つなぐ 希望の木
災難を乗り越えてきた木々を、都内に訪ねた。
【伝統芸能】<歌舞伎>前進座劇場、30年で幕 自前の拠点、無念の売却「歌舞伎界の門閥打破」などを掲げて旗揚げ、昨年創立80周年を迎えた劇団「前進座」が、拠点となる前進座劇場(東京・吉祥寺)を閉館・売却することに関係者からも戸惑いが広がっている。劇団創立の第一世代はすでに世を去り、劇団代表の中村梅之助ら第二世代も高齢化、第三世代が主流を占める。いったい前進座に何が起きているのか。 (富沢慶秀) 前進座劇場の閉館・売却は、梅之助が機関紙の月刊前進座三月号で「前進座劇場閉館のお知らせ」として公表した。 劇場は劇団創立五十周年記念事業として全国の有志から浄財を募って建設された。JR中央線・吉祥寺駅から井ノ頭通りを都心方面に一キロほど。通りに面した劇場の壁に、白馬にまたがった小さな女神像がある。 長崎平和祈念像で知られ、井の頭自然文化園内の元アトリエが彫刻館になっている北村西望の作品「自由の女神」。平和の祈りを込め、前進を期待した心意気を示したものだ。しかし、いま大半の劇団員からも忘れ去られているようだ。 一九三一(昭和六)年、中村翫右衛門、河原崎長十郎(その後退団)ら「封建的な演劇界の改革」を旗印に前進座を創立した第一世代。創立の前年に生まれた翫右衛門の長男・梅之助、嵐圭史らが第二世代。 創立八十周年の昨年から藤川矢之輔や六代目嵐芳三郎の長男・河原崎國太郎、次男・七代目嵐芳三郎ら第三世代が劇団運営、舞台の中心となっている。一九七一年の一期生から現在の二十七期生まで“血筋”を引かない、四十代からの養成所出身者が第四世代で続く。 「第一世代が劇団を創立し、第二世代が劇場を作り、第三世代が劇場を失う。やるせない思い…」と語るのは、第三世代の最年長六十一歳で幹事長として劇団をリードする矢之輔。 「いま劇場になっている場所に自宅があり、そこで私は第二世代の奥さんたちの手助けで、病院に行かずに生まれた」と言う。思い出の場所を失う無念さは人一倍強い。 劇場周囲を広い道路に囲まれた広大な土地を全員が“総有”し、「配当金」という月給をもらって共同生活してきた。しかし都市化の波の中で、少しずつ土地を失った。劇場の西隣に建った武蔵野市のコミュニティーセンターに土地を売却したときは「先代芳三郎がいつまでもそこに立ち尽くしたそうです」と矢之輔。 開場三十周年を迎えての閉館は唐突にも見えるが、東隣の病院に劇場を売却する話は、実は昨年九月から始まっていた。臆測や誤解を招かないように梅之助ら幹部が内々に進めてきたという。 三十年経過しての建物の老朽化による補修、特に昨年の東日本大震災を受けての耐震化は小手先の手直しでは間に合わなくなっていた。照明・音響設備などの技術革新に追いつくための費用も重くのしかかっていた。最終的に自前の劇場を維持するより、閉館・売却が得策との結論に至った。 とはいえ、この三十年間に同劇場での公演は約千七百回・五千ステージ、来場者は延べ二百万人を超える。閉館の知らせにファンからは「前進座をやめちゃうの」という問い合わせもあったという。「身軽になって、それを励みにしていく」と理解を求める矢之輔。 「劇場部分の土地を病院に譲渡し、最低限必要な稽古場と事務所に縮小もやむなし、泣いて馬謖(ばしょく)を斬る結論になった」と梅之助は機関紙に記している。 開場三十周年記念公演「おたふく物語」が十月十三日から二十一日まで、さよなら公演は来年一月三日からの「三人吉三巴白浪」となる。 PR情報
|