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<訃報>永沼重己さん 75歳=パンチパーマ生みの親

毎日新聞 4月14日(土)14時59分配信

<訃報>永沼重己さん 75歳=パンチパーマ生みの親
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職人技でパンチパーマを仕上げていく在りし日の永沼さん=北九州市小倉北区紺屋町で2009年5月、佐藤敬一撮影
 髪形の「パンチパーマ」を考案した北九州市小倉北区紺屋町、「ヘアサロン永沼」の理容師、永沼重己(ながぬま・しげみ)さんが3日、75歳で亡くなった。若いころ、ヘアアイロンを改良してパーマのかかりを強くし、黒人の髪形をヒントに編み出したのが「パンチパーマ」だった。永沼さんが試行錯誤を繰り返して考えたこの髪形は瞬く間に「画期的」と評判を呼び、全国に広まる大人気となった。

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 19歳で地元・小倉の理容師に弟子入りし、26歳で独立。当時、パーマをかけるためのヘアアイロンは棒の先端部分が細い円柱状で、パーマのかかりが弱かった。そこで仕事を終えた夜に自らやすりで削り、鉛筆のような六角柱にするなど改良を重ねた。角の立ったアイロンは髪を挟みやすく、パーマも強くかかるようになった。

 永沼さんはこれを「エッヂアイロン」として実用新案登録。「これ以上ない髪形」の意味を込めて「チャンピオンプレス」と名付けたが、全国に広まるうちにいつしか「パンチパーマ」と呼ばれるようになったという。1970〜80年代には、プロスポーツ選手や若者に好まれ、地元でも小倉祇園太鼓など夏祭りの時期には客が増えた。永沼さんは「男性的な強さがあるヘアスタイルだからでしょう」と話していた。

 髪の多い人だと一度に巻くのは約600回。アイロンの温度は160度近くになり、地肌に触れれば大やけどだ。「人は真っすぐなものは曲げたいし、曲がっているものは伸ばしたい」と語る永沼さんは、細心の注意と確かな技術で髪を巧みに巻いていった。

 08年に大病を患ったが09年に職場復帰。亡くなる2日前の今月1日まで店に立った。翌2日は店が休みで趣味のカメラを楽しんだが、3日朝に眠るように亡くなっていたという。最後に撮った小倉城の桜の写真は仏前に飾られ、ひつぎには仕事で愛用したベスト2枚が入れられた。妻房子(ふさこ)さん(70)は「仕事が大好きで最後まではさみを握っていた。研究熱心で本当の職人だった」と話した。【佐藤敬一】

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最終更新:4月14日(土)15時23分

毎日新聞

 

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