光の射す方へ【3】
「逃げるたってどこに!」
「どこかにだ!」
怒声と罵声が入り混じる人ごみにアカリは背を向けて、その場を後にした。炎のせいで背中が熱い。残念ながら、この中にいる人のほとんどが、明日まで生きてはいまい。もっとも、朝も夜も季節すらなくなってしまった今となっては、昨日・今日・明日の概念さえ、あやふやなものになってしまっている。
明日という概念が失われた世界であっても、そうそう死にたがりが増えるわけでもないようだ。ファントムに触れられた“死”は普通の死とは異なり、魂の監獄に永遠に繋がれる。誰とも知れず言い始めたそんな話から来る恐怖も、人々に死への畏怖を忘れさせず、その意思を現世に縛り付けていた。
死に怯えて逃げ回り続けるくらいなら、いっそ死んでしまえばいい……。
いっそ死んでしまったら、追い続けられる恐怖を忘れて楽になれるのに……。
心の中ではそう思っているくせに、アカリだって死を選択する勇気なんてなかった。逃げる時に一本掴んだ松明を翳≪かざ≫しながら、アカリは走った。
町の西の端――。
「バルドル!」
アカリは叫んで、神獣の名を呼んだ。普段ならどこにいても、すぐに返事が返ってくる。しかし、なぜだか今回はその返事がなかった。
「バル……」
もう一度名を呼ぼうとしたアカリは、頬に触れた冷たい水滴に、反射的に天を仰いだ。
「……まずい」
火の最大の敵は水に他ならない。
「バルドル! バルドル! バルドル!」
アカリは慌てて立て続けにその名を呼ぶが、今度も返事はなかった。ぽつぽつと降り始めた雨はあっという間に豪雨になり、アカリを容赦なく打ちすえる。
雨粒の冷たさにアカリは空を見上げて呻いた。こんな時に、最後の最後の希望さえ冷徹に奪っていく神への呪詛を、喉の奥から絞り出した。
彼女の握った松明の火は、次第に火勢を失っていく。みるみる弱々しくなっていく松明の火を、何とかしようと身体で抱きかかえるようにして守る。
「ダメ! ダメよ! 消えないで」
アカリは半泣きで懇願するが、その願いが叶えられることはなかった。やがて、火は静かに消えていった。
それからしばらくして、背後でアカリを照らしていた町を燃やしつくた炎も、雨によって鎮められていった。それは、あれほど猛り狂っていたのが嘘のような、呆気ないものだった。
そして――辺りが闇に包まれた。間をおかずして巻き起こる悲鳴。絶叫。――そして静寂。炎がそうであったように、人の命も呆気なく消えていく。
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