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ハッピーエイジャー対談

第6回(後編)がんばれ日本男児! 生死を越え 夢の実現に向かって

ソロアルピニスト

栗城史多

「ハッピーエイジャー対談」第6回目のゲストは、世界6大陸の最高峰を単独・無酸素で踏破した登山家の栗城史多君です。エイジマネージメント機構は「健康で豊かな生き方」をテーマに、産官学のパイプ役を担いながら、健康・医療に関する政策のバックアップや、真の健康社会を実現するための色々な情報を、わかりやすく国民目線で発信する活動をしてきました。世界的不況による経済情勢の悪化に伴い、夢を持つことができない若者やニートの増加が進み、青少年の心の健康は大きな問題になってきています。そんな元気を失った社会の今こそ、機構を通じて栗城君の活動を多くの人に伝えたいというのが今回の対談の趣旨です。栗城君のような、ごく普通の青年が生死を賭けて夢を追いながら挑戦していく姿は、若者のみならず全ての人に大きな勇気と希望を感じさせてくれます。今日はそんな栗城君の熱いメッセージに様々な角度から触れていきたいと思います。
前編はこちら
ソロアルピニスト 栗城史多

お金がないから単独・無酸素でGO!

田中舘

なるほどねぇ。ところで単独・無酸素でチャレンジしようと思ったのはどうしてですか。

栗城

単独の楽しさというか、一人で山を感じながら登りたいという欲求がすごく出てきたんです。ただ頂上を目指すだけではなくて、そのプロセスが非常に大切だと思っていまして。一人ですと誰かに相談することも出来ないですし、全く山と自分との関係しかない。山も人間と同じ様に気分屋さんというか、機嫌のよい時と悪い時があるんですよね。

田中舘

スケジュールに流されたり、チームの流れを読まなくてもよいということですね。

栗城

そうなんです。山に合わせて登れるので、単独で登りたかったんです。無酸素というのも、実は酸素ボンベというのは何本も必要なんですね。単独ですから一人で全部は運べませんし。

田中舘

通常マッキンリーだと何本必要ですか。

栗城

マッキンリーだったら使わなくてもギリギリ大丈夫ですね。7,000mとか7,500mからはデスゾーンと言われまして、そこからはあちこちに遺体があるような標高になるんですけれど。そこからはもう、酸素ボンベがないと生きていけない世界です。そこをあえて無酸素で、自分の体で山を感じながら登るわけです。

田中舘

以前ちょっと伺った時に、酸素ボンベを買うお金がないからとおっしゃっていましたけれど、それは事実なんですか。

栗城

事実ですね。あった方が絶対楽なんですけれど、1本4万円くらいしまして結構高価なんです。

田中舘

8,000m級の山だと普通は何本くらい必要なんですか。

栗城

だいたい10本くらいは必要かなと思います。

田中舘

たとえば20人のチームならその20倍ですよね。

栗城

そうですね。たくさんのボンベが必要なんです。

田中舘

そうすると栗城君が無酸素で単独というスタイルを選んだのは、器具などを使わずに、自然のままの肉体で限界に挑戦するということと、たった一人で山と対話しながら、自分のペースで登山できるということに意味があったわけですか。

栗城

はい、そうですね。

生死のはざまで初めての幻覚体験

田中舘

そうやって7大陸最高峰の6大陸はクリアされましたが、その中で特に記憶に残っていることはありますか。マッキンリーから始まって昨年のマナスルまで、これは感動した!とか、もう死を覚悟したとか、神がチャンスを与えてくれたような超常的なこととか。

栗城

ありますね…。一番ピンチになった時は、初めて幻覚を見ました。

田中舘

ほぉ。

栗城

だいたい登山家というのは、幻覚派と幻聴派に分かれるみたいなんですけれど(笑)。アコンカグア(南米大陸最高峰 標高6,962m)という山に行った時、僕は難しい氷壁のルートから行ったんです。その氷壁を夜中の12時にスタートして、翌日のお昼に頂上に着いて夕暮れまでに戻るという作戦でした。その氷壁をアイスバイルという、鎌みたいな登攀具を刺して登って行くんですが、200m位登った時に肉体的に限界が来たんですね。下がろうと思ってもロープがなかったので、生還するには登りきるしかなかったんです。真っ暗な中で氷壁にへばりつきながら、どうしようと思っていた時、右上の方に登山家が2人登っている姿が見えたんです。明らかに外国人の姿で。でも不思議なことに、彼らはヘッドランプが点いていなくて真っ暗な中を登っている。それまで僕は全然気付かなかったんですが、それが幻覚だという意識は全くなかったですね。彼らも僕の存在に気付いて、手を振ってくれたんです。それを見た時に、自分以外にも人がいるということで非常に安心しました。彼らの方に向かって行けば助かるかもしれない、と思って向かって行ったら、いつの間にか彼らの姿は消えていて、誰かが登ったという跡もなかったんです。あれはちょっと不思議でしたね。

田中舘

それがいわゆる幻覚であるならば、あなたに自然界の神が降りたというのではないけれど、あなたのルートに対して水先案内人としての幻覚の映像が降りた、という感じですよね。

栗城

そうですね。そこから先が、またきつくなってくるんですけれど、稜線に着いてあと残り100mという所で、僕の順応の調整がうまくいっていなかったせいか、心臓の音がバクバクしてすごかったんです。その時は快晴無風だったんですが、本当に心臓の音がすごい時というのは、外から聞こえて来るような感じなんです。

田中舘

うーん、それはよくわかる。

栗城

ほとんど足も1歩も動かなくなってきて。下りることも登ることもできずに、死んじゃうのかなって思いました。

田中舘

ラジャダムナンという、タイ王国がやっているボクシングの会場で、私も同じ体験をしたことがありますよ。タイではキックボクシングにお金をかけているので、海外の選手が来ると馬鹿にしてカキ氷が飛んでくる(笑)。1ラウンドのゴングが鳴ったと同時にカキ氷が飛んできて、「ワィオ ワィオ ワィオ…」という声援がうねりのように聞こえてくるの。そうしたら頭が真っ白になって、栗城君みたいに心臓の音がバクバク聞こえて来るんですよ。完全に舞い上がった状態で力も全然入らない。登山とは全く違った状況ですけれど、心身の極限状態とか未知の経験に対する恐怖心から、肉体がそうなってしまうのかもしれませんね。

栗城

そうですね。僕は心臓がバクバクした後に、自分はもう死んじゃうなと思い始めて、そうなると死にたくないと思うんですよね。もう登頂なんてどうでもいい、とにかく生きて帰りたいという一心なんです。その時にボロボロ涙が出てきて我に返るという感じですか。

田中舘

へーぇ…。

栗城

その時が海外の山の2回目の経験だったので、いきなり中身の濃い勉強をさせて貰ったんですけれど(笑)。

登山で一番恐怖を感じる時は!?

田中舘

では、登頂を目指している最中に、何でこんな山登っちゃったんだろうという後悔はないんですか。いや、三浦雄一郎さんと話した時に、後悔の連続だったと聞きましたよ。

栗城

多分中間ぐらいで後悔するんですね。最初の頃はワクワクする気持ちもありますし、気合いを入れて頑張ろうという気持ちで行くんですが、中間ぐらいから段々ボロボロになってきて、来なきゃよかったなって思い始めるんですよね。それが頂上近くまで来た時に、やってよかったという気持ちになる。

田中舘

ある程度の段階になると、彼は「俺は三浦雄一郎、できないことはない」と徹底的に自己暗示をかけるらしいです。

栗城

そうですね。根本にはやっぱり自信がないとできないですね。僕が登山で一番怖い瞬間はどういう時かといいますと、実は日本を出発する前なんですね。千歳空港から出発する時が一番怖いんですよ。

田中舘

それはどんな意識で怖さが誘発されるんでしょうか。

栗城

例えばエベレストとすると、写真でしか見たことがない。先輩たちからは、あいつが死んだ、こいつが死んだとか洗脳のように聞かされている。そんな中向かっていくわけです。でも、実際そこに行くとなると信じられなくなってくるんです。2ヶ月間という長い期間ですし、本当に大丈夫なのかなと。もう帰って来れないかもしれない、とも考えて怖くなっちゃうんですよね。

田中舘

出発する前に?

栗城

そうですね。なので、出発する一週間前には部屋にずーっといて、ひきこもりみたいになっていることもありますね。

田中舘

それは周囲の期待に対するプレッシャーではないんですか。

栗城

いや、自分自身の問題ですね。生死という現実があるので、やっぱり覚悟がないと行けないんです。言うならば出兵みたいな感覚でしょうか。それがベースキャンプに着いて山を見た時に、ここはこう登って行こうとなったら行けるんです。怖いと思うままだったら行かない方がいいですね。

田中舘

では、登頂するまでの自分なりの計画が浮かんだ時に、恐怖感が消えるということですか。

栗城

そうですね。それが浮かばない時は山を見てずーっと向き合います。

田中舘

6大陸最高峰の中で、最後のマナスルは一度断念して再チャレンジしていますね。他の山でそういう経験はあったんですか。

栗城

そうですね、頂上近くまで行って引き返すことは何回も繰り返しています。2年前に行ったチョ・オユーという山で頂上近くまで行ったんですが、登れば1時間位で頂上が目の前に見えるんですが、行くことは出来ても帰って来ることはできないと直感でわかったんです。

田中舘

すごいですよね。そういうところが。

栗城

それで下りてきました。

田中舘

なんかね、単独だからそれができるような気がするんですよ。チームだと色々なことを考えてしまって、山との対話とか直感がさえぎられてしまうんじゃないかな。それは逆に単独登頂の良さかもしれないですね。

栗城

それはありますね。仲間がいることで助けてくれるだろうという意識が働いてしまう。でもああいう極限の世界では、単独でもグループでも、自分の命は自分で守るということなんですよね。

田中舘

それはこれからの青少年の色々なチャレンジや、人生目標の設定において大事なことかもしれないですね。後戻りしても、決して失敗ではないということですよ。チャレンジし続ける意識を持ち続ければ、何回失敗してもくじける必要はない。「あきらめない」ということが、人生で目標を持った人には一番大切なことですよね。

栗城

はい。そう思います。

田中舘

重複しますが、危険だと判断する規準というのは、先ほど言ったように自分で判断するんですよね。判断は早い方ですか。

栗城

どうですかね、やっぱり決めたらすぐそうするという感じですね。

田中舘

それは肉体の限界でそういう判断をするのか、メンタルな部分か、どちらを優先するんですか。

栗城

一番は肉体です。肉体には限りがあるということがわかりましたので。

田中舘

限りというと、具体的にもう少し聞きたいですね。

栗城

先ほど話したような、これ以上行くと魂だけが前へ行って体だけが残るという感覚や、両手も凍傷になっていたりする。8,000mの世界で一番辛いことは、気圧が低いので体の水分がどんどん抜けていくんですね。そうすると体が衰弱していって力が出ない。そんな中で色々計算して難しいと思ったら、頑張って行けたとしても下りてこないとダメなので…。

田中舘

そうすると、常に登頂した後の下山のスケジュールと、肉体の限界を計算しながらやっているんですね。

栗城

はい。つまり、生きて帰ってこないと成功ではないので。帰りのことも考えながら登るというのがすごく大切ですね。登頂したら成功だというのは、実は違うんですよ。僕の尊敬する登山家のメスナーという人の言葉で「偉大な冒険家は死なない」というのがあるんです。

田中舘

いい言葉ですね。そんな中では、当然人間の生体機能の限界というのを感じたことはありますよね。

栗城

ありますね。

田中舘

それは総合的に言うと、体が動かないということですか。

栗城

一番は、段々体が楽になってくるんですね。苦しさが睡魔に変わってきて、気持ちよ〜く寝ちゃうんですよ。具体的には、一瞬にして夢の中に入ってしまうんです。ストックで登っていてちょっとでも休むと、次の瞬間もう札幌の自分の部屋にいるんです。

田中舘

意識が飛ぶっていうのかな。

栗城

ええ。それで夢だったらぼんやりしていますが、物の感覚もはっきりあってリアルなんです。机があってその奥に布団があって。その布団もちょっと開いた状態で、いつでも入れるようになっている(笑)。また自分で戻らなきゃ、と思うと次の瞬間山に戻っていて。

田中舘

半分死んでいるのかもしれない、離脱して(笑)。

栗城

ええ、離脱しちゃって。最後は夢と現実が交差しているんですね。

田中舘

そこらへんになるとちょっと危ないというか、危険信号ですよね。

栗城

はい。実家の父親が玄関で「寄っていけ、寄っていけ。」と言うんですけれど、多分寄っていたら死んでいたと思うんです(笑)。そういうことを何回も経験して、太陽が出てきて光にあたってから意識が戻るんですよ。ですからああいう所で亡くなった人というのは、多分山で亡くなったという感覚がないんだと思います。

田中舘

苦しみながらではないのかもしれない。ある部分極楽の世界というか。

栗城

そうですね。

田中舘

それが死生観だ。

栗城

死生観ですね。

達成感は「ありがとう」から始まる

田中舘

6大陸最高峰を踏破して、頂上で毎回感じるようなことはありますか。

栗城

やっぱりいつも最初に出てくることは「ありがとう」ということですね。それは全ての山に共通です。

田中舘

それは何に対してでしょう。

栗城

神意識的なところでの「ありがとう」ですね。一番調子がよく登っている時というのは、自分の力で登っている様で、実は登らされているという感覚が最近わかりました。絶対登るんだという意識の時ではなく、よくわからないけれど登っているという感覚の時が、頂上に近づいている瞬間なんです。そういう時は山に選ばれたのかなと。逆にこてんぱんにされて下りる時もあるんですけれど。でも今まで7つの大陸を登ってきて思うのは、山が違うと、例えば空気が全然違うんです。

田中舘

匂いみたいなものが?

栗城

鼻の奥に来るか来ないかで全然違う。例えばキリマンジャロですと、ほのかに土の香りというか、生命を感じるというか 逆に南極とかは何にも感じない無の世界。南極の頂上でビックリしたのは、寒いのに息が白くならないんです。普通は空気中に見えないゴミや粒子があるので白くなるんですが、南極はそれがないので白くならない。だから7つの大陸全て空気が全然違いましたね。

田中舘

ところで日々の健康管理や、トレーニングに関してはどうなんですか。

栗城

それは一番重要ですが、僕はあまり激しいトレーニングはやらないんですね。筋肉というのは、酸素が有る所ではすごく力が出るんですが、無酸素の場所では逆に重荷になったりするので、無駄な筋肉は全部落としていくんです。食事にはかなり気を使っていますね。

田中舘

格闘家でも筋肉を硬くつける剛タイプと、人間本来のあるべき筋肉だけでやる柔タイプがいます。登山という酸素の薄い所では、柔の方がいいんですね。食事はどうですか。

栗城

肉は食べませんね。もう3年間やめています。魚や大豆を摂ったり、ご飯は玄米食です。水分も積極的に摂って、いい筋肉よりもいい細胞を作ろうと心がけています。いい細胞が無いと、いい判断もできないので。

田中舘

それは例えばホームドクターがいて、医学的にそうした方がいいということですか。

栗城

いや、これは独学なので合っているかどうかわからないですけれど(笑)。僕は実際に登山しながら感じてきて、そのようにしています。

田中舘

例えばお酒も飲んで、タバコも吸ってそういうチャレンジをするのも面白くないですか(笑)。

栗城

面白いですねぇ・・・。

田中舘

空海の行は、地上にある者は全て受け入れるという行だったんですね。自分の肉体が大自然の法則性から創られたものならば、不要なものは自然に落としていくという。心身の限界を超えた人間が到達するプロセスとして、食事や環境の善いものだけを選ぶことがよいのかどうかは疑問なんです。実際、常識的には酒もタバコもやらない方がいいことは間違いない(笑)。ただ、人間には順応本能というのがありますよね。清い水の中で育った魚は弱いんですよ。これから栗城君が青少年に教育をしていくとき、余りにも優等生的な部分だけではなくて、グローバルな視点を取り入れて「えっ」というようなギャップがあることも、教育には大事なんじゃないかと思うんです。

栗城

なるほど・・・。

田中舘

そうでないと虚と実、陰と陽、善と悪の世界もわかってこないでしょうし。人間界での善悪の法則も自然界から見たら全く違う解釈かもしれません。だから生と死のはざまを体験した人は、そういう見地から指導性を持った方がこれから魅力が出てくるんじゃないでしょうか。なぜなら、栗城君の言っている理想的な環境を作れない人や国があるわけです。そうすると栗城君の言う健康な心身づくりのための理想的なデザインは、世界に通用しないことになっちゃう。

栗城

確かにそうかもしれないですね。

田中舘

民族や歴史や文化が違う色々な人たちがいる、色々な次元があるということを知った方が、世界に対するメッセンジャーとしてもインパクトが強くなりますよね。あなたのメッセージを聞いた時に、色々なチャンネルでの共感ができますから。栗城君には、是非深みのある魅力的な人間になっていって欲しいと思います。

栗城

ありがとうございます。

チャレンジ精神の勇気を子供たちへ

田中舘

ではあらためて、栗城君が登山を通じて伝えたいメッセージを聞かせて下さい。

栗城

やはり、若い人たちに自分もやればできるんだということを伝えたいです。こんな僕でもできたんだからみんなもできるんだということを、言葉ではなくて実際の姿を通して伝えたい。あきらめないことの大切さや、自分の意思で物事を決めて、自分で責任をとってやるということですね。単独登山というのは全て自己判断、自己責任の世界ですから、そういうことってすごく大切なんじゃないかと思っています。

田中舘

その通りですね。

栗城

そういうことを伝えながら、日本や世界が元気になればと強く思います。

田中舘

そういった活動の基地をつくる予定はありますか。

栗城

はい、つくりたいですね。北海道のニセコ町では子供向けの冒険キャンプとかをやっています。普段は引きこもりがちな子供たちが集まって、夏の間だけやっていたんですけれど。普通、そういう所ではインストラクターが全て教えるんですが、そこでは食料とテントだけ用意して、あとは殆ど子供たちに任せてしまう。そうすると最初はみんな帰りたがるし、ブツブツ文句を言っているんです。でも段々知らない子供同士が知恵を出し合いながら、なんとかやっていこうとするんですね。

田中舘

無人島なんかに七つ道具だけ置いておくと、そのうちリーダーが出来て自然に自給自足をやりだすんですよね。面白いですよ。親がついていたら全くトレーニングにならない。

栗城

子供だけで体験した方が絶対いいですよね。

田中舘

将来的にはそういう経験を含めた講演活動や、栗城ベースキャンプみたいなものを造って、子供たちに体験の場を広げる活動もしていきたいということですね。では、自分の人生を決定づけた山に対して何かお返しみたいなことは考えていますか。

栗城

はい、考えていますね。やはり自分自身を育ててくれたところですので。僕は、できたら色々な人を山へ連れて行ってあげたいという気持ちがあります。実際に山に行くことによって山というものを理解してもらいたい。僕は必ず登山道にある小さなゴミを拾いながら登るんですが、そういうことはすごく大切かなと思っています。人間というのは、自然に生かされながら生きているんだ、ということを伝えながら山を登りたいんです。その中で自然に対する謙虚さみたいなものを学んでくれたら、僕はすごく素敵なことなんじゃないかと思います。山は危険で特別な人たちしか登れない、というのではなくて、より多くの人に登ってもらいたいんです。
あと、僕はリアルタイムということにこだわっています。生と死をかけて何かを達成しようとしている瞬間というのを、インターネットで見ている若い人たちや、引きこもりがちな人たちなどに見てもらって、少しでも何かを感じてもらえたらというのがすごくありますね。

田中舘

スポーツでも格闘技でも、やっぱり録画よりリアルタイムですよね。リアルタイムの映像の迫力に勝るものはないですからね。共感の度合いが違いますよ。

栗城

そうですね。僕は映像を撮りながら登っていますので、それを通して皆さんに夢や希望、勇気を持つことの大切さをこれからも伝えていきたいと思っています。DVDを鑑賞していただくと、その時の息づかいが伝わって講演で話をするだけよりも説得力があるんですよね。

田中舘

講演中に聴衆が段々引き込まれてきて、一体感を感じるような経験もあると思いますが、皆さんいつ頃から栗城君と一体化してくるんでしょう。

栗城

そうですね…。皆さんと映像を見ながら講演を進めていくわけですが、僕は山の頂上で「最後まであきらめなくてよかった。」って無線で言うんですよ。その時に皆さんグイッと引き込まれていって、シーンとなって話を聴いて下さいますね。

田中舘

なるほどねぇ…。これからはうちの機構の活動として、栗城君のメッセージを青少年に対して発信して頂く機会も出てくると思いますし、広報の中で栗城君の言葉が雑誌に掲載されて広く読まれるということもあると思うので、是非ご協力をお願いしたいと思います。

栗城

はい。世界には8,000m峰が14山ありまして南極点、北極点に歩いて行きまして、それを全てやり遂げた人のことをグランドスラムというんです。僕はエベレストの後もそういうことに挑戦し続けながら、多くの人にメッセージを伝えていきたいと思います。

田中舘

これからも栗城君の活動に期待していますので、是非頑張って下さい。今日はありがとうございました。

栗城史多

栗城史多プロフィール
1982年北海道生まれ。札幌在住のソロアルピニスト。高校卒業後、1年間東京でアルバイト生活を送る。その後北海道に戻り、2003年大学在学中に登山を開始。2004年の北米最高峰マッキンリーの単独登頂成功を皮切りに、南米最高峰アコンカグア、ヨーロッパ大陸最高峰エルブース、アルプス最高峰モディ、タキュル、モンブランの3山の単独縦走に成功。その後、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ、オセアニア最高峰のカルステンツピラミッド単独登頂も成功を収める。2007年には南極最高峰ビンソン・マシフ再挑戦にて単独登頂を達成。身長162センチ、体重60キロという小柄な身体で、山との対話を大切にしながら、ついに7大陸最高峰のラストとなるエベレスト(8,848m)単独・無酸素登頂を目指して現在奮闘中。エべレスト単独無酸素登頂は、未だ日本人では成功した人はおらず、その冒険の模様をインターネットで全世界に動画配信を予定。

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