ソーシャルゲーム市場の評価基準は
もはや「利益」以外は存在しない?
「利潤量はしばしば別の指標が無いという理由だけで成功の指標となり、勝利の記念柱となる。かくして経済行為はスポーツのようなものになり、金融上の角逐、さらには拳闘さえ見られる。」(シュンペーター、『経済発展の理論』)
今回のシリーズ原稿は、経済的分析を小山が、それ以外の部分を石島が担当する共著となっている。ここまでのソーシャルゲームの議論の中で、筆者(小山)の脳裏をよぎったのがシュンペーターの言葉である。つまり「ソーシャルゲーム市場は、もはや利益以外の評価基準が完全に消失しているのではないか?」ということだ。
ソーシャルゲームが現れる前のゲーム産業は「スペースインベーダー」(1977年)を基準に数えると34年、「ファミリーコンピュータ」(1983年)からだと29年になる。若い産業であるのは間違いないが、この30年間なんとか国民的娯楽産業としての地位を築いてきた。
そこに、ソーシャルゲームの登場である。その躍進を見ていて、いつも思っていたのは、「ソーシャルゲームの経営幹部は、シュンペーターが述べた企業家にそっくりだ」と言うことだ。
経済学者のシュンペーターは、名著『経済発展の理論』の中で、既存の要素を組み合わせて新しい利潤機会を創出する「新結合」が企業家の役割であるとした。しかし、「企業者」の革新性は、新しい商品を開発する技術者の革新性とも、新しい理論を発見する科学者の革新性とも異なる。他の人がみすみす見逃している、大きなビジネスチャンスを見抜き、困難を乗り越えて実現させる革新性である。
この、「既存の要素を組み合わせて新しいビジネスチャンスを生み出す」 部分が、ゲーム産業(とIT産業)全体の中でのソーシャルゲームの立ち位置そっくりなのである。