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2012-04-19

つらぽよー

22:22 |

まだ、生きています。でも、正直状況的に詰んでいます。おそらく、今年中に状況が改善されなかったらあの世に行っているとおもいます。すでに一度自殺未遂しているから死の恐怖は全くないです。さてさて、閲覧者が少ないと思うので死にたがりのつらぽよ日記でも書こうとおもいます。つらぽよってなんだよという方はTwitter検索でつらぽよを検索してください。まあ、人生つらいよねという意味で捉えてください。

このブログを始めたときの僕は輝いていました。いや、語弊があるな。普通に日々を過ごしていました。毎日がたまに嫌なときもあるけど、少し充実しているなあという感じでした。一年前の僕も将来に向かってそれなりに努力していました。で、そこそこの結果を出してきました。しかし、社会というやつは理不尽極まりなく僕に襲いかかり精神病んだ今の状況に至るわけです。何言っているのかよくわからないとおもいますが、努力して結果も出したのに報われない出来事があったと捉えていただければOKです。エロゲでいうなら「はるのあしおと」初期の状況みたいな感じです。具体的なことを書くと特定される恐れがあるので詳しくは書けません。理不尽と不条理の連続攻撃をくらい、一ヶ月近くで体重が7キロほど痩せました。ネクタイを使って自殺未遂もしました。ネクタイが破れてしまったので未遂に終わりましたが、手足の感覚がなくなり、頭がふらふらし、常時遊園地のコーヒーカップに乗っているようなめまいをするという経験をしました。そこで、自分はああ人間ってこんなに簡単に死ねるんだなあと思ってしまい、今まであった死の恐怖がなくなりました。その後、両親が異変を感じたらしく精神科に連れて行かされました。ちなみに、おそらく、両親には自殺未遂をしたことはバレていません。バレていた場合は精神病院に無理やり入院させられたと思います。精神科に行って今置かれている状況を話して、薬をもらいました。しかし、正直に生きるの辛い、苦しい、死にたいなんて言えるわけがありません。言えないです。精神科の先生に言うのを抵抗あるというよりはそれが家族に伝わるというのが何より怖いのです。自分は今までの人生親の目を気にしながら、親の顔色を伺いながら、それに従って生きていたんだなあと実感しています。別に親が嫌いというわけではありません。両親には感謝していますし、姉にもいろいろお世話になりました。一年前の僕は家族から受けていた恩を少しずつ返していきたいなあと思っていました。家族だけではなく今まで関わってきた人たち、親しくしてきた人たちにいろいろと恩を返していきたいと思っていました。ですけど、今の状況では恩を返すどころか迷惑ばかりかけてしまう。自分の今まで生きる目標としていたことと正反対のことをやっている。僕はそんな自分に耐えられませんでした。Twitterの友人に観念に囚われすぎていると言われましたがその通りだと思います。でも、今更自分の生き方を変えようとは思いません。生き方を変えるくらいなら死んだほうがましです。ここで思い出すのは「こなたよりかなたまで」の遥彼方ですね。ネタバレになりますが、クリスとのエンゲージを拒否した彼方くんの心情が今更ですが理解できました。僕は自分の生き方を貫き通したいのです。自分でもバカだなとおもいます。間違っているとおもいます。そんなことにこだわって死を選ぶなんてバカげてるとおもいます。でも、自分の考えを変えるつもりはありません。今まで数十年費やしてきた自分の生き方を変えたくないのです。命より自分の生き方のほうが僕にとって大事なんです。「犬憑きさん」の下巻のラストで主人公の歩が自分の生き方はしあわせになれない、間違っているとわかっていても笑顔でそれを選んでいるシーンや「MinDeaDBlooD」の榊悠香吸血鬼の衝動を耐え、人間として生きていく決意をシーンはとても共感できました。

ちょっと横道にそれますが僕の高校時代の話でもしましょう。高校時代の1年半は僕にとって退屈そのものでした。高校のクラスには数個のグループが自然にできます。僕は一つのグループに属していましたが、どのグループにも顔を出し、人間関係をそれなりにやり過ごしてきました。しかし、心から打ち解ける親友がおらず、表面上の友達ばかりが多かったです。後半の一年半はほんのきっかけというかたまたまというか偶然が重なったのか親友が3人できました。一応中学にも高校時代に一緒に旅行へ行く親しい友人がいました。高校の後半の1年半はおそらく僕の人生で一番充実していました。毎日が楽しかったです。昼休みに空き教室をたまり場にし、いろいろ語り合いました。あの空き教室は「最果てのイマ」でいう聖域だったんじゃないかなー。学校の帰りもわざわざ遠い駅に行き、僕含め4人で帰り道に笑いながら話し合ってました。あの高校に行ったことは後悔したけど、生涯の親友3人に出会えたことは全く後悔していません。あ、ここでTwitterでぼっち非リアと言ってたことについて謝罪をします。* ゚・*:.。.:*・゜+ d(*´∀`)b うそです +.:*・゜゚・*:. *Twitter上のキャラ設定って大変だよねということでご理解くださいませませ。高校を卒業して、それぞれの道が違っても定期会合ということで半年か一年につき一度会って一晩遊ぶことが通例になっていました。正直、僕はこの定期会合を楽しみに生きていたのかもしれないなあと思います。ほんと自分にとって大事な人たちです。高校時代にオフ会に参加したりもしました。そこでTwitterを始めるきっかけとなった人たちにも会えました。ほんとに感謝しています。自分語りが長すぎました。で、本題なんですが、高校時代に不幸の再生産をしたくないから結婚はしたくないよなーという話をしたことがあります。その後数年後その話をした友人は幸せになっていって変わっていました。でも自分は高校のときの考えから変わってなかった。自分の性格は高校時代から変わっていないというお話でした。

僕も自分の生き方にこだわりすぎて、縛られすぎているなあと思います。でもいろいろ考えた上でその選択をあえてしています。だから前述の「犬憑きさん」や「MinDeaDBlooD」のシーンは非常に印象深いです。僕は自分のことを無価値で人から必要とされてない、使えない、否定されてる、必要の無い人間だと思っています。いや、事実今の状況は完璧にそうです。家族や親戚や友人を見ても自分が一番グズだし、僕の存在がいない世界での姉夫婦や両親の姿を想像すると充実した幸福な家族だなあと思います。自分の存在が周りに迷惑をかけているのが誰がどう見ても明らかなのです。今の状況は自分の今までの生き方に反しているし、家族に迷惑をかけている。生きていることだけで家族や周りの人へ恩を返しているとは僕自身は思えない。だからほんとに生きているのが苦しいです。辛いです。死にたい。今の状況のことを人に話すと、まず運がわるかったね。頑張ってね!と言われます。いや、人の人生を運が悪かったの一言で済まされるのはマジでムカつきます。今までかなりの時間を犠牲にして結果出したのに、運が悪かったの一言で終わる。そしてまた頑張れと言う。巫山戯んな!って話ですよ。まあ、人間なんてゴミクズみたな存在で誰でも代替がきくってことが実感できました。人の生に意味なんてないよなあ。生きるっていうことは報われなくても心身ともにぶっ壊れても努力し続けていかなきゃいけないんだな。ほんと、「るいは智を呼ぶ」であったとおり生きるって呪いみたいなもんですよ。でも「CARNIVAL」のラストシーンであったとおり、世界は誰も愛してくれないし、救ってくれないんだよね。人が人を救うことができるなんて幻想ですよね。人はきっかけを与えることができますが自分を救えるのは自分だけなんだなあ。あと、今の状況話すと若いんだからなんとかなるや生きてれば良いことあるよってよく言われます。若いってだけで今の状況にいる免罪符にならないと思うし、生きてれば良いことあるよっいつ良いことがくるかわからないのに苦しんで生きろって言っているのも当然なので全くかみ合ってません。人生にはもっと辛いことがあるよや挫折は良い経験になるともよく言われますが正直これ以上辛いことなんてそうそうないと思いますし、挫折を乗り越えなければ意味が無いと思います。周りのこと気にしすぎ!自分のペースでいいんだよとアドバイスをされましたが、考えないようにしても他の人と比較してしまってどうしようもないですよ。周りの人はうまくやっているのになんで自分だけうまくできないんだろうなあと考えてしまうわけですよ。もっと辛い人なんていくらでもいるから甘えんな!努力しろ!とも言われましたが確かに僕より不幸な状況の人なんていくらでもいると思います。でも甘えているわけではありません。ちゃんと努力してきました。いろんなものを犠牲にしてきたのにまた努力しろっていうのがどれだけ残酷なことかわかってないんですよね。一度折れた心はそう簡単に立ち直れないですよ。これから先、何を努力しても結果を出してもまた運が悪く報われず終わるんだろなあという考えが頭から離れないんですよ。だからもう努力することに恐怖さえ覚えています。なんとかなるはずって思って今までやってきたのになんとかならなかった人間は死ぬしかないんです。自分自身の自業自得なんですが、紙一重の差でこの状況になっているので納得できないし、納得しても一生背負い続けなければいけない重荷となっています。「家族計画」である通り生きることは問答無用なんですが今の状況だとまあ、もう生きてても仕方がないという気持ちになっています。この世界を憎んでいるとか人間が憎いとかそういう気持ちはありません。今まで積極的に関わってきた人たちはみんな良い人たちだったし、周りの環境はほんと恵まれていたなあと今更ですが思います。その環境をうまく活かせなかった自分の責任なんだよなあ。自己責任自己責任でいいからなんで社会は死なせてくれないんだろう。ほんと残酷。這いつくばって生きるほど生にそこまで執着ないし、いつ人生終えてもいいように生きているから死ぬことに後悔は全くないんですけどね。

話は変わりますが「CROSS†CHANNEL」の内容ってぶっちゃけ簡略化して言えば、クズでも生きていていいんだよっていう自己肯定の話じゃないですか。なんであれが世間的に高評価なのかなあと思ったんですが、前提条件である自己肯定をしづらい環境を味わった人が多いからかなあと思います。僕は自己否定されまくって考えていても何も意見が言えない人間になってしまいました。でも逆に言えば「CROSS†CHANNEL」が高評価される世の中って相当病んでいることだよなあと思います。まあ、僕はあそこまで自己肯定できないからこういう状況になっているのかなあ。「SWAN SONG」でのラストシーンの司くんの姿はかっこよかったなあ。僕もあのように生きたいけど無理だろうなあ。なんかエロゲの感想になっていますね(笑)オフ会などで出会った人たちみんな良い人ばかりなのになんでつらぽよで苦しんでるんだろうって思います。世の中ってほんとクソッタレですよ。まあ、社会にコミットできなかった僕が言っても説得力が全くないですけどね。これがエロゲエロ漫画アニメに触れた大人が人格崩壊して自殺したデータになったらウケる。社会はそう捉えそうだよなあ。

僕の将来は長期的に見て真っ暗なのでそろそろ人生の見切りをつけようと思うので今年中に自殺すると思います。状況が改善するのが一番なんですが可能性がほんとないので厳しいですね。本音を言えばまだ生きたいんですけどねー。生きてるだけで保険、税金光熱費、水道代、ネット代、携帯代、食品、生活費などこんなにコストがかかりなおかつ病気にかかると医療費もかかるから生きてるの楽しいと感じない限りコスパ悪すぎだろうと思います。僕は周りの友人と親友と遊んだり、話したりするときやアニメ見ているときやエロ漫画読んでるときやTwitterやってるときはほんとに楽しいですがもう生きるのつらぽよです。もうダメです。限界です。疲れました。ほんとに死にたい。でもみなさんと過ごしてきた時間は、間違いなく素晴らしき日々でした!!!!!!生まれてきてほんとよかったです!それは偽りなく言えます!!みなさんありがとうございました。みなさんが人生をできるだけ楽しみ、幸せになってくれることが僕の願いです。さよなら。また、いつか会えたらいいですね。

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