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【東日本大震災】

私はこの町に残る 陸の孤島 深まる苦悩

陸の孤島となった町には不気味な静けさがある。屋内退避指示を受けて自宅にとどまる佐々木さん一家=福島県南相馬市で(提供写真)

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 被ばくを恐れて大半の住民が自主避難、支援のトラックも近づきたがらず「陸の孤島」と化した福島県南相馬市。この地に、あえてとどまる決断をした家族がいる。同市原町地区に住む元大学教授佐々木孝さん(71)。その思いをブログにつづっている。 (佐藤直子)

 「ひとりの残留者の主張として、何が今、起こっているのかを知ってほしい」

 スペイン思想の研究者として清泉女子大などで教えてきた佐々木さんは、ブログ「モノディアロゴス」に混乱の日をつづる。

 海岸線から七百メートルほどの自宅は地震での倒壊を免れ、電気や水道も無事だった。だが、本当の災難はその後。福島第一原発の事故に騒然となり、原発から二十三キロほどの原町地区には屋内退避指示が出た。「地区の約三万人の八割は、退避指示の出ていない県内や、新潟など他県に避難していった」と佐々木さんは言う。

 市内の病院や施設は病人や高齢者を、原発から三十キロ圏外に搬送した。病身の友人も町から十キロしか離れていない体育館に逃れ、不自由な生活を送る。家が残った健康な人たちまで町を去った。支援物資を積んだトラックは被ばくの「風評」を恐れて入ってこない。

 「食料や生活必需品が底をつくのでは…」という恐怖心は日々強くなる。だが、九十八歳の母、認知症の妻(67)、長男夫婦、二歳十カ月の孫娘の六人で町に残ることを決めた。何より今は冷静になり、無用の混乱を避けるべきだと思ったからだ。

 「屋内退避を指示した市が、国に不信を抱いているから、多くの人が町を出て、無用の避難生活を選んでしまった。なぜここにとどまっても健康被害はないというメッセージを発信しないのか。不安を増幅させ、町としての機能を壊滅させてしまうだけだ」

 佐々木さんはこう訴え、市がやるべきことは「国や県に医師やスタッフ、薬品や食料を早急に補給するよう強く求めること」だと主張する。国は援助を約束した上で「病院や介護施設に、南相馬市から避難するのではなく、そのままとどまるよう強く説得すべきだ」と言う。

 大震災前まで厳しい原発批判を続けてきた佐々木さん。余震の不安も尽きない。

 だが、「今はあえて国の発信する情報を信じるべきだ」と思っている。「親鳥が餌を運んでくれることを信じる小鳥のように。奈落の底から見上げれば真実が見えてくる」

 

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