宮澤喜一が死んだ。死亡時刻は2007年6月28日午後1時16分。場所は東京都渋谷区神宮前の自宅。死因は老衰。
ついに天皇陛下への謝罪は無かった。売国奴宮澤。今頃あの世で我々日本人の祖先に何と申し開きをしているのだろうか。
天皇を中国に売った宮澤喜一
蒋介石も毛沢東も周恩来も鄧小平も、日本には敵意を持っていました。しかし、日本は強い国である、敗戦にもめげずに復興したという敬意は持っていたと思います。
ところが江沢民や温家宝は、日本に対して非常に傲慢です。なぜ傲慢かというところが大事です。
天安門事件で中国は、世界中のマスコミが見ている前で一般市民を大量に殺しました。当然ながら中国は国際的に孤立した。その時、中国は、日本の天皇を招き、そこを突破口にしようと考えました。そして、日本政府は天皇陛下に訪中して頂くことを決めてしまったのです。
東アジアにおいては、周辺の国がシナを訪れるということは朝貢だと見なされる。朝貢というのは、下品な言葉で恐縮ですが、動物生態学の用語を用いればマウンティングされたというのに等しいのです。サルや河馬はマウンティングでランクを決めます。シナの都に日本の天皇が行けば、それは日本がシナの家来になったということになってしまいます。
天皇陛下の訪中で中国は感激して、今後、歴史問題には言及しないなどと言いましたが、家来になった国との約束を守るはずがない。江沢民や温家宝が傲慢なのは、天皇陛下の訪中ですでに日本にマウンティングしたと思っているからです。
この天皇訪中という国賊的行為を決めたのは、宮澤喜一首相です。官房長官は加藤紘一さんです。
聖徳太子以来、日本はシナと対等の立場を崩したことはありませんでした。その積み上げてきた歴史を一切、葬り去ってしまった。
諸外国の大統領が来日した時、代わりに各国を訪問するのは日本では首相です。それが対等の立場です。そして、天皇陛下はその上にいらっしゃる。ですから、各国の大統領が来日したとき、天皇陛下の晩餐会に出席すると皆、緊張する。フォード大統領も震えたと言われています。それくら畏敬の念を持っている。
しかし、宮澤喜一首相が中国をつけあがらせました。そもそも、温家宝は、中国のナンバー3ですから、天皇陛下の晩餐会に呼ぶ必要などない。それを外務省のチャイナスクールが動いて画策したのでしょう。
日本の歴史教科書の検閲権を北京とソウルに売り渡した宮澤首相は、天皇陛下まで中国に売り渡したのです。
今上陛下にはぜひ長生きして頂き、中国共産党政権の崩壊をご覧になられれば、せめてものお慰めになるのではないかと思います。
『WiLL(2007年7月号)』P.234-247「渡部昇一の戦後史公開講座」から引用。
死んだ人間を悪く言うのは気が引けます。気分が悪い。なれど、宮澤喜一という人間をおもうとき、どうしようもない怒りが込み上げてきます。彼が、我々日本人の祖先が千年以上もかけて営々と積み上げてきたものを一瞬にして破壊したからでしょう。せめて、死ぬ前に、今上陛下に謝罪すべきでした。
これからも永く日本人は宮澤喜一を売国奴として記憶することでしょう。
by おつかれ
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