2008年6月 森 章吾
序論
- 植物のある部分の器官と隣接部の器官を比較観察しますと,形が移行していることがあります. そして,この移行は完全なこともありますし,多少の差を残すこともあります.
- 一例を挙げますと,一重咲きは八重咲きに変化します. この時には,おしべができずに花びらができます. しかし,その中には, 色もかたちも花びらと全く同じにまで変形したものもあれば, おしべの特徴を部分的に残しながらも,ほとんど花びらに近いものもあります.
- 本来,おしべは花びらの次にできる器官ですから,おしべが花びらに変わるというのは,成長が一歩後退していることになります. つまり,植物は成長の順序を入れ替えることができます. こうした不規則な現象を見ますと,よけいに本来の規則性に注意が行きます. そうして,変形の際のいろいろな法則がわかってきます. 自然は,そうした法則性に則って,ある部分から別な部分をつくりだし,たった一つの器官を変形させることで,さまざまな形態をつくりあげているのです.
- 葉,萼,花びら,おしべは順に現れてきます. こうした一連の部分に,隠れた類似性があることは,研究者には前から知られていましたし,研究もされてきました. そうして,一つの器官がさまざまな姿で現れてくる現象を,植物のメタモルフォーゼと名づけました.
- メタモルフォーゼには3種類あります. 原則的,変則的,偶発的メタモルフォーゼです.
- 原則的メタモルフォーゼとは,子葉から始まって果実ができあがるまでの段階的な変化の様子を言います. 両性による生殖は自然における頂点とも言えるでしょうが,そこへ向かって,精神的階梯を一段一段登っていくかのようです. ですからこれを,前進的メタモルフォーゼと呼ぶこともできます. 私はこのメタモルフォーゼに数年来注目し,また,これを説明するためにこの小論を書こうと思い立ちました. そこで,以下の考察では,1年生植物を取り上げます. なぜなら,1年生植物は種子から始まって受精し,実をつけるまで絶えず前進的に変化するからです.
- 変則的メタモルフォーゼは後退的メタモルフォーゼとも呼べます. 6の場合には,自然は大きな目標に向かって前進します. ところが,こちらの場合には,一段階ないしは数段階,後退するからです. 前進的メタモルフォーゼでは,自然は強い衝動で前に突き進み,緊張関係の中で花をつくり,愛の準備をします. ところが,後退的メタモルフォーゼでは,そうした緊張関係が失われ,どっち付かずのはっきりしない状態のままになります. この状態は,人の目には好ましくうつることもありますが, 植物本来の内的な力が失われています. しかし,この変則的メタモルフォーゼを研究すると,しばしば利点があります. ある事柄は規則的メタモルフォーゼでは見えてきませんので,普通は推論するしかありませんが, 変則的メタモルフォーゼでは,その隠れた事柄がはっきり見えてくることがあります. この方法を利用していきますと,目標をよりよく達成できる可能性があります.
- 第三の偶発的メタモルフォーゼとは,昆虫などの外部からの原因で引き起こされる変形です. 話題が脇道に入ってしまいますので,ここではこれは取り上げません. この小論で進めていこうとしているのは比較的単純なのに,それをわざわざ混乱させることもありません. 虫えい(インセクト・ゴール)などの奇形については,別な機会に若干取り上げるかもしれません.
- この小論を説明するためには図版(エッチング)があるとよいのですが,まずは,図版なしで仕上げることにしました. しかし,図版を後から加える可能性もあります. また,この小論はまだまだ不完全で,多くの材料を取りこぼしています. ですから,より完全な論文に仕上げるときに図版を付け加える機会があるかもしれません. より多くの材料を取り上げ,論文に図版を入れることができれば,この小論よりも大胆に論を進めることもできるでしょう. また,他の研究成果も取り上げながら,それらを一つの体系の中できちんと位置づけすることもできるはずです. この時代にも,この高貴な学問(植物学)には,誇りとすべき素晴らしい大家がいらっしゃいます. 私は,この小論をそうした大家に捧げ,ご批判を仰ぎ,ご助言をいただきたいと思っています. そして後には,戴いた助言も論文に活かしたいと思っています.
- この小論の一番の目的は,植物の成長を段階を追って観察することです. ですからはじめに,種子の発芽の時を見てみましょう. この時期では,植物のそれぞれの器官を,簡単にそして正確に見渡すことができます. 植物が芽生えると,程度の差はありますが,種皮は地中に残ります. ただし,この種皮までは調べません. 多くの植物では,まず根が地に付いてから地上部の器官が現れ,光を受け始めますが, この地上部の器官も,もともとは種皮の中に隠れていました.
- この地上部の最初の器官は子葉と呼ばれています. 子葉には,植物の種類によってさまざまな形があります. その特徴を表すために,〈種子薄片〉〈核部〉〈種子裂片〉〈種子葉〉といった呼び方もあります.
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多くの子葉は,中に粗雑な物質を貯え,幅広で厚く,形も洗練されてはいません.
葉脈もその塊と一体になっていて,見分けにくくなっています. 子葉の中でも,こうしたものは葉とはあまり似ていないので,
子葉にも葉にあまり似つかないものがあり, 葉以外の特別な器官と思い違うかもしれません.
ソラマメの子葉
粗雑な物質を貯え,幅広で厚く,洗練されていない形.葉脈も葉身部と渾然一体となり見分けにくい.
- それでも,葉に似た子葉をつける植物も多くあります. より薄くなり,光や空気とであうことで緑色も帯びてきます. そしてまた,葉脈も12のものよりずっとはっきりし,葉脈らしくなってきます.
- 最後に,本当の葉と同じように見える子葉があることにも触れておきましょう. 葉脈は非常に繊細で,完成の域に近づいています. 本当の葉とよく似ていて,これを別な器官であると見なすことなどできなくなります. つまり,子葉と最初の葉であると認めるのです.
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さて,葉と節は両方がそろって一つのセットです. ですから,植物の最初の節は子葉の付着点であると言えます.
このことは,例えばソラマメを見るとわかります. つまり,この種の植物では,子葉の付け根のところから若芽を出し,それが完全な枝に成長します.
これは,そこが節であることを裏付けています.
インゲンマメの幼植物
子葉とさらに次の葉が開いている. この両者の形の違いは明らかである. また,ここにすでに節構造が見られる.(ゲーテの水彩画より)
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多くの植物で子葉は対生です. これについての考えをここで述べたいと思います.
ただ,その重要性は後になってわかるはずです. さて,葉が互生する植物でも,子葉は対生であることが多いのです.
互生では,葉という器官同士が離れています. それが,子葉では近接しています.
つまり,自然の中で後になって引き離されていくものが,はじめは近づきあい,つながりあっているのです.
また,さらに興味深い植物もあります. まず,子葉は数枚が茎を軸にして,一点から放射状に出ていているのに対し,
その後は,茎が伸びるにしたがって葉が逐次一枚ずつつくのです. これは,マツ類に見られます.
つまり,針状の子葉が杯状につき,萼のようになります. 後で似た現象が出てきますので,これにはまたそのときに触れます.
マツの子葉
一つの軸の周りに多くの子葉が集まっている. 単子葉,双子葉という言い方を借りれば「多子葉」ということになる. Iではまだ種皮がついている. (出展Troll)
- 子葉が一枚だけの植物,つまり単子葉植物はここではとりあげません.
- 子葉がどれほど後続の葉に似ていても,両者を比べれば,子葉の発達が十分でないことがわかります. 特に子葉の縁の部分は単純で,切れ込みなどはその徴候すら見えません. また,後続の葉で,表面に毛や葉脈が見られますが,子葉では見られません.
- さて次に,葉が節ごとに完成していく様子を見ていきます. ここでは,自然の前進的作用をあますところなく見ることができます. 子葉の次に出てくる数枚の初期葉は,種子の中にすでにあって,子葉の間に挟まれている例もかなり知られています. そうした葉は種子の中では折りたたまれていて,幼芽と呼ばれます. 初期葉の形態を,後に続く葉や子葉と比べますと,それらの関係は植物種ごとにかなり違っています. それでも,初期葉は,明確な節から出ていて,柔らかく,偏平で,色も緑色で,葉としてほとんどできあがっていて,それ以降の茎葉との類似は否定できません. しかし,それ以降の茎葉と比べますと,縁の部分がまだ未発達です.
- それ以降は,節ごとに葉が完成していく様子が見られます. 葉柄から中央脈にかけての全長が長くなり,そこから枝分かれした側脈も長く伸びたり,またあまり伸びなかったりして,植物の種類ごとに特有の形が完成していきます. 葉脈同士の関係は非常に多様で,それによって千差万別な形ができあがります. また,縁には切れ込みやギザギザが入ることもあり,さらには複葉になることもあります. 複葉になりますと,小さいながらも完全に枝分かれしているように見えます. このように,はじめは単純な形であった葉が,順次,多様化していきます, ナツメヤシでは,この現象が特に顕著に現れています. はじめはたくさんの小葉がくっつきあって一枚になっていますが,しだいに中央脈が伸び,そうした小葉がバラバラなり,やがて,小さな葉をつけた枝のようにさえ見えます.
- 葉の本体が完成していくにしたがって,葉柄も完成していきます. 葉柄が直接に葉身につながっていることもありますし, わずかに枝別れする小葉柄をつくることもあります.
- 葉柄はそれ自身で独立していますが,この部分は葉の形になる傾向を見せることがあります. これはいろいろな植物で観察され,特に柑橘類でははっきりしています. 葉柄の有機的な成り立ちは興味深く, さらに観察を深めたくなりますが,ここではさし控えておきます.
- 托葉についても,ここでは詳細な観察は避けます. ただ,托葉が葉柄の一部になっている場合には,葉柄の変化に伴って托葉もかなりの変化をすることだけは指摘しておきます.
- 葉には,さまざまな程度で変形し水気の多い部分があります. そして,それが茎から養分を吸い出しています. しかし,葉が葉らしく完成するためは,光と空気の力が必要です. さて,種皮の中に閉じ込められている子葉を思い出してみましょう. すると,それは粗雑な物質に満たされ,ほとんど組織化されておらず,されていても非常に不完全であったことに気がつきます. これに気がつくと,水中の葉は大気中の葉よりも組織化が遅れていることもわかってきます. さらには,同種の植物を比べても,低湿地に生育するものは,精妙化が遅れてすべすべしているのに対し,高地に生育するものの葉は, ざらざらし,毛も生えていて,精妙化が進み,より完成されています.
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主脈から別れた葉脈が先端に近づくと別の葉脈と再結合する場合があります.
そして,これをアナストモーゼと言います. これにはいろいろな働きが関係してますが,少なくともより精妙な気体によって非常に促進されます.
水中で生育する植物は,多くの場合,糸状あるいは鹿の角状の葉をつけます.
これは,アナストモーゼが完全でないからだと考えられます. ウメバチモ Ranunculus
aquaticus では,これが大変はっきりしています. つまり,水中の葉は糸状であるのに対し,水面から上の葉では一つのまとまった葉身を持ち,アナストモーゼを示しています.
この植物では,半分がアナストモーゼを示し,半分が糸状になった葉も見られますから,それを見れば移行の様子は明らかです.
ウメバチモ
左図,本文にある通り,水中では葉の先が広がってしまっている. それに対し,水の上の葉は丸みを帯びた形になっている.
右図,浮葉では水中に没してる部分だけ先が広がった形になっている. つまり,水中ではアナストモーゼが不完全なのである.
(図版 Troll より) - 葉がさまざまな気体を吸収し,それを内部の水分と結び付けると言われています. これによって液体が精妙化され,それがまた茎に戻り, 近くにある芽をより完成させると考えられます. これをいくつかの植物で調べました. 特に,アシの茎の空洞から発生した気体を調べて確信を得ました.
- 節は順次出てきますし,これは多くの植物で確認できます. この現象は,穀類,イネ科,アシなどの仲間でも,節と節の間が詰まっている植物で顕著で, 茎が中空であったり,髄や細胞性のもので満たされている植物ではそれほど目立ちません. さて,かつては,この髄も植物の内部組織の一つに数えられていました. しかし,それは疑わしくなってきましたし,十分な根拠もあります. [文献 1] また,髄が成長に影響を及ぼすとも主張されてきましたが,これも違うようです. そうではなく,成長の源は,形成層の内側の肉質部であることが確実になってきました. ですから,現在では次のように考えられます. 上の節は,すぐ下の節から生じ,液もそこを介して得ることになります. したがって,上へいくほどろ過が進み,液がより精妙化されていきます. それに加えて,各節の葉では液が気体によって精妙化されていますから, 上方の節では,さらに精妙化された液体が葉に流れ込むことになります.
- 今述べたやり方で,植物は粗雑な液を絶えず外に出し,より純粋な液を取り込みます. こうして,植物は段階的にしだいに精妙なものへと完成し,自然が与えた頂点に向かいます. ここまでで,葉が一番大きく展開するまでの姿をすべて見てきました. そして,次に新しい現象を見ます. この新しい現象は,一つの時期が終わり,第2の時期,すなわち花の時期が近づいていることを示しています.
- 茎葉はしだいに花に移行していきますが,これは植物の種によって,速いこともあるし,ゆっくりなこともあります. 移行に伴い,葉は周辺部から収縮し,縁にあったさまざまな形の切れ込みもなくなります. その反対に,葉が茎とつながる基部では,多少なりとも拡張します. 節間はとりたてて長くなる訳ではありませんが,茎はそれ以前と比べて幾分繊細になります. ゆっくりな移行では,こうしたことが観察されます.
- すでに知られているように, 養分が多すぎると,花がつきにくくなり,適度,もしくは少なめだと早くなります. これは,前に述べた茎葉の働きを裏付けています. 植物が粗雑な液を排出しなくてはならない限り,あらゆる器官がそのための道具になります. ですから,養分が多すぎますと,粗雑な液を排出し続けなくてはならず,いわば,花に変化できません. 反対に,養分が少ない場合ですと,茎葉から花へという自然な流れが円滑にしかも短い期間に行われます. つまり,節がより精妙になり,混じりけのない液がより純粋により強く働きます. こうして,諸部分が変形できるようになり,いったんそれが始まれば持続します.
- 茎葉から花へ速く移行する場合もよく見かけます. このとき,最後の茎葉より上では,茎が一気に長く優雅に伸び,また,先端には茎を軸として数枚の葉が集まります.
- 萼の形態は,茎葉と比べて非常に変形していますし,数枚が一つの中心の周りに集まっています. それでも,これが茎葉として完成を見せてきた器官と同じであることを示そうと思いますし,またそれは,非常に明確に証明できます.
- すでに見たように, 自然の同様な働きは,子葉にも現れていました. 数枚の葉,さらには数個の節が一つの点に集まり,ひしめき合っていました. ある種のトウヒでは,発芽すると針葉が一点から放射状に出て,光輪のようなかたちになります. この針葉は,他の植物の子葉とは異なり,この段階で非常に完成されたものです. つまり,トウヒでは,花とか果実といった植物の晩年に働く自然の力が,すでに芽生えの段階で暗示されているのです.
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いくつかの植物では,花冠のすぐ下に,茎葉と全く同じ形の葉が数枚密集して付き,これが一種の萼になっています.
これらは茎葉と全く同じ形をしています. そのことが植物学の術語にも反映されていますので,それを引用しておきます.
これらは,花葉(Folia Floralia)と言います.
葉が集まって萼に似た形を作っている様子
I セツブンソウ
II クロタネソウ茎につく葉が花のすぐ下で集まって,本当の萼ではないが萼のような形になっている.
(図版Trollより) - ここで,茎葉から花へとゆっくり移行していく場合を,さらに詳しく観察する必要があります. この場合,茎葉はゆっくりと変化し,収縮しながら,いわば萼に忍び込んでいきます. これは,キク科の植物,特にヒマワリやキンセンカで容易に観察されます.
- ここには,数枚の葉を一点に集める自然の力が働いています. この力がさらに強く働きますと,数枚の葉が集められ,変形され,さらに葉同士が一部,あるいは全部結合し,葉の側面が癒着します. こうなりますと,これが数枚の葉が集められた結果だとはわかりにくくなります. 葉同士がまず近づけられ,互いに押し付けられ,さらにお互いの一番繊細な部分同士がふれあい,非常に純粋な液の働きによってアナストモーゼを見せます. こうして,鐘状の萼,いわゆる単葉(合弁)の萼ができます. これらには,程度の差こそあれ上からの切れ込みがあり,先がいくつかに分かれていて,数枚のものが集まってできたことを示しています. このことは,深い切れ込みのある萼と,多数の葉からなる萼とを比較するとわかります. 特にキク科を観察するとよくわかります. 例えばキンセンカの萼を見てみましょう. これは系統的には「単一で多分岐」と記載されています. しかし,この萼は多数の葉が重なり,癒着し,結合してできたものです. さらに,前に述べましたが,収縮した茎葉がそこに忍び込んでいます.
- 萼は茎の軸の周りで,一枚一枚離れていることも,数枚が癒着していることもあります. いずれにしても,その形態と数は種ごとに安定しています. それは,花びらやおしべの形態や数が不変なのと同じです. 植物学が進歩してきたのも,最近富に信頼や尊敬を得つつあるのも, そのほとんどがこの不変性のおかげです. しかし,ある種の植物では,この部分の形も数も安定しません. 植物学の諸大家は鋭い観察眼を持ち,こうした不安定なところも見逃しませんでした. そして,正確に同定し,自然界のこうした揺らぎを,ある限られた局面だけで扱えるようにしつつあります.
- 萼ができるまでは,多数の葉が, 少しずつ距離を置いて,それ以前のものから,順次生み出されました. それが萼では,数枚の葉,すなわち数個の節が,一定の数,一定の並び方で一つの中心の周りに集められています. もしも養分が過剰に押し寄せていたら,花の形成が妨げられます. そうして,萼になるべき葉も,茎葉と同じ形になっていたはずです. ですから,自然は,萼という新しい器官をつくっているのではありません. そうではなく,葉を変形し,結合したのです. そしてこれは,次の段階へ向けて自然が行う準備になっています.
- 植物はしだいに精妙な液をつくりだし,萼はそれによってつくられてきました. ところが今度は,その萼が液をさらに精妙化する働きをします. このことは,萼の働きを機械的に見るだけで,ありそうに思えてきます. すでに見たように,萼は,非常に収縮し,密生してできています. そして,萼の脈は非常に繊細で,最高度に精妙なろ過もできるはずです.
- 萼が花びらに移行する例は,少なからず見られます. 萼の色は普通,茎葉と同じ緑色ですが,その色が萼の先端,縁,背軸側などで変化していることがよくあります. また,向軸側は花びらの色になり,背軸側は緑色のままのこともあります. こうした色の変化は,液の精妙化と関係していると考えられます. また,萼とも花びらとも呼べるような,はっきりしない萼も生じます.
- 子葉から始まって,まず葉は,特にその周縁部で拡張し,完全に展開します. 次にはそれが外側からしだいに収縮し,萼に移行します. さらに次の花びらを見ますと,これは再び拡張によってつくり出されていることがわかります. 一般に,花びらは萼より大きいのです. 萼では器官が収縮させられていて,そこで液をより精妙で純粋なものにろ過します. このより精妙になった液のおかげで,花びらという最高度に精妙化された器官が,まったく新しいかたちでつくりだされると考えられます. 花びらは,そのつくり,色彩,香りが非常に精妙です. ですから,自然が奇形をつくり出してくれなかったら,花びらの起源など,とてもわからなかったでしょう.
- ナデシコでは,萼の内側にさらに第2の萼が見られることがあります. この第2の萼も,数枚が融合し,その先端が分岐してできているのですが,その一部は完全に緑色をしていて,明らかに萼らしさを備えています. しかし,別な部分では,先端や縁が広がり,柔らかくなり,花の色になって,始まり程度ではあっても,本物の花びらの姿に変形しています. これを見ても,花びらと萼が近縁であることがわかります.
- 花びらと茎葉は近縁ですが,それもいろいろなことでわかります. いくつかの植物では,花ができるかなり前から茎葉が少しずつ色づき,花の近くの葉では完全に色づいていることがあります.
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自然界には,萼を飛び越して,一気に花びらに進む植物もあります. これら植物でも,茎葉から花への移行を観察できることがあります.
例えばチューリップでは,茎にほとんど完全な色と形をした花びら(葉とも呼べる)がついていることがあります.
また,さらに注目すべき現象があります. 一枚の花びら化した葉で, 下方が2つに裂け,
下半分は緑色で茎につき,上半分は花の色で上に向き,花冠の一部をなしていることがあります.
葉と花びらが一体になったチューリップ
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葉が花びらと癒着して一体になったチューリップ
オリジナルはゲーテの水彩画 - 花びらには色や香りがあります. その原因は中に含まれる雄性の精子であろう,という説があり,また,その公算は高いといえます. おそらく,精子は花びらの中ではまだ分離されておらず,他の液と混ざって薄められていると思われます. 色という美しい現象を見ますと, これが高度に純粋な物質によって現れてくることがわかります. しかし,中に含まれる物質が最高に純粋になりますと,色も純白になると考えられます.
- 花びらとおしべも非常に深い類縁関係を示します. これを手がかりにすると,これまで述べてきた植物の各器官の類縁性もより確かになります. 花びらとおしべの類縁性は非常に明確ではっきりしていますし,一般にも疑問の余地なく認められています. 他の器官同士の類縁性がもしそれと同じくらいはっきりしていたら,ここでの私の論述など,不要でしょう.
-
カンナやこの科の2,3の植物では,常に花びらからおしべへの移行が見られます.
本物の花びらがほんのわずかに変化し,縁の部分が収縮して葯を形成しています.
この場合,花びらの残りの部分は花糸に相当します.
カンナの花
I はカンナの花全体.
II おしべの一部は花びらのようになっていて,花びらからおしべへの移行がわかりやすい.
(図版Troll より) -
よく八重咲きになる植物では,花弁からおしべへ,さまざまな中間段階をつくりながら移行するのが見られます.
いくつかのバラの仲間では,外側には完全な色と形の花びらがあり,内側には幾分変形した花びらが見られることがあります.
ある花びらは中央が収縮し,別な花びらでは側面が収縮しています. これは,一部が固くなることで引き起こされますが,その固くなった部分は,程度の差こそあれ,いずれも葯と見なすことができます.
そして,その葯になる程度が高まるにつれ,花びらはおしべの単純な形になっていきます.
八重咲きのケシでは,花びらが密生して花冠をつくっています. その中で,ほとんど変化していない花びらに完全な葯がついている場合もありますし,葯として固くなった部分の影響を受けて,さまざまな程度で収縮した花びらも見られます.
ヒツジグサ
ヒツジグサでは萼からおしべまで順に移行している様子が見られる.(図版ズハントケより)
花びらがおしべに移行しているバラ
花びらの周辺部に萼が形成されている.(ゲーテ原画)
- ところで,おしべがすべて花びらに変わってしまえば,その花は実を結びません. しかし,八重咲きであっても,おしべが作られれば結実も可能です.
- このように,ある器官が広がっていくと花びらになり,その同じ器官が,今度は高度に収縮し,また高度に精妙化され,姿を変えると,それがおしべになります. こうして,これまで述べてきたことがさらに裏付けられます. ここでもまた,拡張・収縮の交互作用が注目されます. 自然はこの拡張・収縮の交互作用によって目標を達成しているのです.
- 多くの植物では,花びらからおしべへ速やかに移行します. しかし,自然界にはここを一気に進んでしまわないものもあります. そうして,その中間の器官をつくります. この中間器官の形や機能は,花びらに近いこともありますし,おしべに近いこともあります. また,この成り立ちは非常に多種多様なのですが,その多くは,花びらからおしべへゆっくりと移行したことの産物である,という概念でまとめることができます.
- リンネはいろいろな形の器官を蜜腺と名づけました. しかし,その大部分は前述の概念でまとめられます. リンネの素晴らしい洞察力には驚くばかりですが, この大学者は,非常に多様な形をとるこれらの器官を,はっきりと同定せずに,予感によって一つの名前の元にまとめたのです.
- 花びらには,あまり形を変えずに,蜜状の液を分泌するくぼみ,つまり蜜腺があります. 花びらが〈何かを放つ〉のですから,明らかにおしべと類縁です. また, これまでの考察から,ある程度の根拠を持って, 蜜は未完成な精液である,と推論できます. そして,考察を進めていきますと,この根拠はさらに補強されます.
-
さて,蜜腺が独立した器官になっていることもありますが, そのつくりは,花びらに近いことも,おしべに近いこともあります.
例えばウメバチソウでは,蜜腺の上には,糸状のものが13本あり,それぞれの先には赤い小球がつき,おしべと非常によく似ています.
また,セキショウモVallisneriaやハゴロモノキGrevillaでは,
葯のないおしべの形をしています. ゴジカ(午時花)Pentapetesでは,蜜腺が花びらの形をしていて,同一の円周上でおしべと規則正しく並んでいます.
こうした蜜腺は,系統的には不稔性雄蕊Filamenta castrata petaliformiaと記述されます.
キゲラリアKigellariaやトケイソウでも,こうした形の定まらないものが見られます.
ウメバチソウ
ウメバチソウではおしべから密腺に移行している様子がよくわかる.
(図版、Trollより) - 今まで述べたことにしたがえば, 副花冠とされているものも,蜜腺と呼ぶのがふさわしいように思われます. なぜなら,花びらは拡張によってつくられますが,副花冠はおしべと同じように収縮によってつくられるからです. スイセンNarcissus,キョウチクトウNerium,アグロステマAgrostemmaでは,完全に広がった花びらの内側に,収縮によってできた副花冠が見られます.
- さらに,他の種類の植物では, より奇妙で目立った変化が観察されます. 多くの植物では,花びらの基部の内側にくぼみがあり,そこに蜜状の液がたまっています. ところが,別な種類では,このくぼみがさらに深くなり,花びらの裏側にまで出て,角(つの)状の形になり,それに伴って他の花びらも変形しています. オダマキ属にはさまざまな変種がありますが,そのどれにもこうした変形が見られます.
- 蜜腺が最も著しく変化しているのは,トリカブトAconitumとクロタネソウNigellaです. しかし,これらの場合でも,注意して見れば,花びらと類似していることは容易にわかります. 特に,クロタネソウでは蜜腺が十分に成長すると,花びらのかたちに戻り,そのため,八重咲きになります. トリカブトでは, 少し注意深く観察すれば, 蜜腺をおおう湾曲した花びらと,蜜腺とがよく似ているのがわかります.
- 蜜腺が,花びらとおしべの中間段階であると述べてきました. さてこの機会に,不規則な花についても,いくつかの考察を述べたいと思います. メリアンサスMelianthusでは,外側の5枚の花びらは真の花びらで,内側の5枚は6つの蜜腺からなる副花冠といってもよいと思われます. その中で,上の蜜腺は花びらに一番近い形をしており,下側のもの,これも蜜腺と呼びうるのですが,これは花びらとはかけ離れた形をしています. マメ科の蝶形花にある竜骨状の花びらも,同様な意味から,蜜腺と呼べるでしょう. なぜなら,この花びらは花びらの中で最もおしべに近い形をしており,旗状の花びらとはかけ離れた形だからです. 2,3のヒメハギPolygalaの仲間では,この竜骨状の花びらの先端に筆先のような物が付いています. これもここでの考えに沿って説明できますし,この部分を明確な概念で(葯に相当すると)同定できます.
- 断る必要もないかもしれませんが, ここで述べてきたことの意図は,これまでに学者がやってきた分類や区分を混乱させることではありません. 形成の規則から外れたようなものでも,この考え方で説明を与えられるようにしたいだけです.
- 顕微鏡による観察の結果,おしべも,他の器官と同じくらせん導管によってつくられることがはっきりしました. このことからも,植物のさまざまな器官が,内的に同一であると結論できます.
- らせん導管は実際,弾力性のあるバネのように見えますから,その持てる力を最高度に発揮すれば,管の拡張の力に打ち勝ちます. そのらせん導管が維管束の中央にあって,周りを別な管で取り囲まれていることを考慮しますと,おしべ形成のために必要な強い収縮についても,かなりうまく考えられます.
- おしべでは, 短い維管束が,広がることもできず,お互いを求め合うことも,アナストモーゼによって網状になることもできません. 網状になれば,その間を嚢状の管で満たすこともできますが,ここではそれも発達しません. そうしますと, 茎葉,萼,花びらの幅を広げてきた原因が全く失われます. その結果,細々とした非常に単純な糸状のものができあがります.
- 葯の薄膜ができあがりますと,非常に細い管もその薄膜に挟まれたところで閉じてしまいます. 葉脈などの管は,これまでは,長く伸び,広がり,お互いを求めあってきました. ここでは,それが最高度に収縮の状態にあると仮定できます. そして次には,葯から非常に完成された花粉が飛び出します. 花粉を作り上げた管は全く拡張しませんでしたけれど, 花粉はその分を埋め合わせるくらいに拡張します. さらに花粉は解き放たれ,自然の働きによっておしべと同程度に成長しためしべを探し求めます. そして,めしべにしっかり付き,作用を及ぼします. ですから,このような両性の結びつきを,躊躇なく精神的アナストモーゼと呼びます. そして,少なくともこの瞬間には,成長と生殖という対立概念が一つになりかけていると思います.
- 葯の中の精妙な物質が花粉になります. したがって,花粉という小さな粒は,非常に精妙な液のつまった導管なのです. ですから,この小さな粒がめしべにつき,その内液が吸い取られることによって受精がおきる,という説には賛成です. また,いくつかの植物では,花粉をつくらず,液を分泌するだけです. これを考えますと,今述べたことはより確かに思われます.
- 蜜腺から出る蜜状の液体を思い出してみましょう. これはたぶん,葯の中にできる液と類縁でした. おそらくは,蜜腺は準備のための器官であり,蜜状の液がおしべに吸い上げらて,最後まで完全に仕上げられるのだと思われます. 受精後にはこの液がなくなるという事実を含めて考えますと,この説はさらに有力になります.
- 植物では,はじめは別々だった部分が後になって結合します. 私たちはこれを,すでに何回もアナストモーゼと呼んできました. ところで,花糸や葯も,しばしばいろいろなかたちで癒着しています. これもアナストモーゼのすばらしい例です. そのことを,一言,付け加えておきます.
- 植物ではさまざまな器官が順次展開していきます. そうした器官の形態には非常に大きなばらつきがありますが,それでも内的な同一性を保っていることを,これまでにできるだけはっきり示そうとしてきました. ですから,ここでの私の意図が,めしべの構造についても同じ方法で示そうとすることであるのは,容易にご想像できるはずです.
- 自然界でもめしべと果実は別になっていますので,まずこれを別のものとして観察します. めしべと果実とでは形態が違っていることも含めて,これは当然です.
- めしべはおしべと全く同じ成長段階にあることがわかります. すでに,おしべが収縮によってできてくることは観察しました. めしべも同様に収縮で形成され,大きさも,多少の前後があるにせよ,おしべとほぼ同じです. めしべが葯のないおしべのように見えることもしばしばで,この両者の類縁性は他のどの器官よりも際立っています. また,このどちらもらせん導管によってつくられます. ですから,おしべが何ら特別な器官でないように,めしべも特別ではありません. このように見て,両者の類縁性がはっきりしますと,受精をアナストモーゼと呼ぶ考え方がさらに適切で説得力のあるものに思えます.
- しばしば,ばらばらであっためしべがいくつか融合して1本のめしべになっているものを見かけます. その端すらも全く分離しておらず,その構成部分をほとんど見極められません. 他の器官でもしばしば融合することがありましたが,めしべが最も融合しやすいのです. というよりは,そうでなければなりません. なぜなら, 完成する過程では, この繊細な部分は花の中央でお互いに押し付けられていて,最も密に結合しやすいからです.
- めしべはそれ以前の器官と類縁です. これも,程度の差こそあれ,植物の通常の現象として観察できます. 例えば,アイリスIrisの柱頭は完全に花びらの形をしています. また,サラセニアでは柱頭は傘の形をしていています. これは,あまりわかりやすくはありませんが,数枚の花びらが集まってできていますし,一部は緑色ですらあります. サフランCrocusやイトクズモZanichelliaの柱頭は先がいくつかにわかれていて,それを顕微鏡で見ますと,単葉,あるいは多葉の萼と完全に同じ形であることがわかります.
- 自然はまた,花柱や柱頭を奇形にして,後退的に花びらに変えることがあります. 例えば,Ranunculus asiaticus (ウマノアシガタの仲間)では, めしべの被子部が花びらに変形して八重咲きになることがあります. それでも,花びらのすぐ次にあるおしべは変化していません. 他にも重要な事例がいくつかありますが,それは後で述べることにします.
- めしべとおしべが同じ成長段階にあることをもう一度振り返っておきます. さらに,拡張・収縮が反復していることをもう一度はっきりさせます. 種子から一番広がった茎葉までは拡張です. 次に収縮によって萼ができ,拡張で花びら,さらに収縮することで生殖器官ができました. 最後に,果実では最高度の拡張,種子では最高度の収縮が見られます. 6段階の歩みで,自然は,生殖という永遠の課題を果たし続けるのです.
- さて,次に果実を観察しなくてはなりません. すると,果実も同じ起源,同じ法則下にあることがただちにわかります. ここで取り上げるのは,被子植物の種子を覆うための容器,もう少し詳しく言えば,その中で受精によって生じた少数,あるいは多数の種子が発達する容器です. これまで,いくつかの部分の性質や有機的なつながりを 観察してきました. この容器もそれによって説明できることを,簡単に示します.
- ここでも,後退的メタモルフォーゼ(奇形)によって,あの自然法則が目にとまります. 例えば,ナデシコは奇形のゆえに,よく知られ,また愛好されています. この花では,子房が萼に似た形に変化し,その程度に応じて花柱が短くなっているのを見かけることがあります. それどころか,あるナデシコでは,子房が完全に萼に変わってしまい,その切れているところでは,先端に花柱や柱頭の痕跡がわずかに残るだけで,この第2の萼の内側には,種子の代わりに,完全不完全を取り混ぜで,花びらができています.
- 葉の内には実を結ぶ能力があります. 自然界で普通に見られる正常な形成でも, それがさまざまに現れています. 例えば,ボダイジュでは,変形はしているものの,はっきりそれとわかる葉から,中央の脈が柄となって出ていて,その先にりっぱな花と果実がつきます. ナギイカダRuscusでは,葉の上に花と実がつく様子はさらに風変わりです.
- シダ類の葉が持つ結実能力は,さらに強く,ものすごいくらいです. 両性による生殖によらなくても, 内に持つ力から,繁殖能力のある種子や幼芽をつくり,周囲にまき散らします. ですから,シダの葉一枚の繁殖能力は,十分に成長した植物や,枝の生い茂った大木にも匹敵します.
- 被子部(種子を覆っている部分)は,つくり,機能,それ自体のつながり方がいろいろです. それでも,上記の考察をふまえて観察しますと,それが葉の形であることは見誤りません. 例えば莢果(きょうか)(マメなどのさや)は,一枚の葉がまるまって,両側の縁がくっつきあったものです. 長角果(Schote)では数枚の葉が重なりあってできています. 朔果(さくか)では,まず数枚の葉が中心の周りで一つになり,内側はしだいに膨らんで空間をつくり,外側は隣の葉とつながることでできています. このことは,実際に目で見て確認できます. つまり,この実が熟してはじけますと,いくつかの部分に分かれます. その一つを見ますと,ちょうど莢果や長角果を開いたときと同じです. 同じ属のいくつかの種では,一連の状態が規則的に変化する様子が見られます. クロタネソウ属のNigella orientalis では,莢(さや)状のもの数個が一つの軸の周りに集まり,半分だけ癒着していますが, Nigela damascena ではそれらが完全に癒着した朔果になっています.
- 被子部が,柔らかく水分を多く持つ場合や,堅い木質の場合には,葉との類似性がわかりにくくなります. そのような場合でも,葉と被子部を,さまざまな移行段階で注意深く追っていけば,類似性を見逃すことはないでしょう. またここでは,この現象の一般概念を示し,自然がそれに反さないことをいくつかの例で示すだけで十分でしょう. 被子部の形はさまざまで,これは将来の研究課題です.
- 多くの植物では,子房の上に柱頭が直接についていて,この両者は離せません. 柱頭が葉や花びらと類縁であることはすでに示しましたから, この事実も,子房がそれ以前の諸器官と類縁であることの証拠です. しかし,柱頭と他の部分の類縁性をもう一度繰り返します. 八重咲きのケシで,子房の上の柱頭が,花びらとよく似た,色のついた柔らかい小葉に変化しているものがありました.
- 植物は拡張・収縮を繰り返しますが,その最後で最大のものが果実に現れる拡張です. この拡張では,その内的な力も,また外に現れる形態も,しばしば非常に大きく,並外れています. また,この拡張は受精が終わってから始まります. ですから,運命の定まった種子が,成長のために植物の全体から液を吸い寄せ,それが主に被子部にいき,さらには,子房の管が完全に液で満たされ,養分を受け,広がるものと思われます. これには,より純化された気体が関係しています. これは前述のことからも推論できます. ボウコウマメの莢には純粋な空気が含まれることが,経験的に確認されています.
- 種子は果実とは反対で,内部が最高度に収縮・完成してできます. また,種子に一番近い外皮は,葉が変形してできています. その際に,多少なりとも種子の姿にあわせて変形し,多くの場合には力づくで閉じられてしまい,姿を全く変えています. 数個の種子がそれぞれ一枚の葉から,そして一枚の葉の中でできあがるのを見てきました. ですから,一つの種子が一枚の葉にくるまれていても何の不思議もないでしょう.
- 種子に完全に形をあわせず,葉の痕跡を残している種子の外皮があります. 例えば,カエデ,ハルニレ,トネリコ,シラカバなどです. また,種子が大きかった外皮を次第に収縮させ,自分にあわせている注目すべき例があります. キンセンカでは,違った形をした種子からなる3層の輪があります. 一番外側の輪では,形がまだ萼に似ています. しかし,種子のもとになるものが分岐を伸ばし,それを取り巻く葉を細長くなるように湾曲させ,また,膜が内側を二つに分けています. 次の輪では,葉の広がりも膜も全くなくなり,さらに変化が進んでいます. また,全体の形はやや長くなり,裏側にある種子の原器がはっきりし,それによる小さな膨らみもしっかりしてきています. この二つの列にある種子は,全く不稔か,あるいは不完全な稔性しか持たないと思われます. そして,次の第3列目に本来の姿をした種子があります. これを覆う外皮は,強く湾曲して種子にぴったりつき,細かいすじや膨らみも完全です. ここでも,葉のように広がった部分が,ものすごい力で収縮しています. そしてこれは,種子の持つ内的な力によります. そのことは,葯によって葉状のものが収縮する場合も同様でした.
- 私たちは,できるだけ慎重に自然の歩みを見てきました. 植物の外観を,種子から始めて再び種子が形成されるまで,そのあらゆる変化も含めてたどってきました. しかし,自然界の第一の動因を発見しようなどという不遜な思いなどを持たずに, ただ諸力が現れる様子にだけ注意を向けてきました. そして,この諸力によって植物はたった一つの器官を変形させていくのです. 捕まえた糸を見失わないように,一年生植物に照らして観察してきました. そして,節を含めた葉の変形にだけに注意し, あらゆる形態をそこから導き出しました. しかし,この試論を十分に完全なものにするために,芽についても触れておく必要があります. これはすべての葉の陰に隠れていますが,状況に応じて,発達することもあり,また,見かけ上,完全に消えてしまうこともあります.
- 節には一つないし数個の芽をつける能力があります. また,芽が出てくるのは葉の付いている付近ですので,葉が芽の形成や成長を準備し,力を貸していると思われます.
- 節は前の節か順次つくられ,それぞれの節には葉がつき,節の近くには芽ができます. この辺りに,ゆっくり前進する最初の簡単な成長的生殖の基礎があります.
- よく知られたことですが, 芽は,その働きから言って,成熟した種子と非常によく似ています. また,芽の中では種子の中よりも,将来の植物の全貌を容易に見ることができます.
- 芽にある発根点を見つけるのはそんなに容易ではありませんが,種子の中と同じように間違いなく存在しています. そして,特に水分の影響を受けますと,即座に,いとも簡単に根を出します.
- 芽には子葉は必要ありません. なぜなら,完全な有機体である母体の植物とつながっていて,そこから十分な養分を受け取れますし, 母体から離れても, 接ぎ木の場合にはその土台の植物から, 挿し木の場合には新しく出た根から養分をとれるからです.
- 芽は節と葉でできています. これらの発達の程度はまちまちですが,将来はこれが展開していきます. ですから,節から出る側枝は,それ自体で一つの小植物とみなせます. ただ,母体は大地と結びついているのに対し,これは母体植物と結びついています.
- 芽と種子の相違点と類似点については,しばしば言われていますが,特に最近,克明かつ正確に研究されています. ですからここでは,それを無条件に認め,参考にできます. [文献 2]
- そこから,次のことだけを引用しておきます.
- 単花については,その中の子房に固定してつくられる種子も含めて,節につく葉が変化したものと説明してきました. しかし,詳細に調べていきますと,単花では芽は全く発達しない,というよりは,その発達の可能性が否定されていることがわかります. さて,集合花(果)には円錐状,紡錘状,台座状などのものがありますが, これを説明するためには,芽の発達を考慮しなくてはなりません.
- 長い時間をかけて準備した唯一の花をつけるのではなく, 節からすぐに花がつき,茎の先端まで花が切れ目なく続いているのをしばしば見かけます. この現象は前の理論で説明できます. 母体植物は大地から生えていますが,芽から出る花は,母体植物から生える完全な植物体とみなせます. また,芽から伸びた分枝は,それぞれの節からより純粋な液を受け取るので,そこに付く最初の葉は,母体植物の最初の本葉よりもずっと完成されています. それどころか,萼や花がすぐにでも形成されそうなことがしばしばあります.
- 芽からでる花でも,養分が過剰に押し寄せれば枝になってしまうはずです. それは,同じ状況で母体植物がたどる運命と同じです.
- 節毎にこうした花が発達していきますと,そこにも茎葉で見られたのと同じ葉の形態変化が見られます. 前に,葉がゆっくりと萼に変化していく様子として見てきたものです. これらの葉はしだいしだいに収縮していって,最後にはほとんど消えてしまいます. これらは,程度の差こそあれ,葉の形からかけ離れていますので,苞(ほう)と呼ばれます. これに伴って,茎も細くなり,節間もつまり,以前に述べた現象がすべて起こります. ただ,分枝の先端にははっきりとした花はつきません. なぜなら,芽から芽へ移る中で,自然がその権利を使ってしまったからです.
- これまでは,各節に花をつけた茎を観察してきました. ここでさらに,前に萼の形成で説明した事柄を取り入れますと,集合花序も容易に説明できます.
- 自然は,多数の葉を一つの軸の周りに集め,それらを押し付けて集合的な萼をつくります. さて,ほとんど無限ともいえる一本の茎があって,そのすべての芽に花がついていると仮定しましょう. 自然はそれを, まさに萼をつくるのと同じくらい強い成長衝動によって, 多数の花が可能な限りひしめき合うまで一気に押し縮めます. そして,すべての小花で,すでに準備されていた子房が実っていきます. このようにすさまじい収縮をしても,節からでる葉が失われないこともあります. アザミでは,節から出る小花に小葉が忠実に付き添っています. このパラグラフで言っていることを,ナベナDipsacus laciniatusの形態と比較してみましょう. 多くのイネ科の植物では,一つ一つの花にこうした小葉が伴っています. イネ科の場合,これは穎苞(えいほう)と呼ばれます.
- そして,このように見ていきますと, 集合花における,共有の花軸の周りに育つ種子は, 両性の働きで作られた真の芽であることがわかります. この概念をしっかり持ちつつ,多くの植物で成長の仕方や果実の様子を観察しますと,いろいろと比較するなかで,確信がどこまでも高まっていきます.
- 被子植物,裸子植物のいずれでも,単花の中央に果実が集まり,紡錘状になっていることがしばしばあります. 前述のことを考えれば,これも簡単に説明がつきます. 単花の中で数本のめしべが合併して成長し, それが葯から精液を吸い込んで種子まで送り込むこともあります. また,それぞれの種子が,それぞれ自分自身のめしべ,葯,花びらを持っていることもあります. しかし,そのどちらも結局は同じ事です.
- 多少慣れてくれば,この方法で,花や果実の多様な形態を簡単に説明できると思います. そのためにはもちろん,ここではっきりさせたいくつかの概念,つまり,拡張と収縮,密集とアナストモーゼといった概念を,代数の公式を使うように確実に操作し,また適切なところで使えなくてはなりません. 自然は属,種,亜種においても,一本一本の植物の成長においてもさまざまな段階を踏みます. そして,ここで重要になってくるのは,そうした段階を正確に観察し,相互に比較することです. ですから,こうした目的に添って一連の図版を並べたり,ここでのことを考慮しながら,植物の各部を指す用語を使うのは,好ましいし,役にも立つでしょう. さて,貫性の花の例を2つ挙げたいと思います. これは,ここで述べた理論を非常に確実にするものですし,まさに決定的と思われるでしょう.
- 私たちは,これまで想像力と悟性だけを用いてあることを理解しようとしてきました. しかしそれらすべてが,貫性のバラの例を見るとよりはっきりします. まず,萼と花びらは軸の周りで広がっています. そして,普通なら収縮の状態にある子房が中央にあり,そこを中心におしべやめしべが適当に並んでいなくてはなりません. しかし,このバラでは,花の中央から,さらに,赤系と緑系の色が半々の柄が先へ伸びています. そしてそこには,先端に葯の痕跡をつけ,折りたたまれた暗赤色の花びらが,順々についています. この茎はさらに伸びていて,刺もあります. それに続く,一枚一枚の葉には色がついていて,しだいに小さくなり,さらには赤と緑が半々の茎葉に移行していきます. また,一連の正常な節ができ,その芽からは,不完全ではあってももう一度バラのつぼみが出てきています.
- 前に(34),すべての萼は周辺が収縮した花葉(Folia floralia)である,と述べました. まさにこの株は,それを見えるかたちで証明してくれます. この株では,通常の萼にあたる部分,つまり,3または5枚の小葉からなる複葉が,軸を中心に5枚集まってできています. こうした葉は,普通のバラの枝では節から出てきます.
- 前述の現象を正しく観察しますと,貫性のナデシコに見られるもう一つの現象が,一層変わったものに見えるでしょう. これは,まず萼があり,八重咲きの花びらがあり,さらには不完全ながら子房もある,一個の完結した花です. ところが,花冠の四方に,3節以上の節を持つ茎が新たに伸び,その先に4つの完全な花が広がっています. この4つの花にも萼があり,八重咲きになっています. しかし,詳しく見ると, 一枚一枚の花びらによって八重咲きになっているのではありません. 数枚の花びらが,一本の軸から,基部が癒着させながら,集中的に枝分かれしてできた花冠で成り立っています. このようにものすごい成長をしていますが,それでもいくつかの花には花糸や葯があります. また,柱頭を伴った子房も見られ,種子を覆っている部分が,再度,花びらになっているものもあります. その中の花の一つでは,種子を覆う部分がつながりあって完全な萼になり,さらにもう一つの八重咲きの花をつける素地ができていました.
- 前の貫性のバラの場合には,花はいわば半分だけ決定していて,その花から茎が再び伸び,さらにそこから茎葉が広がっていました. ところが,この貫性のナデシコの場合には,十分に発達した萼と完全な花冠ができています. また,子房が実際に中央にあり, その横で, 輪状に並ぶ花びらの部分から芽が出て,それが本物の枝と花にまでなっています. この2つの例を見ますと,自然は通常,花をつければ成長を止め,いわば清算をすることがわかります. つまり,早々に種子をつくるという目的を達成するために,無限へ一歩一歩向かう可能性を放棄するのです.
- 私がここで述べてきたことには先駆者がいて, 彼も,偉大な師に助けられながら,恐る恐る,たどたどしくこの道を進んできました.[文献 3] もしこの道のどこかで私がつまずき, 十分にならすこともできず, また, 後進の者のために障害を取り除くことができなかったとしても, ここでの試みが何らかの実りをもたらすことを望んでいます.
- さてここで,この現象を説明するためにリンネが立てた理論を思い起こしてみましょう. 彼の鋭い眼力は,この論述のきっかけとなった諸観察を見逃しませんでした. しかし,私たちが,彼が立ち止まった地点を越え,さらに先へ進めたのは,大変多くの方々が観察や考察を重ね,この道の妨げとなるものを除き,偏見を取り去ってくださったからです. 彼の理論と,ここで述べたことを正確に比較しようとしますと,長くなってしまうでしょう. この分野に精通して人なら,それを自分で簡単にできるでしょうし,経験のない人にとっては,これをわかりやすく説明してもかなり回りくどいことになるでしょう. ですから, 彼の前進を阻み,目的の達成を妨げたものが何であるかを,簡単に述べたいと思います.
- リンネは樹木の考察から始めました. しかし,これは多年生で複雑です. 彼は,ある木をゆったりとした鉢に植え,養分を十分に与えると,何年もにわたって次々に枝を出し, 同じ木をこんど窮屈な鉢に植えると花が早く咲き,実も早く成ることを観察しています. 順次的な成長が,小さな鉢では一気に短縮しているのを見た訳です. 彼は自然のこうした働きを早発(Prolepsis),先取り(Anticpation)と名づけました. なぜなら,で前に述べた(73)6段階の歩みに6年かかるとしたら,それを先取りするように見えるからです. そして,一年生植物のことはあまり考慮しないで,樹木の芽に彼の理論を適用しました.これは,彼の理論が樹木ついて成り立ち,一年生植物ではあまり適切でないことを知っていたからでしょう. なぜなら,彼の理論に従うならば, 一年生植物は,本来,6年間かけて成長するはずのところを, 一気に先取りし, 花と果実をつけ, それで枯れてしまう,と考えることになるからです.
- 私たちはリンネとは逆に,まず一年生植物の成長の様子をたどりました. そしてこれは,樹木などの多年生の植物に簡単に応用できます. なぜなら,古木から出たものであっても,芽は一年草と見なしうるからです. この点に関しては, 元の幹がどれほど古かろうが,また芽がその後どれくらい長生きしようが,同じです.
- リンネの前進を阻んだ二つ目の原因はこうです. 彼は,外皮,木質,髄,といった植物体内で同心円状に並んだ部分を,同じ活力を持ち,同等に働き,同程度に必要であると見なし,それにこだわりすぎました. そして,花や果実の原因が,これらの茎に同心円状に並んだ部分であると考えました. 花や果実も,茎と同じようにまず同心円状の構造を持っていますし,花や果実ではそれが外に出ているように見えるからです. しかし,この観察は表面的で,詳しく見ていきますと,それを証明する根拠は何もありません. まず,外皮は何か新しいものをつくるにはふさわしくありませんし,多年生の樹木では,外に向かって硬化し排出された部分です. これは木質が内側で硬化しているのと同じです. 多くの樹木では,樹皮は取れてしまいますし,他のものでも,それを取ってしまっても何の障害もありません. したがって,樹皮からは萼もできませんし,他のいかなる生きた器官もできません. すべての生命力,成長力を担っているのは,第2の樹皮(内皮)なのです. これは傷害を受ける程度に応じて,成長も妨げられます. 茎では順々に,花や果実では一気にいろいろな器官ができますが,詳しく見ていきますと,そうした植物の外部器官をつくりだしているのは,その内皮です. ところが,リンネは内皮では花びらがつくられるとし,副次的な意味しか与えませんでした. それに対し, 木部が,硬くなり休止し,長持ちはするものの生命活動は終わっている部分であることには簡単に気がつくはずなのに, リンネはそこに,おしべや花粉をつくるという重要な働きがあるとしました. また,めしべをつくり,多数の子孫をつくりだす,という重要な役割を,髄が果たすとしました. 髄にこのように重要な役割が与えられているのは疑問です. そうした疑問や,これに反対する根拠も私には重要でしたし,決定的でした. めしべや果実は,初期の頃に見ますと,柔らかく,形の定まらない,髄に似た柔組織状の状態です. また,髄があるのが当たり前の茎の中心に押し込められています. この二つから,めしべや果実が髄から発達してくるように思われますが,それは見せかけだけのことなのです.
- この試論では植物のメタモルフォーゼを説明しようとしてきました. 私は,これが疑問の解決にいくらかでも役立ち,さらなる観察や結論へ向かうきっかけとなることを望んでいます. この試論の根拠は,すでに個々に観察され,集約整理されています. [文献 4] また,この論述が真実に向かうものであるかは,やがて決まるでしょう. さて,これまで述べてきたことの要点を,できるだけ簡潔にまとめておきます.
- 植物を,その生命力が現れてくる側面に限って観察しますと,二つのあり方が見えてきます. 一つは,茎や葉が生ずる成長であり, もう一つは,花や果実で行われる生殖です. 成長を詳しく見ますと,植物は節から節へ,葉から葉へと進んでいきます. そして,これも生殖と言えます. ただし,花や果実による生殖は一度に起こりますが,こちらの生殖は,一連の発達が一つ一つ順次現れてくる点が異なっています. この芽吹きの力,しだいしだいに現れてくる力は,一度に偉大な生殖を行ってしまう力と類縁にあります. 状況を変えることによって,ある植物で芽ばかりを出させることもできますし,反対に花芽を促進することもできます. 前者は,植物の粗雑な液が大量に流れ込む場合ですし,後者は,植物の液の精神的な力が勝る場合です.
- ここでは,芽吹きを順次的生殖,花や果実を同時的生殖と名づけました. これですでに,この両者がどのように現れてくるかも示されています. 芽吹いている植物では,多少なりとも拡張がおきていて,茎を伸ばし,節間が目にみえて広がり,葉が茎からあらゆる方向に広がっていきます. それに対し,植物が花を咲かせますと,あらゆる部分が収縮していきます. いわば長さや幅を犠牲にして,あらゆる器官が非常に集約され,お互いが押し付けられる形で発達します.
- さて,芽を出すにしろ,花や実をつけるにしろ,植物では,いつも同じ器官が,さまざまな役割に応じて形態を変化させ,自然の言いつけを実現しています. その同じ器官が, 茎ではさまざまな形の葉となって現れ, それが今度は萼として収縮し,さらに花びらとして拡張し,再び生殖器官として収縮し,そして最後に果実として拡張するのです.
- 自然では,さらにもう一つ別な働きが絡んできます. さまざまな器官が特定の数や量で一つの中心の周りに集まってくるのです. しかし.多くの植物で,状況に応じてこの枠を逸脱し,多様に変化します.
- 花や果実の形成にあっても,アナストモーゼが働いています. 実を結ぶときには非常に繊細ないくつかの部分がお互いに近づけられますが, これらを密接に結び付ける作用がアナストモーゼなのです. 実が成熟するまでアナストモーゼがずっと作用している場合もありますし,一時期だけ作用し,その後は実がはじけてしまう場合もあります.
- 今ここで,接近,一つの中心への集中,アナストモーゼを花や果実で取り上げました. しかし,これらは花や果実だけではなく,子葉でも同様に見られます. また,植物の他の部分を調べていけば,似たことが観察される素材は豊富なはずです.
- 植物は芽を出し,花を咲かせます. そして,さまざまな外観の器官が現れます. そうした器官を,ここでは,各節から生ずる葉というたった一つの器官で説明しようとしてきました. また,果実は内側にしっかりと種子を閉じ込めていますが, その果実も,同じ方法で,あえて葉の形態から導き出そうとしました.
- 植物のいろいろな器官は非常に多様にメタモルフォーゼしますが, そうした器官一般を包括する言葉を見つけ,現れてくるあらゆる形態をそれで比較できるようにしなくてはならないのは,自ずとはっきりしています. しかし,現在のところは,現象を対置し,それを前後に行き来するのに慣れる程度で満足しなくてはなりません. そうしますと,おしべとは収縮した花びらである,と表現するのと同じに,花びらは拡張の状態にあるおしべである,とも表現できます. あるいは,萼とは,ある程度洗練に向かいつつある収縮した茎葉である,とか,茎葉とは,粗雑な液が押し寄せてくるために拡張している萼である,となります.
- 花や果実は収縮した茎であると言いましたが,全く同様に,茎は拡張した花および果実であるとも言えます.
- この試論の最後では,芽の発達を考察しました. そして,これで集合花を説明し,また裸子植物の集合果実も説明しようとしました.
- もちろん私は,ここで言っていることを十分に納得しています. そしてその内容を,以上のやり方で,私に可能な限り,明確かつ完全に示そうとしました. にもかかわらず,十分に自明になっていなかったり, 多くの矛盾があったり,説明の適用範囲が限られていたりするかもしれません. この考え方は,このままでもある程度は一般に理解され,認められると期待できますが,よりわかりやすく,より一般に認められるようにするために, すべての反論を心に留め,後にはより正確により包括的に扱うことが,私の義務となります.
子葉
葉が節ごとに完成していく様子
葉の形の変化
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Milchdistel の一本の茎についた葉の形の変化(図版,J. Bockemuehl による)
子葉から花の直前の葉までの形の変化が一望のもとにわかる. ゲーテはそこまで言ってはいないが,この葉の変化も広い意味でのメタモルフォーゼと呼ぶことができるだろう. すべての植物で変化がこれだけ顕著ではないが,どの植物にもこうした変化が見られる.
この点については,『植物の形成運動』(55ページ,¥1500)という小冊子に詳しい.
耕文舎:216-0002 川崎市宮前区東有馬 2-5-9 スタジオ・ステップス内
花への移行
萼への移行
花びらの形成
おしべの形成
蜜腺
おしべに関する若干の補足
めしべの形成
果実について
種子を直接に覆う外皮
まとめと次への展開
芽とその展開について
- 自然において,完成度の高い植物では,芽と種子は全く別です. しかし,まだ十分に完成されていない植物にまで下っていきますと,どんなに鋭く観察しても,その違いは見つかりません.
正真正銘の種子や無性芽というものは存在します. 種子は真の意味で両性の受精によってでき,それが母体植物から離れてきます.
また,無性芽は取りたてた原因もなく母体植物から出てきます. この両者の接点はどこなのでしょうか.
しかし,これは悟性では認識できますが,感覚では決して知覚できません.
集合花および集合果の形成
貫性のバラ
貫性のバラ
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一旦できあがった花からさらに茎が伸びた,いわゆる貫性のバラ.
ゲーテが採画させたもの.
貫性のナデシコ
貫性のナデシコ
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ゲーテの自筆による貫性のナデシコのスケッチ
これも一旦できかかった花の先でさらに茎が伸び,その先に花がついている.
リンネの先取り理論
要約
[文献 2] Gaertner, De fructibus et seminibus plantarum. Cap. I. ゲルトナー,『植物の果皮と種子について』 Return
[文献 3] フェルバー,『植物の先取りに関する第2論文』.Ferber in Praefatione Dissertationis de Prolepsi Plantarum. Return
[文献 4] バッチュ,『植物の知識と歴史のための手引き』第1部,第19巻.Batsch, Anleitung zur Kenntnis und Geschichte der Pflanzen. I. Teil, 19. Kaptel. Return