先月の終わりのこと…
わしの事務所に一通の葉書が届いた。
内容は
「弊社の会長・塩入満男は7/16に病気のため逝去いたしました。
葬儀は身内のみで行いました。ここにご報告申しあげます。
友駿ホースクラブ」
とあった。
ちょっと待ってくれ。
友駿ホースクラブの前代表で
実質オーナーだった
塩入満男さんと
わしの父の西山正行は
昭和の時代すごく仲がよくて
蜜月の時代があった。
一回り年上の西山正行の葬儀に
香典をいただいた覚えがあり
葉書一枚で
(そうですか、亡くなりましたか…)
と言って何もしなければ
西山正行に怒られる。
息子の塩入満洋さんが
後を継いでおり
田村康仁調教師の立ち合いで
わしから香典を渡すことを
お願いし
本日の昼間、
塩入満洋さんと
田村康仁調教師に
赤坂までご足労いただいた。
香典を渡し、
あとは世間話というか
競馬ネタで盛り上がった。
塩入満洋さんはわしより
3歳年上で
世代的に話が合う。
その昔は毎年、西山牧場の生産馬を友駿ホースクラブに
買っていただいていた。
その中には
プレジデントシチーがいた。
西山正行と塩入満男。
他に、そのグループの馬主は
松岡正雄(キョウエイ、インター)
大岩正三郎(タイホウ)
鶴巻智徳(リンド)
鬼島力也(ハイセイコー)
など、ものすごく個性の強い人たちで
馬主協会などの枠に収まりきれない
一匹狼たち
そんな時代だった。
わしは、何故か子供の頃から西山正行が連れて歩いたため
みんなよく知っている。
子供の頃、大人の世界へ連れて歩かれるのは
本当に嫌だった。
同じ世代の仲間と遊んでいたい。
当時はそんな思いばかりだったが
30年、40年過ぎた今は
あの頃、西山正行に連れて歩かれたことが
どれだけ、わしの財産になっていることか…
今、名をあげた、西山正行と親しかった馬主さんたちは
みんな亡くなった。
代を継いで息子がやっているのは
ほとんどいない。
毎度書くけれど
馬主は
競馬が好きで
馬が好きで
人が好きで
我慢強くて
懲りない性格
これだけ条件が揃わないと、
ただ好きなだけでは絶対にできない。
西山正行たちはあの世で
新たに塩入満男さんを迎えて
楽しくやっているのだろうが
こっちも、頑張らないと
怒られてしまうな。
わずかな、ランチタイムのひとときだったけど
とってもいい時間でした。
隠す話でもないので
西山正行と塩入満男さんのもめた話をひとつ。
わしが悪いのだが…
先にも書いたが、戦後からの付き合いで
西山正行と塩入満男さんの間で
何らかの約束で
毎年西山牧場の生産馬を購入していただいていた。
平成9年、
わしが西山正行から西山牧場の代表取締役になり
大改革と称し
西山牧場の種牡馬
シャルシュールドール
シェリフズスター
2頭に見切りをつけ
当歳、一歳
当時は北海道西山牧場にいた
成田隆好常務に命じて
格安で投げ売りのように売却した。
1頭50万平均で
27頭売却した。
調教師の要望で3頭
売り残したシェリフズスターの子に
セイウンスカイ
セイウンエリア
がいたのは、奇跡としか言いようがない。
で、実はわしが成田隆好に命じて
50万投げ売りをする直前に
例の西山正行と塩入満男さんの関係から
西山牧場はシェリフズスターの子を
友駿ホースクラブに
500万で売却していた。
景気のいい時代で
500万は競走馬としては
比較的安い方だったが
それでも、自分が500万で買った直後に
同じ牧場から同じ血統の馬が50万で売られたら
そりょあ、誰だって怒りますな…
今となっては遠い昔の想い出の話だけれど。
なんか、こんな話をして
わかる息子の塩入満洋さんがいるのが
妙に嬉しかった。
人は誰も必ず死ぬ。
生きている時間を共にできる人は、
神がくれた縁と思い、
大切にしましょう。
このブログを書いている途中に
杉浦宏昭調教師から
「妻ががんと戦っていましたが、7/24旅立ちました。西山社長にはゴルフだ、食事だ、といろいろお世話になりました。」
う~ん、53歳。
ご冥福をお祈りいたします。
1 ■ヴァンダムシチ―
私が最初で最後の一口馬主になったのが西山牧場の生産馬でニシノアイリスの子どもである、ヴァンダムシチ―。
結構稼いでくれたので良く覚えてます。
それと西山牧場との関係と言えば、ロイヤルトル―ンと保手浜様のことを思い出しました。