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必読日替わりメモ 
Author's DAILY MEMO

ヒコーキ雲に対するご意見、必読日替わりメモのご感想や質問回答をメールでお寄せください。(sa@axisz.jp 冒頭にhiをつける)

勝手なお願い : インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の更新作業は早朝半眠状態の時に行うことが多くミス多発です。ご指摘を受けての修整がありますので数時間後にもう一度見ていただくようお願いします。 佐伯邦昭
日替わりメモ 4月22日 本日の更新
JA50 航空歴史館  日本の初期登録航空機全集 5000番台 5042、5046、5066、5086に各社写真を追加


 ビーチクラフトE50のステップ

 昨日に引き続き5000番台初期登録機をアップしています。その中の旧北九州空港ターミナルビル前に駐機するJA5042 ビーチクラフトE50 朝日新聞社朝雲の写真が今朝の注目点です。

 ツインボナンザE型は過給機付きのエンジンで、右主翼付根にある乗降スッテップをD型までのパイプ梯子式からボックス階段にしたのが特徴です。
  

 この階段を2個の電動モーターで出し入れするというのですが、どうやって納めるのか中の構造を見てみたいですね。 写真で見る限りでは、大男が踏んだら壊れてしまいそうな感じを受けますけど? やはり具合が悪かったのか、H50では胴体右側にエアステアを設けたということです。


 1953年頃の飛行機マニアの機関誌 頒布

  図書室T62で紹介した約60年前、日本の航空が再開された直後のマニア活動を記録する機関誌「つばさ」と「AOZORA 蒼空」の全ページ(入手できているもののみ)をCDにまとめました。実費500円で頒布しますので、佐伯までメールで申し込んでください。(sa@axisz.jp 冒頭にhiをつける)

            

 

日替わりメモ 4月21日 本日の更新
A3612-3 航空歴史館  東京都世田谷区 玉川読売飛行場の思い出   格納庫の奥からビーチクラフトC-50を写した写真追加
JA50 航空歴史館  日本の初期登録航空機全集 5000番台 5021、5022、5032、5033に各社写真を追加


 玉川読売飛行場 格納庫の奥からビーチクラフトC-50を写した写真

 逆光をものともせずこんなアングルで写すという大胆な行動をとった人は誰でしょうか。お蔭さまでビーチクラフトC50の後ろからの構造がわかりますし、目が眩む開口部からは燃料庫や多摩川土手や吹き流しも見えています。しかし、この写真で何よりも面白いのは格納庫の内部構造ですね。これだけの空間を支えるため縦横斜めに張り巡らされた梁や補強材のものすごいこと。鉄と材木の併用のように見受けますが、これなら台風が直撃しても大丈夫だったか?


  もうひとつ、今朝発表のビーチクラフトC18S 東亜航空なんぷうの写真も今や得難い風景写真となりました。

 
ヘロンとビーチがいて舗装したエプロンがありますので、第3種空港としての面目は一応保っておりますが ‥ 後ろの県営住宅との間には境界フェンスもなく、洗濯物もあって、なんとものどかなものです。滑走路は雨に煙って見えませんが、その向こうの太田川放水路堤防はまだ工事中のようです。1961(昭和36)年9月に1200メートル滑走路で開港した当時の広島空港でありました。

 

日替わりメモ 4月20日 本日の更新
JA10 航空歴史館  日本の初期登録航空機全集 飛行船 日航がG-SKSEを購入して成田でJA1003に仕立てた一連の写真


 飛行船 日航がG-SKSEを購入して成田でJA1003に仕立てた一連の写真

 30年前、日本航空は飛行船事業に本格的に乗り出していたのですね。本日発表の写真でそれが分ります。JA1003となった飛行船スカイシップ500は、イギリス  カーディングトンのエアシップ インダストリーで1983年12月に完成し、翌年1月に日航商事が購入しています。ということは、初めから日航向けに製造されたものと思われます。飛行船を運行する子会社の日本飛行船事業株式会社は、2月2日にホンダエアポートを本社として設立されています。

 G-SKSEの日本での組立は、一連の写真で分るように成田のJAL整備工場内で行われました。よく見ると、近くにガルーダのボーイング747(PK-GSC)やジェットエンジンがあったりしますので、飛行船のでっかい風袋に占領されて、旅客機の整備員たちは随分迷惑に思ったことでしょう。

 日航はJA1003の後、更にスカイシップ600 JA1004を加えましたが、思うような収益が上がらなかったらしく1996年に飛行船事業から撤退しました。日本におけるエアシップ インダストリーの飛行船は、この2船のほか警視庁がスカイシップ600  JA1006を飛ばしていました。

 エアシップ インダストリーそのものも、1989年に倒産しましたが、その技術はアメリカのウエスチングハウス社を経て、今はHybrid Air Vehiclesというとてつもない重量物を運搬できるタイプなどの飛行体に進化しているようです。


 点滅状態は一応解決

 零戦談話室の方には記載済みですが、昨日の点滅状態は次世代プラウザFirefox採用しているパソコン画面だけに現れる現象であり、通常のIE(Internet Explorer)では現れません。原因となった<blink>〜</blink>を除去しましたのでFirefoxでも解決しました。

 当方はIEなので、まさか意図しない箇所で点滅になっているとは思いもしなかったし、そもそも、点滅機能など使えないものとしてきましたので、なぜ、そのようになったのか分りません。多分、PDFファイルの中身をコピーして貼り付けた時に、何かが干渉してそうなったのだろうと想像するだけです。

 通告してくれた鷲さん、ソースをプリントして<blink>〜</blink>が入った箇所を知らせてくれた木寺さんほか皆様にお礼を申し上げます。これからも、不具合等見つけたら、即時通告してくださるようお願いします。

 

日替わりメモ 4月19日 本日の更新
JA50 航空歴史館  日本の初期登録航空機全集 5000番台  5029と5089  小倉の毎日新聞格納庫前のダブなど追加


 日本の初期登録航空機全集 5000番台 5029と5089を追加

 昨日、幸田恒弘さんが5000番台の写真を100枚ほど持参してくれました。その中に未発表のJA502
9とJA5089もあり、早速アップしましたので、これでレシプロ双発機の5100番までの登載率が93%に達しました。また、既発表分にも別会社の塗装などもあって順次出していきますが、取り敢えず、毎日新聞社のデハビランド ダブJA5005を追加しておきました。旧北九州空港の毎日新聞社格納庫がばっちり写っている貴重な写真です。

 なお、航大のJA5060スーパービーチのプロペラ2翔時と3翔時の写真もかなり前に更新をしていたのに、アップロードを失念していたらしく今朝の更新になってしまいました。不手際をお詫びします。

 不手際といえば、工学院大学隼復元プロジェクトのページが点滅状態で眼がちかちかして読みずらいという苦情が一部の方から零戦談話室に寄せられています。当方のソフトには点滅機能がありませんので、全く不可解です。

 考えられることは、プロジェクトリーダーからのPDFをコピーして貼り付けているので、そこに何か機械的な不具合が起きているのかもしれません。点滅状態になっている人は、具体的な症状をお知らせくださるようお願いします。(sa@axisz.jp 冒頭にhiをつける)

 

日替わりメモ 4月18日 本日の更新
A36351 いしぶみ 東京都府中市 白糸台掩体壕 の周辺が整備され、説明板も更新


 白糸台掩体壕  府中市の取り組みに賛同します

 三鷹市が大沢1号、2号掩体を見学観賞用に整備したら、隣の府中市も白糸台掩体壕をとても綺麗に整備しました‥ と、こういう表現をすると府中市スポーツ文化部ふるさと文化財課の皆さんに叱られるかもしれませんが、各市が張り合って(いいえ、協力し合って)戦争遺跡を国民の文化財としてお金をかけてくれることに感謝しなければなりません。

 白糸台掩体壕の説明板は、小学校上級生でも理解できるような平易な言葉と図版で説明してあり、特に感心するのは、各地の説明版によく見られる戦争反対の左翼的言辞がなく、掩体壕と飛燕に関して科学的に冷静に解説している点です。

 昨日、その意気や良し!! として紹介した工学院大学歴史的航空機隼復元プロジェクト も、戦争が科学技術の急速な発展をもたらしてきた人類の必然の歴史の中の一断面としての隼戦闘機という捉え方での取り組みです。

  殺し合いの戦争など無い方がいいに決まっていますが、備えを怠った国と人民がどのようなことになるのか、歴史をひもとくまでもなく今の日本に現実に振りかかっていますものね。情緒的、感情的な戦争や軍備反対論は、敵に利用されている非愛国者どもに任せて無視しておけばいい。

 改めて府中市や工学院大学の取り組みに賛同します。
 なお、昨日、
プロジェクトリーダーの吉田先生と書きましたが、吉田さんは2回生だということで訂正します。顧問は伊藤慎一郎教授です。学生からの提案とは驚きました。何としても実現し、成功させてやりたいです。

 

・ 勝手な推論の佐伯節

  結果論からいうのではなく、北鮮の三段ロケットが成功するわけがないと、私は初めから思っていました。日本をはじめ先進国が過去どれくらいの失敗を重ねてきたかですよ。

  それはまあいいとして、あの朝、韓国政府の発表がテレビで流れてきて、そのあとに日本国政府が発射の事実を確認しておりませんと流したのには唖然としましたね。

  これを勝手な推論の佐伯節で解釈しますと、防衛省制服組が官邸へ意識的にサボタージュをしたものと見ております。府中基地の防空指揮が横田へ移転して米軍と共同管理をしているのに、誤報かどうか確認するのに時間がかかったなんて大嘘でしょう。国防を勉強しない防衛大臣、国防予算を削減してはばからないドジョウ大臣と財務大臣への報復であります。

  某旅団で実際に聞いた話ですが、旅団の法定上の定数に対して7割くらいの隊員数で運用しているのは、志願者が少ないからではなく、毎年の予算で定員をカットされているから増員できないのだそうです。これが財務省と民主党の国防政策の実態です。

  ドジョウ大臣よ、本気で国を守る気概があるのなら、サボタージュをした自衛官幹部をあぶりだして処分してみたらどうだ。その人間が政府内部が如何にでたらめか身を持って証言してくれるだろうよ。

BOOK  航空古書提供コーナー追加  

      

     

    中国名机珍蔵、現代の旅客機、爆撃機「銀河」は終了しました

 

 

日替わりメモ 4月17日 本日の更新
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N954
表紙絵 No.204  救助コラボレーション 
ニュースフラッシュ
 2012/04/15 陸上自衛隊霞目駐屯地創立55周年記念行事
R137 調査研究コーナー その意気や良し!!  工学院大学歴史的航空機隼復元プロジェクト


 東日本大震災でヘリ部隊の拠点となった霞目駐屯地記念行事

 見た目たいへんに穏やかな基地開放風景ですが、1年前を想起しますと、緊張感にあふれた情景が展開されていたことでしょうし、改めて、自衛隊、警察、消防、各県防災ヘリを運用した諸氏に感謝し、その気持ちを以って表紙絵を陸自UH1Jと仙台市の救急車のコラボレーションとしました。

 なお、展示されたOH6Dの部隊名がNEAFMとなっており、各方面飛行隊の航空野整備隊が独自のヘリコプターを保有していることを初めて知りました。


 その意気や良し!! 工学院大学 歴史的航空機隼復元プロジェクト

 零戦談話室を見ている人は既にご承知ですが、工学院大学 が創立125周年夢企画として「歴史的航空機隼復元プロジェクト 」を立ち上げました。航空歴史派を自認する佐伯として、その企てに大いに興味があり、いささかかでも協力できないものだろうかとプロジェクトリーダーの吉田さんに連絡しましたところ、早速企画書が送られてきました。

  できることなら飛行可能の実物大戦闘機を復元したいという、過去、大学はもちろん日本の誰も手掛けたことのない壮大なプランであります。単なる懐古趣味ではなく、ものづくりニッポンの伝統ある技術を学生に身を持って体験させようという教育目的は、まことに“その意気や良し!!”であります。

  航空ファン誌の三井一郎編集長が協力を申し出ており、そのような空気が全国に広まることを吉田さんは期待しておられます。

  企画書をざっと読んでみますと、多くの面で困難を極めるであろうし、計画通り完成するかどうかは予測できません。しかし、仮に完成まで行かなくても教育プロセスとして学術的に足跡が残るならば、とかく不明な部分の多い日本の航空機製造史に新たなページを加えることになります。

 (注 埼玉県の九一戦闘機復元プロジェクトは、ジュピターエンジンの研究過程までは残してあるのでしょうが、肝心の機体復元はうやむやみたいです。その轍を踏んでほしくありません 参照

  皆さん、断片的で些細な情報でも結構、部品や未公開の写真などもありましたら、どうかインターネット航空雑誌ヒコーキ雲を経由して提供してください。

 

日替わりメモ 4月16日 本日の更新
A230201  都道府県別展示保存機総覧  仙台市若林区 陸上自衛隊霞目駐屯地 常設展示機 変化なし
A235401 都道府県別展示保存機総覧  宮城県柴田町 陸上自衛隊船岡駐屯地 常設展示機 UH1Hを入れ替え
A3541 都道府県別展示保存機総覧 千葉県松戸市 中村氏宅 オートジャイロ 萱場カ号T型観測機のものと推定されるタイヤ

 

日替わりメモ 4月15日 本日の更新 は日替わりメモだけです


〇  萱場カ号T型観測機のYoutube映像

・ Aさんからメール

 萱場カ号観測機の記録動画は貴重ですね。初めて見ました。これで思い出すのは昭和1桁後半に私の町に飛来した朝日新聞社のシェルパC19です。小学生の私が自転車に乗り始めの不慣れな時期ながら、約7km離れた練兵j場へ単身見物に行きました。

 飛行は終了、泊準備中でしたが、手が触れる距離でじっくり見ました。特異な形の垂直尾翼が印象的でした。

 シェルパC19とカ号とを比較すると、カ号には主翼が無く、ローターは静止中でも回転しているので動力伝導でしょうか? ローター支柱がシェルパは細く簡単な4本脚ですがカ号は太く頑丈な動力伝導装置のように見えます。エンジンはわずか240hpですが、飛行状態は大変安定しているようですし、エンジンをパワーUPすればこの構造のままでもホバリングに近い状態が可能ではないかなどと素人推測などして興味深々です。この機体はこれまで特に注目しませんでしたが、今回動画に接して俄かに関心が目覚めました。カヤバは今では車の油圧ショックアブソーバーで身近ですが、戦時にはカタパルトも作っていたそうです。を

佐伯から : ウイキペデイアを信用すれば、離陸する際には、エンジンを始動し、クラッチでエンジンをローターに接続し、ローターをあらかじめ回転させ、回転数が毎分180回転に達したらローターのクラッチを切り、機首のプロペラで前進、ローターが自然回転により毎分220〜240回転に達し、発生する揚力で自然に離陸したということです。ホバリングもできたということですから、継続して研究開発を進めていたら、ローター角度やピッチ変換によるヘリコプター化が可能だったと思われますね。

 横浜工業高等学校が試作したレ号ヘリコプターは、陸軍が委託したとも言われますが、その辺のつながりはどうだったのでしょうか。


〇  千葉県の情報   磯山さんからメール

 今はもう無いのが確認できているのですが、思い出したのでもう二つ漏れ情報をお知らせします。

 千葉県の県道船橋取手線(船橋取手道路)の京葉道路花輪インターチェンジから中野木交差点に向かう途中、中野木交差点手前右手に有った中古車屋にパイパー系と思われる機体がありました。10年ほど前に同交差点が立体交差になり、その辺りが大きく変わってしまいました。今は中古車屋自体無いようです。

 うろ覚えですが、セスナに比較しずんぐりした低翼機だったのでパイパーだと思います。レジの有無は憶えていませんが、通常のカラーだったのでレジが残っていた可能性は有ると思います。

 次に、千葉県国道16号内回り側、千葉北インターを過ぎた辺り、今だとラーメン「幸楽苑千葉北インター店」とその反対「ライフ自動車」付近(当時と店名は変わっています)に19856年頃セスナが有りました。

 わずか数年でその反対(今のラーメン屋)に有った「長沼解体(自動車解体屋)に引き取られたようです。数ヶ月は完全体で置いてありましたが、しばらくして見たところ翼が外されて胴体のみになっていました。こちらはレジも書かれたままでしたので、写真が有れば正体がすぐわかると思います。

 飛行機自体は好きでしたが、展示機の正体など興味は無かったので記録は録っていません。悪しからず。

佐伯から : これからは記録を取ってくださいな。常にコンデジを持参していれば、筆記の手間が省けますからね。

 

日替わりメモ 4月14日 本日の更新
N953 ニュースフラッシュ  2012/04/13 バーレーン国王とパレスチナ大統領特別機


〇 バーレーン国王とパレスチナ大統領特別機をゲットしたご苦労に感謝しますが、田舎のマニアとしては、午前6時、貨物エリア北側のスポットを埋め尽くす旅客機群に驚異を感じています。



 V1とV2スポットでは足りなくて、その向こうの408にバーレーンの随伴機を泊め、407にANAの777、406にJALの旧塗装機、405にJALの鶴丸機、向こうの501から505まではAIR DO機、51番のボーディングブリッジにはSoraseed Airが横付けです。賑やかですね。

 写真の遠近感よりもずっと広いですから、重なるような事故は起きないでしょう? でも、これらをコントロールする管制官、自社機を優先したい各社の運行部門、そして数々の作業車と作業員達、よくやるなあ!と思います。

 海と空の違いはありますが、陸軍船舶で賑やかな頃の広島宇品港を唄った唱歌が口をついて出てきますなあ。

空も港も夜ははれて
月に数ます船のかげ
端艇(はしけ)の通いにぎやかに
寄せくる波も黄金なり
 
林なしたるほばしらに
花と見まごう船旗章(ふなじるし)
積荷の歌のにぎわいて
港はいつも春なれや

 

日替わりメモ 4月13日 本日の更新
HOME 表紙絵 No.203  編集も内容も最も充実していた頃のCONTRAIL誌のカットから
A36123
A64011
航空歴史館  玉川読売飛行場の思い出     実録 萱場カ号T型観測機のYoutube映像
航空歴史館
  広島吉島飛行場の歴史その1  実録 萱場カ号T型観測機のYoutube映像                            


〇 萱場カ号T型観測機のYoutube映像

 萱場カ号T型の離着陸のニュース映像があるなどとは露ほども考えたことがありませんでしが、大石さんが検索したところ、「日本でもオートジャイロを国産しました」という戦後のニュースフィルムとその原画に当たるものがYoutubeに投稿されていました。

 非常に驚きました し、それが単なる飛行中とかの物ではなく、昭和16年に萱場製作所が讀賣飛行場で行った試験飛行、及び昭和18年に広島宇品港で行った陸軍空母への離着船テストの記録であり、更に朝日のシェルバC.19Mk.4オートジャイロ JBAYAの公開映像を含めて、これは重要航空遺産の上位にランクすべきものだろうと思いました。日本航空協会さん、そうでしょう。

 Youtubeで誰もが簡単に見られるようになった環境に感謝したい気持ちで一杯です。

 内容から感じるところを書けば山ほどありますが、広島の人間としては、あきつ丸の向こうに、似島や能美島(江田島)が明瞭に写っている戦時中の映像をはじめて見ましたし、風向きの関係があってのことかもしれませんが、反対側、つまり重要軍事施設がある宇品港の方を全く写していないことや、また、甲板上に水兵さんの姿がなくてゲートルと編上靴の陸軍軍服の兵隊さんが働いていることに、妙に感心したりしています。

 皆さんの感想もお聞かせください。


〇 千葉県の情報   磯山さんからメール

・ 習志野駐屯地A3524には、空挺館の近く、落下傘収納庫あたりにノースアメリカンF86Dが展示されていました。1990年頃には無くなっていたように思います。

・ 市原市の小湊鉄道「光風台駅」と「上総山田駅」間の大多喜街道踏切を北上した左側の中古車屋にセスナ172系の小型機が置いてあります。ナンバー等は分かりません。Google earthの検索に 35 26 52.22N, 140 07 13.22Eを打ち込むと見えます。  

・ 数年前に霞ヶ浦から百里基地へ向かう116号線の行方市捻木(なめかたしねじき)CH/AH/OHシリーズが各数機積んであるのが見えました。今もあるかどうかは分りません。

佐伯から : 情報をありがとうございました。習志野の86Dの写真をお持ちの方、また、市原市の近在の方、セスナの写真とナンバーの調査を宜しくお願いします。


〇 表紙絵 No.203  編集も内容も最も充実していた頃のCONTRAIL誌のカットから

  佐伯邦昭のヒコーキマニア人生録その3に、やや有頂天になってCONTRAIL誌を編集していた頃のことを書いていますが、たしかに、その当時の名簿にはいま雑誌やネットで活躍している中年以上の人の名がたくさん載っているし、投稿のレベルも高いものでした。

 いずれは、第一世代のつばさ会とMach Clubの機関誌に次いでCDに納めて頒布するつもりですが、取り敢えずは、NEWS & LETTER欄のカットのひとつをお見せします。女性ヒコーキマニアの松ア千鶴子さんが独得のタッチでペン画を送ってくれていました。私が編集から離れてしまったので、その後お付き合いがありませんが、東京の大学生だった彼女、その後どうしていますかねえ。これを見たら、お便りを下さいな。

 

日替わりメモ 4月12日 本日の更新
N951 ニュースフラッシュ 英首相特別機 アトラス航空のボーイング747 元全日空のJA405A


〇 英首相特別機 元全日空のJA405A

 イギリスの首相がアトラス航空のチャター機で来た、その機体が米大リーグ開幕戦で成田に来たボーイング747と同じ元全日空のジャンボである、ポートサイドのATLAS AIRを消して、ドアに英国国旗があしらってある、機体の両側を写すためにスポッター達は羽田の撮影スポットを民族大移動した等々、マニアックな話題が豊富な特別機でした。

 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲は、少し角度を変えて、ANAのトーイングカーが面白いと思いす。Vスポットに泊まる特別機のグランドハンドリングをどこが担当するのか、取り決めがあるのかどうか知りませんが、この機体に限って言えば全日空が手を挙げたに違いないと。

 ANA引退から5年しか経っていないので、実際に本機を手がけたANAグループの職員さんもいるでしょう。わが子が帰ってきたような感じではなかったでしょうか。


 〇 訂正 ハロースクエアさんから

 先日送ったクウェート特別機N944のロゴについて、安易に創立50周年?と書きましたが、クウェート大使館のHPを見てみたところ、全然違っていました。(一応?マークをつけておいてよかった!)

 3つの記念を表しているようで、1つめが“The Golden jubilee of independence of The tete of uwait 19612011”で独立50周年。2つめが“The 20th anniversary of  The liberation of The tete of uwait 19912011”で(イラク占領から湾岸戦争での)解放20周年。そして最後が“The 5th anniversary of  The ascendance of H.H the amir to the leadership of tete of uwait ”で首長即位5周年でした。いまさらながらですが、訂正します。

佐伯から : ありがとうございました。記念の節目が3っも重なった2011年だったのですね。そのように修正しておきました。

 

日替わりメモ 4月11日 本日の更新
A36123 航空歴史館  玉川読売飛行場の思い出 
           追加
 讀賣飛行場の落下傘塔
               讀賣飛行場は日本に於ける回転翼機ゆかりの地 


〇 1940(昭和15)年11月8日付け讀賣新聞トップ記事

輝く紀元二千六百年の佳き秋”国民皆空”に本社がおくる航空報国四大施設の逞しき翼の道場の開幕−航空日本に新しい世紀を告げてパッと開く落下傘…秋空を截って躍るグライダーの輪舞…水清い二子玉川のほとり、聖戦下日本の翼の強大、逞しさを如実にひろげて本社が建設した「読売飛行場」と「読売落下傘塔」の開場式は‥‥

 七五調の流れるような文体を血沸き肉躍る気持ちで読んだ国民も多かったでしょう。東亜聖戦に突き進む日本の姿と、それをいやが上にも煽り立てる新聞社のプロパガンダがよく現れています。

 讀賣新聞社が発表した航空報国四大計画とは、次の四つでした。
    玉川飛行場の建設 (1939年完成)
    落下傘塔の建設 (専門家用と子ども用2基)
    体験飛行の実施 (瓦斯電KKR2型を使用)
    グライダーの普及と訓練 (九五式3型練習機による曳航)
  更に、昭和16年3月から6月まで讀賣飛行場を会場にした航空博覧会を開催しています。戦時中の航空思想の普及に少なからぬ貢献をしていると思いますが、戦後も小型機の基地、滑空訓練、或いはよみうりランドでの航空博など名残が続きました。

 今朝は、落下傘塔とオートジャイロ・ヘリコプターの話題を書きましたが、頭出し程度なので、より詳しい続編がくることを期待します。  


 〇 メール 2通

・ Aさんから   昨日の日替わりメモを興味深く読みました。地域の交通史、特に航空史が好きでそれを仕事の一部にしている小生ですが、多くの諸先輩の知識の上に成り立っていることを再認識しました。ありがとうございました。今後もこのような航空史に関する情報を期待しています。一般の人にとっては些細なことでも、その些細なことを記述することが重要だといつも考えている小生にとって、些細な事を見落としては意味を成しません。
 ところで、最近、佐伯節が辛口でないような気がします。佐伯節を楽しみにしています。

・ Bさんから   毎日の更新はさぞかしお手数でしょうが、根強いファンがいることもお忘れなく。辛口コメントも大歓迎です。

佐伯から : ありがとうございます。佐伯節が辛口になっていないでしょうか? 正月の社説で消費税増税をけし掛た朝日新聞が、最近はやや控えめになり、更には、今の総理と財務大臣が財務官僚の計画的な洗脳工作で完全に籠絡されてしまっている事実を一面に大きく取り上げたりするものですから、ちと、様子を見ようかと。

 ひと言だけ、日銀政策委員会の会議が終わった途端に円高、株安進行という体たらくに、政府と日銀には、日本を内部から滅ぼそうという勢力が根付いているとしか思えないですね。  

 

日替わりメモ 4月10日 本日の更新
Z45 ヒコーキマニア人生録   マニアの緻密な観察眼が公刊書籍のミスを正した  日航DC4 N88844てんおう星の例


〇 マニアの緻密な観察眼が公刊書籍のミスを正した

  日本航空協会が、写真派・記録派・歴史派ヒコーキマニアをなかなか認知してくれないという不満を当欄でたびたび書いてきていますが、例えば、どういう活動があって、航空史にどういう貢献をしてきたかという実例を示そうと思い、古いCONTRAIL誌をめくってみました。

  さて、皆さん、航空ジャーナルのAJ Custom ダグラス エアライナーをお持ちの方は、79ページの黄線で囲った銘板写真を観察してください。もちろん、問題意識を持たなければ、それが何を意味するか分かりませんので、不鮮明な写真に何も感じることはないでしょう。

  実は、これを虫眼鏡的に緻密に調べて、日本航空調査部が著わしている日本航空20年史とそれを参照したらしい航空雑誌の誤謬を正すことに成功した男がいるのです。

 緻密な観察眼の桑原益さんがリードし、当時からマニアの大御所であった下郷松郎さんと、成田飛行場で働きながら大量の写真を送ってくれていた笹野強一さんの二人がフォローしてくれて、正しい史実が確定したのです。その詳細は人生録を読んでください。

 残念ながらお三人とも既に故人となられました。こうした実績を通じて写真派・記録派・歴史派の道を切り拓いてくれたことに感謝しなければなりません。

  佐伯邦昭のヒコーキマニア人生録その3に、本件が明らかにされた1980年頃の私のCONTRAILへの関与を書いています。その中に「95号から、またもや手を引くことになる109号までの14冊は、ヒコーキ雲とCONTRAILを通じて最高の編集内容であり、21世紀の現在、航空書籍に名を出している多くの人が当時のJAHS会員名簿に名を連ねていたことも、その傍証になる」と威張っております。

 何を言いたいかというと写真派・記録派・歴史派ヒコーキマニアの活動を認知してほしいということ、そのためには、我々の足跡をもっともっと記録しておかなければならないということです。それがインターネット航空雑誌ヒコーキ雲のひとつの使命であると。


 〇 固い話しをしましたので、気分転換に‥

  Aさんからのメール : 佐伯さんの天敵の平木のじいさんが亡くなりましたよ!
 Bさんからのメール : 
朝日新聞ともあろうものが。「俺は国夫ではない、國夫だ」というクレームが空から聞こえてきそうです。

 このパロディ、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲をよく読んでいる人には分ります。こういう肩の凝らない仲間がいるということは人生の救いですね。ありがとうございました。

 

日替わりメモ 4月8日 本日の更新
A3524 都道府県別展示保存機総覧  千葉県習志野市 陸上自衛隊習志野駐屯地の訓練機材にCH47JとUH1Hを追加
いしぶみ 習志野駐屯地の空挺館(明治天皇御馬見所) 空の神兵像


〇 習志野駐屯地

 第1空挺団の訓練機材に新たにCH47が加わり、UH1が2機体制になっていますが、そのUH1が置かれている建物が新しくなっているのに、ちょっとがっかりです。というのは、7年くらい前の写真ではヘリコプターが置かれていた厩舎が、武骨ながら頑丈そうな木組みの小屋で、まさに馬のいななきが聞こえてきそうな感じを受けていたからです。

 習志野駐屯地は、川崎C1輸送機の強度試験機、空自C46輸送機の4翔プロペラなど化石に近いものがあるし、今回載せた空挺館の外観も明治文明開化の心意気を見せてくれます。

 隊内の環境整備で、古いものが消えていくのはやむを得ませんが、よろしく調和をお願いいたします。なお、今回もMAVERICさんのインターネット航空雑誌ヒコーキジャーナルから 拝借しました。クローズアップなど詳細はそちらをご覧ください。


〇 平木國夫さん死去

 5日にお亡くなりになりました。インターネット航空雑誌ヒコーキ雲閲覧者は既にご存知の通り、私は、北日本航空のDC3について誤った記述のある日本ヒコーキ物語北海道篇のことで、彼から怒鳴りつけられたり、或る団体への加入を妨害されたりしましたので、良好な付き合いではありませんでした。聞くところでは、とても親切に教えて貰った人と、些細なことで嫌悪された人に二分されるようで、私はその後者に入ります。

 指摘した誤記述が何らの修整も釈明もなく後世に活字として残っていくのが残念です。もし、弟子筋に当たる人がいるのなら、彼の為に名誉を回復してあげてほしいです。

 


 

日替わりメモ 3月12日 本日の更新


〇  昨日の所感に対する感想 (到着順) 

・ Aさんから
 あの東日本大震災に続いた福島原発損壊、水素爆発の放射線恐怖で日本は大混乱しました。
 それでもヒコーキ雲は読者に支えられ益々貴重な日本航空史の新発掘、新史実を充実し、おそらく日本一の濃い内容と思います。大変な労力や気力を必要とする毎朝のサイト更新で 、佐伯さんの年齢と体調も心配しております。
 ぜひ我が身の危機管理とご自愛のほどもお忘れなく。 

・ Bさんから
 3.11の日替わりメモ、良いものを読ませていただきました。
 私は佐伯さんが言われるほどというか、全然「毒舌」とは思っていません。私に言わせれば真っ当な事の表現だと思います。前から思っていました。どこが毒舌??  本当に見苦しい毒舌ならだれもアクセスしませんよ。
 まあ、日本人は本当の事を主張すると「長い物には巻かれろ。臭い物には蓋」的な考えで拒否して毒舌扱いする傾向があるようですが。
 これからも毎朝楽しみにしていますので頑張ってください。

BOOK 航空古書提供コーナー 瀬尾央写真集 世界の軍用機、世界の戦闘機

 

日替わりメモ 3月11日 本日の更新


〇 所 感

 去年の3月11日、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の更新を行う気力を失い、協力者の皆さんに継続の可否をお伺いしました。その結果と考えを3月17日に次のように書いています。

寄せられたご意見(到着順)

・ 航空関係ページ更新及び日替わりメモの毒舌について


      
被災に関わる航空機の状況に限って掲載したらどうか
事態がいつ収束するかわからないので、今までどおり進めてゆくべきだ
阪神淡路大震災の経験で言えば、通常活動を続けられる人は通常どうり継続すべきだ
心理的に世の中の人々の心がヨロヨロしている中に、一本筋の通ったものがあることが、みんなの安心に繋が
知識もなしに佐伯が放射能拡大の可能性などと書くのは問題だ、本気なら付き合いを断る
いち早く休載し連絡手段や募金を呼びかけたのは賢明なことだった
今後震災罹災者に配慮しつつ継続更新を期待する

緊急災害募金のみ継続を
いつも元気な人がじっと沈黙しているのは、それなりに見識だと思う
他者の責任を論じる毒舌は愉快なものではない
辛口コメントがヒコーキ雲存在理由の一つだ、でも今回は表現に気を付けて
マスコミ情報による意見は控えるべきだ
毒舌を期待する人はくだらん人間だ
記録は継続が必要だ
日替わりメモ(毒舌)はテーマを変えてはどうか
更新は継続すべきだ 人生の先輩の意見を是非聞きたい
更新は継続すべきだ 佐伯の意見を是非聞きたい
募金要請などちゃんとやっているではないか、今のところそれで十分と思うが、飛行場災害情報など知らせてほしい気もする
悩んでいるなら休載すべきだ  (同様の意見がふたつありました。)
更新は継続すべきだ 未曽有の災害への対応に不満を感じる 遠慮は無用、佐伯節を是非
気が向いた時に再開を 毒舌には興味がない しかし読んではいる
こんな時でもたんたんと続けている記録を掘り起こすことは大切なこと
ページ更新に期待している 毒舌は石原知事らにまかせなさい
堂々と再開を
毒舌は若干控えめに
震災とページ更新は別の次元だ 佐伯自身の気持ちを書けばいい
自分で作るHPだから自分で判断せよ

(私をして最終的に決断させたご意見)
 佐伯さん、ヒコーキ雲は、犠牲者や被災者の方々に心を寄せながらも、淡々と、従来通り進められるのが最適と考えます。天災が発生し、多くの犠牲者が生じ、被災者はもちろんのこと、われわれ無傷であった者も心の動揺があります。 
 その時点において、ヒコーキ雲にアクセスする者は何を求めているでしょうか?
 それは、いつもと変わりのない、安定した世界のはずです。動揺した心を癒すために、平素の自分を取り戻すためにアクセスし、安心するのです。だから、佐伯さんが動揺してはなりません。いつもどおり、淡々と、続行をおねがいします。 日本列島がどのようにブレようが、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲はブレてはなりません。
 みんなの心の拠りどころなのですから。
・ 上京報告について (たまたま震災前に都立産業技術大学荒川キャンパス と東京国際空港を取材していたので)    
  読みたい4件、 日を改めて1件、少し休め1件、自粛せよ1件

1年前の佐伯の決断
 皆さまのご意見を自分なりに総括しまして、本日からインターネット航空雑誌ヒコーキ雲の更新を再開します。被災者のご感情を逆なですることがないように注意いたします。その範囲内で最新航空ニュースがあればご投稿ください。航空史探検博物館、航空機研究シリーズ等は従来通り更新を行いますので航空史発掘にご協力をお願いいたします。

1年後の心境
 その時の否定的な意見も含めて、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲に対するとても暖かい気持ちを感じまして、それを忘れないようにして1年が過ぎました。 
 この間何よりもうれしかったのは、東北地方の常連投稿者に消息をお伺いしたところ、全員がご無事でヒコーキへの情熱を徐々にでも回復してこられたことでした。
 しかし、被災地からのアクセスは明らかに減少しています。亡くなられたのか、未だパソコンの立ち上げに至らないでおられるのか調べようもありませんが、生ある方の物心両面の立ち直りを願いますとともに、天国へ行かれた方のご冥福を心からお祈りいたします。

 反面、この1年間は、新たに情報を提供してくださる方が通年以上に増えたのが大きな特徴となりました。それに伴って他の追随を許さない情報量の蓄積のみならず、質においても埋もれていた航空史の断片を発掘する数々のヒットを飛ばしてきたと自負しています。

 一人作業のため、指摘を受けるまで判断や表記のミスに気付かないという欠陥を前提条件としながらも、これからも続けられるように努力してまいります。それが1年前に支えて頂いた皆様に対する恩返しでもあり、かつ天国のヒコーキマニアへの鎮魂であると思っております。

 どうか、感想をお寄せください。(発表不可と書いてないものは、AさんBさんスタイルで発表することもあります)

                          インターネット航空雑誌ヒコーキ雲制作者 佐伯邦昭