リングス代表の前田日明氏(53)が3月9日、後楽園ホールで10年ぶりにリングスを再開する。「世界最強の男はリングスが決める」を旗印にエメリヤーエンコ・ヒョードルやアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラらを世に出した総合格闘技団体だ。また、15日には新日本プロレス時代を集大成した「前田日明デビュー35周年記念DVD‐BOX」(ポニーキャニオン)が発売され、若き日の勇姿が942分にわたってよみがえった。新格闘王が熱く語った、格闘技の過去と未来をお届けする。(聞き手=藤澤浩之)
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‐新日本プロレス時代(78〜84年、85〜86年)の映像が5枚組の「前田日明デビュー35周年記念DVD‐BOX」(ポニーキャニオン、発売中)にまとまりました。
「あんまり試合の記憶ってないですね。これ(資料)を見て『ああ、こんな試合あったっけ』っていうのがけっこうあったりする。自分の場合、リング上がどうのこうのというよりリング外のことでかき回されてて、一緒にやった連中を食わせていくためにどうしていくかで頭がいっぱいやったんで」
‐見る側からすれば、前田さんには記憶に残る試合がとても多いんですが…。
「ユニバーサルプロレス(第1次UWF)が解散して新日本に業務提携で戻ってきて、そのころの試合はけっこう記憶にあるのが多いですね」
◆第1次UWFは85年9月で活動を停止。UWF勢は同年12月に新日本参戦を表明した。
‐その中でも特に印象に残っている試合は。
「藤波さんとやった試合(86年6月12日、大阪城ホール。プロレス大賞年間最高試合に選出された)もアレですし。今考えると藤波さん、やっぱりね、打たれ強かったですね。後々リングスやって、パチーンと当たってストーンと落ちるヤツいっぱいいましたからね。あの時藤波さんとか、ハイなんか何発当たったかわからないですよ。(当時の新日本の選手は)みんな頑丈やったですよ。いろんな意味でね。当時のオレたちが今どこらへん(の団体に)に行ってやったって試合にならないんじゃないですか。それくらいの頑丈さがありましたよね」
‐第1次UWFから新日本に戻ってきて、もともと同門だった新日本の選手も対応できないくらい前田さんたちのスタイルは変わっていました。やりにくさや難しさはありましたか。
「自分が入ったころに、当時(アントニオ)猪木さんの付き人をしていた佐山サトル(初代タイガーマスク)さんの口からね、『猪木さんは本当はね、プロレスっていうよりもっと進化させて、今でいう総合格闘技みたいにしたいんだよ』っていうのを聞いたんですよね、よく。(当時)自分は藤原さんと2人でえっちらおっちらグラウンドの練習を始めたんですけど、リング上でやってると場所取るもんですから邪魔者扱いでね。『リング下りて別のところでやれ』とか言われて舞台の上でやったんですけど。あまりにもそういうのが続いたんで一計を案じて、後から入って来るヤツみんな引き入れたんですよね。多数決で自分らが占領できるようにやって、結局そのメンバーがUWFのメンバーになったんですけどね…あれ?質問なんでしたっけ」
‐スタイルの話です。
「『自分らの方が正しいんだ』って、その辺は若さでゴリ押ししてましたね。無理やり」
‐新日本時代は選手としてはコンディションが良かった時期ですね。
「ケガさせてばかりで自分のケガがなかったですね。(選手として)いつが良かったかはあまり考えたことはないんですけど。何とか新日本に吸収されないように、独立独歩でやっていくにはどうすればいいか。社員の給料とか道場の運営とか新弟子の給料とか、いろんな予算を取っていかないといけないし」
‐選手をやりながらUWFを経営するのは大変だったと…。
「それ以前の問題で、新日本側も吸収したくてしょうがないんですよね。いろんなプレッシャーかけてきて『結局、突っ張ってるのは前田だけだろうから、コイツを何とかしたら何とかなるじゃないか』って。あんまり自分が言うこと聞かないもんで、新日本の方も考えあぐねて『取締役の1人にしてやる。株もあげるからUWF止めてこないか』って。『何言ってんだ』って感じで断りましたけど」
‐以前、新日本に残留して団体の主導権を握っていたら、リングスのように総合格闘技へと移行させようと考えていたというお話をうかがったことがあります。
「今から考えると、年代的にできる人とできない人がいるんですよ。若い人間はできるんだけど、年いってる人はできない。後にリングスでいろいろ経験しましたけど、それに向いた選手を一から作らなきゃならないんですよね。そういう問題もあって。でもリングスやって思いましたけど『あのころの新日本ってもうかってたんだったな』って。『その金をちょっと考えて使えば、後々のK‐1とかPRIDEとか全部なかったのにな』っていう思いは今でもありますね」
‐新日本での試合は第1次UWFに行く前(84年まで)と業務提携後(85、86年)に分けられますが、それぞれの時期を総括すると。
「ユニバーサルの前は何とかプロレスラーをやんなきゃいけないなと思って試行錯誤して壁にぶち当たって。(カール・)ゴッチさんのところに行ってほかのプロレスラーができないことをいろいろ身につけてきたんですけど、いざプロレスの試合となると、受けられないというんで投げ技にしても蹴り技にしても拒否する人が多かったんですよ。だから手足そがれた状態で試合してなきゃいけなかったんで、どうしたらいいんかなっていうんで、けっこう煮詰まってましたね」
【2に続く】
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