒かかるといわれる。0.1秒あれば球は単純計算で4メートル進む。打つかどうか判断するのに0.1秒くらいかかるので、また球は4メートル進む。こうして投手の手を離れた球はあっという間に打者の目の前にくる。0.01秒で40センチ動き、0.001秒で4センチ動くのだ。
■打者としての限界は40歳、41歳くらいでは
このミクロ的な時間のなかでボールをミートするとなると相当の反射神経が必要で、加齢による影響は致命的になる。普通の人間の打者としての限界は40歳、41歳くらいではないだろうか。
そこへいくと投手は比較的加齢の影響が少ない。特に山本昌のような技巧派はもともと球速がない分、スピードの落ち込み方も小さいし、体さえ元気なら長持ちする可能性がある。もちろんその「体さえ元気なら」が一番難しいわけだが……。
山本昌とは彼が3年目の1986年に1軍デビューしたときから、私が辞めるまで対戦し続けた。86年のシーズン終盤のヤクルト戦で、彼は救援投手としてマウンドに上がった。そのとき彼にとって初の被本塁打となる3ランを放ったのは私だった。
現役時代の広澤氏。山本昌とは何度も対戦した
■米留学でスクリューボールという魔球を手に
デビュー当時はとにかく体がでかいという以外に特徴もなく、さほど怖い投手ではなかった。変身したのは88年、ドジャース傘下のマイナーチームへの留学で、スクリューボールを覚えてからだ。
右打者にとって一番やっかいな、外角に逃げながら沈むスクリューボール。魔球を手にした山本昌を私は打てなくなり、彼は200勝投手へと突き進んでいった。
若いときでも直球はせいぜい135、136キロくらいだったし、なぜ20年余りも打者を抑え続けられているのだろう。
この投手がそんなに打ちづらいのか、とファンの方も毎回不思議に思っているのではないか。
■打者の思い込み
種を明かそう。山本昌を打てなくしているのは打者の思い込みである。迷信といってもいいかもしれない。迷信があのスクリューを魔球にしている。
日本では小学生のリトルリーグから大学まで「左投手と対戦したら、右打者は二塁手の頭を狙って打て」などと教わる。逆らわずに右方向へおっつける、は学習指導要領に載っているのでは、というくらい日本球界では徹底されている「セオリー」なのだ。実はそこに落とし穴がある。
恐ろしいのはプロのコーチにもこの思い込みを「常識」と信じて疑わない人がいることだ。今季からセ・リーグでも採用された予告先発もあって、阪神も攻略法を練る時間は十分だったはずだが、いったいどんな対策を話し合ったのだろう。
少し話は横道にそれるが、予告先発はいい点も悪い点もひっくるめて、いわれているほど現場には影響がないといえる。予告先発がなくても、スタメン交換から試合開始までの間に、十分対策を練ることができる。そもそも予告先発をしなくても各球団はきっちり情報収集していて、相手先発を読み違えるのは1シーズンに1、2回程度なのだ、巨人以外は。
ソフトバンクの秋山監督に山本昌の攻略法を聞いたことがある=共同
なぜか昔から巨人は的中率が悪く4、5回、相手先発を読み違えたシーズンもあったと思う。その意味で予告先発を一番歓迎しているのは巨人のはずだ。
■攻略法を単刀直入に聞いてみた
山本昌の話に戻る。確か私が31歳くらいのときだったろうか。オールスターやオープン戦で対戦したときに、いとも簡単に山本昌を打つ打者がパ・リーグにいたので、私は単刀直入に聞いてみた。
「山本昌はどうやって打つんだよ?」
「え?」
相手は一瞬、ぽかんとした。「企業秘密」に属するようなことをぬけぬけと聞く私の態度に面食らったのではなかった。
なぜ、そんな簡単なことをわざわざ尋ねるのかという「ぽかん」なのだった。
「簡単だよ。引っ張れる球を待てばいいんだよ」
今度は私がぽかんとする番だ。「はあ?」
■内角球を待って引っ張ればいい
その選手が言うにはスクリューを打たなくちゃと思うと、逃げる球を追いかけてますます相手の術中にはまる。スクリューを打つという考えをハナから捨てて、内角球を待って、引っ張りにかかったら打てるというのだ。いわれてみて初めて、山本昌をカモにしている打者にはプルヒッターが多いことに気づいた。
そうか、引っ張ればいいんだ……。そのことに気づかなかった私自身、左投手の球は右方向に、という球界の固定観念に縛り付けられていたのだろう。
私の迷信を解いてくれたのは今、ソフトバンクの監督をしている秋山幸二だ。彼が監督として成功しているわけも、このエピソードで少しはわかるかもしれない。
■「結構甘い球も来ますよ」
秋山とそっくり同じことを教えてくれた打者がもう一人いる。ヤクルト時代の我が同僚、土橋勝征だ。
左キラーとして有名だった土橋。秋山監督と同じことを教えられた
野村ヤクルトになくてはならない名脇役だったが、最初は左キラーとして左投手のときだけ起用されていた。確かに山本昌を含め、よく打つ。そこで秋山に対するのと同じ質問をぶつけてみた。後輩であろうが誰であろうが、頭を下げて教わることができるのが私の特技だ。
答えは「内角の球に絞って、引っ張ればいいんです。待っていると結構甘い球も来ますよ」
その通りだった。スクリューを追いかけていたうちは140キロ超の球のように思われた山本昌の内角直球が、135キロという額面通りの球に見えた。
勝手にスクリュー投手という色眼鏡で見ていたから、わからなかったが、結局あのボールを生かそうと思えばどこかで内角を突かなくてはいけないし、その中には甘い球もかなり交じっているのだった。
■一番嫌な打者は「土橋」
野球界の迷信にとらわれていては絶対にみえない「真相」だった。もっとも、誰にでも分かる攻略法で攻略できる投手は200勝もしない、ともいえるのだが。
ちなみに後年、私が引退してから話をしたときに、山本昌本人が「一番嫌な打者」としてあげたのが、土橋だった。
2007年に私は阪神のコーチになった。「引っ張る手もある」とアドバイスしたところ、そこそこ打てるようになり、前年の06年にチーム打率1割8分7厘、1勝4敗(山本昌の防御率2.52)だった対戦成績は打率3割1分5厘、1勝1敗(防御率4.64)になった。08年は打率3割7分1厘の2勝1敗(防御率7.24)と打ち込んだ。
それにしても、いかに思い込みが野球界には多いことか。先輩-後輩というビシっとした縦社会だからかどうか、とにかく昔の人、実績のある人が言ったことは絶対で、それがいつの間にか「セオリー」として固定する。
最年長先発勝利のプロ野球記録を更新し、ウイニングボールを受け取る山本昌=共同
■慣れというものは恐ろしい
慣れというものは恐ろしい。間違ったセオリーから離れて、ちょっと発想を転換するだけのことが難しい。ひごろ人間がいかに固定観念の虜(とりこ)になっているかを実証しているのが、山本昌の投球なのだ。
何度やっつけられても、阪神のようにやられるチームは出てくる。「セオリー」に反した打撃をするには相当の勇気がいるし、失敗したときのことを考えるとコーチも思い切った指示を出しにくい。
こうして迷信は続く。そして迷信が残る限り、山本昌はまだまだ最年長勝利記録を更新する可能性があるというわけだ。
(野球評論家)
ひろさわ かつみ 1962年4月10日、茨城県生まれ。小山高校(栃木)から明大に進み、6大学リーグで4試合連続本塁打などの記録をマーク。日本が金メダルを獲得した84年のロス五輪(公開競技)の決勝で本塁打を放つ。85年ドラフト1位でヤクルト入団。野村克也監督のもとで92、93年のリーグ優勝(93年は日本一)に貢献する。95年にFAで巨人に移籍、2000年からは阪神に移り、両球団で4番を務めた。07年から08年まで阪神コーチ。現在はスポーツニッポン所属の評論家として幅広く活躍している。
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