世界の中の仏教
 
                          上野学園大学教授 坂 東(ばんどう)  性 純(しょうじゅん)
                          き き て    金 光  寿 郎
 
金光:  東京都台東(たいとう)区東上野。上野公園の東一キロ程のところに、報恩 寺の伽藍(がらん)が建っています。現在の本堂は関東大震災のあと昭和 十年に再建されたものですが、親鸞聖人の『教行信証』、いわ ゆる坂東本を代々伝えてきた由緒深い寺院です。此処のご住職 で、上野学園大学教授の坂東性純さんは、鈴木大拙博士(仏教 学者。禅と念仏を研究し、アメリカで教えを広めた。「禅思想 史研究」のほか多くの啓蒙的論文・随想があり、また、多くの 英文論文を発表。:1870-1966)が創刊した英語の仏教雑誌、
『The Eastern Buddhist』の編集に長く携わるなど世界に向けて仏教思想を伝え てきた方です。
 

 
金光:  今日はまたいいお天気で、しかも、桜の花が、
坂東:  ちょうど散る時期に当たりますね。
 
金光:  綺麗に咲いているのが、ハラハラと、本当に見事ですね。
 
坂東:  今年は少し早く散ると言われていましたけれども、このお寒さ で、散るのが、
 
金光:  長持ちして、
 
坂東:  長持ちして、
 
金光:  大体、先生は此処でお生まれになって、
 
坂東:  こちらで生まれ育ちました。
 
金光:  東上野、
 
坂東:  昔は、「清島町」と言っておりましたけどね。
 
金光:  そうですか。ということは、上野公園もわりに近い。上野公園はどちらですか?
 
坂東:  上野公園はこちらの方向です。
 
金光:  ああ、そうですか。
 
坂東:  此処は上野と、それから浅草のちょうど中間ですけど、むしろ上野寄りになりま す。
 
金光:  そうしますと、有名な上野公園の桜もご覧になれるし、お宅の境内の桜も、
 
坂東:  居ながらにお花見が出来ます。
 
金光:  坂東先生、これまでこちらにお育ちになって、それから随分外国の方にもお歩き になっているということですが。
 
坂東:  ええ。ごくほんの一部でございますけど。
 
金光:  これから、「世界の中の仏教」というようなことで、中に入って一つお話を聞かせ て頂きたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。
 

金光:  この応接間にお邪魔します時、入り口開けて入ると、真っ正面 に英語の額があるのが目に付くんですが、これはどういう額な んでございますか。
 
坂東:  こういうところに掲げるもので、英語のものはちょっとお珍し いかも知れません。これは鈴木大拙先生がお亡くなりになる前 の年にお書きになられた英文のお珍しい揮毫でございます。
 
金光:  なんと書いてあるんですか。これは何と読むんでしょう。
坂東:  これは、 

Man's Extremity is God's Opportunity
Daisetz
 
 
「人の行き詰まりが、神さまのお出ましになる機会です」と。
 
金光:  「Opportunity」というのは、機会である、と。そして、下に、
「Daisetz(大拙)」と書いてあるわけですね。
 
坂東:  「Daisetz(大拙)」とございますが、印章が、普通は最後に押しますが、真ん中 に押されているのが、ちょっと珍しい。
 
金光:  成る程。日本人だと、「困った時の神頼み」なんて。「神頼み」ではないですね。
 
坂東:  そうですね。「人の行き詰まって、どうにもこうにもしょうがなくなった時に、新 しい世界が開けてくる」ということでございますね。一番短い表現でしたら、「窮 すれば通ず」でございますですかね。
 
金光:  その下に短冊がございますが、これはどなたの、どういうもので。
 
坂東:  先代の、父親のでございます。
 
金光:  そうですか。何と書いてありますか。
坂東:  これは、
 

但看花開落不言人是非
  釈清旦
 
 
「ただ 花の開き落つるを看て 人の是非を言わず」というふうに読むと思います。 それで「釈清旦(しゃくせいたん)」とございますが、これは父の雅号でございます。隷書(れいしょ)で書いて ありますが、父は、「書は楷書よりも、隷書の方が基本じゃなかろうか」と言って おりました。それは師事した先生が、そのようなお考えの持ち主でいらっしゃっ たことによると思いますが、駒沢大学でも教鞭を執っておられました江川碧潭(えがわへきたん)(1 893-1973)先生と聞いております。私は一度もお目にかかったことはないですけ れども、話だけはよく聞いておりました。父がその先生に習うようになりました きっかけは、ある時、旅行して、ある場所に参りましたら、削りたての木に、字 を書くように言われて、「はい、はい」と言って、書きましたところが、自分でも 目を覆うような金釘流(かなくぎりゅう)もいいところで、酷い字を書いてしまった、と。それでも う穴があったら入りたいくらい、恥ずかしい思いをした、と。それで、その時に、 初めて自分は書が上手くならねばならんと決意した、というわけですね。それで 近所の先生を探しましたところが、この近所のお寺に、天台宗のお寺さんがあり まして、そこへ禅宗のお坊さまが教えに見えているということを聞いたようです ね。すぐ近くなものですから、それで母親と二人で、毎月手本をお稽古して、そ れを持って、先生のところに直して頂きに行ったそうです。その先生のお話はよ く聞いておりましたが、いつもこう言われたそうです。「あんた、上手すぎる。も っと下手に書け」と。それが先生の口癖でいらっしゃったようですね。何かいう と、「あんた、上手すぎる。もっと下手に書け」と。ところが、若い方も、お年寄 りも、中年の方も見えるわけですけれども、先生がぶっきらぼうに言われる「下 手に書け」という一つの言葉が、それぞれなりにみなよく理解されておったよう だ、と言うんですね。
 
金光:  みなさんに、「下手に書け」とおっしゃるんですね。
 
坂東:  ええ。ぶっきらぼうに言われる。その意味が、みなさん、それぞれなりによく分 かっていらっしゃったようだ。それが不思議だった、とよくいっておりました。 「心が、上手、下手という、二つに分裂する前の心に立ち戻って書きなさい。そ うすれば、あなたの個性がよく表れた良い字が書けますよ」というメッセージだ ったのかも知れませんね。
 
金光:  それで、学校ではインド仏教学、日本仏教を勉強された、と伺っておりますが、 外国の方とのお付き合いは、その後はどういう形で始まったんでしょうか。
 
坂東:  そうですね。学生時代ですけど、第二回の「世界仏教徒会議」が一九五二年に日 本で開かれました。第一回はコロンボで、一九五○年に開かれたようです。一九 五二年の時には、終戦後初めて世界の仏教の代表が日本に集まる、ということで、 全日本仏教会も大変壮大な計画を立てられて、若い人たちに外国のお客様を迎え るに当たって、通訳とか、世話係を委嘱する、ということがございました。鶴見 の総持寺(そうじじ)さんで、仏教系の勉強をしている若い学生が集められまして、そこで合 宿、講習会があったわけです。初めて外国から仏教徒のお客さんを迎えるに当た って、「君ら、宜しく頼む」ということで、大会は築地本願寺さんであったわけで ございます。済んでから地方大会がありまして、それに若い学生がみな配属され るわけですね。私はたまたまセイロンの比丘(びく)さん方のグループ付きになったわけ でございます。それで地方大会に横浜、名古屋、京都、或いは、奈良、大阪、神 戸、広島と、ずうっとお供して参りました。その間に走り使いをしなければなり ませんので、どうやらこうやら英語の片言で意志の伝達の方法を学びました。
 
金光:  今のスリランカですけれども、あちらの方は上座部のもっとも伝統的な仏教の伝 わっている所でございますが、いわゆる大乗仏教と言われている日本の仏教徒と してご覧になると、大分違和感違うなあ、とお感じになったたことがおありじ ゃないかと思いますが、例えば、どんなことがございましたか。
 
坂東:  いや、ほんとに驚きました。お釈迦様時代の戒律が、どんなものであったか。そ の一端に触れたような気がしましたね。お坊さんはお金を直接持って歩かれませ ん。沙弥(しゃみ)ですね、まだ入門し立ての若いお坊さんがお金などを持って、秘書役に 付いて歩くわけです。それから、乗り物なんかで女性の隣に坐りません。
 
金光:  坐れないんですか。
 
坂東:  ええ。それから女性から直接物を受け取らないです。団扇かなんかの上に物を載 せて貰って受け取るんでしたら出来るんですけど、直接は駄目なんですね。それ から午前中にお昼を済ませて終(しま)わないと、お昼過ぎたら昼食は頂けないわけです。 それから一日二食ですから、朝と昼。そのお昼が午前中に限られるわけです。で すから、どんなに大事な会議中でも、南方の比丘さんたちだけは、もう十一時過 ぎると出て行ってしまわれるわけです。
 
金光:  食事に。
 
坂東:  ええ。十二時までに済ませなければなりませんから。そういうことで随分生活習 慣が違うものだ、ということを初めて学びました。こちらから出掛けて行って学 ぶより先に、あちらの団体で、比丘さんがたのお集まり(僧伽(さんが))の方がお見えに なったので、その方々とご一緒に生活をしている間に、戒律生活というのはこう いうものか、ということを初めて知りました。
 
金光:  正直なところ、この戒律を守るのは大変だなあ、みたいな感じはございませんで したか。
 
坂東:  いや、思いましたですね。
 
金光:  やっぱり慣れていらっしゃると、みなさんそういうものだということで。
 
坂東:  そういうものと。例えば、食事の時には右手だけです。左手は使いません、食べ 物などは。それからトイレは紙は使わずに水でございます。ですから、「缶に水を 入れて置いて下さるように」と予めお願いしておくわけです、行く先々に。
 
金光:  これはかなり強烈な印象をお受けになりますね。
 
坂東:  いや、驚きました。
 
金光:  それに引き替え、日本の仏教というのは融通無碍なところがありますから。
 
坂東:  そうですね。例えば、鎌倉の大仏様の側の売店に、仏像を沢山お土産に売ってい るわけです。「仏さまを商品にするとは何事か」と言って怒るんですね。「blas- phemy(神聖冒涜)」と言って、大変憤慨されました。私は、「blasphemy」という、 「神聖冒涜」という英語のことばを、その時初めて覚えたんです。いや、セイロ ンの方々の憤慨の大きさは、こちらがビックリするぐらい憤っておられるんです ね。「仏さまを商品に使うとは何事か」と。それから中へ入って、外を眺められま すね。入ることすらも、あれは「神聖冒涜である」というわけです。その前で、 みなさん五体投地されるくらいですから、況わんやその中へ入って行って、それ で中から外を覗くなんて、これはとんでもない、と思われたんでしょうね。そう いう点が、私たちと同じ仏教徒と言いながら、大分感覚が違うんだなあ、という ことが分かりました。
 
金光:  それから最初は外国の仏教徒の方とは日本にお出でになった時にお会いになった わけですけれども、それから暫くして、坂東先生ご自身が今度外国にだんだんお 出でになるようになりましたですね。
 
坂東:  国の外に出ましたのは、それから二年後の一九五四年でございます。それは、今 度は第三回の「世界仏教徒会議」がビルマのラングーンでございました。今の名 称ですと、ミャンマーのヤンゴンということになりますね。そこへ貨物船で友人 と行ったわけでございます。その後、インド仏跡巡拝、それからネパール、スリ ランカに寄って帰って来たわけです。
 
金光:  そうですか。それで仏跡はお詣りになった後で、今度留学なさっていますでしょ う。
 
坂東:  留学は一九六○年です。
 
金光:  これはどういうことで。
 
坂東:  これは鈴木大拙先生が、後にお会いしました時に、「若い時に一度外を見ておいた 方がいい」と、そう頻りにおっしゃいまして、留学を勧めて下さったわけです。 たまたま京都でお会いしたものですから、そうしましたら、英国文化振興会の支 所が京都大学の側の百万遍の近くにありまして、そこを通じて申し込みをしまし た。本部は東京の丸善の上にありました。今は別の所にございますが。それで、 鈴木大拙先生が推薦状を英文でお書き下さいました。後、二人の先生に書いて頂 くことをお願いしなければなりません。たまたま主任の先生が、
 
金光:  大学の時の、
 
坂東:  大学の主任の先生が花山信勝(しんしょう)先生で、それから中村元(はじめ)先生、このお二人にお願い しまして、そのお三方の推薦状を頂いて受験しましたわけです。まあ非常に難し い、厳しい英語の試験が早稲田でございました。どうやら通して頂きました。三 先生のお陰様でございます。それで一年程イギリスへ留学させて頂きました。
 
金光:  話が前後しますが、何でまたそういうことになったんですか。
 
坂東:  それは、昭和三十二、三年位に、東本願寺で、親鸞聖人の『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の英訳 を出したい、というお話が出まして、それを鈴木大拙先生にお願いしよう、とい うことになりました。そうしましたら、鈴木先生は、「一人で 訳すよりは、宗門の、これから育つ方々に英語への関心を持っ て貰うこともあるし、翻訳委員会を作って、みんなで訳したら どうか」と、最初そう提案されました。それで随分会がもたれ たんですけれど、あまり捗りませんので、結局は鈴木先生お一 人が翻訳されることになったわけでございます。
 
金光:  でも、最初のお話の時に、坂東先生も入られたわけですね。
 
坂東:  はい。翻訳委員会が出来ます時に、下働き、雑用係でございますね、それに、「手 伝いに来ないか」というお話がございました。私も京都に憧れておったものです から、それで親に、「一・二年、行っていいか」と申しましたら、「一・二年なら よかろう」というふうに言われまして、それがきっかけで、私は京都へ移り住む ことになったわけでございます。その一・二年が親を騙し騙し、二十一年になっ たわけでございます。そのお陰で素晴らしい諸先生方─鈴木大拙先生、曽我量深(そがりょうじん) 先生、金子大栄(だいえい)先生、安田理深(りじん)先生、信国淳(じゅん)先生─もう素晴らしい先生方にお目 に掛かり、それからご講義も伺うという機会に恵まれました。
 
坂東:  それでまた先程のお話に返るわけですが、英国に留学なさるということに決まっ て、それでまさか向こうで仏教の勉強をされたわけじゃないんでしょうね。
 
坂東:  やはり外国へ出ましたら、そこでしか学べないものを学ぼうということで、特に 私はキリスト教を学ぼう、と思いました。大学院の研究生としてですね。
 
金光:  大学はどちらへ行かれたんですか。
 
坂東:  オックスフォード大学の中のAll Souls Collegeです。大学院だけのcollegeでご ざいます。そこでR・C・ゼーナー(1913-1970)先生に付いて、一年お世話にな りました。特に先生にはチュートーリアル(個人指導)の時には、新約聖書を読 んで頂きました。それから、大学の講義は殆どキリスト教神学の講義だけを選ん で聞いておりました。自由になんでも聞いてよろしい、と。そういう雰囲気でし たので、一年間、キリスト教に浸った、と申しますか・・・。ゼーナー先生は、 聖公会(英国国教)からカトリックに改宗されたお方です。非常に懇切にご指導 下さいました。個人指導の時などは、「何でも聞きなさい。知らないことは知らな いと、私もいうから」ということで、一週間に二時間、毎週月曜日の十一時から 午後一時まで二時間、一人の先生をいわば独占出来るわけですね。大変な特権で した。何でも質問して宜しい、ということでした。
 
金光:  例えば、そういう場合に、「お前の理解の仕方は仏教的な理解で、キリスト教は違 う」とか、例えば、そんな形の会話にはならないんですか。
 
坂東:  いや、随分ございました。
 
金光:  そうですか。
 
坂東:  いろいろ仏教の教義に似ている点、それから違うと思われる点など、随分、先生 の、「これは個人的な意見だが」と言われながら、ざっくばらんに教え下さいまし た。
 
金光:  一対一ではその辺ほんとに自由に話が出来るでしょうね。
 
坂東:  とっても自由に。それから、何故「若い時に外に出よ」と言われたか。ああ、鈴 木先生はこういうことを気付かせるためにそうおっしゃって下さったのだなあと いうことが、いろんな機会に感じられました。言葉一つにしましても、外国語で 自己表現をしようとしますと、自分の国の言葉の性質が非常によく自覚出来ます ね。
 
金光:  そうですね。英語なら英語、向こうの言葉で表現する時に、否でも応でも自分の 国の文化というのはどういうものか、というふうに考え直さざるを得ないわけで すね。
 
坂東:  そうです。
 
金光:  そういう中で、日本の文化、殊に日本の仏教が、海外にはどういう形でだんだん 伝わっている。或いは、どういう意味で受け入れられ易かったのかとか、何かい ろいろお気づきになった点がおありではないかと思いますが、日本文化の伝達の 仕方についてのご感想は如何でございますか。
 
坂東:  そうですね。今では日本文化の世界への発信ということが言われるようになりま した。でも、暫く前までは、明治開国以来、日本は外国文化を頂くばかりで、頂 き詰めですね。
 
金光:  そうですね。
 
坂東:  それを受け取って、日本的なものに少し改変して用いておったという状態でした けれども、思想的な面で、鈴木先生が初めてではございませんでしょうか。日本 的なるもの、東洋的なるものとは、こういうものだ、ということを初めてあちら の人びとに伝えなければならない、と。伝えるのは我々の務めだ、というお気持 ちになられて、文化を発信されるようになられたのは、私は、鈴木先生が初めて でいらっしゃるように思います。
 
金光:  その場合も、例えば、日本が、文化を輸入する場合は、テキストみたいなものを 読んで、一生懸命「こうかしら、ああかしら」という格好で勉強したわけですけ れども、鈴木先生の場合は、「仏教はかくかくしかじか」という、そういう何か一 種の仏教教義、「何々宗何々宗、ここではこうだ」みたいな、「それはこうですよ」 という、そういう格好での紹介ではなかったわけでございましょう。
 
坂東:  最初期の一九○○年の初め位、『大乗仏教概論』という英文の書物をアメリカで出 版されました。あれはいわば鎌倉時代に、凝然大徳(ぎょうねんだいとく)がお作りになった『八宗綱要』 が根幹になっていると思われます。しかし、大乗仏教を紹介しよう、という関心 からお書きになっておられますね。
 
金光:  なかなかそれを読んだだけで、「分かりました」というところにはなかなかいきに くいところがあるでしょうから、その後のご努力というのは、それを如何に具体 化するかという形でのご苦労があったのではないか、と思いますが。
 
坂東:  そうでございますね。どんな道を習いますにも、型がございますね。或いは、一 般の教育にしましても、幼稚園、小学校、中学、高校と、教科書というものがあ って、一応その中に、いわば枠の中に入って、それから、卒業して社会へ出た時 には、その基本を心の中に持ちながら、社会に適応して参りますね。伝統的な仏 教の教えとはこういうものです、という枠ですね。私は、『大乗仏教概論』は一応 の体系の姿をとって、仏教を紹介されたものだと思います。今度は、鈴木先生は ご自分のお言葉で自由に話されましたですね。特に禅という名前で、全仏教を含 めてお話になったように思いますね。例えば、自由闊達に、組織も形もなく、も うあらゆるものを素材にされながら、仏教を説かれたように思います。
 
金光:  その場合は、先程、坂東先生が自分の言葉で、自分の思いを伝える場合には、ど うしても日本の文化の特徴みたいなものが、言葉を変えても出てくるみたいなこ とをおっしゃいましたけれども、キリスト教国の方に、禅なら禅の話を伝えるの は、これはいきなり「禅ではこうだ」というわけにもいかないわけでしょうね。 その辺はどういうふうになさったでしょうか。
 
坂東:  鈴木先生は講義を聞いていらっしゃる方が、キリスト教の伝統の中で育った方々 ですと、聖書の言葉を用いて公案などをご自分でお作りになって、それでお話に なられましたですね。ですから、「神が光あれよと言われたら、そこに光があっ た。それを神がよしと言われた。しかる後に光と闇をお分けになった」というよ うな旧約聖書の「創世記」のところなど、お引きになって、「これを誰が見ていた か」というような公案にされるわけですね。
 
金光:  ああ、成る程。
 
坂東:  中国の伝統的な公案が、漢文が原文である、そういう公案などを用いられるより も、ご自分でキリスト教のバイブルの言葉を素材にして、新しい公案を作られて、 それを相手に示される、というようなことが始終おありになったですね。
 
金光:  それはかなり向こうの人にとっても、「光あれ」とか、「闇」とか、そこまではご 覧になっていても、「誰が見ていたか」なんていうのは、それは全然ないことでし ょう。アッという感じを受けられるのではないでしょうか。
 
坂東:  公案を、聖書、キリスト教の言葉を素材にされて、新しい仏教の公案を創造され たわけですね。
 
金光:  そういうところで、一種の衝撃と言いますか、何か新しい世界が此処にあるとい う感じを、みなさんがお持ちになったんでしょうね。
 
坂東:  そうですね。全く新しいものを自分たちの知っている言葉で突き付けられたと思 いますが、あちらの方にとってはね。
 
金光:  アメリカでも随分講演して歩かれたわけですけれども、坂東先生のご存じのよう に、日本で一緒にいらっしゃる時にも、随分いろんな外国の方が訪ねてお見えに なったわけですよね。
 
坂東:  始終お見えになったようですね。例えば、これはニューヨークでのことと言われ ますが、トラピストのトーマス・マートンというカトリック神父さんですね。修 道士の方がいらっしゃいましたが、あの方のお言葉によりますと、「聖書の本当の 深い意味は、東洋人で鈴木大拙博士ほど深く、本当に分かっていた人はいない」 とおっしゃっていますね。
 
金光:  ああ、そうですか。
 
坂東:  「鈴木先生の聖書の真理を見る目は確かである」とおっしゃっていますね。例え ば、イエスさまが十字架に架かられますね。それで復活されますね。それを三日 後ではなくて、即時である、と。即、と。ですから、十字架のところに復活があ る、と。間髪を入れない。そういう解釈ですね。それをトーマス・マートン神父 などは非常に深い的を得た解釈、としておりますね。三日というのは神話的な数 字である、と。仏教的には、即時である、と。だから、十字架が即復活でなけれ ばならん、と。そういうふうに大胆に言われるわけですね。
 
金光:  やっぱりそういう話を聞かれると、復活についてのイメージがまたガラッと変わ って、もっと広くなる、と言いますか、それこそ生き生きしたものになりますね。
 
坂東:  そうですね。
 
金光:  そういう意味では、仏教を、キリスト教を超えたもう一つ「霊性的世界」と言い ますか、その辺の消息を非常に現代に広めた、という効果がおありだった、とい うようなことになるでしょうね。
 
坂東:  非常に伝統的な言葉、伝統的な解釈をもって、伝えるだけに終わらずに、両方に 斬新な見方を提示されましたね。それが若い人たちを刺激して、禅ブームが生ま れたんじゃございませんか。
 
金光:  ところで、坂東先生はカトリックの上智大学でも今教えていらっしゃるんだそう ですね。上智大学では何を教えていらっしゃるんですか。
 
坂東:  仏教思想という科目でございます。
 
金光:  テキストか、何か使っていらっしゃるんですか。
 
坂東:  金子大栄先生の岩波文庫の中に入っております『教行信証』をみなさんに持って いて頂いて、それを最初からずうっと読んでいくわけじゃございませんので、全 部みなさんに持っていて頂いて、「私の話がどっかへいってしまって、ふと我に返 った時に戻ってくる場所、止まり木として持っていて下さい」と。それで最初か らずうっと読むためのものではございません。いろんなお話の序でに、「仏教では こういうことを申します」ということがある場合には、そこを開いて頂いて、参 照して頂く。そういうふうにしております。
 
金光:  じゃ、本日は、「教の巻」、次は「行の巻」というような格好ではないわけですね。
 
坂東:  ええ。初めも無く、終わりも無い。組織なしですね。
 
金光:  ただ、着地点と言いますか、何かの時にはそこへ止まり木として、止まれるよう なものとして置いてある、と。
 
坂東:  はい。パウル・ティリッヒ(Tillich, Paul:1886-1965)さんというプロテスタン トの神学者の方は、とても分厚い『組織神学』という本を三冊著しておられます が、上智大学では、「私が此処でお話することは非組織仏教学です。「Non syst- ematic Buddhology」をお話しますから、退屈で眠くなった方はどうぞ安らかにお 眠り下さい。お目が覚められたら、お聴き下さい」と、そういうふうにして、初 めも無く、終わりも無いお話をしております。楽しくさせて頂いて、いつも帰っ て来ますが、「ああ、この次はこのこともお話しなければ」というヒントが毎回得 られるわけですね。その次はそういったようなことを中心にお話することにして おります。ですから、予め組織を決めておかないんですね。そういうふうにして おります。しかし、仏教の肝心要の思想は全部網羅出来るようにはしております けれども。
 
金光:  今、止まり木になっているのが、『教行信証』というお話でございましたが、その 親鸞聖人の最大の著書である『教行信証』の英訳、これは最初に翻訳の委員会に 呼び出しを、若い人ということで呼び出されたとおっしゃるわけですが、最後は 大体、鈴木大拙先生が翻訳されたというふうに聞いておりますが、やはり『教行 信証』を英語に訳す場合には、先程からのお話にありましたが、やはり日本的な ものを外国の人に伝えるために、やっぱりそれなりの随分ご苦心もおありだった んでしょうね。
 
坂東:  日本人の書いた英文は、所詮日本人の、日本的なものだ、と。 それで、そういうお考えでご自分で文章を綴られても、たまた ま若いアメリカの大学出たての人なんかが訪ねて来られると、 「ああ、君、ちょうどいいところへ来た。ちょっとこれ、書い ておるんだけど見てくれ」と、それを示されて、その方が読ん で直接感じられた「ここはこの言葉の方がいいです。この順序 の方がいいです」という、そういう助言を素直に受け入れてお られました。読む方の感覚ですね。それをご自分でまた判断さ れて、採用すべきものは取っておられました。それだけ開かれておられましたで すね。翻訳はやはり外国語から自国語へが自然の順序で、日本人が日本的なもの、 東洋的なものを英語にするのは、実は不自然なことなんですね。ですから、日本 人としての限界をよく心得ておられて、その上で英文を駆使しておられましたね。 例えば、この鈴木先生の訳されましたもう九十歳を過ぎてからなされた親鸞聖人 の『教行信証』の英訳のお仕事ですね、六巻のうち、最初の四巻まで訳されて亡 くなられる。
 
金光:  「教」「行」「信」「証」ですね。
 
坂東:  そこまでで亡くなられるわけでございます。「証の巻」の「証」をどう訳するか、 という問題で、昔は「さとりの達成」ですね。「証」するは「attainment」という ふうに名詞的に翻訳されておりました。ところが鈴木先生は、「実現する」「浄土 がこの世に現実化する」と。
 
金光:  ちょっとその場所を拝見しますと、
 
坂東:  「True Realizing of the Pure Land」とございますね。です から、「証」というのは、「仏さまのお心の中にあったことが、 衆生の上に、歴史的な事実の上に実現する。顕わになる。現実 化する」と。そういう意味に訳されて、「Realizing of the
Pure Land」と。「証」をこういうふうに訳した方はこれまでご ざいませんですね。
 
金光:  普通は、「人間が何かの証(あかし)をする」という意味での「証」とい うふうに、「証拠」の「証」の字ですから。
 
坂東:  人が何かを証明するのではなくて、仏さまの御意志が、お気持が、願いがこの世 に現実化する。そういう意味で、「Realizing」という言葉を使われました。昔は、 「attainment」とか、「realization」とか、名詞的に訳されることが多かったん ですけど、こういう点が鈴木先生の特色でございますね。「行」の方は、従来
「practice」というふうに名詞的に訳されるのが普通でした。
 
金光:  普通は「行ずる」ですから、「実行する」みたいな感じで。
 
坂東:  ご自身でもそう訳されたところがありますけれども、しかし、「Living」、「Tr- ue Living」というふうに、鈴木先生は「行の巻」を「Living」というような言葉 を使われたのは、鈴木先生が初めてではございませんでしょうか。
 
金光:  わざわざ実行します、なんてことではないんですね。
 
坂東:  人が実行するのではなくて、仏さまのお心を頂いた人は、仏さまの心を今現に生 きている、と。
 
金光:  そうですね。
 
坂東:  そういうことなんですね。ですから、親鸞聖人はお念仏を「大行(だいぎょう)」と言われまし た。「大」は仏さまのお働き、という意味ですが。
 
金光:  「人間が行ずる」ではなくて、仏さまの、
 
坂東:  「仏さまのお働きが、人の上に顕れている」という意味で、「大行」と言われたん ですね。「大」は「仏さまの」ということなんですね。これを「Living」、「Tr- ue Living」と言っていますね。我々がはからいで、生きている現実の、仮初めの 生き方。ところが本願に頷いて、なんまんだぶ(南無阿弥陀仏)の生活をしている人のありようは、 「True Living」である、と。こういう訳し方をされるんですね。それから「信」 のこともですね。
 
金光:  「信ずる」の「信」ですね。「信心」の「信」。
 
坂東:  「親鸞聖人の信は、世界中、どこの宗教にもないから、これは訳せない」という 方がおられるわけです。真宗の中の原理主義者の方ですね。どこにもないんだ、 と。独占したいわけですね。例えば、祈りにしましても、「ああして下さい。こう して下さい」という人間の祈願、請求の気持から、御心のままになし給え、とい う、それ全部含んで祈りなんですね。「祈り」という言葉を使ったから、それが全 部利己的だとは限りません。それと同じように、「信心」の「信」という言葉を使 っても、「人が何々を信ずる」という対象的な信の場合もありますし、信が仏の衆 生にたいする信、或いは、仏の世界に浸っているという意味の時もあります。信 心の心境は、仏さまの世界と凡夫の世界との間に壁がないということですから、 そういう意味で、「faith」という言葉も、いわばやはりピンから切りまで含んで、 「faith」なんですね。「faith」という言葉を使ったから自力だと決まっていない わけです。そういう意味で、私は親鸞聖人の『教行信証』の「信」も、「faith」 という言葉はなんら差し支えないと思うんです。しかし、凡夫の対象的な「信」 と区別して、私が用います場合は、「f」を大文字にして、それを示せばよろしい と思うんです。
 
金光:  ここもちゃんと「True Faith」で、大文字で「F」と。
 
坂東:  鈴木先生は何の拘りもなしに、「Faith」とされました。これは、「他の宗教には絶 対ないんだ」と言って、「これは浄土真宗特有のものなんだから、絶対訳せない」 という、そういう原理主義的な見方もあるんでございます。だけど、それを固執 しますと、自分だけが真理を持っておって、他の人は分からないんだ、と。なん か他の宗教を見下した、非常に傲慢な態度になりますね。鈴木先生はなんらの拘 りを持たれずに、素直に「Faith」という言葉を使われました。大文字で。
 
金光:  その辺になってくると、もう個々の人間が、自分がどう思うからどうだ、と言う んじゃなくて、ほんとにそれこそ神さまと言いましょうか、仏さまと言いましょ うか、要するに、人間を超えた世界と直通の世界でいろいろお考えになったり、 行動も発言もなさっていらっしゃるということでしょうね。
 
坂東:  そうですね。世界中の宗教の一番深いところを常に見ていらっしゃったようです ね。ですから、仏教もキリスト教もイスラムも、実に深いところを見ていらっし ゃって、どの宗教でも最終的に共通にもっているという深いところを、「霊性」 と。「霊性の世界」とこう呼ばれたようですね。ただ、「霊魂」の「霊」の字を使 いますから、誤解されることが多くて、大変不幸な訳語なんですけれども、やは り「霊性」という言葉は、これは貴重な表現でございますね。ちょうど「神秘主 義」の「神秘」という意味も、別にあれは摩訶不思議なことを売り物にするよう なミスティシズム(mysticism)という言葉ですね。別に悪い意味とは限っていな いんですけれども、「神秘主義」という言葉を使いますと、なんか誤解を招き易 い。では、それを使わないとどうかと申しますと、ちょっと適当な言葉がない。 非常に困るんでございますが、鈴木先生は敢えてあらゆる宗教の最後に落ち着く べきところ、そこを「霊性の世界」と言われましたね。
 
金光:  ですから、死後の世界の話なんかされている人がいくらいても、「今、あなたはど うなんだ」という、そこのところを問題にされると、霊魂とか変なニュアンス
(nuance)は消えて、ほんとに生きて、生かされている人間の、それこそ霊性の 部分が問題になってくる、ということになるんでございましょうね。しかし、そ このところを分かって頂く、ということはなかなか難しいことで、九十六年のご 生涯は、それに全部の力を注がれたということだろうと思いますが。
 
坂東:  でも、アメリカの学生さんなんかの質問に対して、理屈でもって応えられないで、 心が二つに分かれる前の世界から発言されていらっしゃる。その言葉を聞くこと によって、聞いている人がすぐ納得してしまう。そういうことがよくあったよう ですね。例えば、「先生はほんとに輪廻転生(りんねてんしょう)を信じていらっしゃるんですか」とい うようなことを、学生が聞くと、それを理屈でもって応えられないで、「儂(わし)は猫が 好きでなあ。殊(こと)によったら儂(わし)の前世は猫だったかもしれんなあ」。それを聞くと、 その一言を聞いた学生がもう納得してしまうんですね。「ご名答」と言ってです ね。もう質問が消えるわけです、疑問が。これは「信ずる、信じない」「あるか、 無いか」という問題じゃないんだ、というわけですね。「理屈を離れた、実感の問 題なんだ」と。先生がそう感じておられるのを、反対というわけにもいかない。 これは理屈以前の世界のことなんだ、と。だから、「先生、ほんとに輪廻転生を信 じていらっしゃるんですか」というような質問に対しては、「儂は猫が好きでな あ。殊によったら儂の前世は猫だったかもしれん」と。それだけで立派な答えが なされているわけですね。あれはもう理屈以前の世界からものをおっしゃってい るので、相手の疑問が消えてしまったわけですね。
 
金光:  ですから、よく無分別ということをおっしゃいますけれども、分別することによ って、分けて考えるところで、なんか人間の智慧みたいなものが働いているわけ ですけれども。
 
坂東:  余計に複雑にしておりますね。
 
金光:  そこのところを超えたところで、発言が出てくる、ということですね。
 
坂東:  はい。滅多にご自分を語らないお方ですけども。人様に、「先生の若い時はどうだ ったんですか」と聞かれますと、まあお話になる、と。そういうお話の中で、こ ういうことをおっしゃっています。子供の時によく隣の町─村ですか、町ですか ─子供達と喧嘩をした。ただ、単に生まれ育った場所が、通りを隔てた向こうか、 こちらか違うというだけで、子供は対立してしまうんだ、と。それで両方相対峙 して、喧嘩したことがある、と。ああ、先生でもお子さんの時にはそういうこと があったのかしら、というふうに思ったんですけども。まあ、そういう先生が、 「人間の精神が幼い、未熟な間は違いを憎む。ところが、成熟してくると違いを 楽しむようになる」と。そういうふうに言われました。しかし、これはそのまま、 これからの二十一世紀以降の私どもの一番念頭に、心に置かなければならないこ とではないか、と思われますね。
 
金光:  長い間、キリスト教の世界にいろいろな考え方、東洋的な思想の特徴なんかを伝 えてこられたんですが、いろいろあると思いますけれども、その特徴というのを 取り上げると、どういうことになるとお考えでしょうか。
 
坂東:  そうですね。表現の仕方はさまざまあるかと思われますが、鈴木先生が絶えず努 めておられたことは、これは根本的には、お友だちの西田幾多郎先生のお仕事と 相即している、と。全く違うことをされてはおられなかったと思われます。それ は、西洋の思想が二つの世界から出発しているのに対して、東洋は、特に大乗仏 教の思想などは、二つに分かれる前の世界から出発している、ということを、い わばご一生の間、説き続けられたに等しいと、私には思われますね。幼い時に、 宣教師さんに対して、鈴木先生がされたご質問ですね。「この世の一切のものを神 さまがお造りになったのならば、その神さまはどなたが創られたんでしょうか」 と。そういう質問に対して、お答えが得られなかった、と。そうお話をしておら れました。これもどうも二つに分かれた後の話では何か物足らないんですね。そ れ以前が私どもの本当の頼りとする場所じゃないか、と。「その前の世界というの は何か」と。これは西田先生は「純粋経験の世界」と名付けられるようですが、 或いは、「本当に頼りになるのは何か」というと、「絶対矛盾と見えるものが、実 は自己同一なんだ」ということを知ること。そういうように言われましたね。「我 々が分別の世界で、二つと見ているものは、実は同一のものなんだ」ということ ですね。ですから、「三日にして甦った」というあの三日が、「即時だ」という先 生のお言葉も、これもやはり三日というのは、後で考えられて、付けられた説明 なんですね。しかし、体験からいえば即時なんだ、と。煩悩の自分が居なくなっ た瞬間に、仏さまの心に触れるのである、と。ちょうどエックハルト(Meister Eckhart:ドイツ中世の神学者:1260-1329)のお言葉を、先生はしばしば引用され ましたが、エックハルトも「人間の心が空っぽになった時、その時、人の心は神 の心で満たされたのだ」ということを言っていますからね。どこの誰が発言した とて、この世の尽きたところが、彼(か)の世界の始まり、と。この法則は総ての宗教 にとって、共通の地盤ではございませんでしょうかね。そこを「二つに分かれる 前の世界」と言うんじゃございませんでしょうかね。
 
金光:  でないと、我が宗は正しく、他の宗は駄目だという。
 
坂東:  どうしても対立が続きますね。敗戦の、昭和二十年八月十五日、直前、アメリカ は日本にとって鬼だったわけですね。鬼畜だったわけです。ところが、八月十五 日を期して、それ以後は友だちになったわけです。昨日の敵は今日の友となった。 一体、誰を指しているかと言うと、両方とも鬼と呼ばれてもアメリカ、友と呼ば れてもアメリカ。主体に変わりないですね。変わらないものを、人間のこちらの はからいでは別に見るんですね。どっちが頼りになるか。これは分かれる前の方 が変わらないものですね。鬼畜と呼んだり、友と呼んだりした方が頼りないもの ですね。変わってしまうんですから。誰が作ったか。我々の分別ですね。二つに ものを分けて考える。こんな頼りないものはないですね。しかし、変わらないも のは、アメリカという国ですね。それから、お砂糖が盛ってありますと、赤ちゃ んが食べてしまうと、毒になりますが、これは「毒だ」と言い切れるかというと、 お相撲さんがそれを全部ペロッと平らげたとすると、エネルギー源、栄養になる。 同じ分量の、同じ砂糖は毒であり、薬でもあるわけですね。しかし、「毒」と「薬」 という言葉は全く違ったものです。違うのは言葉の上だけの話。現実は毒でも薬 でもないものがそこにあるだけ。現実というものはそこが大元(おおもと)であって、毒から 出発したり、薬から出発したりしたら、我々は永遠に迷っていなければなりませ ん。「毒」とも「薬」とも名付けられる前の「絶対現実」ですね。そこから出発し ましょう、という。まず「毒」とか「薬」とか名付けられる前の現実に触れるこ とが大事。これを西田先生は、「純粋経験」といわれた。ですから、どこの国の人 がいつ見ても変わりないもの。人間の分別の加わらないもの。レッテルが付く前 の現実。そこから出発しましょう、と。それは、「絶対矛盾的自己同一」。毒と薬 と、言葉の上では全く矛盾しているけど、しかし、名付けられたものは、毒でも 薬でもないものである、と。そういうようなことで、おそらく娑婆と浄土もそう いう関係にあるんじゃございませんでしょうかね。
 
金光:  やっぱりそういうのは思想の上だけのことではなくて、生活態度の上でも、そう いう分別以前と言いますか、二分する以前の生活態度というようなものを、
 
坂東:  その生活体験から出てくる言葉があるんですね。それは、鈴木先生がアメリカの 学生さんから、「先生は、仏教には輪廻転生の思想が昔からあるそうですが、本当 に先生はそれを信じているんですか」と聞かれた時に、「儂は猫が好きでなあ。殊 によったら儂の前世は猫だったかもしれんぞ」という言葉がパッとこう出てくる。 これは理屈の答えでなしに実感ですね。これは疑いようのない原事実ですね。も うそれを聞いた学生さんは満足してしまった。そういう言葉こそ二つに分かれる 前の世界から出てきた言葉ですね。それをその世界がもっとも確かな世界である、 ということを気付かせようとされたこと。それが鈴木先生のご一生のお仕事であ ったように思われますね。ある時、鈴木先生が、「あれもしなければならん。これ もしなければならん」とおっしゃって、このお忙しい方がいつの間にお仕事をさ れるんだろうと思って、「先生、いつお仕事されますか」と伺いましたら、「二十 四時間勉強の時間であり」─先生にとってはですね─「二十四時間同じ時間が休 息の時間でもある」と。区別がないんですね。というのは、夜グッスリ休んでい らっしゃる時でも、フッといい考えが浮かばれると、すぐに起きて、その思想を 拾われる。それは頭で考えたものでなくて、あちらからこちらへきたものなんで すね。そちらの方が真実だ、と考えられる。こちらで分別で作ったものは真実で ない、と思う。ですから、思想を大切にされたわけですね。これは、二つに分か れる前の世界からお出でになったものとして大切に受けられたわけですね。こう いう生活態度は、私どもも学ばして頂かなければいけないんじゃないか、と思っ ております。明治の開国以来、日本が西洋の先進国に追い付け、追い越せと、頂 くばかりでございましたね。全部頂き物。頂くばかりで、こちらから差し上げて こなかった。ところが、これからは頂き詰めに頂いてきた日本は、これから東洋 的なるものなり、或いは、大乗仏教なり、貴重なものを、今度は世界にお返しす べき時期にきていると思われます。では、「一体何をお返しするのか。何を差し上 げるのか」と申しますと、やはり二つに分かれる前の世界のものですね。その無 尽蔵の宝ですね。それしかお返しするものはないんじゃなかろうか、と思われま す。
 
金光:  確かにその世界を大事にしていかないと、これからの世界は大変なことになるだ ろうと思います。どうも今日はいいお話を有り難うございました。
 
坂東:  有り難うございました。
 
 
     これは、平成十三年五月六日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。