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【ステータス】

[ロイ]ライトプランツLv.32

職業:勇者
武器:プラチナソード
防具:ライトフレイム
    クロスシールド
魔法:光の障壁Lv.2
アイテム:トールハンマー(装備不可)
      セームの葉×3
      トスカの馬車(宿屋機能付き)


[カイン]アースプランツ(ドワーフ)Lv.48

職業:戦士
武器:芭蕉扇
防具:シルバーメイル
必殺技:空破斬Lv.4
     旋風破Lv.3
     地破斬Lv.1
第一章 強き者たち
第五節 ガルダ坑道
 北からの湿り気を帯びた風に乗って、一体のガーゴイルが飛翔する。鉛色に鈍く光る翼は、アースプランツたちにとっては不吉の象徴でもある。正方陣を取るアースプランツたちの上空を通る時、ガーゴイルは甲高い声を発する。威嚇とも挑発ともとれるその行動に、円月斬使いたちは一斉にその武器を構える。

「待て、様子がおかしい。」

 右翼部隊五千を統括するホビットの将軍が、青銅色の兜に付いた美しい白鳥の羽を揺らせる。ナズル出身の彼は、ドワーフたちの間では『田舎の大将』と揶揄やゆされている。第二種族でもあるホビットの命令に従うのはいくら尊敬するドルマの決めたこととはいえ、第一種族のドワーフたちにとって承服しかねることであった。
 そんな戦士たちの空気を察しているのかいないのか、彼は悠然とガーゴイルの軌跡を眺めている。あれは使者であろう。ノルトはそばにいる妻のヒルダにうなずく。

 ヒルダは緋色ひいろの鎧に同色の兜を被り、鎖のついた小振りの斧を装備しているホビットである。女性のホビットだけでも貴重であるのに、さらに戦士職に就いているのはアースプランツ広しといえどもヒルダただ一人である。
 たくましい夫の横顔を見つめ、ヒルダは遠く離れた故郷に思いを馳せる。村に残してきた子どもたちは元気だろうか。長男はまた山の小屋で遊んでいるのだろうか。妹はきちんと兄の言うことを聞いているだろうか。

 甲高い叫び声がまた聞こえ、ヒルダは懐かしい故郷の情景から我に返る。そうだった。ここは戦場で、今は戦いの時だ。この戦いに勝てば故郷に帰れる。そして思いっきり、背骨が折れるまで二人を抱きしめてあげよう。ヒルダは小さくなっていくガーゴイルの後ろ姿に視線を戻す。たぶん降伏勧告か宣戦布告だろう。そのどちらも無意味なことを、ここにいる誰しもが知っている。
 ヒルダは今まで共に戦ってきた斧の柄を、しっかりと握りしめた。

 雄大なガルダの麓には、しっかりと整地された広大な空間がある。鉱山で採掘された鉄鉱石や魔鉱石を積み上げ、カノンへ運ぶための一時的な置き場所だ。幅三ウィンド、長さ二ウィンドのほぼ正方形のフィールドは、その幅いっぱいに部隊を展開してもまだ余裕がある。
 真ん中の一際大きな正方形はドルマのいる本隊で、一万のドワーフ部隊である。右翼五千はノルトの指揮するドワーフ・ホビット混成部隊で、円月斬使い一千を有する。左翼はワイズ部隊で、ドワーフを中心とした混成部隊である。内訳としてドワーフ二千、ホビット一千、混成の円月斬部隊二千である。

 ダークプランツ軍はギャランが陣頭指揮に当たっているようである。五万のオークを横に広げ、左右の部隊を突出させた、いわゆる“鶴翼の陣”である。鶴が翼を広げた形に似ていることから名付けられたこの陣形は、相手より数において勝っているダークプランツ軍にしてみれば当然の陣形であろう。左右が突出しているため、敵を懐深くおびき寄せ左右の翼を一気に閉じれば、相手を完全に包囲できるのである。

 相手の降伏勧告を持ってきたガーゴイルが、ドルマの足下でただの石の破片となって散らばっている。オークは闇の中でその真価を発揮する。アースプランツ側としては、日が高いうちに戦端を開きたいところである。
 しかし、数において勝り包囲する気満々のダークプランツ相手に、闇雲に突撃していくのは勇猛ではなく無謀な行為である。ドルマはワイズとノルトを呼び寄せ、意見を聞くことにした。
 ロイとカインが到着したのは、今まさに会議が始まろうとしているところであった。

「ド、ドルマさま! ご子息がおいでです!」

 円月斬部隊の後方に控えていた糧秣りょうまつ部隊のホビットが、慌ててテントに飛び込んでくる。その名を聞いたドルマは眉をぴくりと動かし、すぐに連れてくるように命じた。

「父さん!」

 ドルマはカインの姿を見ても何も言わず、厳しい表情で豪奢な鎧の前のその太い腕を組んだまま微動だにしない。しかしカインの後ろから入ってきた黒髪の少年を見ると、無精髭の目立つ口を開く。

「カイン、そちらの少年はどなたか?」
「あ、こいつはライトプランツのロイ。王にこいつを父さんのところへ連れて行くように命じられてここに来ました。」
「ばかもの!」

 ドルマの怒声でテントがびりびり震える。外にいた歩哨ほしょうのドワーフが、驚いて尻餅をつく。

「客人に対して『こいつ』とは何事だ! 貴様は仮にも我が王の警備を任された者。その貴様が任を離れて警備を任されるようなお方に対して、その言葉遣いは何だ!」

 カインは首をすくめて涙目になる。ロイは全く気にしていなかっただけに、カインがかわいそうになる。

「将軍、僕は全く気にしておりません。それよりここまでの旅程で、彼にはとても助けていただきました。どうかお許しくださいますようお願い申し上げます。」

 ドルマは見た目の若さにそぐわず、丁寧でしっかりとした話し方をするロイに感嘆のため息を漏らす。

「そなたがそう言われるのなら、貴重な時間をこやつの説教に費やすつもりはない。いや、お恥ずかしいところをお見せした。」

 ドルマはその巨体を椅子から持ち上げて、ロイの顔より大きな手を差し出す。カインはしょんぼりと肩を落としている。

「ドルマだ。王の軍を任されている。そなたはライトプランツとな?」

 ドルマはロイの小さな手を握りつぶさないように注意しながら、額のハチマキを見る。ロイは強烈な力で麻痺している指を、何とか動かしハチマキを取る。ハチマキの下からは曇り空を払拭するような、美しいレモン色の魔鉱石が現れた。

「ふうむ……これはまごうことなきライトニング。いや、疑ったわけではないが失敬した。お許しくだされ。」

 ドルマは無精髭を撫でながら破顔する。ロイは今まで夢想してきた英雄の笑顔が、子どものように無邪気なことに安堵と興味を覚えた。

「それでライトプランツどのは、こんなところまでこの私にどんな大事な用があって来られたのかな?」

 ロイは背中からトールハンマーを下ろす。ついに父ハンスとの約束を果たす時がきた。ロイの感慨とは裏腹に、ドルマはきょとんとした顔をしている。トールハンマーを包んだ布を取り、中から出てきた斧を見ると、ワイズとノルトは色めき立つ。

「こ、この武器は!?」

 テントの布地を通して差し込む弱い陽光を受けてもなお美しく輝くその斧に、その場にいる者たちは目を奪われる。

「将軍の注文なさった武器“トールハンマー”です。亡き父、ハンスに代わってグスタからお届けに参りました。」

 ロイはすでに身体の一部といってよいほど背中に馴染んだトールハンマーを、ドルマに渡す。ドルマは丁寧に両手で受け取り、次に片手で持ち上げ軽く一振りする。一瞬トールハンマーの周囲が光り、稲光がその刃にまとわりつく。刃の中に込められた魔鉱石“ウィンダイア”が、本来の持ち主の手に収まって喜んでいるようにも見える。

「すばらしい……すばらしい武器だ。そうか、そなたはハンスどののご子息か。アースプランツに育てられたライトプランツが、わざわざ戦場までこれを届けてきてくれたというわけか。」

 するとドルマはその巨体をゆっくりとロイに向け、深々と御辞儀する。

「“亡き”というからにはさぞいろいろと辛い思いをなさったことだろう。察するにこの武器によってたくさんの者たちの運命が変わってしまったようにも感じる。ライトプランツどの、まっことかたじけない。」

 ロイは戸惑った。生きる伝説の英雄ともいうべき存在が、こんな子どもの自分に深々と頭を下げている。隣で苦虫をかみつぶしたような顔をしているカインの気持ちも察して、ロイは慌てて手を振る。

「や、やめて下さい! 僕は父との約束を果たしただけです。それに僕のことは『ロイ』とお呼びください。」

 ドルマは頭を上げ、また子どものような笑顔を見せる。

「承知した。ワイズ! ノルト!」
「はっ!」

 ドルマは瞬時に“戦士”の顔になる。

「作戦が決定した。トールハンマーが我が手にあるからには、ティアマトも恐るるに足りん。攻撃目標をティアマトだけに変更する。」
「おおっ!」

 ワイズとノルトの顔が一気に紅潮する。トールハンマーを持ったドルマは、すでに自分たちと同じアースプランツではなく“戦いの神”のように見えた。

「私がガルダ坑道に侵入し、ティアマトを倒す。アースプランツ全軍はそのための道を作れ。私がガルダ坑道に侵入することを最重要目的とする。」
「はっ!」

 アースプランツたちは本来、戦うことそれ自体に価値の重きをおく。それ故に複雑な作戦や権謀けんぼう術策じゅつさくはあまり得意ではない。作戦の目的が単純明快ならそれだけ戦いに集中しやすく、アースプランツ本来の“強さ”を発揮しやすくなる。

「敵のかしらさえ倒せば、後は勝手に崩壊するだろう。貴様らのすべきことは、私がティアマトを倒すまでに“死なない”ことだ。」

 なんという単純明快さ。なんという豪放磊落ごうほうらいらく。ドルマの“強さ”はベロニカ戦で見せたように、技術や作戦を全て吹き飛ばしてしまうこのような圧倒的な“力”なのである。
 ロイは感動した。“強さ”とはなんと大きく、偉大なことか。自分が今まで“真の強さ”などと言って、アースプランツの信奉する“強さ”をわかった気になっていたのが恥ずかしくなった。

「将軍、であればわたしに将軍の兵を五百ほどお貸し願えますか?」

 ノルトが一歩進み出て進言する。

「ほう。それはなぜだ?」
「敵の指揮官ギャランは、一度将軍の“強さ”を目の当たりにしています。鶴翼の陣を敷いているにも関わらず、真正面から突撃されれば裏に何かあると邪推じゃすいするでしょう。そこにつけ込みます。」

 ドルマは心得たとばかりに不敵な笑みを浮かべる。

「“伏兵”か。」
「はっ。」

 ノルトは主君の聡明さに平服する。つまりノルトは敵が鶴翼の翼を閉じ包囲し始めた時に伏兵を動かし、援軍や罠を仕掛けられたと思わせ敵を混乱させようというのだ。

「おもしろい。それでは右翼はヒルダに指揮をらせるがよい。」
「ははっ!」

 ロイはこのノルトというホビットの顔に、見覚えがあるような気がした。それがクルトに似ているということに気付くのに、数秒も有しなかった。

「ノルト将軍、もしかしてあなたはクルトのお父さんですか?」

 ノルトは驚き、目を見張る。

「どうして息子を知っているんだい?」

 ロイは今までの経緯を話す。その場にいる全員が厳しい顔をして聞いている。南部の情勢もひどいが、北部も日に日に悪化している。その中で見せたロイとクルトの活躍は、その場にいる者の涙を誘うには十分であった。

「そうか……息子はきみの役に立ったんだね。」
「役に立つどころか、命の恩人です。僕は彼のかたきを討ちたいと思ってここに来ました。ドルマ将軍、お願いです。僕も連れて行ってください。」

 ロイの申し出にカインは驚き、反論する。

「お前がライトプランツなのもその強さも、よくわかったし信じるよ。でもティアマトは別だ。それに坑道には、宝物を守る最悪のモンスターもいるという。お前がついてったら父さんの足手まといになっちまうよ!」

 ワイズとノルトは、またドルマの雷が落ちると思い首をすくめる。しかし雷は落ちず、ドルマは厳しい顔をしたままうなずいている。

「言い方は悪いが、息子の言っていることにも一理ある。私についてくるのはよいが、命の保障はないぞ。そなたを守りながらティアマトは倒せん。」
「もちろんわかっています。自分の身は自分で守ります。」

 ドルマはロイを真っ直ぐ見つめる。ハラハラしながら事の推移を見守っていたノルトがおずおずと発言する。

「将軍、わたしからもお願いします。息子の仇を討ちたいという、彼の頼みを聞いてやってください。息子が命をかけて守ったお方です。きっと将軍にとって何か、お役に立つこともございましょう。」

 ノルトは差し出がましいとは感じつつも、言わずにはいられなかった。彼は自分を見て一目でクルトの父親だと見抜いた。つまり息子と彼はそれほど濃密な時間を過ごし、心の交流があったということだ。
 山小屋で遊び、大げさなことばかり言っていた息子。ろくに訓練もせず「戦士になりたい」と言って、周囲に一笑に伏されていた息子。その息子が妹のために剣を取り、他人のために自分の命を投げ出して戦ったという。そんな息子を誇りに思い、その息子が思いを託したこの少年を、ノルトは自分の息子の分身のように感じ始めていた。

「承知した。どうやら坑道内にある宝物は、ライトプランツに関係の深いもののようでもある。そなたが来れば開ける道もあろう。」
「ありがとうございます! ドルマ将軍!」

 ロイは明るい顔で深々とお辞儀をする。そしてノルトと顔を見合わせてうなずく。ノルトも嬉しそうであった。

「ロイどの。そなたは私といっしょに本隊にいるがよい。私の後ろにいればオークどもに囲まれる恐れもない。しかし坑道内に入ったら、後はそなたの責任で私についてくるがよいぞ。」
「はい!」
「父さん、俺も行くからね!」

 ドルマの眉間にしわが寄る。

「いかん。お前はまだ未熟者だ。坑道内で戦い抜く技量も気迫もないであろう。」

 カインは顔を真っ赤にさせてうつむく。しかしこの時のカインは今までとは違った。さらに父親に食い下がったのである。

「父さん。父さんとゲルト王ではどちらが偉いの?」

 ドルマは今までにない息子の反応に驚く。

「何を当たり前のことを聞く。当然、王に決まっておろう。」
「であれば俺はロイの警護を任された身。父さんの命令よりも、王の命令を優先させていただきます。」
「な……」

 ドルマは言葉を失う。ワイズもノルトも絶句してカインを見つめている。アースプランツの英雄ドルマがやりこめられる姿を見るのは初めてであった。
 二の句を継げずにドルマはカインを睨んでいたが、ふっと肩の力を抜く。

「仕方がない。確かにお前の言う通りだ。ロイどのと行動を共にするがよい。しかしそう言ったからにはノルトの息子のように、その命をかけてロイどのを守る覚悟があるのだろうな。」

 カインは一瞬びくっと青ざめるがゆっくりと、しかし力強くうなずく。

「尊敬する我が父ドルマの名において、偉大なるアースプランツの神ベヒモスにかけて誓います。」
「よかろう。」

 ドルマは重々しくうなずく。これでガルダ坑道に侵入するのはドルマ、ロイ、カインの三人ということに決まった。
 その後作戦の詳細を話し合い、一時間後攻撃を開始することとなった。

「将軍、ギャランへの宣戦布告はどういたしましょう。」

 会議の締めくくりにワイズがドルマに聞く。

「そうだな……あくまでも私がアシュの弔いに熱くなって、頭に血が上っているように思わせる文面がよい。『我々アースプランツは、貴様らダークプランツを一人残らず殲滅せんめつする』とでも書いておけばよいだろう。」

 絶妙な布告文である。ドルマはあえて「殲滅」という言葉を使った。これを見たギャランは間違いなくドルマは頭に血が上って、闇雲に攻撃を仕掛けてくるように思うだろう。さらに、ノルトの伏兵によってだまされたと思う。いや、始めから疑ってかかるかもしれない。しかしそのどれもが真の目的を隠すための攪乱かくらんなのだ。ギャランは裏をかいたつもりであっても、実はさらにその裏をかかれるだろう。
 ロイはドルマの勇猛さと聡明さに感動する。ゲルト王があれだけ信頼するのもよく理解できた。

 ドルマのテントを出たところで、ロイはノルトに呼び止められる。きっとクルトのことだとロイは戸惑う。

「ロイくん、実はヒルダ……息子たちの母親のことなんだが、彼女には息子たちが死んだことを黙っていてもらいたいんだ。」

 ノルトは困ったときのクルトそっくりな顔をする。

「でも……」
「もちろん、いつかはバレてしまうだろう。その前にわたしから言うがね。でもせめてこの戦いが終わるまでは、彼女には黙っていてもらいたい。わたしももちろんだが、ヒルダは息子たちをとても愛している。ナズルに残してきたことも、いつも気にかけていた。自分がいない間に殺されてしまったことを知ったら、きっと彼女は戦う気力をなくしてしまうかもしれない。」

 やはりクルトの父親だなと、ロイは思う。この家族はお互いを思いやり、それでいてそれぞれの責任をしっかりと把握している。

「やっぱ強いや……」

 ロイは、自然と口をついて想いが出てしまう。

「えっ?」

 ノルトは不思議そうにロイを見る。

「あ、い、いえ……わかりました。黙っておきます。」
「ありがとう、ロイくん。」

 ノルトはロイと握手をして、鉛色の空の下去って行く。この戦いが終わったら、ノルトやヒルダにはたくさんクルトの話をしてあげよう。彼がどんなに強く、勇敢だったか。自分がどれだけ助けられ、感謝しているのか。そして……どれだけ大好きだったか。

 陣形が動いていく。まるで生き物のように、正方陣から雁行がんこう形に変化していく。ワイズの用兵は正確で隙がない。急な作戦変更も、彼がいるからこそ机上の空論で終わらない。陣形が整うと、いよいよ開戦の時が迫っていた。



  ◇  ◇  ◇



 大きな銅鑼どらの音が連続して鳴り響く。ガルダの山腹に反響した音が、こだまとなって少し遅れて聞こえてくる。アースプランツ軍が前進を開始したのは、午後二時ちょうどである。ダークプランツ軍にまだ動きはない。銅鑼の音はどんどん早くなり、二万の足音が地を揺るがし、喚声が銅鑼をかき消す。

「突撃いぃ!」

 アースプランツ軍の三角形が、戦場を矢のように真っ直ぐと横切っていく。黒々とした五万のダークプランツ軍は、ガルダを背にしてまるで城塞のようである。

「構え……撃て!」

 ギャランは数段高いところにある、坑道の入り口付近で指示を出す。するとギャランの一つ下の段差から、黒い雨が鉛色の空に向かって上っていく。矢であった。

「うわ!」
「ぎゃあ!」

 およそ弓矢での攻撃を受けた経験のないアースプランツは、次々と倒されていく。ギャランはやはり狡猾であった。数に任せて力づくでねじ伏せようとはせず、着実に数を減らしてから完全に包囲する気のようだ。

「うろたえるな! 盾を頭の上に掲げよ!」

 ドルマの指示によって、アースプランツ軍は盾を頭の上に掲げる。飛んできた矢は盾に刺さり、矢尻を揺らす。

「スピードを緩めるな! 的にされるぞ!」

 ドルマの指示によって、その場で飛んでくる矢を撃ち落とそうと立ち止まった戦士たちが慌ててまた走り出す。前方では、第二射が黒い雲のように空に向かって上っていく。

「もっと速く走れ! 矢は撃つ時に狙わねばならん! 矢が到達するより先に前進しろ!」

 アースプランツは地の民だ。ごつごつとした地面にもかかわらず、草原のように走ることができる。その小さな身体をさらに前傾させ、ますますスピードを上げる。
 まるで黒い津波のようだった。隊列を崩さずそのスピードだけを上げたアースプランツ軍の遥か後方に、矢が林のごとく地面に突き刺さる。アースプランツ軍のあまりの突撃スピードに、ダークプランツ軍の矢はその狙いを大きく外されてしまう。

「狙いをもっとヤツらの前方に修正せよ!」

 ギャランの指示が弓矢部隊に伝達された時には、すでにアースプランツ軍はダークプランツ軍の目の前まで迫っていた。信じられない突撃スピードである。これはまさにワイズの用兵の賜物であろう。アースプランツ軍二万の作る三角形の矢が、そのままの勢いでダークプランツ軍に突き刺さった。

「ウガアア!」
「うりゃあああ!」

 ぶつかり合う武器と武器。斧と盾。飛び散る赤と青の血。怒号と喚声。まさしくここは戦場であった。すでに先頭部隊が混戦状態になってしまったため、ギャランは弓矢部隊にアースプランツ軍の後方を狙うように指示する。

「敵の円月斬部隊に狙いを定めよ! 第三射と同時にガーゴイル、ウィッシュ=ボーン部隊は空から攻撃を仕掛けろ!」

 アースプランツ軍の後方から円月斬が飛んできて、次々と弓矢を構えるオークが撃ち倒されていく。撃ち倒されながらも、第三射を構えるダークプランツの弓矢部隊がドルマの目に入る。

「あいつらを黙らせてくる。ロイどの、少しここで待っていてくだされ。」

 ドルマはそういうと、その巨体からは想像もできないスピードで走り去る。あっという間に、敵の弓矢部隊のいる段差に登りつめる。

「どれ、少しトールハンマーの準備運動をさせてもらうぞ。」

 次々と襲ってくるオークを素手で殴り飛ばしながら、ドルマはトールハンマーを大きく振りかぶった。

雷破斬らいはざん!」

 ドルマはトールハンマーを地面に叩きつけた。地鳴りと雷鳴がガルダの地にとどろき、ダークプランツ軍の弓矢部隊のいる段差が崩れ落ちる。同時に数千のオークたちに強烈な雷撃が天から落ちた。

「す、すげえ!」

 カインは父の勇姿に感嘆のため息を漏らす。

「あれ、地割れを起こす『地破斬ちはざん』の応用だよ! トールハンマーでやる地破斬だから、『雷破斬』ってとこかな!」

 崩落する大量の巨大な瓦礫がれきに、坑道前にいた数百のオークは押しつぶされる。ドルマはたった一撃で数千のオークを倒してしまった。

「これが……“強さ”……これが“トールハンマー”!」

 ロイは息をのむ。稲光をその背にしたドルマが咆哮ほうこうする。その姿はまさに戦いの神であった。オークたちはドルマのその圧倒的な強さに恐怖し、一斉に逃げ始める。

「敵が崩れたぞ! 右翼部隊、一気に坑道までの道を作れ!」

 右翼部隊を指揮するヒルダが、坑道に向け全軍を突撃させる。ここまで開戦から一時間。信じられない速度で戦場はアースプランツ軍有利に傾いていた。

「翼を閉じろ! ガーゴイル・ウィッシュ=ボーン部隊は敵の右翼に攻撃を集中!」

 ギャランの指示によって鶴翼の翼が閉じ始める。その数四万強にまで減らされたダークプランツ軍が、まるでアメーバのようにアースプランツ軍を包み込んでいく。今まさにアースプランツ軍の後方で接合しようとしていたダークプランツ軍の右翼と左翼の先頭に、突然側面から攻撃が加えられた。

「グアア!」
「ギャアア!」

 いくら強靱な肉体を誇るオークでも、死角から斬りつけられたのではひとたまりもない。次々と青い血がガルダの地に吸い込まれていく。ノルトの伏兵部隊だった。勝ち誇ってアースプランツ軍の後方に回り込んだダークプランツ軍にこっそりと忍びより、今まさに包囲を完成させようという瞬間に攻撃をしかけたのである。それはまさにダークプランツ全軍を混乱におとしいれるのに、これ以上ない絶妙のタイミングだった。
 
「な、なに! 援軍か!? 伏兵か!?」

 あわてふためくギャランが指示を出せないでいるその隙に、ヒルダの右翼部隊はとうとう一番右端の坑道入り口にたどり着く。

「よし、ドルマさまたちが坑道内に侵入するまで壁を作れ! 死んでも道を崩すな!」

 ヒルダは真っ先に坑道入り口にたどり着き、入り口を守っていたオーク二体と対峙たいじする。

「ウガアアアア!」

 一体はドワーフのよく使う戦斧、もう一体はせいどうのつるぎを装備している。

「臭いわね、この豚野郎!」

 ヒルダは頭上で鎖をロープ投げのように回転させる。その回転は一気に高速になり、まるでヒルダの頭上に銀色の皿が出現したように見える。

「ガアアア!」
「ひゅっ!」

 襲い掛かってきたオークにヒルダの斧が生き物のように伸びる。一瞬のうちに二体のオークは上下真っ二つになっていた。

 ドルマがかろうじて残った足場の上であごをしゃくる。ロイとカインに付いて来いと言っているのだろう。

「ロイ、行こうぜ!」

 カインが脱兎だっとのごとく右に走り出す。ロイも慌ててカインの後に付いていく。怒号と悲鳴の渦巻く中、二人は時々襲いかかってくるオークを避けながら走って行った。



  ◇  ◇  ◇



「右翼部隊が坑道入り口にたどり着いたぞ! 左翼部隊は戦いつつ右翼部隊の方へ後退しろ!」

 ワイズの左翼部隊は後ろに下がりつつ右翼部隊の方へ移動していく。もしこれが包囲された状態なら不可能な用兵だったのだが、ノルトの奇襲によって包囲は完成していない。ノルトの奇襲部隊はそのままドルマがいた本隊と連動し、逆にダークプランツ軍の左翼を包囲しつつある。ワイズが敵の右翼を牽制している間に、ダークプランツ軍の左翼は急激にその数を減らしていく。

「な、なんだ? あれは?」

 ギャランはその時初めて、右翼部隊の作る壁に気が付く。アースプランツの右翼部隊は坑道前の広場から、ギャランから見て左下の坑道入り口に向けて道を作っている。

「そ、そうか! ヤツら坑道に侵入するのが目的か!」

 ギャランが気づいた時には、ドルマはもう坑道入り口まで五百アースほどの所まで迫っていた。

「そうはさせるか!」

 ギャランはドルマの目指す坑道入り口に飛んで行く。入り口には緋色の鎧と兜を身につけた女戦士が立っていた。足下にはバラバラになったオークの残骸が数十体転がっている。

「これは全部貴様の仕業か。」

 ギャランが乱杭歯をむき出しにしてヒルダをにらみつける。ヒルダは足下のオークの残骸をつま先で蹴り上げ、鼻で笑う。

「はっ! 臭いばっかりで手応えのないヤツらさね! 今度はアンタが遊んでくれるのかい!」

 ヒルダは斧を身体の横で縦に回し始める。低い唸るような音が坑道入り口に響き始める。

「貴様、アースプランツの分際でこのわたしにかなうと思っているのか。」

 ギャランは空中からフルーレを取り出す。銀色に輝くその長いフルーレをギャランが一振りすると、触れてもいない地面に亀裂ができる。あまりの剣圧に空気が切り裂かれたのであろう。

「死ね!」

 ギャランの黒いマントがひるがえり、鉛色の空に真っ赤な花が咲く。

「ひゅっ!」

 短い呼吸音とともに、ヒルダの斧が地煙を巻き上げてギャランに向かって伸びていく。固い金属音がしてヒルダの斧は弾かれ、九十度の角度で真横に飛んでいく。

「子どもだましな!」

 ギャランがヒルダに向けて急激に降下し、通常では目に見えない速度でフルーレを突き出す。ヒルダは鎖の端を握ったままで丸腰だ。

「ぐはっ!」

 次の瞬間、血を吐いていたのはギャランだった。ヒルダは一度はじき飛ばされた斧を引き戻し、自分を囮にしてギャランの背後から斬りつけたのであった。



  ◇  ◇  ◇



 アースプランツ軍の意図に気づいたダークプランツ軍は、全軍をもってして道を潰しにかかる。三万余の右翼・中央部隊がワイズ部隊に襲いかかる。ワイズ部隊は敵右翼・中央部隊を牽制しつつ、敵左翼を攻撃。ダークプランツ軍左翼は、包囲攻撃に耐えながらヒルダのアースプランツ右翼部隊を攻撃。ヒルダの部隊は道を確保しながら、敵左翼の死に物狂いの攻撃に耐えている。戦場はこのような四層構造の大混戦になっていた。

 アースプランツ軍にとっては、坑道までの道をあと数分 たせればよい。そのためにもヒルダの部隊が、敵左翼の攻撃をどこまでしのげるかがポイントになる。
 ダークプランツ軍が勝つためには、圧倒的な戦力と物量を生かしてワイズ部隊を殲滅し、味方左翼部隊と合流すれば一瞬のうちに道はつぶせる。
 ドルマが坑道内に侵入するまでの、数分間の戦いが坑道前での勝敗を決する。

 このアースプランツにとって運命を決める勝負所で、後世に残る判断を下したのはノルトだった。

「包囲を解いて中央突破!」

 約五百という小集団のノルトの遊撃部隊は、なんと包囲を解いて敵左翼部隊の密集している中央へ突撃を開始したのだ。これは自殺行為に等しい。その数を大幅に減らしているとはいえ、ダークプランツ軍の左翼部隊はまだ一万以上残っている。そこにたった五百の部隊で突っ込んで行ったのだ。

「壁に向かえ!」

 ノルトはそう叫ぶのと同時に、自分の倍近い身長のオークの壁に突っ込んで行く。この『壁』とは二つの意味を持っていた。
 一つは目の前に立ちはだかるオークの壁。もう一つはヒルダの作る坑道までの道のことだ。

 この『壁に向かえ』という命令で、五百のドワーフで構成された遊撃部隊は、ノルトの意図を察した。一万を超える敵部隊を最後方から最右翼まで斜めに突っ切り、さらに分断させようというのだ。ノルトの、後に伝説となったこの有名な命令によって、五百のドワーフたちは全員闘争心の燃え上がる火の玉になった。ただ目の前の敵を斬りつけて前に進む。この単純であり戦闘で最も基本的な行動によって、アースプランツ最大の長所を発揮できたのだ。

 ノルトは通常、槍と斧が合体したような戦矛を使っているのだが、混戦を予想してこの時はカインの芭蕉扇を小さくしたようなショートアックスを両手に装備していた。横の敵は無視し、ただ前に突き進む。

「壁に!」

 倒す倒さないも関係ない。

「向かえ!」

 横や背後から斬りつけられても相手にせず、ただ前に進む。

「壁に!」

 敵の腕を切り落とし、武器を弾き、首を落とす。

「向かえ!」

 一時も動きを止めることなく、ノルトの遊撃部隊は敵左翼部隊を一気に斜めに切り裂いた。ノルトが剣で斬りつけてくるオーク二体を倒した時、ヒルダの右翼部隊の作る壁にたどり着いた。分断が成功した瞬間だった。

「今だ! 押し込め!」

 ノルトの特攻のタイミングに合わせて、ワイズは敵右翼を牽制する部隊以外は全て敵左翼に攻撃を集中させる。ワイズ自らも敵左翼の真っただ中へ突っ込んでいく。それに連動して中央部隊、ヒルダの右翼部隊も左翼を押し込んでいく。
 上空から見ると空気を抜かれた風船のように、ダークプランツ軍左翼はみるみるうちに縮んでいく。ダークプランツ軍左翼が壊滅すると、アースプランツ軍は右翼・中央・ワイズの左翼が合流し、壁は完全に完成した。

「見事だ! ノルト、ワイズ!」

 ドルマは坑道へ向かって走りながらほくそ笑む。これぞドルマの理想とした戦闘であった。外は優秀な部下がいてくれる。だからこそ自分がティアマトだけに集中して戦えるのだ。
 ロイはノルトの無謀とも思える特攻が、みるみるうちに戦況を変えていくのに目を奪われる。アースプランツの将軍二人の芸術的ともいえる戦い方に、感動すら覚える。そして右翼部隊が死に物狂いで死守している安全な壁の中を走っている自分が、申し訳なく思える。絶対にティアマトを倒す。ロイは血飛沫を上げながら倒れていく味方を横目で見ながら、強く決意を固めた。

 ドルマは坑道の入り口で急に立ち止まる。少し遅れて到着したロイとカインは、坑道入り口で対峙している緋色の鎧兜をつけたホビットと、銀色のフルーレを構えた黒いマントのヴァンパイアを見る。ヒルダとギャランだ。
 ギャランは脇腹から白煙を立ち上らせながらヒルダをにらみつけていたが、いきなり現れたドルマに気づいて向き直る。

「とうとうここまで来たか、アースプランツの英雄が。」

 ギャランの脇腹には大きな切り傷が口を開いていたが、みるみるうちにふさがっていく。ヴァンパイアの恐ろしさは動きの速さとその膂力りょりょくに目を奪われがちだが、忘れてはならないのがその治癒力だ。頭か心臓を確実に破壊しない限り、何度でも蘇る。例え両手両足を切り落としても、すぐに再生して襲ってくるのだ。

「ふん。英雄なら今、お前の目の前にいる戦士こそが英雄だ。ヒルダ、ご苦労だった。」
「光栄なお言葉、痛み入ります。さすればすぐに突入くださいますよう。」
「うむ。援護はいらぬか?」

 ヒルダは不敵にほほ笑む。

「ここはアタシの仕事場です。ドルマ将軍はお気になさいませぬよう。」
「では任せたぞ。」
「そうはさせるか!」

 ドルマが坑道に入ろうとすると、ギャランが飛びかかる。

「アンタの相手はアタシだよ!」

 ヒルダの斧が坑道入り口上部に当たり、壁の一部が崩れ落ちる。ヒルダの斧を避けたギャランは、坑道入り口より離れた場所に優雅に舞い降りる。

「ヒルダ、死ぬなよ。」

 ドルマは坑道の闇に消えていく。ロイはヒルダが気にかかったが、ドルマは後ろを振り向くことなく奥へ走って行ってしまう。ロイはヒルダを振り返りながら、慌てて追いかける。カインもロイに続いて入って行った。

「く……まあ、いい。中にはまだ数千体のオークがひしめき合っている。“ヤツ”もいる。そして何よりティアマト様がいらっしゃる。結果的にお前たちは絶対に勝てんのだ。」
「はっ、アタシの仕事はドルマさまを坑道内にお導きすることさね! 今この時点でアタシの仕事は終わったんだよ。アタシの勝ちさ!」

 ヒルダの斧が真っ直ぐギャランに向かって飛ぶ。ギャランは空中に飛び上がって避ける。するとヒルダは瞬時に手首を返す。地煙をあげながら地面と平行に飛んでいたヒルダの斧は、九十度上に曲がってギャランを追いかける。

小癪こしゃくな!」

 ギャランは斧をフルーレで弾き、ヒルダとの距離を詰める。ヒルダが斧を引くと、ギャランはフルーレを持っていない左手で鎖を掴む。ヒルダの斧が空中で動きを止めると、ギャランは鎖を思いっきり引っ張った。
 鎖が強烈な力で引かれ、ヒルダは武器を取り上げられてしまう。遠くにヒルダの武器を投げ捨てたギャランは、勝ち誇って空中に浮かんでいる。

「これで英雄さんも終わりだな。わたしとここまでやり合ったご褒美に、ひと思いに殺してやる。」
「くっ……」

 ヒルダが腰のダガーに手を伸ばした時、ノルトが到着した。

「ヒルダ、無事か!」
「アンタ!」

 ノルトは全身傷だらけだった。頭からは血を流し、左肩にはざっくりと切り傷が口を開けている。鎧もところどころ裂け、中には血だらけの皮膚が見えている。

「今でっかいゴミを片付けてるところさ。お掃除が終わるまで、ひと仕事終えたダンナさまはゆっくり休んでな!」

 そう言うとヒルダはダガーを構える。

「そんな物でこのわたしにかなうと思っているのか?」

 ギャランは鼻で笑う。

「さっきも言ったろう? すでに勝負はアタシの勝ちなんだよ。今はお片づけの時間さね!」
「く……口の減らないホビットめ。ではわたしがお前を片付けてやろう!」

 ギャランの姿が一瞬ぼやけたかと思うと、次の瞬間にはヒルダの目の前にいた。ヒルダがはっとしてダガーを構えた時にはすでに、ギャランのフルーレはヒルダの左胸を貫いていた。

「ヒルダ!」

 ノルトの叫び声が坑道にこだまする。

「ははは……でかい口を叩いた割にはあっけないものだな。」

 ギャランが引き抜こうとすると、その腕をヒルダは両手でしっかりと掴む。

「つ~かまぁ~えた。」

 ヒルダはそのまま引き寄せ、ギャランの両腕ごとがっしりと胴体を締め上げる。

「アンタ、今だよ!」

 ヒルダは血を吐きながら絶叫する。

「この……貴様あ!」

 ギャランは肘から下を動かして、ヒルダの横腹に手刀を突き刺す。

「ヒルダっ!」

 ノルトの二つの斧がヒルダの兜をかすめ、ギャランの首を跳ね飛ばした。

「ぎゃあああ!」

 ギャランの頭は勢いよく坑道入り口上部の壁にぶつかり、そのまま跳ね返って広場の方へ転がり落ちていった。

「はあっ! がはっ!」

 ヒルダは血の塊を吐き出す。左胸と脇腹からの出血はかなり激しい。ヒルダは、ギャランの首のない胴体を投げ出すと同時に地面に崩れ落ちる。

「ヒルダ!」

 念のためにオークの持っていたせいどうのつるぎでギャランの心臓をひと突きしていたノルトは、よろめきながら妻に走り寄る。ヒルダの上半身を抱え上げると、ヒルダはまた「がはっ」と血を吐く。

「はっはっはっはっ……」

 ヒルダは血で真っ赤になった口を開き、小刻みに呼吸する。ノルトの目から見ても、もう助からないことは明白だった。

「ア、アンタ……」
「ヒルダ、しゃべるな! 今、衛生兵が来るから!」

 ドルマの坑道内への侵入が成功したことで、アースプランツ軍の作戦は第二段階へ移っていた。『死なないこと』。ドルマが厳命したこの命令によって、アースプランツ軍は徹底的に守りに入っている。不用意に突出したりせず、ただ確実に目の前の敵を倒すのみ。傷ついた仲間がいれば後方へ連れて行き、ケガの治療をする。ドルマを通す目的で作られた壁は、今や傷ついた味方を治療するための壁になりつつある。そのため数少ない衛生兵はてんてこ舞いで、おそらくアースプランツ全軍でいちばん厳しい戦いを強いられているのは彼らであろう。そんな戦況であるから、ノルトは衛生兵がすぐに来られないだろうということはよくわかっていた。

「くそっ、これじゃだめか!?」

 ノルトは持っているセームの葉を全て、ヒルダの傷口に押し当てる。しかし皮膚の表面は良くなるものの、傷口がふさがることはない。ヒルダの顔色は青ざめ、血の気がなくなってくる。それに伴ってヒルダの体温は急激に下がっていく。

「くそ~……衛生兵! 衛生兵は、まだか!」
「アンタ……あいつらめっちゃ忙しいんだから、かしちゃダメさね……順番……ね。」

 ノルトは、ナズルで子どもたちを叱りつけていたヒルダを思い出す。

『こら、クルト! 順番でしょ! 今はミルカの番!』
『ええ~だって……』
『いいよ、お兄ちゃん先に乗って!』
『よ~し、じゃ二人で乗っちゃえ!』
『うわ~重い! お父さんつぶれちゃうよ!』
『はははは! ははは……』

 過ぎ去りし家族の幸せな日々。もう戻っては来ないあの幸せ。ノルトは涙を止めることができなかった。まだ戦闘は続いている。ドルマ将軍の大切な戦士たちを任された身としては、感傷に浸ってはいられない。でもせめてほんの少し……ほんの少しだけ、最愛の妻との別れを惜しませてほしい。

「ア、アンタ……子どもたちを……よろしくね……クルトにはちゃんと勉強するように言ってね。ミルカはしっかりしてるけど寂しがりやだから、今ごろきっとお兄ちゃんを困らせてるわ。戦いが終わったらなるべく早めに帰ってあげてね……」
「うん……うん……」

 ヒルダの頬に、ノルトの大粒の涙が次々と落ちて弾ける。

「ミルカの……アタシの作ったピンクのワンピース……大きめに作っておいたから、来年にはきっとぴったりよ……」
「ああ……きっと、すごくかわいいぞ……」

 ヒルダの出血はもう止まっている。出るべき血液がもうヒルダの身体には残っていなかった。

「きっとあの子たちは立派な大人になるわね……アタシたちの子だもん……あの子たちが大人になった姿……見たかったなあ……」

 ヒルダの手から力が抜ける。ノルトは力いっぱいヒルダの手を握りしめる。

「ああ、もちろんだ! もちろんだとも!」
「アンタ……今までありがとね。ケンカもしたけど、アンタといられてアタシ幸せだったよ……夏が終わったら秋のお祭りね……お祭りには……」

 ヒルダはゆっくりと目を閉じ、頭ががっくりと後ろに落ちる。その身体はすでに冷たくなっていた。

「ヒルダああああ!」

 ノルトは声を上げて泣いた。その声が暗い、底知れぬ坑道に響いて反響する。アースプランツの運命を決める戦いは、これからが本番を迎えるのである。



  ◇  ◇  ◇



「グアアア!」

 暗い通路から次々とオークたちが襲いかかって来る。ドルマはトールハンマーを縦横無尽に振り回し、一振りで数体のオークを倒していく。狭い坑道内での雷撃は危険なので、ウィンダイアの力を抑えながら攻撃している。そのためトールハンマーに触れた敵だけに電撃が流れている。ロイとカインはドルマの後についているため、ほとんど襲われる心配はない。時々脇の坑道や後ろから追いすがってくるオークと戦うだけで済んでいる。

 『オーク』は闇の魔法で作り出された小妖精である。妖精というと聞こえはいいが、その姿は醜悪で性質は邪悪である。知性はなく、ただ殺戮本能のみで行動する。知能が低いので魔法は使えず、全身から生ゴミの腐ったような臭気を放ちながら肉弾戦のみで攻撃をしてくる。殺戮を目的として生み出されたため、腕力、肉体ともに強靱で、生半可な攻撃ではダメージを与えられない。しかし、複雑な武器は使えず、単純な物理攻撃しかできないため、熟達した戦士ならばさほど苦労はしないで倒せる相手であろう。
 熱で相手を感知する能力にけており、暗い洞窟や坑道でも冒険者を見つけて襲ってくる。さらにオークの面倒なところは集団で行動するということだ。ただ、集団でも知性がないため連携して攻撃してくることはなく、ばらばらに襲ってくるだけである。

「ティアマトさま、ドルマが坑道内に侵入したようです。いかが致しましょう。」

 黒いローブを着た小男が、坑道内にしつらえた大理石の台座に歩み寄る。ティアマトは台座の上に立ち、背中を向けて呪文を唱えていた。その場所は巨大な空間で、高さは数十アース、縦横五十アースはある大広間のようだった。台座はそのほぼ中央にあり、ティアマトは奥の壁に向かって呪文の詠唱をしていたのである。

「ふむ……やはりヴァンパイアでは抑え切れなんだか。わたしが行ってもよいのじゃが、どうせなら“ヤツ”と戦わせよう。どちらが勝ってもわたしにとっては有利じゃ。」

 ティアマトが呪文を唱えるのをやめるのと同時に、坑道の壁が微細に震動を始める。

「そのための罠を張る時間が要る。お前は第三層で待ち構え、時間を稼いでこい。」
「御意……」

 小男は黒い煙となって暗闇に溶けて消え去る。ティアマトは次第に震動の激しくなってくる壁に向かい、また呪文の詠唱を始める。するとまた坑道の壁は静かに収まった。

「早く寝ろ! この化け物め。」

 ティアマトが詠唱を止めると震動する。始めると収まる。何度か繰り返すうちに、やっと詠唱を止めても震動しなくなる。

「これでよい。後は……」

 ティアマトは空中からせいどうのつるぎを取り出し、地面に突き立てる。ティアマトが呪文を唱えると剣は白く輝きだし、次に金色に変わる。光が収まった時、地面に刺さっている剣は豪奢ごうしゃな金色の飾りが付いた美しい剣に変わっていた。
 さらにティアマトは広い坑道内を歩き始め、地面に突き立てられた剣を中心に、魔法で線を描いていく。それは徐々に形を成していって、広間いっぱいに魔法陣が描かれていく。そして今のプロトピアにはない文字を、ティアマトは一文字ずつ描き込んでいった。



  ◇  ◇  ◇



 ドルマとロイ、カインの三人は、緩やかにカーブして下っていく坑道を、ひたすら戦いつつ進んでいく。倒しても倒してもオークの数が減る様子はなく、一瞬でも気を抜けばあっという間に囲まれてしまう。ロイはもし一人だったらとっくにやられてるだろうなと、ドルマとカインを見る。

 ドルマは相変わらず、無尽蔵の体力で自分たちの前を走っている。驚いたことに、この戦いが始まってからドルマは一度たりとも攻撃を受けていない。的が大きいだけに、どこかに切り傷の一つも受けておかしくはないのだろうが全くの無傷だ。
 カインは何度か攻撃を受けた。しかしそれは全てロイの不注意によるものだ。ロイの死角から襲ってきた敵は全て、カインが倒してきた。そのため、自分の対峙たいじしている敵に背後をさらしてしまうのだ。カインはドルマとの誓約を忠実に守っている。自分の身よりもまずロイの身を優先して考えている。
 カインの守護のお陰で、ロイは飛躍的にその戦闘技術を向上させつつある。暗い坑道内のため、視覚で敵を察知するのではなく気配で察知する。どの敵を一番はじめに倒すべきか、次はどいつか。狭い坑道内のため、無駄な動きを減らし、最小限の動きで敵を攻撃しつつ進んでいく。目の前にいるアースプランツ最高の戦士二人の戦い方は、ロイにとって最高の戦いの教科書になっていた。

 いつ果てることのない戦いの末、ロイたちは広い場所に出た。広大なガルダ鉱山全体の中心部に当たる部分で、開戦前に見た坑道の地図によれば第三層に当たる。ロイたちの侵入したのは第一層なので、二層分下りたことになる。この下に、さらに三層の坑道が広がる。

「グアアアア!」

 ドルマがバトルアックスを持ったオークを倒すと、ふっと敵の攻撃が止んだ。坑道内にはランプが等間隔に据え付けられ、見えないわけではないがかなり薄暗い。ロイたちがたどり着いた場所は広いため、中央部分までランプの明かりが届いていない。よく見ると中央に小さな黒い影が立っている。

「ひっひっひ……待ちくたびれましたよ。アースプランツの英雄どの?」
「お前はネクロマンサーか。」

 ドルマの低い声が坑道の壁に響いている。その小さな影はゆっくりと進み、ようやくランプの明かりが届く範囲に立つ。
 サミュエルと同じく、黒いローブを頭から被っている。ローブから出た手は青白く、生気は感じられない。甲高いその声は、サミュエルのしゃがれ声よりもロイの耳には不気味に聞こえた。

「アースプランツ南部を担当しております、ネクロマンサーのヨブと申します。ひっひっひ……以後お見知りおきを……」
「ここで死ぬ者を知る必要はない。そこをどけ。私が用のあるのはティアマトだけだ。」

 ドルマがずいと一歩踏み出すと、ヨブは後方に軽く飛んで暗がりに溶け込む。

「そう言わずに、ワタシとお手合わせ願いませんか? それなりに楽しませてあげられますよ?ひっひっひ……」
「父さん、ここは僕たちに任せて先に進んでください。こいつを倒して後から追いかけます。」

 カインがドルマに並ぶ。こうしてみると後ろ姿は大きさの違いはあれ、二人ともそっくりだ。やっぱり親子だなと、ロイはこんな時にもかかわらずにんまりしてしまう。

「そうか。では頼む。坑道内の地図は頭に入っておろうな?」
「はい、父さん。」

 ドルマはカインの頭をひと撫でし、無造作に歩き始める。

「“地獄の間”で待っているぞ。」

 ドルマはまるでヨブなどいないかのように、すたすたとロイたちに手を振りながら奥に向かっていく。

「ま、待て!」

 ヨブはあわててダークボールを二つ放つ。ドルマの背中で二つの黒い爆発が起こる。ドルマは何事もなかったかのように背中をぼりぼり掻きながら、振り返ることもなく奥に行ってしまう。
 さすがだ……自分やヤクルがあれだけ苦労したダークボールを、蚊が刺した程度にしか感じていない。ロイは改めて感嘆した。

 “地獄の間”とは、ガルダ鉱山が最盛期のころ一度、大惨事が起こりかけたところだ。鉄鉱石よりも深いところにある魔鉱石を発掘していたチームが、地底に流れる溶岩流を掘り当ててしまったのだ。あふれ出る溶岩流によって、一度はガルダ鉱山は全滅かと思われた。しかし、不思議と溶岩流は最下層を埋め尽くしただけで落ち着いた。七層構造のガルダ坑山が六層構造になったのはこの時である。溶岩流が冷えて固まった後、唯一七層目に残された空洞が“地獄の間”である。ここを掘ればまた溶岩が噴出して坑道内は地獄になるだろうという、禁忌きんきの意味を込めて抗夫たちがそう名付けた。
 ドルマはティアマトがいるとすればここであろうと予測をつけた。そのため、無数にある脇道や旧資材置き場などは徹底的に無視して、まっすぐそこに向かっていたのである。

「へっ、父さんが一対一で相手するにはお前じゃ役不足だ。俺が相手してやるよ! ロイ、手を出すなよ!」

 カインは振り向いて片目をつぶる。ロイは少し心配だったが、カインは立派な戦士だ。サミュエルと比べヨブがどの程度強いのかわからないが、カインがそう言うのなら心配はないだろうと壁際まで下がった。

「まあいい……あいつはティアマトさまにお任せするとしよう。お前はドルマの息子か。であれば、お前を殺せば精神的にドルマを苦しめることができるな。それもよかろう。」

 ヨブは地面から一アースほど空中に浮かぶ。両手には、またダークボールが回転している。

「なあ、お前はサミュエルとかいうネクロマンサーとどっちが強いんだ?」

 カインの問いかけに、ヨブは気味の悪い笑い声を上げる。

「ひっひっひっひ……サミュエルなどワタシの足下にも及ばん。アイツはせいぜい操ってスケルトンだ。ワタシはゴーストやミストなど気体のアンデットも操れる。あんな低レベルのネクロマンサーと比べてもらっては困る。」

 ロイは驚いた。確かにサミュエルは北部の制圧に失敗し、ロイに倒された。ヨブは南部の制圧に成功し、ティアマトのそばにいることができる。ここからもヨブの言うことは間違いはないのだろうが、あれだけの強さを誇ったサミュエルよりも強いヨブをどうしたら倒せるのだろうか。ロイが唯一対抗できる手段である“光の障壁”は有効なのだろうか。
 ロイはカインの様子をみながら、危ない時にはすぐに“光の障壁”を出せるよう、静かにライトニングに意識を集中した。

「それにしても、なぜお前はサミュエルを知っているのだ? アイツは確か、正体を隠して北部を攻略中のはずだが……」

 ヨブのいぶかしげな問いには答えず、カインは芭蕉扇を構える。

「それを聞いて安心した。てことはお前を倒せば、ロイより俺の方が強いってことになるよな!」

 勝ち誇ったようなカインとロイを、ヨブは見比べる。

「その言い方だと、ヤツはその小僧に倒されたということなのか?」
「心配すんな。お前は俺が倒す!」

 カインは一気にヨブとの距離を詰め、縦に芭蕉扇で斬りつける。間違いなく命中したはずの芭蕉扇は、ヨブの身体をすり抜ける。ヨブの身体は黒い煙のように、かすんでいた。

「ひっひっひ……アースプランツの単細胞にはまだ理解できぬか? 我々ネクロマンサーに物理攻撃は効かん。」

 ヨブは音もなく空中に浮かぶ。真っ黒なローブを身につけているため、すぐに周囲と同化して見づらくなってしまう。

「煙みたいなヤツだな……」

 カインは舌打ちをする。魔法が使えれば戦いようもあるのだが、アースプランツは魔法を使えない。その代わり様々な魔法的な効果のある技を使う。ドルマの使った“空破斬”や“雷破斬”などがそうだ。カインはドルマの技を見て“地破斬”の応用だと言った。カイン自身も使えるのだろうか?ロイはハラハラしながらも、期待してまだ余裕のある表情をしているカインを見つめる。
 カインは今まで芭蕉扇を片手で使っていたが、はすに構えたまま腰を落とし、腰だめにした形で芭蕉扇を構える。

「こいつはどうかな?」

 カインはそう言うと、銅像のように動かなくなる。それはまるで力をためているようにも見えた。

「ひぃ~ひっひっひ……覚悟を決めたか? ドルマの息子よ。ひと思いに殺してやる。」

 ヨブは両手を上に挙げ、呪文を唱える。ロイはその呪文に聞き覚えがあった。“デス”の魔法だ。

「カイン、“デス”の魔法だ! 気をつけて!」

 ロイはこの魔法でクルトを失った。ロイのライトニングが暗い坑道内でほのかに光り出す。

「死ねぇ!」

 ヨブの両手から黒い炎が噴き出して、カインに襲いかかる。それはサミュエルが大聖堂で放った炎よりも明らかに濃く、禍々しかった。

「カイン!」
旋風破せんぷうは!」

 カインは両手で持った芭蕉扇を、瞬間的に8の字を横にした形で振る。すると強烈な風が起こり、“デス”の魔法は押し戻される。

「すごい!」

 ロイはアースプランツは物理攻撃しかできないと思い込んでいたが、やり方によっては十分魔法にも対抗できるのだということを理解した。

「空破斬!」

 カインがもう一度同じ動きをすると、見えない空気の刃がヨブに飛ぶ。しかし煙を散らすように通り抜け、ヨブの後ろの壁が崩れるだけだった。

「通用するのは“旋風破”だけか。」

 カインのつぶやきによって、ロイは閃いた。

「カイン、“旋風破”が通用するなら合わせちゃったら?」
「合わせる?」

 カインが訝しげにロイをちらっと見る。

「うん、“旋風破”に“空破斬”を合わせちゃえばいいんだよ!」

 ロイの明るい声に、カインはため息で返す。

「確かにそれならアイツにダメージは与えられそうだけど、残念ながら“旋風破”は遅いんだ。ゴーレムにだって避けられちまうよ。」
「ひっひっひ……その通り。小僧のアイディアはなかなかよかったが、当たらなければ意味はない。」

 ヨブの甲高い笑い声が坑道内に響く。こうしている間にも、ドルマは先に進んでしまっている。相手がティアマトとはいえ、あのドルマがそう簡単にやられるわけはない。しかしロイは胸騒ぎがする。早くヨブを倒し、先に進んだ方がよいような気がしていた。

「カイン、僕に手伝わせてもらえないかな? ちょっと試してみたいことがあるんだ。」
「う~ん……」

 カインは唸っていたが、ふっと肩の力を抜いてため息をつく。

「仕方ない。いっしょにアイツを倒そう。早く父さんを追いかけなきゃなんないしな。」

 その様子がやはりドルマにそっくりで、ロイはくすっと笑ってしまう。

「小僧一匹加わったところで、ワタシは倒せん。まとめて殺してやるわ!」

 ヨブは無数のダークボールを二人に放つ。カインは“旋風破”ではじき返す。ロイはクロスシールドに“光の障壁”張って全て防いだ。

「な、なんだそれは!? 小僧、貴様何者だ!」

 ヨブはカインの隣りに並んだロイを、驚きの表情で見る。ロイの額のハチマキから、薄いレモン色の光が漏れている。

「こいつはライトプランツのロイ。伝説の人物はお前のご主人様だけじゃねえんだよ。」

 カインはまた先ほどと同じように、両手で芭蕉扇を腰だめにする。

「さ、ロイ。その“試してみたいこと”ってのをやってくれ。俺はいつでも準備オーケーだ。」
「ラ、ライトプランツ? まさか“あの方”がおっしゃっていたのはこいつのことか?」

 ロイはヨブのつぶやいた“あの方”という単語に、ティアマト以外の存在を感じ取る。

「“あの方”ってだれのことだ?」

 ヨブはロイの問いには答えず、にらみつける。

「では、本気でお前たちを殺さねばならんな……」

 そう言うとヨブは、手のひらから一アースほどの長さの棒を出す。

「ロイ、気をつけろ。あれは防具を貫通するダークプランツの剣だ。」
「わかった。」

 低い音が坑道内に響き、その黒い棒は振動しているのがわかる。

「ロイ、二人でアイツを挟み込もう。」

 ロイはうなずき、ヨブの左側へ移動する。

「ひっひっひっひっひ……挟み込むだと?ではワタシも挟み込もう。」

 移動するロイの前にヨブが現れる。さらにその横にもう一人のヨブが現れる。見るとカインの向こうにもヨブが現れている。いきなりヨブが四人に増えたのである。

「な、なんだこれ?」

 ロイは目の前にいる二人のヨブを見比べる。どちらも本物のヨブにしか見えない。二人とも手には黒い棒を持っている。

「ロイ、惑わされるな! 本物は一人だけで、後はアイツの作り出したゴーストだ!」

 カインはそう叫ぶと、自分の左にいるヨブに斬りかかる。カインの芭蕉扇が身体をすり抜けると、もう一人のヨブがカインの背後から斬りかかってくる。身をひねって避けたカインは、身体を回転させながら背後のヨブに斬りかかる。しかしやはりそれも煙を散らすようにすり抜けてしまう。

「カイン!」
「貴様の相手はワタシだ!」

 目の前のヨブが斬りかかってくる。ロイは瞬時にプラチナソードにも光の障壁をまとわせ、ヨブの棒を受け止める。もう一人のヨブが真上から棒を振り下ろしてくる。ロイは光の障壁を張ったクロスシールドで受け止め、ジャンプ一閃胴体を真横に斬りつける。

「ぎゃあああ!」

 不気味な叫び声を残し、ヨブが消え去る。着地と同時に身体を反転させ、最初のヨブを下から斜め上に斬り上げる。

「ぎゃああああ!」

 もう一人のヨブも消え去った。

「これも違う!」

 ロイがカインの方を見ると、カインに二人のヨブが左右から同時に斬りかかっている。

「旋風破!」

 カインは右のヨブに旋風破をぶつける。そのヨブは煙のように消え去る。しかし背後のヨブが、カインを黒い棒で斬りつけた。

「ぐあ!」

 カインの背中から白煙が上がる。あの黒い棒は“斬る”というより“溶かす”目的の武器のようだった。

「カイン、大丈夫!?」

 ロイがカインに駆け寄ると、ヨブはロイに向かって“デス”の魔法を放つ。

「死ねえ!」

 ロイは天井近くまで飛び上がり、そのままヨブに斬りかかる。ヨブは斜め後ろに飛んで、ロイの攻撃を避ける。その瞬間、ロイは剣から“光の障壁”をヨブに向けて飛ばした。丸い大きな金色のシャボン玉が真っ直ぐとヨブに飛んでいき、ヨブを取り込んでしまう。

「カイン、今だよ!」
「はあっ!」

 カインは旋風破を放ち、少し遅れて空破斬を撃つ。旋風破の風をまとった空破斬の刃二つが、ヨブの胴体を三つに分断した。

「ぎゃあああ! そ、そんな、このワタシが……ティ、ティアマトさま……」

 ヨブは驚きに目を見開いたかと思うと、黒い煙になって消えてしまった。

「カイン大丈夫!?」

 ロイはカインに駆け寄る。鎧を脱がせると、焼けた鉄の棒を押し当てられたような傷がカインの背中を斜めに真っ直ぐえぐっている。焼けただれた皮膚の下には肉が見えている。

「はあ…はあ…だ、大丈夫だ……」

 ロイは残り少なくなったセームの葉を全部取り出し、カインの背中に当てる。しばらくは苦しそうにしていたカインも、背中の皮膚がすっかり元通りになると元気になった。

「ロイ、ありがと。助けてもらっちゃったな。」
「ううん、こんなの本当の“強さ”じゃない。まだまだ未熟者! ……さ。」

 ロイはドルマの口まねをする。二人の笑い声が坑道内にこだました。



  ◇  ◇  ◇



「雷破斬!」

 数十アースの直線通路にひしめき合っていたオークが、見えない空気の刃で両断されていく。腕や足などの身体の一部を斬られただけで生き残ったオークも、一瞬遅れて通路内に流れる強烈な電流に全身を焼かれて倒されていく。トールハンマーで“空破斬”を撃った技だ。
 ドルマは意図的にオークを殲滅しながら進んでいる。これは当然後から来る者たちのためだ。口では『自分の責任で』と言いながらも、ドルマは息子たちに少しでも危険の少ないように気遣っているのである。

 生き残りがいないことを確かめると、ドルマはとうとう最後の通路を走り抜ける。右にカーブしていく緩やかな坂道を下れば、そこは“地獄の間”である。

「遅かったな。ドルマよ。」

 地獄の間のちょうど中央ほどに位置する大理石の台座の上に、メタリックブラックのドレスに身を包んだ女が立っている。長い黒髪をなびかせ、周囲には黒い炎が揺らめいている。切れ長の美しい目は黒曜石のように澄み、じっと見つめていると吸い込まれそうな気がしてくる。

「ティアマトか。」

 ドルマは静かに口を開く。それは問いかけというよりも儀礼的な確認であった。

「ここまでよく来たと言いたいところじゃが、無駄足じゃとわかっておろうな? オークやアンデットなど何万匹殺そうが、わたしだけでアースプランツテリトリーなど一瞬のうちに滅ぼせるからのう。」

 ドルマはゆっくりと一歩踏み出す。

「知っておる。だから私が来た。私がいる限りアースプランツテリトリーには手は出させん。」
「はぁ~はっはっは……」

 ティアマトの冷たい笑い声が地獄の間に響き、吸い込まれていく。

「では答えは簡単じゃ。お前を倒せばアースプランツも終わりじゃな。わざわざわたしに殺されるために、こんな地の底まで来るとはご苦労なことじゃ。」

 ティアマトは両手を胸の前に上げ、手のひらを向き合わせる。こぶし二個分ほどのその間に黒い炎が渦巻き、だんだん大きくなってくる。

「貴様もご苦労なことだ。わざわざわたしに殺されるために蘇り、こんなプロトピアの田舎まで来たんだからな。」

 ドルマは腰を落とし、トールハンマーを構える。

 ドルマは盾を使わない。自分の肉体の強靱さに自信があるからだ。しかしそれも物理攻撃や通常レベルの攻撃魔法相手での話で、ティアマトほどの相手に何の魔法防御も持たずに対峙するのは自殺行為に等しい。ティアマトはそれがわかっているだけに、そのドルマの無防備さを警戒していた。

「ダークビースト!」

 ティアマトの両手が前に突き出されると手のひらから黒い炎が噴き出し、黒いドラゴンが形作られる。

「ガアアアア!」

 黒いドラゴンはドルマに向け、炎を吐いて襲ってくる。ドルマは右に避けるが、ドラゴンは身をひねってドルマに噛みついてくる。

「ふん!」

 ドルマはトールハンマーをドラゴンに向け、水平にひと振りする。

「ギャアアアアア!」

 勢いよく突っ込んできた黒いドラゴンは、頭からしっぽまで一刀両断される。

「次はこいつだ。」

 ティアマトは続けざまに手のひらから黒い炎を噴き出させる。それは黒い虎と熊を形作る。ドルマの三倍はあろうかという巨大な虎と熊は、それぞれ左右から鋭い牙と爪で襲いかかってきた。

「……子どもだましな。」

 ドルマは右から襲ってくる虎の真上にジャンプすると、頭から縦に斬り裂く。ドルマの着地に合わせて、背後から熊が襲いかかってくる。ドルマは着地と同時に身体を反転させ、横薙ぎに熊の胴体を 真っ二つに分断した。

「ガアアアアアッ!」

 ドラゴン、虎、熊それぞれが叫び声を上げながら、黒い煙となって暗い天井に吸い込まれるように消えていく。

「貴様……何を遊んでおる。」

 ドルマはティアマトをにらみつける。ティアマトは薄笑いをその美しい顔に浮かべたまま、右の人差し指をドルマに向ける。

「!」

 その瞬間、ティアマトの指先から黒く細い光がドルマに向け放たれる。

「つっ!」

 身をひねってかわすが、黒い光はドルマの肩をかすめる。ドルマの肩は皮膚が焼かれ、白煙を上げている。

「ほほう。アースプランツにしては動きは速そうじゃな。ではこれではどうじゃ?」

 ティアマトは人差し指から続けざまに黒い光を放つ。一度見ただけにドルマも全て避けるが、あまりの速さになかなか攻撃に移れない。足に向けて放たれた光をジャンプして避けた瞬間、身動きの取れない空中にいるドルマに向けて黒い光が放たれる。

「くっ!」

 ドルマは避けられないと判断するや、トールハンマーで黒い光を受ける。黒い光を受け止めたトールハンマーは全身を振動させ一瞬黒く輝くが、すぐに元の状態に戻る。

「ほほう。それがトールハンマーか。ヴァンパイアに取りに行かせたのだが、どうやら失敗したようだな。」

 ドルマはトールハンマーの“ウィンダイア”が、ティアマトの魔法に対抗できる鍵だと思っていた。だからこそ余計な盾などは持たずに、トールハンマー一つで全てまかなうつもりでいたのである。 

「今度はわたしの番だ。」

 ドルマは腰だめにしたトールハンマーを、目に見えない速さで横薙よこなぎに振るう。

「空破斬!」

 空気の刃がティアマトに向かう。ティアマトは避けもせず、左の手のひらを前に出す。空破斬の刃はティアマトの手のひらに触れるやいなや、白い煙となって消えてしまう。

「お前こそ、これは何の遊びだ?」

 ティアマトはそう言うと左手を軽く横に振る。するとドルマの空破斬と同じような空気の刃がドルマに向けきらめく。

「むん!」

 ドルマはトールハンマーで、その刃を縦に切り裂く。同じように刃は白煙を上げ、稲光をまといながら空中に消え去った。

「父さん!」

 ロイとカインが“地獄の間”に現れる。

「下がっていろ! お前では手に負えん!」

 ドルマは戦いながら地獄の間の奥に移動していた。ロイとカインのいる入り口とは、ティアマトを挟んで反対側に位置する。

「なんじゃ? お前らは?」

 ティアマトは冷たい目を二人に向ける。ロイはその目を見ると背筋がぞくぞくするのを感じる。これは今までの敵とはレベルが違う。いや、次元が違う。意識を集中せずともライトニングが痛いくらいに反応している。間違いなく今までで最強の相手だ……ライトニングがそう教えてくれている気がした。

「ほほう。そなた、ライトプランツか。なるほど。これでわたしがこんなプロトピアのド田舎に派遣された理由がわかったぞ。」

 ティアマトはハチマキから漏れ出るレモン色の光に目を細める。

「ドルマもそなたもわたしを倒すことはできん。わたしを倒せるのは“ライトニングソード”のみ。いくらライトプランツとはいえ、神であるわたしは倒せん。」

 ティアマトはチラと視線を後ろに向ける。ティアマトの後ろの地面には金色に輝く剣が刺さっている。ライトニングソードだ。

「ロイ……あれ……」

 カインはライトニングソードを見つめている。ライトニングソード、ドルマ、カインとロイの位置関係はちょうど三角形になっている。その中心にティアマトがいる。

「ロイ、俺にいい考えがある。お前の光の障壁なら、アイツの攻撃も少しは防げるだろ? ライトニングソードの本来の持ち主であるお前が攻撃を仕掛ければ、アイツの意識はライトニングソードからお前に向く。その隙に俺があの剣を取ってくる。」
「ええっ!? そんなうまくいくとは思えないよ。それに、あれ……何かあやしくない? あんなあからさまに、地面に刺さってるなんておかしいよ。」

 もし始めから刺さっていたならば、とっくに誰かに発見されているはずだ。もしすさまじい攻撃力があるならば、ティアマト自身が使っているはず。装備できないのであれば、破壊してしまっていてもおかしくはない。どう考えてもあやしいのだ。

「きっとアイツには使えないんだよ! それに伝説の武器を見つけたのはいいけど、簡単に破壊できなかった。そこに父さんが現れて、とりあえずあそこに刺しといたんだよ。」

 カインの推理も一理あるが、ロイはやはり気が進まなかった。さっきからの胸騒ぎはなんだろう。ロイはドルマを見る。あのドルマが肩で息をしている。その肩にも傷がつき、血が出ている。胸騒ぎの原因はドルマの危機を知らせるものだったのだろうか。

「戦いの最中によそ見をするでない!」

 ドルマは一気に跳躍し、トールハンマーでティアマトの真上から斬りつける。ものすごい破砕音と震動が坑道を揺るがし、今までティアマトのいた台座が粉々に砕ける。

「いまだ! ロイ、行け!」

 カインに背中を押され、ロイは自分に背中を向けて着地したティアマトに斬りかかった。

「てええええい!」

 プラチナソードを光の障壁で何重にも包んでいるため、ロイの剣は白く輝いている。

「むっ!?」

 ティアマトは右に避け、ライトニングソードとは反対側の壁際に移動する。

「よ~し! いいぞ、ロイ!」

 カインはライトニングソードに真っ直ぐ走って行き、その豪奢ごうしゃな柄に手をかける。

「カ、カイン! よせ!」

 破砕された台座を乗り越え、ドルマがカインに駆け寄る。しかしドルマの制止も一瞬遅かった。戦いが始まってから三時間、そしてティアマトとの戦い。さすがのドルマにも疲労が出始まっていた。そのためロイの動きに気を取られ、カインを失念してしまっていたのだ。
 カインは地面からライトニングソードを抜き取り、高々と掲げる。

「やった! ロイ、手に入れたぞ!」
「ばかもの! それは罠だ!」

 ドルマはカインを抱き上げ、入り口の方へ投げる。カインの手からこぼれ落ちたライトニングソードは、すでにただのせいどうのつるぎに戻っていた。

「ロイどの、逃げろ!」

 ドルマの叫び声で無意識に身体が反応し、ロイもカインの倒れている隣りに滑り込む。直後、地獄の間の地面は紫色に妖しい光を放ち始める。

「はぁ~はっはっは……バカな息子のお陰で手間が省けたわ。」

 ティアマトは天井近くに浮かび、大声で笑っている。地獄の間全体が震動し始め、壁や天井からパラパラと破片が落ちる。

「な、何が起こるんだ!」

 カインの顔は紫色の光に染め上げられている。その光は急速に光量を増し、ついに魔法陣の形に輝き始める。

「ぐ……ぐおお……」

 ドルマが剣の刺さっていたところで苦しそうな表情を浮かべている。様子がおかしい。

「父さん! ごめんなさい、俺……」

 カインが駆け寄ろうとする。その頬には涙が光っている。

「来るな! “呪縛”の魔法だ! 魔法陣の上に乗ると動けなくなるぞ!」

 ドルマの全身は、何かに縛り付けられているかのようにぴくりとも動かない。ドルマは顔を真っ赤にし、汗まみれになって何とか身体を動かそうとしているが指一本ぴくりともしない。
 そうしている間にも震動はますます強くなり、ドルマの真正面の壁の中から不気味な音が聞こえて来る。

「ヴオオ……ヴオオオオオオ……」
「な、何の音だ?」
「キキ!」

 今までポケットの中に隠れていたジルが、急にロイの頭の上に飛び乗る。

「ジル!」
「ギギィー!」

 ジルはロイの頭の上で、鋭いうなり声を上げる。

「ジル、何か感じるの!?」

 こんな声を出すジルは初めてだった。ジルの緑色の目はドルマの正面の壁を真っ直ぐと見つめ、まるで睨んでいるようにも見える。

「この半年間、わたしでさえ手こずった化け物だ。身動きの取れない状態では、さすがのドルマもひとたまりもないじゃろう!」

 壁にひびが入る。縦に一本入ったひびは、まるで生き物のように上下に伸びていく。さらに四方八方に伸び、壁には蜘蛛の巣状にひびが入る。 

「出て来い! 地獄の使者よ!」
「ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 壁が爆発するかのように破壊され、破片が飛び散る。中から黒く巨大なモノが出てくる。

「ヴオオッ! ヴオオオオオオオオ!」

 それは巨大な雄牛だった。真っ黒な肌に、禍々しくうねった黄色い角が二本額から生えている。口や鼻からは呼吸するたびに炎を吹き出している。腰には焦げ茶色の布を巻き付け、二本足で立っている。

「ま、まさかこいつは……」

 ドルマが呆然としてつぶやく。

「地獄の使者『バルログ』じゃ!」
「ヴオオオオオオオオオオオ!」

 ガルダの坑道内がバルログの咆哮ほうこうで満ちる。

「うわああああああ!」

 ロイとカインは飛び散る破片から頭を守りながら、その姿を見る。ドルマはロイよりも身長が低いとはいえ、アースプランツの中では間違いなく巨体だ。それでもバルログは巨大すぎる。身の丈十アースは軽くあるだろう。ドルマでさえ貧弱に見えてしまいそうな盛り上がった全身の筋肉。黒い、憎しみに満ちた目が、顔の両脇でドルマをにらみつけている。

「く……くそ……」

 ドルマは必死に身体を動かそうとする。しかし全く動く気配はない。このままではドルマは間違いなくやられてしまう。その時ロイはひらめいた。

「カイン、魔法陣ってティアマトを倒せば消えるの!?」
「えっ……えっ?」

 カインは自分のせいで父が窮地におちいってしまったことによって、パニックになっているようだ。

「しっかりしろ! カイン、魔法陣ってティアマトを倒せば消えるのか!?」

 ロイに肩を揺すぶられ、ようやく反応する。

「あ、い、いや、魔法陣は地面に書かれた時点で効力を持つから、アイツを倒しても消えない。でも、この魔法陣はかなり高レベルの魔法だから、アイツを倒せば効力を維持できなくなって弱くはなるかも……」
「よし!」

 そう言うとロイはプラチナソードを腰だめにして構える。

「ロ、ロイ、何しようってんだ?」

 カインはおろおろしている。

「光の障壁を刃状にしてアイツに飛ばす。光の障壁の空破斬だ。」
「そ、そんなのできるのかよ?」

 バルログはまだ出てきたばかりのためか、辺りの様子を伺っている。ティアマトはバルログとドルマに気を取られて、自分たちには注意していない。今が攻撃するチャンスであることには間違いはなかった。

「できるできないじゃない! やるしかないんだ! カイン、空破斬の撃ち方を教えて! ドルマ将軍を助けなきゃ!」

 カインはロイの気迫に気圧けおされながらも、少しずつ落ち着いてくる。

「わ、わかった! 目の前の空気を切り裂くつもりで、剣を真横に瞬間的に振るんだ。手首を返すんじゃなくて、肩と肘で振れ!」
「わかった、やってみる!」

 ロイは意識をライトニングに集中する。すると今までになく濃いレモン色に輝き出す。

「いやあ!」

 ロイは思いっきり剣を水平に振る。同時に剣にまとわりつかせていた光の障壁を、剣の動きに合わせて開放する。

「出た!」

 ロイの剣からは白く輝く光の刃が出た。しかしそれはティアマトからは大きく外れ、奥の壁を破壊しただけだった。

「むっ!?」

 ティアマトが気づいて、ロイたちを見る。

「ロイ、剣の振りが大きすぎる。もっとコンパクトに、もっと速く!」
「わ、わかった!」
小癪こしゃくな小僧ども! 大人しくしておれば楽に殺してやったものを!」

 ティアマトは両手を前に出し、黒い炎を出す。

「ダークビースト!」

 黒い炎が一匹の竜となってロイたちに襲いかかる。

「うわあ! ロイ、来たぞ!」
「む……てえええいっ!」

 ロイはカインのアドバイスの通り、剣を水平にすばやく振る。今度はさっきよりもはっきりとした白色の刃が、黒竜に向かって飛んでいく。黒竜を真っ二つに切り裂いた光の刃は、そのままティアマトに向かって飛んでいく。

「何だと!?」

 黒竜の消え去る黒い煙に紛れて、ロイの光の刃がティアマトからは一瞬見えなくなる。突然黒煙の中から飛び出した光の刃は、ティアマトの頭めがけて飛んでいく。

「ぐわっ!」

 ティアマトの左顔面が青い血で染め上げられる。左手で押さえた指の間からは、どくどくと青い血が流れ出てくる。ロイの光の刃は、かろうじて避けたティアマトの側頭部を切り裂き、左目もつぶしていた。

「き、貴様ぁ!」
「ようやった! ロイどの!」

 ティアマトを攻撃したことによって、ドルマの上半身が動くようになった。

「地破斬!」

 ドルマはトールハンマーを地面に叩き付ける。大音響とともに地獄の間の地面に無数の亀裂が生じ、次の瞬間に魔法陣は粉々になりながら崩れ落ちる。

「ヴォアアアア!」
「うおっ!」

 崩落する地面とともに、ドルマとバルログは落ちていく。

「うわああああ!」

 崩れ落ちる地面に足を取られたロイも、大量の瓦礫とともに落ちていってしまった。

「ロオオオオオイ!」

 暗い穴の縁で、カインが下を覗き込みながら叫ぶ。見ると数十アースほど下に、バルログとドルマが瓦礫に埋もれて倒れている。ロイはすぐ手前の壁際に倒れていた。

「ゆ、ゆるさんぞ貴様ら! 苦しみながら殺してやる!」

 ティアマトは左目をつぶっている。側頭部の傷はすでに塞がりかけているが、目はまだ元には戻っていないようだ。

「ひっ! や、やべえ……」

 カインは後退りしてティアマトから離れようとする。ティアマトが右手の人差し指をカインに向けた時、穴の底から直径三アースはあろうかという巨岩が飛んでくる。

「む!?」

 ティアマトは右の手のひらを斜め下に向ける。巨岩はティアマトの手のひらに触れたかと思うと、こなごなに砕け散る。

「カイン、逃げろ!」

 ドルマだった。足下の岩を投げつけたようだ。

「ヴオオオオオオ!」

 バルログは「お前の相手は自分だ」というように咆哮し、ドルマに飛びかかる。

「ぐおお!」

 ドルマは瓦礫に足を取られながらも右に避け、バルログの左手にトールハンマーを振り下ろす。

「むん!」

 爆発するような音がしてドルマのトールハンマーはバルログの腕の筋肉に弾き返され、上に跳ね上げられる。バルログの左手も下に弾かれ、瓦礫に手を突っ込む。

「ヴオオッ!」

 バルログの全身に強烈な電流が流れる。しかし一瞬身体を震わせただけで、すぐに左手を瓦礫から抜き取ってドルマに襲いかかる。一瞬のうちにオーク数千体を倒すトールハンマーの電撃も、バルログにとっては蚊が刺すほどにも痛痒つうようを感じさせないようだった。

「な、何てヤツだ……」

 ロイは壁に背中をつけ、手をこまねいている。何とかしてドルマに加勢したかったのだが、どうしたらいいかわからない。ライトニングの光は消えている。

「カイン、逃げろ!」

 ドルマはバルログの攻撃を避けながら、カインに叫ぶ。カインはまだ穴の縁にいるようだった。

「バカ息子に気を取られていると自分が殺されるぞ。わたしはその方がありがたいがな。」

 ティアマトは再度右の人差し指をカインに向ける。しかし今度はバルログがティアマトの目の前に立ちはだかる。

「ヴオオオォ!」
「ちいっ!」

 ティアマトは黒い光をバルログの眉間に向けて放つ。

「ヴオアア!」

 バルログは仰け反りながら穴の底に落ちていく。ドルマがティアマトの真下に移動し、ティアマトがバルログの目に入るように誘導したのだった。

「うるさいヤツらじゃな……それなら先に表に群がる虫ケラどもを先に片付けてくるか。お前はその化け物と遊んでいるがいい。」

 そう言うとティアマトは黒い煙となって消えてしまう。

「カイン、外の連中に知らせろ! ティアマトが行くと!」

 ドルマは空破斬を連発しながらバルログの攻撃を避けている。しかしバルログはドルマの刃をものともせず、ドルマに掴みかかる。

「ヴオオオオ!」
「ぐあああああ!」

 ドルマはトールハンマーを弾かれる。拾いにいく隙はなく、ドルマはそのままバルログの片腕を掴む。

「おりゃあああ!」
「ヴォオオオ!」

 何とドルマはバルログが突っ込んでくる勢いを利用し、バルログを壁に投げた。バルログは頭から壁にめり込む。大量の瓦礫がまた穴の底に積み重なっていく。ドルマとバルログの激しい肉弾戦のお陰で、坑道内は崩れ始まっていた。

「父さん、絶対勝てよ!」

 カインは涙を拭って立ち上がる。

「ロイ、お前も早く上がって来いよ!」

 カインは足下のロイに声をかけ、坂道を駆け上がって行った。

 坑道全体が激しく震動し、天井や壁から瓦礫が次々と落ちてくる。ロイは瓦礫を避けながら上に登る方法を探していた。

「キキー!」

 するとジルがロイのポケットから出て、左の壁の方へ走って行く。

「ジル、どこへ行くの!」

 天井からはロイの頭ほどもある岩が、ひっきりなしに落ちてくる。ジルは落ちてくる岩や石を器用に避けながら、瓦礫から瓦礫へと飛び移って移動していく。その動き方は、はっきりとした目標に向かって進んでいるように見える。

「ジル! ジル!」

 ロイも落ちてくる岩や石を何とか避けながら、ジルを追いかける。足下の瓦礫に足を取られ、何度も転びそうになる。

「ヴオオオオオオオオ!」

 壁から頭を引っこ抜いたバルログが咆哮する。口と鼻からは炎と黒煙が大量に噴き出す。ドルマはこの隙にトールハンマーを拾い上げていた。

「ジル!」

 ドルマの耳にロイの声が入る。同時にバルログにも聞こえたようで、首をロイの方へ向ける。

「ヴオッ!」

 バルログがロイの方へ走り出そうとする。

「ロイどの、危ない!」

 ドルマはバルログの前に回り込み、横薙よこなぎにトールハンマーを振る。それはバルログのすねに当たり、バルログは何につまずいたのかと下を見る。

「貴様の相手は私だというのがわからんか。」

 ドルマは真下から雷破斬をバルログの顎めがけて放つ。ドルマから雷光が垂直にきらめく。命中すると、バルログの頭は弾かれたように上に向けられる。
 その隙にロイはジルに追いついていた。

「ジル、どうしたの!?」

 息を弾ませながらジルを見ると、ジルはかろうじて通り抜けられそうな亀裂の前でロイを待っていた。

「キキ!」

 ロイが追いつくと、ジルはひと跳ねして亀裂の中に消えてしまう。

「あ、待ってよ!」

 ロイはドルマを見る。ドルマはロイと目が合うと一つうなずき、顎をしゃくる。そこから逃げろという意味だろう。ロイはこのままいても役には立てそうもないし、逆に足手まといだ。それに何よりもジルの様子が気になる。ロイは今自分がすべきことはドルマの加勢ではなく、ジルを追いかけることのような気がする。

「ドルマさん、勝ってください! 上はカインやワイズさんやノルトさんが絶対何とかしてくれると思います!」

 ロイはそういってうなずくと、続けざまに落ちてくる岩を避けて、亀裂に入って行った。
 亀裂はくねりながらも一本道で、迷うことはない。時折後方から大きな震動が伝わってきて、ドルマとバルログがまだ激しい戦いを繰り広げていることがわかる。
 亀裂はドルマの地破斬によってできあがったものらしく、上は三角屋根のように先細りに狭まっている。両脇の壁は溶岩の固まった岩のため滑らかな表面をしており、簡単に崩れる心配はなさそうだ。それでもドルマとバルログとの戦闘の余波で、細かい石や砂がロイの頭や肩に降りかかる。そう長くはたないだろう。足下もごつごつとしていたかと思うと、突然深い穴になっていたりして、注意して歩かないとすぐに命を落としてしまう。
 ランプも何もないこの地の底にできた亀裂の中は、なぜかうっすらと明かりに照らされている。ロイは始めその理由がわからなかったが、ようやくジルに追いつくことによってその理由が判明した。

「キ!」

 ジルが亀裂の出口でロイの方に向き直りひと跳ねする。ジルの背後に真っ赤な川が流れている。溶岩流だ。

「あ、暑い……」

 どろどろと流れる溶岩流は、亀裂の出口より数アース下を流れている。幅は三十アースほどで、とてもジャンプして渡れる幅ではない。向こう岸には棚のように張り出した道が、溶岩流に沿って続いており、流れの先を見るとその道はぽっかりと空いた穴に続いている。

「キキ!」

 しかしジルはその穴のある方向とは逆、つまり右方向に向かって走っていく。見ると亀裂の出口から右方向に、やはりロイが歩けるほどの幅に道が続いていた。

「ジル、そっちに行けばいいの?」

 ロイは下から押し寄せてくる熱気に汗をかきながらも、ジルを追って歩いていく。遠くの方でまた震動がする。ドルマはまだ戦っているようだ。
 道は百アースほども溶岩流にさかのぼるように進み、ロイの視界は急に開ける。広い空間に溶岩の池があった。そしてその真ん中に直径三アースほどの黒くて平たい岩が、中州のように突き出ている。そこに金色に輝く剣が刺さっている。

「あっ、あれは!?」

 今度こそ間違いなくライトニングソードだ。溶岩の池は直径五十アースはあり、たぶん底から溶岩が噴き出しているのだろう。ひっきりなしにぼこぼこと溶岩が盛り上がっている。ということは池というより大きな溶岩の泉か。どのくらいの深さかはわからないが、深さは関係ない。数千度の熱によって、その表面に触れただけでロイの身体は跡形もなく溶けてしまうだろう。

「キキ!」

 ジルは池の周りにある道を跳びはねながら進んでいく。ジルは暑くないんだろうか。ロイは暑いというよりは、皮膚にひりひりとした痛みを感じるほどになってきている。今すぐにでも鎧を脱ぎたいが、そうもいかない。ぼうっとする頭に気合いを入れながら、ロイはジルを追っていく。
 池の一番奥の方へ回り込んでいくと、壁にレリーフを発見した。それは幅は三アース、高さが一アースほどのレリーフで、飛翔する竜のような生き物をかたどっている。

「これはなんだ?」
「キキー!」

 ジルはレリーフの真下で嬉しそうに何度も跳びはねている。ロイはレリーフを指でなぞってみる。溶岩の熱で熱くはなっているが、触れられないほどではない。固く鉄のような岩を、何かで彫ったようだ。明らかに誰かが意図的に作ったもので、自然のものではない。とても精巧に彫られてあり、芸術といってもよいくらいだ。よく見ると竜の額の部分がダイヤ型にへこんでいる。ロイはそこに指を突っ込んでみたが、特に何かあるわけでもなさそうだった。

 溶岩流のただ中に浮かぶライトニングソード。壁に彫られた意味ありげなレリーフ。この二つに関係がないわけがない。まさか溶岩流を泳いで渡るわけにもいかないだろうから、このレリーフはライトニングソードを取るために必要なものだ。
 ロイはライトニングソードと溶岩流とレリーフを何度も見比べた。

「キキー! キキー!」

 ロイが思案に暮れていると、ジルが奇妙な行動を取り始める。岩壁に両の前足を突き、二本足で立つ。そして小刻みに頭を岩壁にぶつけ始めたのだ。

「ジ、ジル!? 大丈夫?」

 ロイはジルが暑さのために頭がおかしくなってしまったのかと心配する。しかし、そのようでもない。ジルは何度も岩壁に頭をぶつける。ぶつけるといっても激しくではなく、触れる程度だ。その姿を見てロイははっとした。

「もしかして!」

 ロイは先ほどの竜の額にあるダイヤ型のへこみをもう一度見る。

「同じだ……」

 ロイはハチマキを取って自分のライトニングをなぞる。ジルの行動は明らかにこのライトニングをレリーフのへこみに合わせろといっている。

「ジル、こうすればいいのかい?」

 ロイはジルが繰り返し行っていたように、岩壁に両手をついてレリーフのへこみにあわせるように、自分の額のライトニングをくっつけた。

「キキキー!」

 ジルが一際大きな声で鳴くと、ロイの額が一気に熱くなる。まるで溶岩がロイの額に流れ込んでくるようだった。

「あああっ!」

 ロイは目をつぶって暑さに耐える。ほんの数秒間のはずなのに、ロイにとっては何時間も経った気がした。ふいに熱が引いて、楽になる。ロイは全身の力を使い果たしてしまったかのように尻餅をついてしまう。

「はあ……はあ……ジ、ジル……これでいいんだろ?」

 すると地面が震動し始める。ロイは坑道が崩れるのかと思い天井を見上げるが、そうではなく地面だけが震動しているようだ。

「キー! キー!」

 ジルが溶岩の池に向かって何度も跳びはねる。池の縁から熱気に顔を背けながら覗き込むと、なんと池の底から岩が浮き上がってくる。細長い一本の岩が地面の震動に合わせてせり上がってくる。レリーフはこのためのスイッチで、ロイのライトニングが鍵の役割を果たしたのだろう。
 震動が収まると、ロイのいる道から中州までが岩によってつながれる。これでライトニングソードのところまで行けそうだった。

「落ちたら一巻の終わりだね……」

 時折遠くの方で聞こえる轟音と少し遅れて伝わってくる震動で、岩が左右に大きく揺れ動く。ロイは慎重に、それでいて迅速に一本道のような岩を歩いて行く。ジルは何の恐れもなく走って行き、ライトニングソードの傍でロイの到着を待つ。その様子はまるでライトニングソードに仕える従者のようだ。
 中州にたどり着くと、ロイは膝をついて一休みする。熱気と落ちたら死ぬという緊張感でへとへとだった。

 質量を感じさせるような焼けた熱い空気が、ロイの口から肺に入ってくる。あまり深く呼吸をすると内臓が焼けただれてしまいそうだ。ロイは口を細く開いて静かに呼吸を整え、立ち上がる。目の前には長さ一・五アースほどの金色の剣が、エンジ色の柄を上に向けて刺さっている。柄には金色の金属を思わせるつばが付いており、それは決して豪奢な作りではなかった。つばの両脇は丸まっており、渦のようになっている。飾りらしい飾りはそれだけで、柄の一番下はきのこの頭のようなこぶ状になっていて、とてもシンプルだ。
 刃は金色に輝いているが、金属のようでもあり石のようでもある。ロイは柄を握り、ひと思いに剣を抜いた。

「うああっ!」

その瞬間、ロイはライトニングソードと“つながった”と感じた。手のひらを通じて、ロイのライトニングとこの剣は間違いなく一体となった。何かがライトニングから剣へ流れ出て、剣からもロイの身体へ何かが流れ込んでくる。しばらくその力の流れが続くと、もう何も感じなくなった。

「す、すごい……これが【ライトニングソード】……」

 軽い。まったくその重さを感じさせない。手のひらに伝わる柄の感触が確かにその剣の存在を教えてくれる。刃は相変わらず金色に輝いているが、その材質は金属ではなさそうだった。しかし柔らかくもない。ただそれはそこに“あった”。固いとか柔らかいとかいう常識的な感覚で表すことのできない“存在感”。それがライトニングソードだった。

 遠くで聞こえていた震動が遠ざかっていく。ドルマとバルログの戦いは、次第に地上へ向かって移動しながら行われているようだ。このままでは坑道全体が崩れるのは時間の問題だ。ドルマはバルログと生き埋めにならないように、脱出を始めたのだろう。

「ジル、僕たちも行かなきゃ。」

「キキ!」

 ジルはロイのポケットに入り込む。不思議なことに、ロイはもう暑さを感じなくなっていた。
 溶岩の泉を来た方向とは逆の方へ回り込んで行き、地獄の間へ通じる亀裂の対岸の道を進む。そこから百アースも進むと、溶岩流の横に開いた穴にたどり着く。穴は急な上り坂になっており、まるでパイプのようだ。幅も高さも十分で、腰をかがめなくても走って上れそうだ。上の方からは轟音と震動、バルログのものらしき咆哮が時折伝わってくる。

「急がなくちゃ!」

 ティアマトが消えてからどれくらいの時間が経過したんだろう。外はどんな状況になっているんだろう。ワイズやノルトたちは無事でいるのだろうか。ロイはティアマトに外で戦っているアースプランツが全員殺されているのではないかと想像し、背筋に悪寒を感じる。自分を通すために血飛沫をあげながら倒れていったアースプランツたちを思って、ロイは必死に通路を駆け上がっていく。
 それにロイはカインが心配だった。自分のせいでドルマを窮地に追いやってしまったという責任感から、ティアマトに対して無謀な戦いを仕掛けていないか。
 ロイのライトニングは先ほどから濃いレモン色に輝き続けており、それはほとんど黄色に近くなっている。お陰で明かりのない通路も、先まで見通すことができた。

「カイン、早まるなよ!」

 また大きな震動がして、通路の天井から大きな岩がロイのすぐ後ろに落ちる。ガルダ坑道の崩落は、加速度的に進行し始めていた。



  ◇  ◇  ◇



 坑道前の戦場は消耗戦と化していた。アースプランツ軍もダークプランツ軍もほぼ同数で、お互いにその数を同じように減らしていく。すでに双方とも一万ほどに減っていた。
 しかし、少しずつではあるがアースプランツ側が盛り返しつつある。それは衛生兵の功績である。ケガ人は迅速に治療され、再度戦えるものはすぐに戦列に加わる。全体からすればその数は些細なものだが、戦闘の時間が長くなれば長くなるほどアースプランツ軍にとっては有利に働き始めている。
 さらにダークプランツ軍は指揮官がいなかった。オークの中にも能力の高い者がいて、そのオークたちがとりあえず指示は出している。しかしワイズやノルトの指揮能力とは比べるべくもなかった。

「円月斬部隊は上段に移動して、上から狙い撃て!」

 ヒルダの部隊が確保した一カ所の坑道入り口を橋頭堡きょうとうほとして、アースプランツ側にも高い位置から攻撃できる場所ができていた。二千を割り込んでしまってはいたが、遠距離攻撃のできる部隊がいるということは有利である。
 ダークプランツ軍の空中部隊であるガーゴイル、ウィッシュ=ボーン約五千は、先ほどから全てただの石像や骨の山になってしまっていた。これは言うまでもなくロイとカインがヨブを倒したことによる副次的効果だ。
 ダークプランツ側が唯一遠距離から攻撃できる弓矢部隊は、ドルマによってほぼ壊滅状態にある。

 円月斬部隊は高い位置から確実にオークを一体ずつ倒していく。アースプランツ側の勝利は、ほぼ時間の問題だと思われた。

「ぐわっ!」
「ああっ!」

 突然、円月斬部隊の戦士たちが次々と広場に落ちてくる。

「どうした!?」

 ワイズは見た。メタリックブラックに鈍く輝くドレスに身を包んだ痩身そうしんの女が、黒い炎に包まれながら浮かび上がる姿を。
 空は厚く黒い雲が、地獄の釜の蓋のように低くのしかかっている。ぽつぽつとした白い線がみるみるうちに太くなり、大粒の雨はたちまちのうちに弾丸のような豪雨となる。雷鳴が低くとどろき、トールハンマーのものではない禍々しい稲光がガルダの空に踊り狂う。一瞬照らされた黒い姿は、淡い紫色の光に包まれている。豪雨と稲光は、まるでその女のための舞台装置のようであった。

「あ、あれは!」

 顔に当たる雨粒に目を細めながらも、ワイズはその姿をはっきりと確認できた。

「ティ、ティアマト……」

 その確信は、ワイズに恐怖と絶望の入り交じったつぶやきをもたらした。恐ろしい敵が現れたという恐怖と、ドルマが現れずにティアマトだけが現れたという絶望である。

「貴様ら虫けらの大将は、ガルダの地下深くで朽ち果てた。地獄の使者とともにな。」

 低く、それでいてはっきりとした声が、その場にいるアースプランツたちの脳裏に響き渡る。

「ド、ドルマ将軍が……」
「そ、そんな……」
「う、うわああああ! も、もうだめだああ! 終わりだああ!」

 雷鳴……豪雨……嘲笑……怒号……悲鳴……形勢は一気に逆転し、オークたちは狂喜して襲いかかってくる。地方出身のアースプランツたちの中には、稲光を背にしたティアマトを見た瞬間戦意を喪失し、敗走し始めた者もいる。

「く、くそ……逃げるな! 立て直せ! まだ負けたわけではない! ここで逃げても我々に行く場所はない! 戦え! 斧を取れ! お前たちはアースプランツの戦士だぞ!」

 ワイズは必死に怒鳴る。しかしそれも戦場の怒号と雷鳴と豪雨にかき消されていく。

「はぁ~はっはっは……殺せ、殺せ! オークども。一人残らず殺し尽くせ!」
「ガアアアア!」
「く、このままでは……」

 今まで意気消沈していたオークたちの圧力が急激に強くなる。逆にアースプランツ側の抗力は弱くなり、戦線が崩壊するところも出始まった。

「な、何があったんだ!?」

 ノルトは後方で治療中だった。ヒルダの遺体を運び出さなければならなかったし、自身も遊撃部隊の特攻による傷が深かったため一旦後方に下がっていたのだ。
 後方までティアマトの声は届いていなかったらしく、衛生兵や糧秣りょうまつ部隊のアースプランツたちも何が起こっているのか理解できていなくておろおろしている。
 アースプランツ軍の戦線は急激に縮小し始める。今まで形勢有利だったために、ノルトは急激な変化にとまどいを覚える。しかし、勢いを増したオークどもの遥か後方に、紫色の禍々しい光が上昇していくのを見て、ノルトは全てを理解した。

「ティアマトが出て来たのか。」

 ノルトは戦矛と、ヒルダの形見であるチェーンアックスを持って立ち上がる。ここはティアマトと戦うのが目的ではなく、ドルマが戻って来ることを信じて持ちこたえるべきである。ワイズはティアマトの衝撃的な登場に気が動転しているのだろう。ノルトはそう判断し、傷の痛みやヒルダを失った悲しみが表情に出ないように戦士の顔を作る。

「馬鹿者! ドルマ将軍がそう簡単にやられるわけがないだろう! 将軍は今ティアマト以上にたいへんな敵と戦っておられるのだ! われわれを信じてティアマトを行かせたに違いない! ひるむな! あと少しで我らの勝利ではないか!」

 ノルトはその小さな身体とは対照的に、威厳に溢れ、堂々とした声音で叫ぶ。周囲のアースプランツたちはノルトが妻のヒルダを失ったことを知っていただけに、その叫びは戦士としての心に深く響いた。

「そ、そうだ。ドルマ将軍がやられるわけがない。」
「何か事情があって後から出て来られるだけだ!」
「こんな姿を見られたら後で王宮百周走らされるぞ!」
「それに比べたらオークどもなんて子どもと遊ぶようなもんだ!」

 池に投げ込まれた石が波紋を広げるように、ノルトの鼓舞こぶがアースプランツ軍に広がっていく。

「そうだ! ティアマトはドルマ将軍の獲物だ! われわれは命令通り、オークを殲滅すればいい! 俺に続け!」

 ノルトは鎖を振り回しながらオークの群れに突っ込んでいく。

「ふっ……ノルトには借りを作ってばかりだな……うりゃああああ!」

 ワイズも自嘲じちょうし、今までの自分を振り払うようにオークの群れに飛び込んで行く。破綻しかけていたアースプランツ軍の戦線は崩壊の一歩手前で踏みとどまり、怒濤どとうの反撃に出た。豪雨によって泥沼と化したガルダの山裾は、地の民であるアースプランツにとって決して不利な戦場ではない。

「ふん、虫けらどもが生意気に抵抗しよるか。では強さを信奉するアースプランツの虫けらどもに、絶対的な強さというものを教えてやろう。」

 ティアマトは真上を見ながら両手を上げて、手のひらを上に向ける。そして低く、不気味な声で呪文を唱え始めた。豪雨と戦場の騒音が渦巻く中、その詠唱の声は不気味に響き渡る。そして詠唱えいしょうが静かにむ。

「メテオ!」

 ティアマトが両手を振り下ろす。左目をつぶったティアマトの、残された右目に妖しい紫光が輝いている。

「あ、あれは何だ!」
「あああ!」

 アースプランツたちは見た。黒く厚い雲を突き破って、燃えさかる巨大な隕石が自分たちの方へ向かって落ちてくるのを。

「わああああ!」
「逃げろおおおおおお!」

 蜘蛛の子を散らすようにアースプランツたちは逃げまどう。オークたちは何が起こったのか理解していないらしく、逃げるアースプランツたちを追いかけながらも辺りをきょろきょろと見回す。そこに膨大な質量を持った炎の塊が落ちてきた。
 轟音と同時に大量の土砂が数百アースの高さまで巻き上がる。その震動は遠く離れたカノンまで伝わったという。隕石に直接つぶされなかった者も、降りかかる土砂と大きな地割れに飲み込まれていく。まさにこの世の終わりを表すかのような光景だった。

「こ、これは……何が起こったんだ!?」

 崩れ落ちる瓦礫を避けながら、坑道入り口にカインが現れる。広い坑道前広場には巨大なクレーターができている。その中には数個に割れた巨大な岩石が、まるで獰猛な獣の牙のように屹立している。クレーターの斜面にはばらばらになったアースプランツやオークの遺体が散らばり、盛り上がった土砂が周囲に高い堤防のような壁を作っている。

「はっはっはっは……はあ~っはっはっはっは!」

 身の毛のよだつ笑い声が辺りに響き渡る。いまだ降り注ぐ土砂が顔に掛かるのを手でかばいながらカインが上空を振り仰ぐと、黒雲にぽっかりと開いた巨大な穴が見える。穴からは太陽の光が真っ直ぐと差し込み、光の柱を作り上げている。荘厳なその風景を背景にして、ティアマトが紫色に淡く輝いて浮かんでいる。

「これは……アイツの仕業か!」

 カインはきつく下唇を噛む。カインは聞いたことがあった。太古には隕石を呼ぶ禁断の魔法があったらしい。先ほどの震動とこの光景は、まさに巨大隕石の激突がもたらしたものであろう。常識で考えれば巨大隕石が激突すれば、この星自体がダメージを受ける。しかしその魔法なら特定の範囲内だけに被害を押しとどめられる。小惑星を自由に操る魔力を持つティアマトに、自分はどうやったら対抗できるのかカインは全くわからなかった。

「隊長!」

 坑道前広場から、ノルトが上がってくる。後ろにはワイズとかろうじて生き残ったらしいアースプランツの戦士たちと、少数の衛生兵が見える。合わせても十数名ぐらいだろう。見ると降り積もる土砂に埋もれて、オークたちもうごめいている。しかしやはり数十体程度で、これ以上戦闘が継続できる状態ではなかった。

「ドルマ将軍はどうされたのです!?」

 ワイズが頭から血を流しながら駆け寄って来る。岩か何かが当たったのだろう。

「父さんは……バルログと戦っている。」
「バ、バルログだって!?」

 ワイズもノルトもそのモンスターの名前は聞いたことがあった。まさしく伝説のモンスターで、かつては神をも滅ぼしたことあるらしい。残忍で冷酷にして凶暴。その身体は一切の魔法を受け付けず、物理攻撃も神レベルでなければダメージを与えることはできない。ティアマトが手こずるわけであった。ティアマトが言っていた“地獄の使者”とはバルログのことであったかと、その場にいる者たちはみな得心した。

「そ、それで将軍は大丈夫なのですか!?」

 ワイズが血の気を失った顔でカインに詰め寄る。カインは顔に熱を感じて目をそらす。

「と、父さんがやられるわけないじゃないか!? すぐにあんなヤツ倒して、戻って来るよ!」
「そ、そうですよね……」

 ワイズは胸を撫で下ろす。

「それで……隊長。ロイくんは……」

 ノルトは以前ゲルト王親衛隊に所属していた。その名残でカインのことは隊長と呼んでいる。

「ノルト将軍。今はあんたの方が階級は上だ。隊長はやめてくれ。」

 カインは苦笑する。しかしすぐに暗い表情に変わってうつむく。

「ロイは……」

 カインは手短かに地下での出来事をその場にいる者たちに話す。ヨブとの戦い。ニセモノのライトニングソードに魔法陣の罠。ドルマとバルログの戦い、ロイの光の空破斬。ドルマの地破斬。その場にいる者たちは驚愕し、次に不安げに囁き合う。

「それだけの激しい戦いに、この古い坑道が保つのか?」
「第七層から下に落ちて、上に戻るルートなんて聞いたことがない。ドルマ将軍なら心配ないがロイどのは……」

 ドルマならどんな状況下でもきっと戻って来る。その場にいる者たちはみな共通してその思いはあった。しかし、ロイに関しては今ひとつ確信が持てない。カインの話を聞く限りでは、やはりロイは正真正銘のライトプランツであるらしかった。しかし見た目の子どもっぽさに相まって、実際にライトプランツの力を目にしたことのない者たちにとってはロイは必ず無事だとは信じ切れなかった。

「とにかく、ドルマ将軍が戻ってくるまで……」
「あやつはもう死んだ。何をこそこそと、虫けらどもが汚い額を寄せ合って悪巧みをしておるのじゃ?」

 ティアマトの声が全員の脳裏に響き、その場にいる者たちは空を仰ぐ。メテオの魔法によって開けられた雲の大穴が次第に広がり、空には光が満ち始めている。数本の光の柱をバックにしたティアマトがゆっくりと降りて来る。

「そなたたちはまだあの男が戻ってくると信じておるようじゃな。見上げた信頼感じゃが、それが無駄なことじゃとわたしが教えてやろう。」

 ティアマトはまた両手を上に上げて呪文を唱え始める。

「させるかあ!」

 カインは空破斬をティアマトめがけて撃つ。その刃は湿った空気によってはっきりと半月形を浮き立たせて飛んでいく。カインの刃がティアマトの首に命中する。しかしそれは空しく水飛沫となって空中に霧散むさんしてしまう。

「く、くそ……だめか……」

 カインの空破斬は固い甲虫モンスターでさえ簡単に一刀両断する。ほとんど芭蕉扇そのもので攻撃するのと攻撃力は変わらないはずである。その空破斬が通用しないとなると、直接攻撃してもまずダメージは与えられないということであろう。

「た、隊長の空破斬が全く通用しないなんて……」

 さすがのノルトも手の打ちようがない。この相手は戦術や奇策が通用する相手ではない。どんなに強い紙でも、はさみには敵わないのと同じだ。

「メテオシャワー!」

 ティアマトが両手を振り下ろすと、晴れ間にたくさんの光点が現れる。続いて周囲の黒い雲にも、小さな穴がいくつも開き始める。先ほどの隕石よりは小さな隕石が、無数にガルダ上空に現れた。

「まずい! 下に逃げろ!」

 ワイズの号令によって、その場にいる者たちは走り出す。空からシャワーのように隕石が降り注ぐ。無数の隕石は、まるで爆撃のようにガルダ山全体で爆発する。

「うわああああああ!」

 アースプランツの象徴たるガルダ山は、いまや噴き上がる土砂と土煙の巨大な柱となっている。その様子は広大なアースプランツテリトリーのほぼ全ての場所から見ることができた。大小無数の岩石や砂が、坑道前広場に降り注ぐ。岩石の直撃を受けたアースプランツやオークが次々と倒れていく。
 永遠に続くかと思われたその岩石のシャワーが次第に落ち着いてくる。もうもうと立ち込める土煙と、いまだぱらぱらと降りかかる砂が晴れて視界が開けてくる。カインたちは衛生兵たちがいた坑道前広場と森の境目に避難していた。ガルダ山を振り仰ぐと、その場にいる者たちは驚愕する。この世のものとは思えない光景が目の前に広がっていたのだ。

「な、何てことだ……ガルダが……」

 標高七千アースを誇るガルダ山は、無惨な姿をさらしていた。美しい曲線を見せていた稜線は平坦になり、高さは少なく見ても二千アースは低くなっている。土砂崩れによって坑道入り口はすべて埋め尽くされ、山の斜面は無数のあばた状のクレーターによってハチの巣のようになっていた。

「将軍……ロイくん……」

 ノルトの声が震えている。生き残ったのはワイズとノルト、衛生兵一名、ドワーフの戦士一名、それにカインだけだった。

「ア、アイツはどこだ?」

 カインはティアマトの姿を捜す。ティアマトは先ほどと同じ場所に、紫色の光をまとって浮いていた。変形したガルダ山を見て、満足そうに微笑んでいる。カインの怒りは頂点に達した。

「ちくしょお……絶対に許さねえ!」

 カインは弾かれるようにティアマトの方へ向かって走り出す。

「カインどの!」
「隊長!」

 ワイズとノルトの制止を無視して、瓦礫の山を飛び越えて行く。カインは完全に逆上していた。自分のミスで父を窮地に追い込み、目の前で生き埋めにされたという怒りがカインに正常な判断を失わせていた。

「ほう、ドルマのバカ息子がまだ生きていたか。地下で刺せなかったとどめを、刺させてもらおうか。」

 ティアマトは右手の人差し指を立てる。黒い光が指先に凝縮し、まぶしく輝き始める。一瞬きらめいたかと思うと、黒く細い線がまっすぐとカインに向かって伸びる。

「危ない!」

 カインをかばって飛びついたのはワイズだった。付き合いの長いワイズは、カインの性格をよく把握していた。状況的に彼が逆上して突っ走ることを予測し、カインが飛び出すのと同時に飛び出していたのだ。突き飛ばされたカインが瓦礫に倒れ込む。黒い線はワイズの右胸を刺し貫いていた。

「ぐはっ!」
「ワイズ将軍!」

 ノルトたちが遅れて追いついて来る。カインは目の前でワイズがゆっくりと倒れていくさまを呆然と見つめていた。

「ワ、ワイズ!」

 我に返ったカインは仰向けに倒れたワイズを抱き上げる。ワイズの右胸にはこぶし大の穴が開き、どくどくと鮮血が溢れてくる。

「か、かはっ……カ、カインどの……ぶ、無事ですか……」

 ワイズは震える手を上げる。カインは目に涙を浮かべながらワイズの手を握りしめる。

「ワ、ワイズ! ご、ごめん! 俺……」

 カインはどうしようもなく自分を責めていた。父だけでなくワイズにまで迷惑をかけてしまった。自分はどうしようもなくバカで単細胞で役立たずだ。

「む、昔からあなたはキレると見境がなくなってしまって困る……よ、よくいっしょにお父上のところに……謝りに行きましたね……」
「いいからじゃべるな! ノルト! 衛生兵!」

 すぐにノルトたちも追いつく。

「ワイズ将軍! 大丈夫ですか!? おい、すぐに手当をしろ!」

 衛生兵は小さな木の箱を開けて、中に一粒だけ入っていた黒い粒をワイズの口に入れる。『ジャックの実』だった。
 ジャックの実はアクアプランツテリトリーだけで採集できる回復の木の実だ。時間はかかるが死んでいなければほとんどの外科的治療はまかなえる。今回の戦闘に備え、ゲルト王が王宮に保管されていた最後の十粒をドルマに持たせていたのだった。これが残された最後の実だった。
 みるみるうちに出血が止まる。何とか命だけは助かりそうだった。 

「はっはっはっは……美しい同胞愛じゃのう! ではお前らみんなまとめて殺してくれようぞ!」

 ティアマトの両手の間に黒い炎が発生する。

「く、くそ……みんなは俺が命に代えても守る!」

 カインは芭蕉扇を構えてワイズの前に立ちはだかる。

「隊長だけにいい格好はさせられませんよ。」

 ノルトが戦矛を構えてカインの隣りに立つ。

「隊長はよせって。」

 カインもノルトも死を覚悟した。しかし簡単にやられるわけにはいかない。ティアマトの腕の一本でも道連れにして死ぬつもりだった。
 すると遠くの方で地響きが聞こえた。低い爆発音のようにも聞こえる。

「ん?」

 最初に気づいたのはノルトだった。

「この音は何です?」

 また震動。今度は全員にはっきりと認知できた。ティアマトも気づいたようだ。

「なんじゃ? この音と震動は?」

 次第に音と震動の間隔が狭まってくる。震動に合わせて斜面に石や岩が転がる。一際大きな震動が聞こえ、坑道の入り口のあった辺りの瓦礫がこんもりと盛り上がる。

「ま、まさか……」

 ティアマトが避けるように上昇すると、大音響とともに山の斜面が爆発した。

「ヴオオオオオオオオオオオ!」

 瓦礫に埋もれた斜面を突き破って、バルログが飛び出してきた。しかしそれは自分から飛び出したというよりは、何かによって投げ飛ばされたような感じだった。

「はっはあ~! やっと出られたぞ、この化け物め!」

 バルログによって開けられた斜面の大穴から、斧を持ち、赤と黒の鎧をつけた戦士がむっくりと姿を現す。

「ド、ドルマ将軍!」
「父さん!」

 ドルマだった。バルログと戦いながら地上に出てきたらしい。全身傷とあざだらけで、片目も腫れ上がっている。しかしその全身から立ち上る闘気と活力はいささかも減じられていないように見えた。

「ヴオオオオオオオオオ!」

 バルログは頭から地上に落ちかける。すると背中から羽を出して落下を食い止める。コウモリの羽のような黒い硬質な羽だ。ガーゴイルのものにも似た翼を羽ばたかせ、バルログは上昇する。

「な、なんだ!? あの化け物は! まさかあれがバルログか!?」

 ノルトは身長十アースはある巨大な雄牛を見て恐怖に駆られる。ドルマはたった一人地の底で、あんな化け物とずっと戦っていたのだ。戦闘開始からすでに五時間。切れ切れになった黒い雲の隙間から差し込む光は、夕焼けの赤みを帯びている。まるで血をイメージさせるその光の中を、この世の終わりを思わせるような姿のバルログが飛翔する。
 百アースほど上空で静止すると、バルログは全身を震えさせ始める。苦しんでいるようにも見えるがそうではなさそうである。

「ヴオッ! ヴオオオオオオオオッ!」

 バルログの全身から炎が噴き上がる。炎のたてがみが真っ赤に燃えさかり、しっぽの先も燃え上がっている。手には手元から三つに分かれた鞭を握っている。それぞれの鞭の先にも、炎が揺らめいている。

「ふん、あれが真の姿か。ようやく“本気”になったってことか?」

 ドルマはゆっくりと斜面を降りる。

「と、父さん! 父さん! よかった!」

 カインが駆け寄る。ドルマはカインの頭に軽く手を置き、横たわるワイズの横に立つと、おもむろに片膝をつく。

「よく生き残っていてくれたな、ワイズよ。そなたが無用にそのような傷を受けるわけがない。察するにこのバカ息子が迷惑をかけたといったところか。」

 ドルマがワイズの盛り上がった傷に右手を添える。大きな無骨な手は煤と埃に汚れているが、忠実にして有能な部下をいたわる愛情に満ちている手だ。

「い、いえ……自分の不注意です。わたしもヤキが回ったようです。」

 ワイズは微笑む。カインはうつむいて下唇を噛んでいる。自分のふがいなさ、精神的な未熟さを痛感する。

「しょ、将軍、ロイくんは……」

 ノルトは、ロイはドルマといっしょにいるものだと思っていた。ドルマは困惑する。

「ロイどのは地獄の間の亀裂から脱出した。まだ地上には戻ってきていないのか?」
「はい……」

 ノルトは無惨な姿になってしまったガルダを見上げる。ドルマはトールハンマーをしっかりと握り、ワイズの肩を軽く叩く。

「ヤツらを片づけたら坑道を掘り起こしてみよう。中にはまだ空洞が残っているはずだ。ロイどのならきっとどこかに生き残っているはずだ。何しろあの若さで、あのティアマトに手傷を負わせたのだからな。」

 ティアマトの左目は閉じられたままだ。どうやらライトプランツによってつけられた傷は治癒しないらしい。

「父さん……俺……」

 カインは力なくうなだれている。

「カイン、まだ戦いは終わっていない。貴様の力でアースプランツを救う手助けをしろ。」
「は、はい!」

 ティアマト、バルログ、アースプランツ……三者はそれぞれの立場で対峙している。ドルマは勝負の鍵はバルログだと思っている。地下から地上まで激しい戦闘を繰り広げながら、バルログには自分に対する敵意というものを感じていなかった。バルログはこの世の全てを憎悪している。ある特定の対象だけに攻撃の意志を持っているわけではなさそうだ。ということはバルログにとっての敵は、自分たちだけではなくティアマトも対象になるはずだ。そこにつけ込む隙がある。

「カイン、ノルト。そなたらにバルログを誘導してもらいたい。」

 ドルマは手短に、そして簡潔に考えを伝える。二人はうなずき、アースプランツの命運を決める最後の戦いが始まる。

「ヴオオオオオオ!」

 最初に動いたのはバルログだった。上空数十アースからドルマ目がけて急降下してくる。

「む!」

 ドルマはトールハンマーを構えて迎え撃つ。バルログは落下エネルギーを利用して、鞭をドルマに打ちつける。三鞭のうち二本は避け、外れた二本の鞭は大量の瓦礫を空中に跳ね上げる。だが一本はトールハンマーで受けるもののしなって折れ曲がり、ドルマの背中に激しく打ちつけられる。

「ぐわっ!」

 仰け反ったドルマにバルログが左手で殴りかかる。

「ヴァオオオオオオ!」

 バルログがドルマに攻撃をする直前、両脇からノルトとカインがバルログに攻撃する。カインは芭蕉扇で横薙ぎに打ち付け、ノルトは戦矛でバルログの脇腹を激しく突く。

「ヴオオッ!」

 バランスを失ったバルログが激しく瓦礫の山に墜落する。地響きとともにバルログは上半身が瓦礫に埋まってしまう。

「任せたぞ!」

 ドルマはティアマトに向け走り出す。

「性懲りもなくわたしに刃向かうか! この死に損ないが!」

 ティアマトは空中から黒い刀身の剣と、紫色に鈍く光る盾を取り出す。一瞬その姿が歪んだかと思うと、次の瞬間にはドルマの目の前で剣を振りかぶっていた。

「死ねえ!」
「ふん!」

 剣を振り下ろすティアマトにドルマはトールハンマーを下から振り上げる。激しい金属音がして両者は弾き飛ばされる。ティアマトは、バルログと対等に渡り合うドルマと、物理攻撃でも対抗できる力があるようだ。

「その細身でやるな。」

 ドルマはすぐに体勢を立て直して斧を振りかぶったままジャンプする。ティアマトには強烈な電流が流れているはずなのだが、何の痛痒つうようも感じた様子はない。

「直接魔力を流し込んでやるわ!」

 ティアマトは黒い剣を横薙ぎに払う。ドルマはトールハンマーでティアマトの剣を受ける。再度激しい金属音がする。ドルマは即座に手首だけでトールハンマーを一回転させ、ティアマトの腕に斬りかかる。しかしトールハンマーはティアマトの腕をすり抜けてしまう。

「ふん、さすがに肉弾戦は一日の長があるな。」

 ティアマトは数アース空中に浮き上がる。そこに真横からバルログがティアマトに抱きついてきた。

「ヴァオオオ!」
「な、なに!?」

 ノルトとカインは瓦礫から抜け出したバルログを、ティアマトに近づくように誘導しながら攻撃をしていたのだ。がっちりと強大な力で抱きすくめられたティアマトは身動きが取れなくなる。

「今だ!」

 ドルマの号令で、ノルトの穿孔破せんこうは、カインの旋風破プラス空破斬、ドルマの雷破斬が同時に打ち込まれる。

「ヴォアアアアアアアア!」
「ぎゃあああああ!」

 バルログとティアマトの叫び声が聞こえる。

「もう一度だ!」

 ドルマたちは再度同じ攻撃を撃ち込んだ。もうもうとした白煙に包まれ、バルログとティアマトの姿が見えなくなる。

「やったか!?」
「ヴオオオオ……」

 バルログもティアマトも生きていた。しかしその全身には切り傷がつき、バルログは黒い血を、ティアマトは青い血を流している。

 バルログは顔の目の部分に一文字の傷口が大きく口を開いている。赤黒い肉がぬめぬめと光り、鞭を苦しそうに振り回している。
 ティアマトは右脇腹と左肩に大きな裂傷があり、青い血が噴き出している。しかしすぐに血は止まり、傷口もふさがっていく。

「ヴオオッ! ヴオオオオオオオオ!」

 バルログはめちゃくちゃに鞭を振り回し、そこら中を破壊している。

「きさまら……もうゆるさんぞ!」

 怒りに顔を歪めたティアマトは、両手を前に突き出す。また黒い竜などが出てくるのかと、カインは構えるがそうではないらしい。ティアマトは今までとは違う呪文を唱え始め、両の手のひらは地面に向いている。

「むう……これはまずいぞ……」

 ドルマが警告を発するのはあまりないことだ。カインは隙をみてもう一度ティアマトに攻撃を仕掛けようとするが、さすがに今攻撃をしても無効化されてしまうだろう。先ほどのように隙を突かなければティアマトにはダメージを与えられそうもない。
 ティアマトの詠唱えいしょうに合わせて大地が震動し始める。始めは小さな震動だったものが、次第に強くなり、立っていられないくらいに震動する。明らかに地震ではない。地面はまるで柔らかい布でできているかのように、うねり、波打ち、上下に震動する。

「アースプランツの最後には、お前らの力の源である大地の力でとどめを刺してやろう!」

 ティアマトの右目は今までになく紫色に輝く。

「ボルケーノ!」

 大地が上下に大きく揺れ、耐えきれなくなったところには大きく地割れができる。震動と轟音が限界まで達すると、坑道前の広場の各所で噴火が始まった。

「こ、これは……地脈を破壊し局地的に噴火を起こす、地の魔法では最高レベルの魔法だ!」

 ノルトはワイズに肩を貸し、必死で森の方まで逃げる。しかし森は広場よりも低いため、噴出してきた溶岩が流れてくる恐れがある。

「あそこに避難するぞ!」

 ドルマが指差す方向には、巨大な岩石が山肌から突き出ている場所がある。坑道入り口からガルダ山を回り込むようにして二百アースほど登ったところだ。メテオシャワーの被害を奇跡的に逃れたらしい。
 ドルマを先頭に、カインとノルトはワイズを担いで森を必死に走る。最後尾の衛生兵が叫ぶ。

「しょ、将軍! 溶岩が!」

 後ろを振り向くと、坑道前広場からどろどろした溶岩が追いかけてくる。足を取られて転倒したドワーフの戦士が叫び声を上げて溶岩に飲まれていく。

「と、父さん!」
「森が溶岩のスピードを抑えてくれる。急げ!」

 ドルマは森を駆け抜け、斜面をよじ登り始める。溶岩は衛生兵の後ろ数十アースほどまで迫っている。溶岩の触れた木々は一気に燃え上がり、炎の柱と化す。一際大きな爆発音がしたかと思うと、ガルダ山頂だったところからも噴火が始まった。

「こ、この世の終わりだ……」

 カインは地獄のような光景に絶望する。灼熱の溶岩をバックに高笑いをするティアマト。巨体を振るわし、長大な鞭を振り回して暴れるバルログ。すでに形をなくしたアースプランツの象徴ガルダ。
 巨岩によじ登ると、全体の様子が見えた。ガルダの山裾に広がる広大な森は、大火災を起こしている。溶岩によって発生した森林火災は、噴火の強風に煽られて扇形に急速に広がっていく。坑道前広場に二カ所、ガルダ山頂付近に一カ所、山腹に小規模なものが三カ所噴火口ができている。それぞれの噴火口からは溶岩が次々と噴き出し、真っ赤な川を幾筋も作っている。あたりに熱気と黒煙が立ち込め、カインは呼吸が苦しくなってくる。

「ロイ……」

 父は全身痣と切り傷だらけ、ワイズの出血は止まったものの、まだ自力では歩けない。衛生兵は言うまでもなく、ノルトとカインの攻撃は通じない。そして何より周囲を溶岩に囲まれたこの場所では、ティアマトやバルログと戦うには不利だ。後ろはガルダの急斜面が壁のように立ちふさがり、その上は火の地獄だ。上もダメ、下もダメ。万事休すとなったカインは、無意識のうちにロイの名前を呼んでいた。

「ロオオオオオオオイ!」

 轟音と黒煙の中、カインの叫び声が空しく響く。ドルマはトールハンマーを構え、ティアマトを睨みつける。上空からティアマトの笑い声が降りてくる。

「はっはっはっはっは……すばらしい光景じゃ! 昔を思い出すのう!」

 ティアマトは両手を横に広げ、下から吹き上げてくる熱風がまるで涼風であるかのように涼しげな笑顔を見せる。バルログがティアマトの遥か後方で鞭を振り回している。

「さて、お前たち。どうやって死にたい? 溶岩で焼け死ぬか、わたしに八つ裂きにされるか。」

 ティアマトはまた黒い剣を取り出す。今度は盾はない。そして切っ先を真っ直ぐドルマに突きつける。

「ただし、貴様だけはわたしの手で殺してやる。」

 ティアマトの目が紫色に光っている。

「ふん……やってみるがいい。」
「死ねえええ!」

 ティアマトは一瞬のうちにドルマの目の前に移動し、黒い剣を突き出す。

「ぐああ!」

 ティアマトの剣がかろうじて避けたドルマの左肩に刺さり、後ろに切っ先が突き出る。突き出た剣の先は、ドルマの血でぬらぬらと光っている。

「父さん!」
「来るな!」

 ドルマは苦痛に顔を歪めてカインを制止する。ノルトも煤に汚れた顔を歪めて歯を食いしばっている。

「心配せずともバカ息子は貴様をヴァルハラに送った後、わたしがしっかりと殺してやる。」

 ティアマトの口が横に細長く伸び、半月形を形作る。まさに地獄の女神の笑顔だ。

「そうはならん。貴様は私といっしょに死んでもらう。」

 ドルマはそう言うとティアマトの右手をつかみ、ティアマトを引き寄せる。

「な……」
「ぐうっ……ああああっ!」

 ティアマトを引き寄せたために剣はさらに深く突き刺さり、柄までドルマの肩に埋没していく。ドルマはそのままティアマトの胴体を両腕で抱き込む。

「き、きさま! まさか!?」

 ドルマはこのまま溶岩に飛び込むつもりなのだ。巨岩の下には溶岩の川がゆったりとした流れを作っている。ドルマがこのまま一歩踏み出せば、真っ逆さまに溶岩の川に落ちるだろう。そこは骨も残らない炎熱地獄だ。

「と、父さん!」

 カインの泣き叫ぶ声が、火災の轟音に重なる。

「将軍!」

 ワイズとノルトの叫び声も聞こえる。カインは芭蕉扇を構えてみるものの、どうしたらいいのかわからない。

「カイン、ワイズ、ノルト! アースプランツを……王を頼んだぞ!」
「そううまくいくと思うな!」

 右目を紫色に輝やかしたティアマトが叫んだ瞬間、ガルダ山は今までにない大噴火を起こす。噴き上がる岩石や塵は数ウィンド上空まで噴き上がり、黒煙が巨大なキノコ雲を作り上げる。地割れがさらに広がり、溶岩が地割れに飲み込まれていく。大地震が発生し、斜面には直径数アースはある大岩が無数に転がり落ちる。ティアマトの怒りがガルダに乗り移ったかのようだ。
 その場にいる者たちは立っていられず、岩の上に倒れる。ドルマもバランスを失い、ティアマトを離してしまう。

「はははは……最後のチャンスだったのに、残念だったのう!」

 ティアマトは数アース上空に浮かび上がる。ティアマト以外の者たちは、いまだ揺れが収まらないため立ち上がれない。
 四つんばいになって必死に立ち上がろうとした時、カインは見た。斜面を流れる溶岩流の上に光が輝いているのを。それはまるで宵闇に浮かぶ一番星のように見える。

「あ、あれは何だ!?」

 カインが指差すと、その場にいる者たちはみな山頂方向を見やる。
 濃紺の空の下、黒い山肌を真っ赤な溶岩流が赤い縞模様で彩っている。その光は山頂から流れ出る溶岩流の一つに光っている。始めは白い小さな光点だったが、近づくにつれそれが金色に輝く球体だということがわかる。球体の中には濃いレモン色の光が輝いている。

「ロイ……ロイだ! 父さん、ロイだ! ロイが生きてた! あのやろう!」

 地獄のような光景の中に、カインの明るい声が響き渡る。ロイは光の障壁を大きなシャボン玉状にし、自分がその中に入って溶岩流に浮かんでいるのだ。あり得ない光景だった。

「な、なんじゃと!?」

 ティアマトの指先から、黒く細い線が伸びる。黒い線はロイの光の障壁に当たるが、空しく弾かれる。斜面を下る溶岩流のスピードは、麓に近づくにつれ徐々に速くなる。ロイはまるで急降下する鷹のように、斜面を真っ直ぐ滑り降りてくる。

「ティアマトおおおおお!」

 カインたちのいる数十アース手前で、ロイは跳躍する。確かに速さもあるが、ロイの気迫にティアマトは金縛りにあったように動けなくなる。ロイの怒りは、神の怒りにも似た畏怖をティアマトに与えていた。
 
 女神としての意地か、ティアマトはロイの剣が当たる直前に身をひねる。

「ぎゃあああああああ!」

 ロイの剣はティアマトの右肩から腰までを、真っ直ぐ縦に斬り裂く。

「ロイ!」

 再度溶岩流の上に着地したロイは、カインの叫び声を耳にする。カインたちのいる巨岩に、さっきまでロイが乗っていた溶岩流が迫っていた。このままならカインたちは溶岩流に飲まれてしまう。

「はっ!」

 ロイはクロスシールドのついた左手を真っ直ぐ巨岩の方に伸ばし、手のひらを向ける。ロイの気合いに合わせて金色の大きなシャボン玉が弾丸のように飛んでいき、カインたちのいる巨岩を包み込む。溶岩流はロイの障壁に空しく左右にその流れを変える。ロイは何度かジャンプを繰り返し、カインたちのそばまで移動する。

「ロイ、無事だったんだな!」

 カインはロイが別人になったような気がした。ライトニングは今までになく濃いレモン色に輝き、手にはプラチナソードではない剣を握っている。プラチナソードは腰に差したままだ。

「脱出しようとしたら大きな地震が来て坑道が崩れちゃったんだ。困ってたら下から溶岩が迫ってきて、もうだめだって思ったらこれが出た。」

 ロイは淡く金色に光る、透き通った膜に手を伸ばす。ロイの手は簡単に突き抜ける。おそるおそるカインも手を伸ばす。するとカインの手も簡単に突き抜けてしまう。何の抵抗も感じず、温度もない。淡く金色に光っているが、まるでそこには何もないようだ。

「溶岩に押されてどんどん上に上がって行ったら、頂上の火口から外に出られたんだ。外に出た瞬間全部わかった。これはあいつがやったんだって。」

 ロイは、数十アースほど前方の空間にのたうち回りながら浮かんでいるティアマトを見る。

「うう……」

 カインの足下でドルマがうなる。ドルマは左肩の傷を押さえ、仰向けに倒れている。傷からは血が噴き出している。ティアマトの黒い剣は消えていた。

「ドルマ将軍、大丈夫ですか?」
「父さん、ロイだよ! ロイが生きてたんだよ!」
「ロ、ロイどの……」

 ドルマの顔色は真っ青だった。

「衛生兵、もうジャックの実はないのか!?」

 ノルトが衛生兵を振り返って叫ぶ。

「も、もう……すみません。先ほどワイズ将軍に使ったのが最後です……」

 衛生兵はうなだれる。ワイズは巨岩の後ろの方に横たえられている。

「よ、よい……わたしはまだ大丈夫。それよりロイどの……あやつにとどめを刺してくれぬか。わたしにはもう、その力は残ってはいないようだ……」

 ドルマは大きな手をロイに差し出す。ロイは両手でしっかりとドルマの大きな手を握り、力強く頷く。

「ティアマト!」

 ロイは巨岩の端に立つ。そしてライトニングソードを真っ直ぐとティアマトに突きつける。

「僕がお前を倒して、全てを終わらせる!」

 ティアマトは左手で右肩を押さえたまま、うつむいている。見ると震えているようだ。するとその震えは次第に大きくなり、全身を大きく揺らす。ティアマトは笑っていた。

「はぁ~はっはっはっは……これはおかしいぞ、小僧!」
「なにがおかしい!」

 右肩から腰にかけての傷は大きく、ティアマトの右半身はほぼ身体から離れかけている。どうみてもティアマトには勝ち目はないはずだ。

「『全てを終わらせる』だと? はぁ~はっはっは! 貴様の言う『全て』は、まだ始まってもいない! “全て”はこれからだ! これは始まりに過ぎない!」

 こいつは何を言っているのだろう? この期に及んで負け惜しみを言うような敵ではないはずだ。

「わたしはただの手下に過ぎない。わたしは“あの方”の手足にすぎぬのだよ!」

 ティアマトの右目が再び輝き出す。

「“あの方”?」

 ロイが聞き返すと、ティアマトはニヤッと不気味な笑顔を見せる。

「ダークプランツをべるお方……闇の帝王ヴォルクス様だ。」
「ヴォルクス?」

 ロイはカインを振り返る。カインも驚いたような表情を見せて首を振る。ドルマもノルトも、博識なワイズでさえも不審な表情をしている。

「ヴォルクスとは何者なんだ!?」

 ロイは再び剣を突きつけて問いただす。ティアマトはゆっくりと上昇していく。ロイはライトニングソードを腰だめにする。光の空破斬、つまり『光破斬』を撃つ準備だ。

「その答えは自ずと見えてくる。今はわたしを倒してみよ! 倒せるものならばな!」

 ティアマトは左手に黒い剣を取り出す。大きく割れた右肩からの傷口からはティアマトの生命が流れ出るかのように、黒い煙が大量に立ち上っている。

「わたしの真の力は、まだこれからじゃぞ!」

 ティアマトが剣を振り上げ、ロイに斬りかかってくる。ドルマに匹敵するパワーと、強大な魔力の全てを込めた攻撃だ。ロイの光の障壁で耐えられるのだろうか。ロイはライトニングソードを真横にかざし、重心を低くすることによって攻撃を受け止める体勢をとる。カインはドルマに覆い被さり、父を守ろうとする。ティアマトの剣が今まさにロイの障壁に触れようとしたその瞬間、ティアマトの胴体に黒くて細長い物が巻き付く。バルログの鞭だ。

「ヴオッ! ヴオオオオオオ!」

 その場にいる者たちは、バルログの存在を失念していた。バルログは目が見えないのでめちゃくちゃに暴れていたのだが、ロイの光のパワーを感じ取って襲ってきたのだろう。闇雲に振ったバルログの三つの鞭の一本が、ティアマトの身体を捕らえたのだった。

「こ、この死に損ないの化け物め!」
「ロイ、今だ!」

 カインが叫ぶ。

「光破斬!」

 ロイはライトニングソードで空破斬を放つ。地下でカインに教えてもらった通りに。しかしその刃はドルマのものともカインのものとも違っていた。真っ白に輝く半月形の刃は、空気ではない。ライトプランツのパワーそのものが具現化したものだ。しかもそのスピードと大きさは類を見ないレベルだった。カインの目に一瞬だけ映った長大な横幅は、視界に入る景色全てを上下に分断する幅があった。両端は数ウィンドにも達するだろう。その速さもすさまじく、一瞬きらめいただけですでにティアマトとその後方にいるバルログを上下に分断していた。空破斬のスピードの比ではない。まさに光のきらめきであった。

「ぎゃああああ!」
「グヴオオオオオ……」

 上半身と下半身の二つになったバルログは、溶岩流に落ちていく。数十秒ほど暴れていたが、次第に大人しくなり赤い流れに消えていった。

「ぐぐ……ぐああ……」

 何とティアマトはまだ動いている。上半身は黒い剣を持ったまま、左手を振り上げている。その目の紫光は失われていたが、ロイを憎悪に満ちた目で睨んでいる。下半身は数アース下にだらんとして浮かんでいる。

「ライトプランツ……確かにヴォルクス様が恐れるわけだ……しかしお前はまだ『聖騎士』ではない! かくなる上はアースプランツもろともお前を滅ぼしてやる!」

 ティアマトの下半身が真っ黒い炎となって燃え上がる。続けて上半身も黒い炎となる。二つの黒い炎が合わさると、急速に回転をし始める。黒い炎は無数の黒い光の粒子になって上昇していく。まるで黒い光の竜巻のようだ。

「な、何が起こるんだ!?」

 ロイの隣りにカインが並ぶ。ティアマトの黒い竜巻はどんどん大きくなり、今では地上と黒雲をつないでいる。空の雲もティアマトの竜巻の回転に合わせて渦巻き始める。

「キシャアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 何かの叫び声が濃紺の空に響き渡り、竜巻の上半分が細い竜巻数本に分かれる。数えると五本に分かれている。竜巻の下半分は二本に分かれ、回転が徐々に収まってくる。

「グオオオオオオオオオオ!」
「キシャアアアアアアア!」
「ギャオオオオオオオオン!」

 何種類かの叫び声が聞こえ、黒い光の粒子はメタリックブラックの光沢を帯びてくる。つやつやとしたその表面に鱗ができはじめる。みるみるうちにそれは五頭竜に変化していった。

「ク、クロマティックドラゴン……」

 ノルトのかすれた声が遠くで聞こえた気がした。

「キシャアアアアアアアアアアアアア!」

 体長五十アースはあろうかというその五つの首を持つ竜は、まさしくティアマトの本当の姿だった。憎しみに満ちた十対の紫色の目は、濃紺の空に妖しく輝いている。
 クロマティックドラゴンに呼び寄せられたかのように雷鳴が轟き始める。黒い硬質な羽は両翼百アースはあるだろう。それぞれの首をそれぞれの方向に向けていたその竜は、何かに気づいたかのように北東の空を見る。カノンのある方角だ。

「キシャアアアアアアアアアアア!」
「ギャオオオオオオオン!」

 それぞれの首が咆吼すると、稲光が合わせるように濃紺の空に走る。クロマティックドラゴンは大きく一つ羽ばたくと、次の瞬間にはその巨体からは信じられないスピードで北東の空に飛んで行ってしまった。

「ロ、ロイどの!」

 ドルマがよろよろと立ち上がる。呆然としていたロイは、はっとしてドルマに肩を貸す。

「しょ、将軍! ティアマトが……」
「王が……首都が危ない! すぐ……すぐカノンに戻らんと……」

 カノンはここから二百ウィンドはある。普通に歩いて行けば二日はかかる距離だ。

「ロイ! 俺、馬車が無事か見てくるよ! ロクヤ渓谷はまだ溶岩で埋まってないみたいだし!」

 北東の空に雷鳴が遠ざかって行く。折りしも降り出した雨が溶岩を冷やし、あたりにもうもうと立ち込める白煙がガルダの山を隠していく。それは役目を終えた老兵が、自分だけの寝室に引き下がっていく様を思い起こさせた。
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