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2012/04/17

ネットと情報モラル 2 / デマ情報と3つの疑問

                    第一章、デマ情報と3つの疑問。

1.1、盲導犬アトム号は足に障害というデマ。

 
>盲導犬アトム号は足に障害を持つ不適格犬であった。
>それを承知で協会は貸与を続けた。
>関係者は、口裏を合わせて足の障害を隠ぺいしてきた。
>かかる卑劣な行為は、絶対に許すことはできない。

 盲導犬アトム号の件では、こういうデマが数知れず飛び交っています。

情報がデマである理由1、「足に障害を持つ不適格犬」というのは事実無根である。
情報がデマである理由2、「口裏を合わせて足の障害を隠ぺいしてきた」というのも事実無根である。

 不適格犬という決めつけも事実無根。障害を隠ぺいしてきたというのも事実無根。デマと断定するに十分です。同じような事実無根なデマ情報は他にもあります。「協会はアトム号の歩きながらの排泄をマーキングと評した」、「殴られ続けたアトム号の頭はコブだらけだった」、「アトム号は餌も十分にもらえないで痩せこけていた」などなど。これらが事実無根であることは、ちょっと調べれば判ることです。ですから、情報がデマであることは流布者自身が一番判っていることでしょう。デマ情報の流布者は、(1)情報が本当のところは事実無根であること、(2)中傷という目的に沿うように脚色された情報であること。これらは先刻承知。私が指摘するまでもないことと思われます。

OFAのレントゲ診断:

1.Exellent(優)
2.Good(良)
3.Fair(可)
4.Borderline(ボーダーライン)
5.Mild(軽度の股関節形成不全)
6.Moderate(中度の股関節形成不全)
7.Severe(重度の股関節形成不全)

 盲導犬候補生達は、一年間のパピーとしての生活が終わるとOFA診断法に基づいて撮影された4枚の股関節のレントゲン写真を持って訓練センターに帰っていきます。仮に盲導犬候補生達が Borderline や Mild と評価された場合、彼らが盲導犬になることはありえません。盲導犬アトム号とて例外ではありません。

 ところで、「盲導犬アトム号は足に障害を持つ不適格犬ではなかったのか?」と の疑問が九州盲導犬協会に寄せられたのは事実。協会は、「そういう障害はありません」と説明しています。「盲導犬アトム号は足に障害を持つ不適格犬」というデマは、どうやらこの一本の電話が源流と思われます。

>返ってくる言葉はウソばかり・・・。

 どうやら、問合せは「水かけ論」に終始したようです。結果として、「返ってくる言葉はウソばかり」という不信感のみが残ったようです。

1.2、なぜ、水かけ論に終始したのか?

 私が、盲導犬アトム号の足に関するデマ情報に接して感じた疑問は3つです。一つ目の疑問は、なぜに水かけ論に終始したのか?二つ目の疑問は、その結果としての不信感がなぜに特定の個人攻撃に転化し ていったのか?三つめの疑問は、単なる疑問がなぜに「盲導犬アトム号の足はボロボロだった」というスーパーデマに変質していったのか?

 日本国語大辞典には、「水かけ論: 双方が互いに自分の立場、主張を固執して言い張って、はてしなく争うこと。」と書かれています。盲導犬アトム号の足の件は、形は水かけ論ですが内実はそうではありません。なぜなら、九州盲導犬協会側は別に自説に固執して争う必要はないからです。それなのに、形としては水かけ論に終わっています。なぜでしょうか? それは、盲導犬アトム号が足に障害を有しているという見方そのものが誤解だったからです。誤解・誤認を背景に、「盲導犬アトム号はスタンダードではない=足に障害を有している不適格犬」という等式を認めるのか?それとも認めないのか?こういうやり取りが展開された訳です。水かけ論に終わったのも当然と言えます。「スタンダードか否か?」という見た目の評価を、足の障害の判断基準と誤解したことが全てです。しかも、「盲導犬アトム=非スタンダード」という見方自体もプロのそれではありませんでした。水かけ論に終わったのも当然と言えます。

 解せないのは、「盲導犬アトム号の足に障害あり」のデマ情報を流布しているブログがアトム号のOFA診断に言及していないことです。更に解せないのは、自称盲導犬ボランティアが「盲導犬アトム号の足に障害あり」のデマ情報を側面援護していることです。OFA診断については承知している筈の盲導犬ボランティア。全く、理解できません。ここに水かけ論に終始した二つ目の理由を見てとれます。それは、デマ情報の流布者には事の真偽を解明する意思がそもそも無いということです。「心、そこに在らざれば見る物も見えず」-正に、デマ情報の流布者には見る物も見えないのです。

 「協会はアトム号の歩きながらの排泄をマーキングと評した」というデマは、協会のHPを閲覧すれば粉々に砕けます。「殴られ続けたアトム号の頭はコブだらけだった」は、獣医師の見解を聞けば嘘八百であると知ることができます。「頭頂部に約3㎝の大きさで高さ1、2㎝のコブが確かにあった」と力説しても無駄です。それが、一部のラブラドール・レトリーバー犬の特徴ですから・・・。もちろん、我が家のアンジー号には、その手のコブはありません。ですが、一頭目にはありました。私らは、「なんで、こんなコブをこさえた!」と獣医師に注意されたことを覚えています。「アトム号は餌も十分にもらえないで痩せこけていた」も、体重記録がデマであることを証明しています。

 このようにデマ情報のほとんどは、自らの知見を反省する努力を惜しまなければ朝露のごとく消失していきます。その真偽を解明する意思さえあれば朝露のごとく消失していきます。「なぜ、水かけ論に終始したのか?」は、情報発信者の反省する努力と真偽を解明する意思の欠如が原因と言わざるをえません。情報モラルの2項目である「本人から直に話を聞きましょう」をちゃんと実践できていたならば、水かけ論になることはなかったでしょう。「返ってくる言葉はウソばかり・・・」と一切の説明を受け付けない<頑なな態度>を改めれば水かけ論に終わることはなかったでしょう。

  1.3、なぜ、意見の違いが個人攻撃に転化していったのか?

 人の世を生きていれば、互いの意見が対立し並行線を辿ることはままあることです。今回の件では、デマ情報の発信者と盲導犬協会とではスタンスが余りにも違います。前者は、自らの怒りに満ちた感情を処理することに軸足があります。後者は、盲導犬アトム号の生命と使命とを守り抜くことに軸足があります。この両者の軸足の差が、水かけ論に至った根本原因です。だとしても、通常は意見の違いが個人攻撃に転化していくことはありません。

>訓練士K氏が・・・

 
 このように、意見の違いが個人攻撃に転化していくケースは二つです。一つは、理性的な論争に敗北した腹いせとして個人攻撃に及ぶ場合。二つは、関係者への配慮よりも個人のプライドを優先し腹いせとして個人攻撃に及ぶ場合です。つまり、「理性よりも感情を優先する」と「全体よりも個人を優先する」の二つが意見の違いが個人攻撃に転化していく主たる原因です。そうして、「理性よりも感情を優先する」のトドの詰まりは、<感情を処理するには個人を血祭りにあげるに限る>ということです。「全体よりも個人を優先する」のトドの詰まりは、<鬱憤を晴らすには個人を血祭りにあげて悔いなし>ということです。つまりは、昨今の虐めと軌を一にした現象が起きたと言う事です。

 さて、私の経験では、批判者がトドの詰まりへと陥っていったことと各々の人間関係は無関係ではありません。

>OFA診断の結果は確認したのかい!
>協会スタッフに直に話を聞いたのかい!
>獣医師の診断は確認したのかい!
>体重の推移を数値で確認したのかい!


 人は感情に走って、かつ、全体を個人の下に置いた時になりふり構わない個人攻撃を開始します。ただ、「OFA診断の結果は確認したのかい!」という一言を言ってくれる人物が傍にいれば、そういう感情の暴走は防げる筈です。「個人攻撃と一線を画すには、普段の人間関係が重要」とは、虐め問題を扱ったコラムの一言です。

1.4、なぜ、単なる疑問が究極のデマへと変質していったのか?

 「盲導犬アトム号の歩様はスタンダードなのか?」という単なる疑問が、最終的には「盲導犬アトム号の足はボロボロだった!」というスーパーデマに変質しています。なお、この変質は、2012/02/01の長崎ライフオブアニマルのブログでほぼ完了しています。以後は、「盲導犬アトム号の足はボロボロだった!」が真実であるかのように流布されただけです。

>自分の目の代わりになってくれている大事な家族に虐待を繰り返し、
>近所中に犬は嫌いだなど言い回り、
>水もちょこちょこ排尿するからという理由で与えず、
彼の足はもうボロボロの状態だったそうです。
>許せない・・・・・・・・・・・・。
(2012/02/01「長崎ライフオブアニマルのブログ」より)

 2012年2月20日に某団体が盲導犬アトム号をつけ回して写真を撮ります。その後、盲導犬アトム号がユーザ宅を出ると虐待疑惑情報が某ブログ主へとリークされます。それを知った長崎ライフオブアニマルは、入手した伝聞情報を無批判・無造作にネットで発信します。長崎ライフオブアニマルのブログから引用した5行には彼ら自身が確認した事実は一つも存在していません。同団体は、「虐待されていた」という極めて主観的な意見を「・・・だったそうです」と伝聞情報の形で書いているだけです。それが、「長崎ライフオブアニマルのブログによれば」という但し書き付きで拡散されていきます。正に、彼らは伝聞情報を思慮なく公開することで「ネット暴走」の火を付けたのです。もって、前代未聞の盲導犬ユーザへの中傷を煽ったのです。

(1)都合のよい部分のみを切り取って経緯とか全体像を伝えない。
(2)そうして切り取った断片をもってあるストーリーを組み立てる時には必ず脚色する。
(3)加えて、自らの尺度のみで下した判断への共感を得ることに力点を置いて伝えようとする。

 私は 2012/01/31 にアップした「風評:『盲導犬虐待情報』の虚実と3つの特徴」で伝聞情報(うわさ)が3つの特徴を有していると指摘しています。最初の情報発信者は単なる疑問を提示したに過ぎません。しかし、単なる疑問が誇張と脚色とが繰り返されることで、その都度にそれぞれの悪意を反映することで、最終的には「彼の足はもうボロボロの状態だった」という究極のデマと化していきます。「なぜ、単なる疑問が究極のデマへと変質していったのか?」-それは、一言でいえば「風は話を作るから」です。長崎ライフオブアニマルが「だから、噂は聞かない」に徹したら・・・。そうしたら、状況は違ったかも知れません。もちろん、そこまでに至る過程で<ほぼ変質は完了>しています。だから、そこに至る諸段階に関わったそれぞれが「だから、噂は聞かない」に徹すれば、長崎ライフオブアニマルが前代未聞の情報犯罪を犯すことはなかったかも知れません。最後の疑問の答えは、「風は話を作る」の一言。情報のデマ化は、情報が噂として伝播する諸段階で進行したといえます

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