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新格闘王&リングス代表・前田日明 2

 ‐業務提携後は。

 「戻ってきてからは(ユニバーサルの経験から)後楽園ホールで自分たちがやったことは認められるんだって実感はあったんで。何とかこれを続けていきたい。最初の業務提携の話し合いの部分で、何か別の一分野をもうけてやってくれないかなという話をしたんですが、抵抗がありましてできなくて、できないどころか1人1人切り崩しちゃおうってのが見えたのでそれに対抗して、リング上で事件を起こしてご破算にして、しばらくやってまたちょっとやばそうになったら事件起こして…、って、そういう感じですよね」

 ‐藤波さん以外でいい試合ができた選手は。

 「アンドレ(・ザ・ジャイアント)は津の大会でもめた試合(86年4月29日)もありましたけど、その前にやった試合(83年5月13日)では何でも受けてくれたんですよ。当時スープレックスに自信あったんでアンドレにジャーマンやったらみんなひっくり返るやろうなってねらったんですけど、パッとクラッチやったら手が回らなかったんですね。彼はいろんな意味で強い選手でしたね。当時のプロレス界の稼ぎ頭で。どこのスポーツの世界でも成功したんじゃないですか」

 ◆津の試合では、アンドレからプロレスの枠を越えたファイトを不可解にも仕掛けられた。

 「津の試合はアンドレ個人がどうのこうのじゃなくて、誰かが『けしからんヤツだから恥かかせてくれ』みたいな感じで言われてやったと思うんですよね。試合中に『これはオレのビジネスじゃないから、オレは関係ない』って言ってましたからね」

 ‐当時の前田さんはディック・マードックを高く評価していました。

 「ディック・マードックは良かったですね。やれるんだったら何でも来いよ、みたいな感じでね。自分がやった中ではやっぱりディック・マードックとアントニオ猪木の2人が、プロレスの天才でしたね。何やってもプロレスにしちゃうみたいなね」

 ‐猪木さんは。

 「過激なプロレスっていう村松友視さんの本(『私、プロレスの味方です』3部作)が出たとき、猪木さんのことを“過激なプロレス”って書いていて。試合してみたら、当時の自分は『何だ全然違うじゃないか』っつって頭に来てたんですけど、今から考えると猪木さんもそういった意味では何でもかんでもプロレスにしちゃうっていう、なんていうのかな、職人ですよね」

 ‐先ほど、猪木さんにもプロレスを進化させる考えがあったと。

 「ちらっとそういう話を聞いたことはありますよね。猪木さんもプロレスだけやってればそういう方に行ったと思うんですけど。マジメにプロレスだけ集中してやってれば今ごろ新日本プロレスは高層の自社ビルが1つ2つ建ってて、総合格闘技からK‐1からプロレスからみんなやってるでしょ。それは亡くなった山本小鉄さんがよく言ってましたね。当時は新日本でやってるメンバーっていっても全日本に比べたらちっちゃい人ばっかりだし、どうかなと思ってましたけど、後で振り返ってみればすごいメンバーでしたね」

 ‐新日本を辞めた前田さんも佐山さんも船木(誠勝)さんも団体を起こして、格闘技史に大きな位置を占めている。新日本のどこにその理由があったんでしょうか。

 「当時、山本小鉄さんが自分らのコーチで、新日本プロレスの道場の雰囲気を作ったのは山本さんですよね。自分は第2次世界大戦の戦記が好きでよく読むんですけど、その中に出てくる、努力を尊ぶ日本人中の日本人(のような人)が新日本プロレスにいて、なおかつ若手とか練習生の面倒を見るコーチでいたのはすごく大きいと思います。山本さんだけはUWFが帰ってきてリング上で大暴れして相手をしょっちゅうケガさせた時も何も言わなかったですね。ケガさせる方が悪いんだ、ケガさせられる方が間抜けなんだと」

 「後々いろんなことを人から聞いて分かったことなんですけど、山本さんたちがアメリカで転戦したところは、猪木さんもそうなんですけどテネシー州なんですね。第2次世界大戦で戦死した人が一番多いところなんですよ。日本人というと試合どころかリングに上り下りする最中に刺されちゃったとか、日本人をバカにしきってる相手のレスラーがプロレスせずにいきなりパンチを打ったりとか危ない投げ方されるとかがあるところなんで、そういうのを相手にしながらちゃんともめたときはやっつけるし、相手が変なふうにやってきてもさせないようにするということを経験してる人たちなんで、それが後々の新日本プロレスの雰囲気になったと思いますね」

 ‐前田さんにとって新日本時代はどんな時期だったと思いますか。

 「20代の時にいろいろ考えたりとか思ったりとかしたことは人生の骨格になるって聞いたことがありますけど、まさにその通りで、あの時に考えたことをやっていこうって。第2次世界大戦の撃墜王の坂井三郎さんとはある対談で知り合って、死ぬまでお付き合いさせてもらったんですけど。『いま年を取って考えてみても間違ったことは何もしていないと。若いながらわれながらよくやったと思う』ってよく言ってましたね。自分も振り返ってみて、あのころやったことで間違ったことはこれっぽっちもなかったですね」

 ◆3月9日には後楽園ホールで、前田氏が第2次UWFを経て起こした総合格闘技団体「リングス」が10年ぶりに活動を再開する。

 ‐なぜ、この時期に再開することになったのでしょうか。

 「順番にやってるんですよね。まずアマチュアをちゃんと育てて、有望な選手が出てきたらランクアップさせてチャンピオンにさせるというんでやってて。もうアウトサイダーの方は足かけ4年くらいになりますんで、そういう時期なんですよね」

【3に続く】







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