歴史はこうしてつくられる【2(最終)】
「斉王の治世は景初3年(239年)から嘉平6年(254年)でした。即位直後の景初3年から正始4年(244年)ごろがちょうどよいかと」
「ふむふむ……では、大和の前身の国はどのようにするかな」
「そのままヤマト国でよいのでは?」
「文字はどんな字をあてるか……『邪馬臺国』……こんなところでよかろう」
「……なるほど、なるほど。では、そうすると邪馬臺国の王をどのような人物にするかが難問ですな。こちらも、酒と女に溺れる愚昧な小人物に?」
「いや、大和王朝の前身である以上、それなりに力があり、いくつもの国を束ねた人間にしなければ……。そういえば、倭の神話の最高神は女神であったとか聞くが?」
「倭の神話は詳しくありませんが、確か天照大神……とか」
「では、邪馬臺国は女王が統治したことにすればよい。これを読んだ後世の人間は、倭の最高神が皇帝陛下に平伏したと思うことだろう」
「女王としますと、巫女や祈祷師という設定が一番しっくりくるのでは? 呂太合のように国を私物化した悪女も面白いですが」
「あまりその辺の設定に凝ると、後々、整合がつかなくなるぞ。しかし、そうすると……名は日の巫女と言ったところか……。名前の当て字に侮蔑的な文字を使うのを忘れるなよ」
「日は卑しいという文字を当てましょう」
「ふむ……では、もっと細部にわたる設定を……」
かくして、白熱した議論は昼夜を選ばず長い時間をかけてその後も続き、出来上がった邪馬臺国に関する文書は上奏され、さらに晋の史書の中に取り入れられることになった。これで後世の人間は、天皇の祖先が中国皇帝から下賜を受けたと思いこむことだろう。彼らは満悦していた。
ところが……。
「大変です! 大変な間違いがありました」
「一体何を間違えたというのだ!」
「邪馬臺国へ至る道筋を、現在の単位で書いてしまいました。魏の時代の単位で読んだら、邪馬臺国は海の底に沈んでしまいます!」
注) ここに書いてあることは一切合財何もかもフィクションです。現在・過去のあらゆる国、地名、人名等まったくもって関係ありません。
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